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2008年11月 8日 (土)

書評『小林多喜二と蟹工船』(河出書房新社)

  『蟹工74018船』ブームといわれてしばらく経つ。

 書店営業からの目線で変遷を追うと、今年春には大手書店で関連新聞記事を掲げたフェアが展開されはじめ、5月にはファミリー向け郊外書店にも飛び火し、秋にはいったん落ち着いた感がある。しかし三省堂神保町本店などではまだまだフェアをやっている。

 なぜ今『蟹工船』なのか、と様々なメディアが取り上げた。非正規社員(場合によっては正社員)の過酷な労働状況が浮き彫りになってきた昨今、80年も前の作品でありながら急に現実味を帯びてきたらしい。「ありそうな話」として売れているというのなら、ケータイ小説の売れ方とつながるような気もする。もはや小説は半ノンフィクションでないと売れないのか、と思っていた矢先にこの本が出版された。『小林多喜二と蟹工船』。

 内容は小林多喜二自身についてのことや中野重治による回顧録、多喜二のほかの作品、プロレタリア文学のアンソロジーと豊富だが、その中でも浅尾大輔氏と陣野俊史氏の対談「多喜二の何をひきつぐべきか」は、世相を背景としたブームとして論じるにとどまることなく、『蟹工船』を文学として論じようとする試みだ。
 対談内でも触れられているが、『蟹工船』を読んだときに感じるのはまず「主人公がいない」ということだろう。船内の集団一人一人に言及する箇所はあるが、誰の視線にも内面にも固執することなく物語は進んでいく。まるでコメントのないドキュメンタリー映画だ。そんな中、集団共通の「敵」として描かれる現場監督の浅川だけが、暴君としてのキャラを獲得している。そこで主人公である集団の個々が描かれていないのではないかという問題点が出てくるわけだが、浅尾氏は「(労働運動というのは)みんなが支えていくという意味ではもともと無名の運動だし、ただ、そこには必ず何かしらの意味と役割があって、その集団性=無名性は批判されるべきものじゃない」という。この言葉には、労働運動家としての浅尾氏の実感がかなりこもっているように思えた。
 これは反貧困の活動に参加しているある知人(20代)の言葉だが、「同じ問題をみんなで共有したいという思いはあるけど、『連帯』とか『団結』という用語には違和感がある」というのだ。置かれた状況は一人一人違う。働いてもお金がないのかもしれないし、そもそも働けないのかもしれないし、金はあっても使う時間がないかもしれない。そんな一人一人が「なんかもやもやする、もう限界だ、生きづらい」という動機だけで集まる場所が、今必要とされているのだ。一ミリの揺るぎもない明確な目的を持つイメージのある『連帯』や『団結』は、場所を定義し名指しする。場所が名付けられると、ちょっとコンセプトが違えば排除される人も出てくるわけで、それ自体を息苦しいと思う人も出てくるわけで、それでは本末転倒である。今広く求められているのは、一つの偉大な目的に向かって突っ走っていく場ではなく(もちろんそういった場も必要不可欠ではあるが)、「ちょっとつまづいてしまった」時とか、「不満があるんだけどこれってダダこねてるだけなんだろうか、それとも誰かのせいなのか」と悶々した時とかに寄れる場であろう。それは維持するのがなかなか難しい場ではあると思う、なにせ名付けられていないのだから、人々の出入りが激しいだろうし、不安定なコミュニティになること必須である。
 『蟹工船』の舞台は、集団が寝食を共にする出口のない船だ。名付けるにたやすい場である。中で働く一人ひとりにも違う人生があるし、それについては小説のそこかしこで言及されている。しかし個人にも集団にも主人公の名を与えることなく、俯瞰もすることなく、淡々と描写される文章が、その無個性さこそが、今の状況にあえぐ人々の心を掴んだのではないか。

 『蟹工船』が一番の有名作品であることは間違いないプロレタリア文学。しかし他の作品ではなく『蟹工船』がブームになったことが偶然ではないと思わせる一冊である。(奥山)

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