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2008年11月 3日 (月)

●ホームレス自らを語る 第12回 自由が一番/M・Kさん(59歳)

1103  (M・Kさんは府中市を流れる多摩川の河川敷に建てた木造小屋で、愛犬のプーちゃんといっしょに暮らしている)
 出身地は宮城県仙台市で、昭和年24年の生まれです。
 父は瀬戸物を扱う商店に勤めて、番頭のようなことをしていました。その父が脊椎カリエスに罹って入院し、それからうちは極端な貧乏生活に陥ります。母は4人の子どもを抱え、病院の下足番や居酒屋の下働きに出ますが、父の入院治療費と家族の生活を賄う分は、とても稼げなくて生活保護を受けていました。
 私ら兄弟も、全員が教科書は市から無償で支給されていました。その頃、周りの子はみんな革のランドセルでしたが、私だけはズックでつくられた布製のランドセルでした。それに給食費が払えませんでね。それが徴収される日は、学校に行かなかったりしました。
 長く患っていた父は、私が中学1年生のときに亡くなります。といっても、生活がよくなるわけでもなく、相変わらずの極貧生活が続きました。私は何となくツッパリグループに入って、授業をサボっては盛り場をウロついたり、他校のツッパリグループとケンカをしたりするようになりました。ただ、本気で不良になるつもりはなくて、少しイキがっていただけですけどね。
 中学を卒業して、仙台市内のレストランにコック見習いで入りました。修行はそれほど辛くはなかったですが、毎日の仕込みが大変でした。マヨネーズ、ハンバーグ、カレールーなどみんな手造りでしたから、その仕込みが私の役目で、どれも長時間掻き混ぜたり、捏ねたりの重労働で大変でしたね。
 そのレストランは一年ほどでやめて、東京に出てきます。東京にそれほど強い憧れがあったわけじゃないですが、一度はその華やかな都会に身を置いてみたいと思っていたんです。

 東京では居酒屋、ヤキトリ屋、スナックで働きました。ずいぶん店を替わりましたよ。長くいた店で1~2年、短いのだと3ヵ月くらい。ほとんどが都内の店でしたが、たまに横浜、川崎の店で働くこともありました。店をやめる理由はいろいろですが、雇い主と給料のことなどで揉めてやめることが多かったですね。まあ、理由付けは何とでもいえますからね。これだけ頻繁に店を替わったということは、私の性格が飽きっぽくて、辛抱のできない性格だったんですよ。
 どこの店でも私はカウンターや板場に入って、肴を調理するのが仕事でした。カウンターの客の受けはよかったですね。お造りの盛り合わせとか、ヤキトリ、それもツクネの評判がよかったです。私が調理を仕切った店では、ヤキトリの冷凍肉は一切使いませんでしたからね。ツクネも肉を捏ねるところから、自分でやりました。そういうところは、妥協しない几帳面な性格なんです。
 仕事柄、酒は好きでした。好みはウィスキーで、自分で飲むときはスナックに行って飲みました。私の店が休みのときなど、夕方の開店から、翌朝まで飲み続けたこともあります。でも、それで酒に溺れるようなことはありませんでしたね。
 そのうちにあるスナックのオーナーママと馴染みになり、いい仲になって同棲するようになりました。彼女のほうが年上でウマが合うというか、彼女にすれば私のたよりなさが母性本能を擽るんだとか言ってましたね。二人ともゆくゆくは、正式に結婚するつもりでした。ところが、同棲を始めて3年目に、彼女が亡くなってしまうんです。理由はあまり話したくありませんね。事件性のある死に方で、思い出すと辛いんです。
(M・Kさんは潤んだ目で虚空を見つめ、しばらく口を噤んだ)
 私が居酒屋やスナックで働いたのは、44歳の年まででした。それからは日雇い作業員をして働くようになりました。深い意味はないですよ。友人に誘われて、そんなのもいいかと思ったからです。包丁を置くのに、特別な感慨はありませんでしたね。
 仕事は手元といって、職人の下についてその仕事を手助けしたり、現場の片付けをしたりする一番下っ端の仕事です。
 あるとき現場で職人から「おい、ジイさん。何をやってんだよ」と言われましてね。まだ、50歳前だったのに、年寄り扱いされて「もう働かなくてもいいか」とホームレスになることにしたんです。
 はじめのうちは新宿や上野の繁華街を転々としていましたが、1年ほどしてこの多摩川の河川敷に落ち着きました。もう、10年になります。
(M・Kさんは手造りの木造小屋に住んでいるが、これが玄人はだしの本格的な小屋だ)
 この小屋は二代目なんです。前のは一昨年の台風のとき、川が増水して1メートルくらい浸水し傾いてしまい、使えなくなったので造り直しました。私ひとりで全部やりました。例の几帳面な性格ですから、どこまでもカッチリしてないと気がすまないんです。
 いまは雑種犬のプーちゃん(牡・6歳)と、ニワトリを2羽飼っています。プーちゃんが可愛らしくてね。どこへ行くのもいっしょです。
 現金収入はアルミ缶の空き缶を集めて、それを売って得ています。週に50㎏くらいは集められ、いまの相場が100円/㎏ですから、週で5000円になる計算です。それだけあれば、贅沢をしなければ食べていけますからね。
 この生活は何ものにも束縛されないし、一度味を覚えたらやめられません。何より自由
だということが一番いいですね。(聞き手:神戸幸夫)

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