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2008年12月20日 (土)

ロシアの横暴/第7回 ゴルバチョフにだまされた西側諸国(1)

 1985年、停滞の時代のさなかにあったソ連発新語に「ペレストロイカ」がある。新語の在任期間は短かったが、世界を駆けめぐり、ソ連やロシアは知らなくてもペレストロイカは知っているほどになった。そのころ(1980年代)は、鉄のカーテンに覆われたソ連を何とかして覗こうと、いろいろな人が憶測を飛ばしては虫食い情報をつなぎ合わせ「ナントカでカントカのソ連」という類の記事をばらまいていたものだ。
「停滞の時代」の張本人といわれているブレジネフ書記長が死ぬと、短期間に2人の後継者が入れ替わり、そのあとにミハイル・ゴルバチョフという人物が華々しく登場した。
 彼は真っ先に「ペレストロイカ=建て直し」と「グラスノスチ=情報公開」という2つの新語を世に送り出した。覗き趣味競走の立て役者である西側諸国はグラスノスチで公開されたソ連の姿が、想像していたとおりの停滞情況であったことに自信を深めてみたり、拍子抜けしてみたりだったが、そのかたわらで不思議なお祭り騒ぎも始めた。
 建て直しを言い出すからには立て直さなければならない現状があり、情報公開を叫ぶからには「隠匿」が幅を利かせていたことの何よりの証明で、「ガタガタソ連の真実を隠さず、堂々と公表した」したから彼は偉大な指導者だ、という騒ぎだ。騒ぎが高じて東西冷戦終結祭りに至った。ゴルバチョフはこの冷戦終結の「偉業」を買われて1990年、ノーベル平和賞を受賞した。彼の偉業とは何だったのか、冷戦終結後の世界はどうなったのか、「ペレストロイカ」とか「冷戦終結」は有名すぎて見えにくくなっている。

 いつの時代にもソ連の政権交代は前任者の否定をすることから始まる。ゴルバチョフの場合は従来とちがってちょっとスマートに目新しいことばを持ってきたことを知らなかったから騒いだのだが、結果は「建て直し」ではなく「崩壊」であった。西側の望みはソ連崩壊だから目標通りといえば目標通りではある。
 1年後、チェルノブィリ原発事故が起きると、グラスノスチにかげりが見え始めた。ゴルバチョフは事故の真相を隠したからだ。そればかりか、飛散した放射能が風に乗ってモスクワに着く前に人工降雨で近隣のゴメリ州(現在はベラルーシ)やブルヤンスク州に落とすという隠蔽工作もやってのけた。「原発事故はあったが、大したことはない、モスクワは無事だ」と。こうしてグラスノスチは間もなく消滅していったが、ペレストロイカは引き続き西側諸国でもてはやされた。
 ゴルバチョフ改革で西側にバカうけしたもののひとつに「宗教改革」がある。それまでのソ連では「宗教はアヘン」として禁止されていたそうだ(これも覗き趣味虫食い情報に起因する噂のひとり歩きの面が否めない)。
 彼はさっそくこの禁止令とやらを解いた。教会に行くのもお祈りもするのも自由というわけだ。でも人々はそれまでも復活祭になれば「主はよみがえりたまえり」と挨拶をかわしながらお墓参りをし、人が死ねば十字架を立てて葬っていた。「禁止令」が強制力をもっていたのか疑わしい。宗教改革をするほどのものではなかったような感じだ。それなのに禁止令を解いたのはなぜか。それは信心深い民衆のご機嫌をとりたかったからだ。「信教の自由」は基本的人権にかかわることだから禁止令を解いたのではなく、前任者のやったことを否定して自分の偉大さをアピールしたいから解いたのである。当のソ連人はこのことをはじめからお見通しだったようだが、ロシア的精神構造を知らない西側諸国はすっかり乗せられてしまった。
 さて、ゴルバチョフ氏は西側のお祭り騒ぎに呼応し、冷戦を終結させるべく外交に力を入れてあちこちを漫遊しては派手なパーフォーマンスを繰りひろげた。ソ連国内の他の民族共和国にはさっぱり顔を出さなかった。
 ソ連の歴代の指導者はまがりなりにも15の異なる民族が協調してソ連を構成している、という自覚があった。しばしば横暴な手段で「協調」させていたには違いないが、多民族が協調しているからソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)であることを、知っていた。ところがゴルバチョフという人物はどこでどうまちがえたのか、このことを全く心得ていなかった。他の民族も自分と同じロシア人の精神構造、ひょっとしたら「ロシア人の精神構造」よりもっとせまく、人間は皆「ミハイル・ゴルバチョフと同じ精神構造をしている」と思いこんでいたのかもしれない。
 彼が国内でやった「ペレストロイカ」の手始めは、ソ連、特にロシアに蔓延していたアル中問題を解決することだった。酒を飲まないゴルバチョフが出した妙案は禁酒令だった。禁酒令を出せばアルコール害はおさまり、農業不振による食糧不足を解決できるから一挙両得と思った。ブドウ畑をキャベツ畑やじゃがいも畑に変換すればアル中の元であるワインは造れなくなり、かわりに野菜が増え、食糧不足が解決する、と(彼は農業大学も出ている)。ちなみに、ロシアのアル中はウォッカが主で、ワイン作りが盛んなグルジアにはアル中問題はほとんどなかった。自らがアルコールをたしなまないのでワインとウォッカの区別もつかなかったことになるが、他人の、他民族の精神構造を全く理解していなかったことがこれでよくわかる。
 こうしてソ連最大、世界的なワインの産地であるグルジア農業を崩壊させてしまった。ブドウ畑をキャベツ畑にせよという命令など無視すればよかったのに、そこはペレストロイカもグラスノスチも全く及ばない独裁の範疇にあり、ブドウ農家は泣く泣く従わざるを得なかった。だから誇りと伝統を否定され潰されたグルジア人のゴルバチョフに対する恨みは並ではない。ゴルバチョフ自身も自分の言うことを聞かなかった大酒のみのグルジア人が嫌いなようで、2008年8月のグルジア戦争では「グルジアなど叩きつぶせ」と、明らかに暴言だが本人は大真面目に、心の底からのコメントを発した。
 折しもノーベル財団が受賞者選定作業をしていたころである。EUがらみのグルジア戦争について、かつての平和賞受賞者が吐くこの台詞を聞いて財団の理事会はさぞかし苦い虫を噛んだことであろう。(川上なつ)

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