ロシアの横暴/第8回 ゴルバチョフにだまされた西側諸国(2)
さて、そのノーベル平和賞受賞者がやったもう1つの大仕事が異民族弾圧である。1990年1月、1988年に始まった「ナゴルノ・カラバフ紛争」の追加弾圧としてアゼルバイジャン・バクーにロシア軍を侵攻させたのはゴルバチョフである。もっとも彼は民族紛争を弾圧しようとしたのではなく、解決しようとしたのだが。結果的に武力弾圧になったのはあちこちで民族紛争が火を噴き、もはや統制がとれなくなってヤブレカブレなのに気がついていなかったのである。それにもかかわらずこの年にゴルバチョフはノーベル平和賞を受賞したのだった。
ノーベル賞をもらっても凋落は止まらず翌年(1991年)、ついに失脚し、ソ連は崩壊する。ゴルバチョフが失脚しようが、ロシア軍が撤退しようがアゼルバイジャン民衆の腹の虫はおさまらず、いまでも年末恒例のバレエ「くるみわり人形」は「ロシアのおどりカット版」で上演されている。公立学校の玄関ロビーにはかならず1月20日事件の写真や絵が掲げてあり、生徒たちが愛国心いっぱいに描く絵に登場する怪物や悪魔は例外なくゴルバチョフのモチーフである。
さらにこのノーベル平和賞受賞者は、ある時は独立志向で反抗的なエストニアを空爆しようとした。しかし、これはその時のロシア空軍の将軍だったチェチェン人ドゥダーエフ(後のチェチェン共和国大統領・1996年ロシアに殺害された)がゴルバチョフの空爆命令をはねつけたのでアゼルバイジャンのような惨事には至らなかった。チェチェン戦争に関してエストニアがいつでもチェチェン側にたち、マスハドフ政権を真っ先に承認したのはこのためである。
経済政策も混迷した。日本をはじめとして諸外国が偉大なゴルバチョフ、と持ち上げるようになって2~3年が過ぎた頃、ソ連の海外債務の焦げ付きが表面化した。新聞は、それまでのソ連は停滞の時代にありながらも、輸入代金の支払い納期を遅らせたことはなかった、と報じている。外貨管理を厳しくし、払うべき債務はきちんと払って弱みを握られないようにしていたのだろう。余談だが、ソ連の最大の輸入相手国は皮肉なことに米国で、しかも米国の銀行から借り入れをして輸入代金をきちんと払っていた。余剰の食糧は買ってくれるわ、お金は借りてくれるわで、米国は「上得意ソ連さま」に足を向けて寝てはならない状態だったそうだ。
それがゴルバチョフのペレストロイカで、輸入代金が払えなくなってきたのはなぜか。推察するほかないが、米国から借金をしてそれで米国から食糧を買う、という金融システムが理解できなかったのだろう。
モスクワ大学卒のエリート買いかぶりもこのあたりから化けの皮が剥がれていたのだった。
ところでペレストロイカのなかである一つのナゾがある。それはゴルバチョフが指名したロシア正教会大司教=ごく最近死んだ=とのつながりである。ロシア正教会の大司教なのにロシア人ではなく、ロシア嫌いのはずのエストニア人だ。旧ソ連構成国のなかでは遅くにソ連に加わった(エストニア側は併合されたと言っている)というので、ゴルバチョフが「われらが若い兄弟たち、バルトよ!」などと呼びかるのに、いちいち腹を立てているバルト3国からロシア正教の大司教が選ばれるなどとうてい考えられない。一説によると、連邦離脱志向の強いバルト地方から大司教を任命することで人々を手なずけ、ソ連からの離脱を防ごうとしたのだそうだ。バルト地方の人々もロシア人と同じ精神構造をしていると思っていたようだ。
当然のことながら彼の思惑は外れた。エストニアはプロテスタントが圧倒的で、こんなロシア正教優遇型人事が受け入れられるはずもなく、選ばれたエストニア人大司教の方も「ロシアにこびを売るイヌ野郎」と罵られるのが落ちである。バルト3国は真っ先に連邦を離脱した。ただし、大司教の方はイヌであろうがブタであろうが、神の栄光に包まれて職務を全うした。ゴルバチョフの空爆命令を拒否して故国エストニアを救ったドゥダーエフ率いるチェチェンを討ちにゆくロシア軍兵士を祝福し、戦死した兵士を神のもとに召したのだから。
ところでエストニアにエストニア人のロシア正教徒がいるということは「宗教禁止令」が噂に聞くほどの強制力は持っていなかったことの証明になる。「公的な場に宗教を持ち込んではならない」ことが「禁止令」だったのではないか。日本流にいえば政教分離である。宗教は基本的に政治権力とつながりをもちたがる。そうすれば教会の権威が保てるし、経営がラクになる。政治権力のほうも宗教を政治に利用したい。その方がラクに民衆を支配できるからだ。
ロシアに限らず、国家というものはどこも横暴なものである。他国の、特に小国に対して横暴なのは今も昔も変わらない。だがゴルバチョフの横暴さは例を見ないように思える。
エリツィンのような正真正銘の横暴さではなく、無知と思い上がりから来る横暴だ。それなのに虚像がまかり通った原因のひとつに「モスクワ大学法学部出身のエリート」という、ひと味違った経歴を持っていたことがある。ソ連歴代の指導者はインテリやエリートとは縁遠い、いわゆる労働者階級あがりだったから悪かった、こんどはモスクワ大学法学部出身で、外国語(英語)にも長けた人物だからよい、という論理だ。
ゴルバチョフ自身は今でも、もしペレストロイカがなかったらソ連は路頭に迷っていた、と自画自賛していることを最近のインターネットニュースは伝えている。(川上なつ)
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