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2008年12月18日 (木)

アフガン終わりなき戦場/第7回 「日本は外国じゃない」(1)

 美しい金色の麦畑が広がっている。瑠璃色の空から降る陽光に照らされ、豊穣な光を放っている。麦畑の中には日干し煉瓦で造られた塀で囲まれた家が点々としている。大きな家もあれば小さな家もある。外から塀を見るとドアの所だけが緑に塗装された金属製で、そこから子供たちが小さな顔を覗かせている。
 私たちの乗った車が前を通ると、子供たちが笑みを浮かべながら手を振りだした。私にではない。後部座席に座る私の前にいる人物、「ドクターサーブ(現地の言葉で『お医者様』)」ことペシャワール会の現地代表中村哲医師だ。中村医師はゆっくりと上げた手で返事をする。
 わたしはペシャワール会が活動するジャララバード近郊の村に来ていた。
 ペシャワール会は1984年から活動を続ける日本のNGO(非政府団体)だ。設立当初はらい病患者の診察が主であったが、現地の要望に応えらい病以外の診療、井戸建設、水路建設、マドラサ建設と活動範囲を広げてきた。アフガニスタンで活動する日本のNGOでは最大規模で、年間約3億円の民間からの寄付のみで運営されている。
 今年8月、日本人ワーカーの伊藤和也さんが何者かに誘拐、殺害されるという痛ましい事件が起きた。治安悪化のため日本人ワーカーを帰国させようと計画していた最中に起きた悲劇だった。現在、中村医師以外の日本人ワーカーは帰国した。中村医師が日本人では1人だけ残り活動している。
 取材初日、ペシャワール会病院のジア副院長が用水路を案内してもらった。
 現在、アフガニスタンは「100年に一度」と言われる干ばつに直面している。アフガニスタンの農業用水はカレーズと呼ばれる地下用水路を通して畑に運ばれていた。しかし、それが干ばつで枯れてしまったのだ。アフガニスタンは人口の殆どが農民の自給自足を前提とする社会だ。作物が取れないことは死に直結する。ペシャワール会の活動するダラエヌール近郊でも多くの人々が干ばつで生活することが出来なくなり、生まれ故郷を離れた。残った人々は干ばつで苦しみ、子供が泥水をすするような状態になった。
 その干ばつの惨状は中村医師の著作に詳しいが、車上から見える景色はその苛酷な時代がそこにあったことを想起させるのが困難なほど美しいものだった。農地の横には水路のクナール川がある。ジア副院長にどうして川があるのに干ばつなのか、と聞いた。
 「クナール川の水量は豊富です。けれど、居住可能な土地は川よりも高地にあるので水は農業には使えません。カレーズも干上がり、ここ一帯は干上がっていたのです」
 水路には「蛇籠」と呼ばれる日本の古い水路技術が使われている。砕いた岩を針金で囲み、ブロック状にしたものを水路の壁に使うのだ。コンクリートでは壊れると補修が困難だが、蛇籠ならば現地の人の手で補修が可能だ。水路は完成後、地元民に引き渡され、彼らの手によって管理される。「ペシャワール会があたえる」というより、「地元の人と一緒に作る」のだ。
 完成した水路の近くに住む住民は笑顔をポロポロとこぼしながら日本への賛辞を述べた。だんだんと人が集まり、日本への感謝をいかに述べるか、という弁論大会になった。
「ドクターサーブやペシャワール会のおかげで生活できるようになった。心から感謝をしている。彼らはアフガニスタンの真の理解者だ」
「日本は外国じゃない。日本はアフガニスタン人だ」
 日本人の名前が髭面の男たちの口から次々と飛び出し、個々人に感謝の意を表した。その中には殺害された日本人ワーカー伊藤和也さんの名前もあった。
 日本人をあまりに持ち上げるので、わたしは自分のことでもないのに妙にくすぐったい気持になった。
 驚いたのは何よりも彼らが本当にペシャワール会に感謝していることだった。何かをもらったのだから「当たり前」と感じるが、実はそうではない。
 アフガニスタンでは数多くのNGOが活動しているが、アフガン人がNGOについて話す時みな眉をひそめるのだ。口をそろえて誰もが「連中は自分たちがもうけるために来ているのさ」というのだ。(白川徹)

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