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2008年12月23日 (火)

レッサーパンダ帽子男殺人事件の現場を歩く

 浅草の松屋を左に見ながら江戸通りを北に歩く。金属のこすりあわさる高い音に振り返ると、頭上の鉄橋を列車がゆっくりと進んでいた。東武伊勢崎線は隅田川を越えた直後、松屋の入った駅ビルへとほぼ直角に進路を変える。その急な方向転換の「悲鳴」だった。
 2001年4月30日午前10時半ごろ19歳の女子短大生がここを歩いていた。天候は雨。ボーイフレンドが出場するブラジリアン柔術の大会を応援するために、浅草駅から800メートル近く離れたリバーサイドスポーツセンターに向かう途中だった。
 彼女の歩いていた歩道は片側2車線の大通りに沿っている。道の両脇にはいくつもの靴屋が並び、年末にはこの一帯の店と問屋によって「花川戸はきだおれ市」が開催されることでも知られる。少なくとも取材した日曜夕方に人通りが途絶えることなどなかった。
 もちろん治安が悪い場所でもない。犯行現場近くに住む商店主は「ここらへんの治安は悪くないよ。ホームレスだって悪いことしないし」と、言葉少なに周辺の状況を説明してくれた。
 事件当日、午前10時20分ごろには駅近くの交番で道を聞いた、と被害者が携帯でボーイフレンドと話をしており、スポーツセンターにいる友人たちは彼女に身の危険が迫っていることなど思いもしなかったはずだ。しかし犯人は浅草駅周辺で、たまたま見かけた彼女に狙いを付け尾行を始めていた。
Photo  この鉄橋から200メートル先で、彼女は道幅2メートルほどの路地に連れ込まれ、背中や右胸、左腹など5ヵ所を刺されて亡くなる。
 新聞報道によれば、女性の悲鳴を聞いて外を見ると男が血を流している女性に馬乗りになっていたという。近隣住民が「何をしているんだ」とどなると、小道の先にある隅田公園の方に逃げ、トイレで手を洗おうとした。
「まだロープも張る前に現場に駆けつけたよ。女の人がお腹を真っ赤に血で染めて倒れていたな。頭を公園に向けてさ。もう全然動かなかった」
 近くに住む商店主は、当時のことをそう語った。
 これだけでも十分に怖い事件ではある。しかし世間を震撼させたのは、手口ではなく犯人の異様な服装だった。なにせ耳のついたレッサーパンダを模した帽子をかぶり、白と黒のしま模様のコートを着ていたのだから。しかも身長は180センチを超える大男。
 犯人は血の付いたコートや帽子、凶器の包丁を捨てたものの、その異様な姿は以前から浅草周辺で目撃されており、犯行後には700件もの情報が寄せられたという。ただちに似顔絵が作成され、彼は偽名で潜り込んだ建設現場からの通報で逮捕された。犯行から10日をへた5月10日のことだった。

 この事件はここから迷走を始める。じつは動機はもちろん、被害差女性にどう襲いかかったのかさえ完全には分かっていない。当時の新聞や雑誌は、「かわいいと思って声をかけようとしたら、振り返ってびっくりした顔をしたのでかっとなって殺した」とか「彼女を自分のものにしたかった」などと書かれている。後ろから近づいて振り向いた被害者を刺し、さらに小道に引きずり込んでメッタ刺しにしたというのだ。
 しかし記事の下になった警察の調書は、裁判で矛盾が指摘されている。
 当日、事件を目撃したタクシー運転手は被害者女性と犯人が一緒の傘でスポーツセンターとは逆方向に歩いていたのを目撃している。おそらく持っていた包丁で脅したのだろう。
 じつは94年にも犯人は34歳の女性にモデルガンを突きつけ、数百メートル離れた公園に連れて行き、強制わいせつなどの容疑で逮捕されている。同様の手口だと考えれば、タクシー運転手の証言の信憑性は増す。しかし、この証言は裁判で無視された。
 さらに分からないのは、殺人の動機だ。犯人は裁判で被害者を「可愛かった」「優しかった」と表現しており、殺人までには「距離」がある。
 こうした問題をより複雑にしているのは、犯人がわずらっていたと思われる自閉症だ。人の目をみて話すこともできず、難しい話になるとついていけない。記憶がないことも多い。実際、彼は知的障害のため高等養護学校に通っていた。そんな彼から原宿署は3時間で上申書や供述調書を作成したという。
 この問題について、ここでは詳しく触れるつもりはない。詳細は裁判に通い続けて綿密に取材した『自閉症裁判』(佐藤幹夫 著 洋泉社)に譲る。むしろ気になるのは、殺人と犯人との「距離」である。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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