●サイテイ車掌のJR日記/10・24中央大集会
○月×日
「今こそ政治決断を! JR採用差別問題の解決要求実現をめざす10・24中央大集会」が大成功裡に終了した。
会場となった日比谷野音はどよめくほどの熱気に包まれ超満員となった。主催者発表によれば、全国から1万1000人という過去最高の参加だったという。
真摯な挨拶。分かりやすい経過報告。力強い決意表明。切実な訴え。心温まる激励などなど。どれもこれも素晴らしい発言だったが、今のところは「動き」がないので、私達関係者には真新しいことは何もない。
だが、1047名問題の現状を内外にアピールするという目的は十二分に果たされたはずである。
以下の発言は後日に知ったことだが、当事者である闘争団員のある家族は「この集会を最後にしたい」と語ったという。
私は「これこそ本音だろう」と胸が痛んでどうしようもなかった。
考えてもみよ!! 22年間という長い間、事あるごとに北海道や九州からと、それこそ遠くから大変な思いで上京し、いったいどれほどのご苦労をされてきたことか。
正念場だ、山場だ、今こそ、今年こそはという場面は幾度となくあった。しかし、その度に、まるで裏切りにでも合ったかのように全てが実を結ぶことはなかった。
誤解を恐れずにいうが、どんなに覚悟をしていたとはいえ、自分の意志とは逆に翻弄され続けた人生だったといってもいいだろう。それは、国からもJRからも。そして、いっちゃ悪いが、国労本部からもだ。
こうした人権侵害は、国策のもとに強行された結果なのだから政府が責任を取るのは当然だが、国労指導部もしっかりと後始末をしてもらいたいと考えるのである。
というのは、もし仮りに、解決に至ったとしよう。大勝利解決に水を差すつもりは毛頭ないが、万が一、闘争団の人達が解決金などの解決内容にどうしても納得がいかないものであるのなら、国労は全財産をなげうってでも彼らに当てて、償う義務があると思うからだ。
国労の最重要課題と位置づけられたこの問題は、国労運動史の実に三分の一以上を費やした闘いとなった。人間の尊厳を賭けた闘いだといっても過言ではないだろう。労働運動史上未だかつてない空前で壮大な闘いであったことは誰もが認めるはずだ。
国労は結成されて60何年か経つ。人間でいえば定年である。この問題解決と共に国労は解散してもいいのではないかと思う。財産はキレイさっぱり闘争団に分配して、そこからまた新しくスタートすればよい。
微力ながらも私達現場(JR本体)も闘争団を支え続けてきた。国労というだけで、理不尽な扱いを受け、差別のされ通しだった。闘いの真只中にいた先輩達も闘い抜いただけで、結果を得ずに次々と退職していなくなっているのが実情だ。
残された私達とて、あと僅かな歳月しかない。もういいだろう。十分じゃないか、これまでで。甘ちゃんの私は本気でそう思う。ん!? 何か異論があるかい?(斎藤典雄)
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