ロシアの横暴/第6回 人に優しくなれるカフカスのおもてなし(2)
さて、このロシア人女性との話に登場したカフカス地方のことだが、一口で表現すれば「ぬくもり」である。カフェに入ってそこに居合わせた人々と話し込んでいると、必ず出てくる質問が「どう、ここ(カフカス)は気に入ってくれたかね?」である。「いや、あんまりよくない」とは言わせない自信満々の雰囲気が漂う。実際、ロシアの他の地域、つまりロシア人地域からカフカスに入ると、重苦しい雰囲気から一気に解放される。何か困っていればわがことのようにあれこれと世話を焼いてくれる。ソ連独特のいわゆる美的感覚に欠け、その上ソ連崩壊とやら、ほったらかしで荒れ放題のソ連風建物が並ぶなか、別世界にいるような感覚になってしまう。
ある日のこと、いつものように行きつけのカフェにすわって食事をしていた。最近ヘンな日本人がきているという噂が立ちこめているらしく、見物がてらに駅の従業員やこれから非番になる警察官などが入れ替わり立ち替わりやってくる。BGMで土地の音楽が流れると仕事はほったらかして踊り出し、おまえも踊れ、と促す。そして「どうだ、ここは気に入ったか」とお決まりの質問を出してくる。
カフカスといってもロシア領だからイヤなこともたくさんあるがそれを上回るなにかが漂う。即座に「もちろん、温かい雰囲気の土地でとても気に入りました」とこちらも決まり文句で答える。すると、そうとも、ロシアがさんざんカフカスの悪口を書いてくれるんで、みんなそれを信じ込んでここに来てさ、あんまりにも違うってびっくりするんだよ、と付け加えることを忘れない。
先日病気治療で日本に来たモスクワ在住のロシア人が「モスクワの病院はカフカス人の医者ばっかりで、ヤブでどうしようもない、ロシア人医者がいないから」とぼやいたそうだが、ロシア人医師がいても充分ヤブだよ、と突っ込みたくなる。多くの人がカフカスを見もせず、ロシアの流す「カフカスは読み書きも出来ない野蛮な民族が住むところ」という、帝政時代のままのカフカス観を頭のてっぺんから足のつま先までしみこませているのが現状だ。
侵略した先の住民が自分たちの言語を解さないから、野蛮で遅れた民族、と決めつけたのを手始めに、それから300年あまり経った現在に至ってもその考え方を変えていないロシアは物心両面に亘って横暴である。
でも人々の話によるとカフカスに来て人は変わるのだそうだ。最近ではFSB(旧KGB)のエリートでありながらチェチェンに赴任し、そのうちにチェチェン戦争を告発してロンドンで毒殺されたリトビネンコもその一人といえよう。そんなに大物でなくても、この地に来人々と陽気に踊っているうちにカフカスになじんでいくのが一般的な変わり方、と警察官は笑った。
カフカス流おもてなしの奥義を知る場面にも出会った。
カフェに集まるおばさんたちのなかのあるひとりがチェチェンについて話を始めた。チェチェンのグデルメス(ダゲスタン共和国に近い東部の都市)に親戚(あるいは親戚の知人)がいて、その近所に70才近い老人と30才代の女性の夫婦がいるという。その老人は2度目の戦争のあとほとんど全壊している家にどうにか住みついていたが、そこに住むところをなくした若い女性が部屋を借りにきた。ひとり暮らしの老人の農作業を手伝ったりしているうちに結婚することになったのだそうだ。
この老人は戦争で自分以外のすべての家族を亡くしていた。部屋を借りにきた女性も同じように自分以外のすべての家族を失っていたというのである。思わず絶句した。誰かが「心の痛みをなめ合おうってわけかね?」と、悪気はないのだろうが無神経な茶々を入れた。
「そんなんじゃないわよ!」と話し手の女性が制止すると他の者も頷いて、あんたの発言はよくない、と目で合図をした。
「だから私はグデルメスに行ったらその夫婦のところにお客にいくことにしているの。親戚は全滅してほんとにだれもいないから、私みたいな者が行ってもとても喜んでくれるのよ。少しは人助けができているみたい」と続けた。
少しだけカフカスとチェチェンの説明をしておくと、カスピ海と黒海のあいだにあるカフカス山脈周辺一帯を「カフカス」と呼ぶ。さらに詳しくなると山脈の北側をカフカス、南側をザカフカジエ(カフカスのうしろ地域、日本流にいえば裏カフカス)チェチェンはカフカスにあって近辺に片方にイングーシ共和国、もう片方にダゲスタン共和国がある。だからチェチェン人のやりかたをカフカス流儀と呼んでも差し支えはない。
客をもてなす余裕などないであろう、すべての家族を亡くしてしまった貧しい戦争被災民の家にお客に行ってあげることもカフカス風なんだ・・・・・おそらくその夫婦は辛すぎる身の上話などしないで、冗談を飛ばすのだろう。お客をもてなすときには自分たちの痛みを語らず、楽しく過ごすのがチェチェンをはじめとするカフカス流だそうだから。客の前で泣いてみせて誰がいい気分になるの?とあるチェチェン人女性が言っていたが、たのしく振る舞うのもおもてなしなのだ。
どんなに貧しくてもありったけのものをテーブルに並べるのがチェチェン風、と聞いたこともある。おそらくこの老人の家庭もこうして客をもてなしているのだろう。胸が熱く苦しくなった。
チェチェン人のもてなし流儀については、たとえば「向かいの席に座っている人の顔が見えないぐらいにごちそうを積み上げる」とか、「見ず知らずの人が上がり込んでお茶を飲んでも何の不思議もないのがチェチェン」などがある。自分たちの豊かさを誇示するチェチェン流見栄っ張りという見方もできるが、山のように積み上げるごちそうも一杯しかないお茶もここでは同じく「ありったけ」なのだ。チェチェン人ならご馳走の山がないことを「湯気が立ち昇って相手の顔が見えない」とでも茶化すことだろう。とても厚みのある表現だと私は思っている。
今度あなたがグデルメスに行くときには、カフェで出会った日本人がいつかお客に行きたいって言っていた、と伝えてくださいと頼んでみた。彼女はぱっと明るい顔になって、はい、伝えます、とっても喜んでくれると思うわ!と答えた。
横暴なロシアに翻弄されても、自分たちは自分様に生きるカフカス魂が見えた。(川上なつ)
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