羽田女高生殺人事件の現場を歩く

1979年8月11日、午後2時半ごろ羽田のアパートで女子高生の遺体が発見される。引っ越し準備のために訪れていた、住んでいたアパートから歩いて数分の新居で殺害された。ふすまの張り替えの準備をしている姿を目撃されたから、わずか25分程度の間に50個所以上もナイフで刺され、あおむけに転がされいた。
「美人だったし、スタイルのよい子だったわよ。ホットパンツとか履いていて。お父さんも背が高かい人だったからね」
被害者の親族ともつきあいのあるという女性は、被害者のことをそう語ってくれた。被害者がもの静かな美人であったことは、当時の新聞や雑誌で何度も報じられている。確かに新聞に掲載された写真も美しかった。事件の朝、友達と出かけた5泊6日の海水浴旅行から帰ってきての悲劇だった。
「夏でしょ」
事件を知っているかとの問いに、殺害現場のすぐ近くに住む女性は「あー」と言いながら当時の状況を思い出してくれた。
「あの日、昼ぐらいから夕立みたいに雨が降ったんです。それでみんな家に居たんですよ。甲子園もあったし。事件があったアパートは人通りの多い角に建っていたから、そうじゃなければ分かったと思うんです」
じつは事件当日も人通りが少なかったわけではない。被害者の生存が確認されている午後2時から7分過ぎまでは、現場の前の道に近所の誰かがおり、15分頃には犯人らしき人物を見た女性がその道を通過している。そして25分頃に死体が発見されている。多くの近隣住民が証言しているように治安の悪い地域ではなく、もの寂しい場所でもなかったのだ。
ただ先述の殺害現場のすぐ近くに住む女性は、そのアパート自体によい思い出がないという。
「一度、アパートの上から男性のね、かけられたことがあるんですよ。最初ツバか何かと思ったけれど、臭くて臭くて」
一応、何を髪にかけられたのかを確認すると、顔をしかめながら「精液ですよ」と教えくれた。アパートそのものが近隣住民から問題視されるような存在だったのかとの問いは否定したが、「独り者も多く、あまりアパートの方とは交流がなかったですね」と続けた。
当初から事件は比較的大きく取り上げられた。美人女子高生がメッタ刺しにされたという猟奇性ゆえだろう。しかし、この事件が本当に世間の耳目を集め始めたのは、被害者女性が妊娠していたと報道されてからだった。
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コメント
刑事になりきってますが、猟奇事件をライターが逮捕の糸口になったことは日本ではないのかな。いいなあ。東京は。そんな可能性が少しはある。
井上さんが待っているぞ。社長と遊びに来ませんか?おいらのギャラを交通費にしてもいいので。
最近、バイオマス発電の世界にはまってますが、この世界も詐欺だらけ。学者が政府をだまして、予算を詐取する世界。
投稿: 李 隆 | 2008年10月27日 (月) 09時32分
免罪の可能性がこんなに高いとは知りませんでした。当時私は3棟あるアパート(さくら荘、さつき荘、つきみ荘)の内の一つに住んでいたのですが、小学生だった私は事件のあった時間にすぐ近くで遊んでいました。当然刑事さんが何か目撃しなかったかと訊きに来ましたが、幸い何も見なかったのでその後刑事さんが訪ねて来る事はありませんでした。
あの部屋は因縁付きと近所では専らの噂で、70年代の半ばには男性が首吊り自殺したと母から聞かされました(確認したわけではないので事実かはわかりません)。その後家族が引っ越して来たのですが、母親が左折するトラックの後輪に巻き込まれて死亡、その後近所に一軒家を購入して出た結果空室になった為この事件が起こったのでした。
当事は被害者の父上が疑われて、とても気の毒でした。丁度同じ頃下着泥棒が横行していて、私は同じ人ではないかと幼い頭で推理していました。妊娠は9ヶ月でなく3ヶ月だったと記憶しています。
他にも色々な事実がありますが、事件に関係があるかわからないのでここでは触れない事にします。
投稿: よう子 | 2009年6月 2日 (火) 02時05分