冠婚葬祭ビジネスへの視線/第27回 映画「おくりびと」を観てみた
第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞した「おくりびと」。納棺師が主人公だというので、さっそく観に行ってみることにした。土曜の丸の内ピカデリーは、さすがに混んでいる。その中でも特に年配の方々が、この映画上映会場に吸い込まれていくように見えた。若者は、2人連れのお姉様方がちらほらといるくらいだ。動員数は120人程度といったところだろうか。
納棺師という職業が果たして映画のような田舎で成り立つのかどうか、分からない。筆者は映画の舞台である庄内にほど近いところで働いていたが、納棺は原則として葬儀社の仕事だった。描かれている納棺師に近い職業と言えば「湯灌屋」だ。
湯灌屋が何をするかといえば、故人宅に簡易バスタブを持ち込み、体を洗ってシャンプーする。そして改めて脱脂綿を詰めるなどの処置をし、着替え・メイクまで仕上げるのだ。そのまま納棺を進めることもあれば、納棺だけは葬儀社が担当することもある。
湯灌は葬儀社で受注するのだが、ノルマがあり、筆者は達成するのに大変苦労した。とにかく「洗う」事に抵抗のある遺族は多い。湯灌はそのあとに納棺までするのが段取り的にもスムーズなのだが、納棺となると田舎では親戚とともに隣組まで集まる。隣のじいさんがシャンプーしている姿を、いくらタオルで覆われているとはいえ、見たいと思うだろうか。しかも亡くなっているところを。事情をいちいち近所に話して人払いするのも煩わしければ、バスタブを持ち込むことも仰々しく思える。結局、「そんなに丁寧にしてもらわなくてもいい。病院でキレイにしてもらったんだから」と言って断られ、「ではお着替えだけでも」と食い下がっても「着物なんか体の上にかけるだけでいい。おばあちゃんの時もそうだったんだから」と言われる。地域のコミュニティの中で生きている人たちほど、他人と違うことをするのを嫌う。遺体が痛んでいるなどの事情がない限り、湯灌屋さんに仕事を持っていくのは難しかった。
遺体が痛んでいたとしても「どうせ、明日までだから」と断られる可能性は高い。葬儀よりも火葬が先に来る地域では、主役の場面でもう骨になってしまっているのだ。そこまで身綺麗にしなくても、という遺族の気持ちも分からないでもない。ということは、「痛んでいるから」という理由だけではなかなか注文をいただけないということだ。遺族心情に訴えかけなければならないが、私にはその手腕がなかった。一番効くのは「最近は皆さんされてますよ」という台詞だが、それは嘘なので使う気にはなれなかった。
結局プランの中に一体となっている時以外は、湯灌を受注することは数回しかなかった。ちなみにオプションでつける場合、価格は8万円。決して安くはない。
などということを映画を見ながら考えていたが、主人公の納棺師を演じる本木雅弘の動きが美しい。お着替えのシーンなど惚れ惚れするくらいだが、実務をやっていた人間にとってはなんだか仰々しくて気恥ずかしいな、と思った。でも、これくらい厳かにやらなきゃいけなかったんだろうか。汗をだくだくにかきながら着替えをしていた自分の姿と重ね合わせて、「ああ、あたし格好悪かったなあ」などと思った。とにかく練習の出来ない仕事なので、いつも余裕がなく、心の中では非常に取り乱していた。ひげを剃っている時に軽くお顔を切ってしまったこと。深爪させてしまったこと。水死した方の手を組み直そうとしたら皮膚が破けてしまったこと…情けない記憶しか浮かんでこない。しかし、次に浮かんだのは遺族の感謝にあふれた顔だ。ただ無我夢中で開いた口を閉じさせようとマッサージしていたのを見て「おじいちゃんを大事に扱ってくれて」と涙ぐんでいた娘さん。髪がまとまらなくて一心不乱にブラッシングしていたのを見て「何度も梳いてくれて、実の孫みたいだ」と言ってくださったおばあちゃん。「故人のために、真心込めて」という気持ちがない訳ではないが、それより与えられた仕事を完璧にしたい、という思いの方が強かった。だから感謝の言葉を言われる度に「いいえ、お仕事ですから」と答えてきたのだ。謙遜ではなく、本当にそうでしかない。逆に仕事でもなければ、そんなことはしない。
「おくりびと」の主人公は、はずみで納棺師になってしまう。人に感謝される仕事だとか、誇れる仕事だとか、そういった自己弁護的な台詞は一切吐かない。ただ与えられた仕事をいっしんに、丹念に成し遂げる男の、真摯な物語である。
ただ、納棺師という職業が成り立つとすれば、ますます葬儀社の仕事にやりがいを感じる人は減ってしまうだろうなと思わされた。一連の業務の中でも、やっぱり一番わかりやすく感謝されるのが納棺だからだ。仕事に誇りを感じるメイン業務なのである。それを取り上げられてしまったら、本当にイベントの手配屋みたいになってしまう。それを思うと、納棺師はいいとこ取りの職業だなあ、と思った。ちなみに、初任給はどんな湯灌屋でもあんなには貰えない。(小松)
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コメント
実際の現場の御苦労を知って、成る程と思いました。私も医療関係者として御遺体をお送りする立場で、ドタバタすることがよくありました。この作品は本木雅弘さんが青木新門さんの体験記「納棺夫日記」を読んで感動したことがきっかけで生まれました。映画と本は内容が違うので、原作とされることは青木さんから御辞退されたようです。青木さん自身が今も納棺師の仕事をされているかどうかはわかりませんが、映画の成功を大変喜んでいるということでした。
投稿: ok-max | 2008年10月20日 (月) 15時17分
ok-maxさま、コメントありがとうございます。
『納棺夫日記』はまことに恥ずかしながらまだ読んだことがないのですが、いずれ読んでレポートさせていただきたいと思っています。
医療関係に携わっていらっしゃったのですね。
もうお亡くなりになってしまった人を送る葬儀社より、死に向かう命を食い止める医師の方が、もっとずっと責任のあるお仕事で、大変そうだと思っていました。
あまり接点はなかったですが…
投稿: 小松 | 2008年10月21日 (火) 11時05分
私も納棺師を仕事としていますが、会社を移動したいのですが、何処いい納棺師の会社はないでしょうか?
今、N協会にいます。
投稿: るり子 | 2009年4月 2日 (木) 16時20分
るり子様、コメントありがとうございます。
N協会には友人がいます。6年間、新卒で入って働いていますので特に悪い印象はありませんでしたが、人それぞれ事情があるのでしょう。
納棺関係の会社についてはあまり知識がなく、残念ながらお役に立てません。
葬儀の職に就いていた頃はFという名古屋の会社に湯灌をお願いしていました。2年間、ずっと馴染みの方に来ていただいて、内情は分かりませんが、離職率が高いといった印象は受けませんでしたよ。
投稿: 小松 | 2009年4月 3日 (金) 10時30分