ホームレス自らを語 る 第8回 間の悪い人生でしたが…/高野博見(ひろみ)さん(62歳)
生まれは昭和21年で、東京の常盤台(板橋区)です。父親は自宅の作業場で、竹カゴをつくっていました。果実を盛り付ける竹カゴづくりが専門でした。
父が完成した竹カゴを問屋に卸しに行くときは、自転車の荷台に山のように積んで行きました。そんなとき私を連れていってくれることもあって、その帰りには必ず板橋駅前の居酒屋に寄るのが決まりでね。父は焼酎を飲んで、私はモツ煮込みを食べるんですが、その煮込みのうまかったことは、いまでも忘れられませんね。
その父は私が小学5年生のときに急死します。脳溢血で倒れ、その日のうちに亡くなってしまいました。残されたのは、母親と兄弟が6人。途端に生活が苦しくなって、生活保護を受けて何とかしのいだようです。
私は6人兄弟の上から3番目でしたが、上の2人が姉だったので長男でした。そんなこともあって、私は高校へ通わせてもらいました。それも私立高校の商業科でした。そのころは姉の2人が、もう働いていて学費を出してくれたんです。
高校では野球部に入りました。そんなに強い野球部ではありませんでしたが、私は1年生からレギュラーでした。ところが、夏の都予選を前にした練習試合で、スライディングに失敗して、右足首を複雑骨折してしまいます。それで野球は断念することになりました。
3年生になって、卒業を控えたある日の授業中にコッソリ小説を読んでいたら、それが先生に見つかり本を取り上げられてしまいました。その本は友人から借りたものだったので、私も必死で先生に突っかかっていき、思わず殴ってしまったんです。即謹慎処分が下され、卒業式には出られず、一人だけ6月になって卒業証書が渡されました。
それで学校から就職の斡旋もしてもらえず、自分で探してトラックの助手になりました。在学中に商業簿記と珠算の3級の資格を取っていたんですが、結局、その資格は生涯使うことがありませんでした。
そのうちにトラックの助手の仕事は面白くなくてやめました。運転手になりたかったわけでもないですからね。それでしばらく喫茶店のウエーターをしてから、バーのバーテンになりました。あまり酒は飲めないんですが、あのスマートな恰好よさに憧れたんですね。
最初に働いたのは伊豆の戸田にあったバーです。スポーツ新聞に募集広告が出ていたんで、応募したら採用されました。その店にいた先輩のバーテンがいい人で、酒のことも、バーテンの仕事のことも、何も知らなかった私に、イロハ……から親切に全部を教えてくれました。
それで24歳のときに、その先輩の許を離れて一人立ちします。箱根の日本旅館の中にあったバーをまかされたのです。その店で10年ほどやっかいになりますが、私の人生で一番愉しかったのが、このときの10年ですね。
住み込みの三食賄い付き、温泉付きのうえに、社長がとてもいい人で「バーの売上げのことは考えないでいいから、お客様に愉しんでもらえるようにしてくれ」というのが口グセでした。
旅館というのは、女の人の多い職場ですからね。結婚のチャンスも二度ありました。一人は出入りの芸者で、彼女のほうが私に惚れたんです。もう一人は売店で働いていた子で、こちらは私のほうが惚れてしばらく付き合いました。でも、どちらも私の態度が煮え切らないので、実を結ぶまでにはなりませんでした。私には結婚をしてもやっていく自信がなくて、どちらのときも「結婚してくれ」と言い出せなかったのです。特に芸者の彼女とは、二人だけで菅平高原に泊まりの旅行に行きながら、手を握ることさえできませんでした。晩生というか、ここ一番というときの最後の押しが、どうしてもできないんですね。
そんなことがあって、何となく旅館にはいずらくなって、34歳のときにやめました。それからは東京に戻って、土木作業員になりました。いや、日雇いではなく、工務店お抱えの作業員で、工務店の寮に入りました。
私は一つのところに落ち着くタイプで、箱根の旅館でもそうでしたが、工務店も東京と千葉の工務店に、それぞれ10年以上やっかいになりました。
どちらの工務店からもよくしてもらいましたが、特によかったのが千葉の工務店でした。社長がいい人でね。仕事が少ないときには、工務店の器材置き場や寮を清掃する仕事とかをつくって、それで日当を払ってくれましたからね。
今年に入って私は右足の足首に痛みが走るようになって、現場作業ができなくなりました。高校生の頃に複雑骨折をした古いケガが、いまごろになって痛み出したんですね。骨折の治療で患部に鉄板を入れたんですが、それがそのまま入っていますから、原因はそれだろうと思います。
そのことを社長に申し出ていったら、「いままで通りいてくれて構わないよ」って言うんです。ねっ、いい社長でしょう? だけど、何も働けない人間が、そこまで甘えるわけにはいきませんからね。6月に工務店を出て、行くところがないから新宿に来て、それからはホームレスの生活です。
いま振り返ってみると、私の人生というのは、間の悪い人生だった気がしますね。ここ一番というときの押しも弱かったですしね。でもね、出会った人はいい人たちばかりで、この人生も悪いことばかりじゃなかったという気もしているんですよ。(聞き手:神戸幸夫)
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