靖国神社/第6回 献木・戦友会が植えた1000本(下)
献木のプレートの文言にはバリエーションがある。
部隊の戦歴がかなり詳細に記されているものがあり、戦死者の遺句が記されているものもある。その中のひとつに、献木として桜が選ばれた理由が書かれてあるものを見つけた。
「……同期の友多く南に北に散りて靖国の森に静かに眠る、斃れし友を偲びて、武運拙く生還の同年同期の友等と計り、武人の華とも謂ふべき染井吉野桜をこの地に植樹す 星移り時は流れしと雖も、春爛漫の桜花に想ひを馳せ“二魂一命”の夢叶い、再開の喜びを共にし、その盟約を果たす所以なり」
靖国にある桜の中でもかなり立派な桜だ。「海軍十三年桜」という名前までつけられている。この文言に表れているように桜が「武人の華」として見られていたのなら、ほとんどの献木が桜であることにもうなずける。
昭和53年10月に近衛歩兵隊六隊の戦友会として植樹した方に話を聞かせて頂いた。近衛歩兵隊六隊を略して「キンポロッカイ」と呼ぶのだそうだ。
「亡くなった戦友をおなぐさみするために献納させていただきました……」
幹事の方は言った。張りのない小さい声だったが、なぜ靖国を献納先に選んだのかを聞くと声が熱を帯びた。
「なんで靖国神社を選んだのかって、そんなこともわからないんかね!? そりゃあんた、靖国神社には戦友たちの御霊が眠っておられるでしょ、それが理由だよ、戦争の惨劇をもう体験したくない、そんな私たちの願いをこめて木を植えたんですよ。今の人はそんなこともわからんのかね……」
近衛歩兵隊六隊ではみたままつりで提灯も奉納している。あの黄色に光る大きな提灯だ。春と秋の例大祭にも欠かさず参拝しているそうだ。
今年も7月13日から16日までみたままつりが行われた。ずらりと並ぶ大きな提灯を名前入りで奉納するにはひとつ20万円の費用がかかる。それを12個も奉じた。
戦争の惨劇を繰り返したくない、と幹事の方は言ったが、そんな気持ちを知ってか知らずか、今年もみたままつりは大盛り上がりだった。極太のサーチライトが夏の夜空に向かって放たれ、ソース、焼きイカ、水飴、あらゆる屋台の匂いがごちゃ混ぜになった祭りの匂いがして、やっぱり浴衣のギャルたちが大挙して押し寄せている。大村益次郎の回りでは盆踊りの輪ができているが、心なしか盆踊りに参加する人数が多く去年より盛況な感じがした。普段は誰一人よりつかない「慰霊の泉」にも屋台で買った焼きそばなんかを食べる人、人、人。今年も能楽堂でつのだ☆ひろが奉納コンサートで出演した。携帯番号を交換しあう男女がそこかしこにいる。
そのバカ騒ぎも、群衆を通り抜け(人をかき分けて進むのも大変!)、遊就館あたりまで来るとかなり落ち着いてくる。神池のあたりまで来るとひっそりとしてくる。そして、「献木ロード」まで来るとやっぱり誰もいなかった。祭りの浮ついた雰囲気に流されておイタをするカップルが1組くらいいるかと思ったがいなかった。
桜になって靖国で会おう、そんな約束を献木という形で果たした戦友たちがいる一方で、どこまでもハシャぎ足りない若者たちの社交場としての靖国がある。そして、小泉首相最後の8月15日を迎える。(宮崎太郎)
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