ホームレス自らを語る 第19回 車いすに乗ったホームレス/林さん(仮名・61歳)
(林さんは脳梗塞の後遺症で半身不随になり、車いすで路上生活をしている)
オレが48歳のときの、冬の寒い晩のことだった。銭湯から外に出て冷気にあたったとき、ちょっと立ち眩みのようになって、気分もムカムカしたんだ。いま思えば、あれが前兆だったんだが、すぐに直ってしまったから、そのままにしてしまってね。
その翌日、当時働いていた赤羽(東京・北区)の製本工場で、仕事中に倒れた。すぐに救急車が呼ばれて病院に運ばれ、集中治療室で治療を受けた。病名は脳梗塞。一命は取りとめたが、左半身に麻痺が残った。
その病院に3ヵ月入院して、それからリハビリ専門の病院に移り、懸命のリハビリをして、杖を使えば何とか自力歩行ができるまでに回復した。
それで退院したんだが、杖を使ってやっと歩ける状態では、仕事に復帰するわけにもいかないしね。で、田舎の実家をたよって帰ることにしたんだ。オレの田舎は群馬の高崎で、実家は雑貨商と水道工事店を営んでいた。実はオレはオヤジから勘当されていた身でね。
6年ぶりに帰ったオレを見て、「そんな身体になって、なんでおめおめと帰ってくるんだ」そうオヤジはなじって、オレの背中をドーンと突き飛ばした。オレは道路に倒れ込んで、したたかに左半身を打ち据えた。それでオレの左半身はまったく動かなくなってしまった。本当に血も涙もないオヤジなんだよ。
また、東京に戻って、前から借りていたアパートの部屋に入って、それから1年間籠りきりになって部屋から1歩も出なかった。こんな身体になった人生や、そんなオレを助けようとしない親兄弟に絶望したんだね。
生活費はアパートのあった練馬区の福祉から生活保護を受け、食事や洗濯など身の回りのことは、製本工場で働いていたころの同僚が隣の部屋に住んでいて、その彼が面倒みてくれた。いまでも彼には感謝の気持ちでいっぱいだよ。
1年して練馬区内のバリアフリーのアパートに空きができて、そちらに移った。こんどは手助けをしてくれる人はないから、車いすに乗って全部一人でやらなければならないから大変だった。食事も自炊でね。といっても、出来合いの惣菜を買ってくることが多かったけどね。そのアパートでは5年間暮らしたのかな。
オレが生まれたのは昭和21年で、群馬県の高崎市。5人兄弟の長男。家はそのころから雑貨商と水道工事店を営んでいた。
オレは中学校を卒業して、自動車エンジンを製造する地元の工場で働きながら、定時制の工業高校に通った。だけど、元々工業系は好きじゃなかったから、仕事も学校も面白くなくてね。1年で両方ともやめてしまった。そのあたりからオヤジとの関係が、ギクシャクするようになったんだな。
それで東京に出てスナックで働くようになる。ただ、オレは長男だったから、オヤジはオレに店を継がせる気だったんだろうな。高崎に呼び戻されて、家業を手伝わされた。
ところが、オヤジとオレはまったく反りが合わなくてね。ことごとくに反発し合うんだ。オヤジは頑固一徹で厳しいだけだし、オレのほうはチャランポランで店の仕事をサボってはギャンブルに行ったり、夜毎酒を飲み歩いたりでね。
そのうちに馴染みのスナックのホステスのアパートに転がり込んで同棲を始めて、籍まで入れてしまったりね。そんなことが2度あったんだな。それでオヤジもいくら長男でも、こんな息子に店は譲れないと思ったんだろう。オレは勘当を言い渡されたんだ。42歳のときだった。
勘当されたのに高崎に住んでいるのは具合が悪いからさ、それで東京に出てきた。はじめのうちしばらくは土木の日雇い作業員をして、そのうちに赤羽の製本工場に雇われて、そこで働くようになった。といっても、日払いの仕事だから日雇いとあまり変らなかったけどね。
その製本工場で働いていたとき、脳梗塞で倒れ半身不随になって、車いすの生活を余儀なくされたわけだ。
例の練馬区の福祉から斡旋されたバリアフリーのアパートで暮らしていたとき、猫を飼ったんだ。オレは動物が好きだし、一人暮らしの退屈を慰めるためと思ってね。ところが、そのアパートはペットの飼育が禁止で、猫のことが大家にバレて有無をいわさずに追い出されてしまった。
それで困って練馬区の福祉に相談に行ったら、茨城県の施設を紹介してくれて、そこに入った。でも、そこは認知症(痴呆症)老人の介護施設だった。オレ以外の入所者は、全員が認知症老人ばかりなんだからね。気持ちが悪いといったらなかったよ。
多分、オレが契約違反の猫を飼ったりしたから、福祉の担当者が腹をたてて、わざとそんな施設に送り込んだのだろう。嫌がらせさ。
とにかくそんな施設では暮らせないから、早々に逃げ出してこの(新宿中央)公園で暮らすようになったんだ。3年前のことだよ。
車いすでの公園暮らしは大変だけど、仲間のみんなが食事や寝るところの面倒をみてくれるんで助かっている。酒も飲ませてもらえるしね。
この公園に移ってから、新宿区の福祉に施設への入所を希望していたんだ。それがようやく山谷にあるバリアフリーのアパートに、空きができそうだという情報でね。公園での野宿も、あと少しで終わりになるかもしれないんだ。
(聞き手:神戸幸夫)
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