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2008年9月 8日 (月)

●ホ ー ム レ ス 自 ら を 語 る 第6回 路上生活まだ1週間/Yさん(62歳)

9_8   このあいだ秋葉原で大事件があったろう。
(08年6月、東京・秋葉原で無差別殺傷事件が発生し、17人が死傷した)
あのときオレも秋葉原にいたんだよ。というか、あの街がオレの仕事場だったから、毎日通っていたんだけどな。仕事は無店舗の街頭販売。秋葉原の街を歩いているスケベそうな中年のオッさんや若者を捕まえて、裏DVDを売りつけるのが仕事だったんだ。
 あの日も客を捕まえて、路地裏に引っ張り込んで商売をしようとしたら、警官に見つかってよ。職質(職務質問)が始まって「こりゃあ、パクられるな」と覚悟を決めたときに、警官の無線に連絡が入って「別件の事件が起きたから、あんたはもういい」と言い残して駆け出して行っちまった。
 そのうちにパトカーやら消防車、救急車ののワンワンとしたサイレンの音が聞こえてきて、それでオレも音のするほうに行ってみたんだ。現場はすごいことになっていたよ。あれだけの数のパトカーや消防車を、一度に見たのは初めてだったからな。凄惨な現場だったよ。
 ただ、あの事件以来、オレたちの商売は上がったりでさ。秋葉原にやって来る客足が落ちたろう。それに警官の姿が増えたから、うっかり商売でもしたらパクられちまいそうだからよ。それで1週間前に足を洗って、ここ(上野公園不忍池の周辺)で野宿をするようになったんだ。
 いまは夏だからいいが、秋から冬の寒い時期のことを考えると、どうなるか心配だよな。

 生まれは茨城県の笠間。オヤジは町の製材所で働いていた。子どもの頃のオレは、どちらかといえばいじめられっ子のほうだった。背が低かったからな。だけど、ケンカは強かったよ。1対1だったら負けたことがねえんじゃねえかな。ただ、勉強のほうはさっぱりダメだったよ。
 それで中学を終えて、東京に出てきた。いまはなくなっちまったけど、上野にステーションホテルというのがあって、そこの厨房に入った。和食の板前を目指したんだ。
 修業はきびしかったよ。朝の一番電車に乗って、築地まで買出し行かなけりゃならねえし、先輩のいじめもあったしな。どうもオレはいじめに遭うタイプらしい。だが、逆に可愛がってくれる先輩もいたけどよ。
 この季節で思い出すのは、夏の屋上ビアガーデンだ。仕事帰りのサラリーマンで、連日連夜、満席の賑わいでさ。おかげで厨房のほうは、みんなが怒鳴り合って戦場のようだった。ツマミの枝豆なんかは、2tトラックで仕入れんだからよ。それくらい客が来たんだ。
 ステーションホテルには2年いて、別の店に移った。オレの都合じゃねえよ。板前の世界は兄貴格、その上の兄貴格と系列がビシッとしていて、上から「おまえ、××の店のほうを手伝え」と言われれば、その命令は絶対だからな。オレの板前人生は23年間だったけど、小料理屋から料亭までいろんな店の板場で働いたよ。
 店を代わるのは上からの命令ばかりじゃなくて、板前仲間とケンカをしてやめることもある。先輩面をして、新人いじめをするやつが結構いるんだよな。

 結婚はしたよ。35歳のときで、女房は元芸者だった女だ。なかなか色っぽいところがあったよ。まあ、ションベン芸者だけどな。酒の好きな女で、一升酒も平気だった。オレも酒は嫌いじゃないから、いっしょになって飲むんだけどね(笑)。女房とのあいだに女の子が一人できた。
 その女房が10年くらいして、女の子を連れてプイと家を出たきり帰って来ないんだ。わけがわからんよな。
 じつは……オレはこれまでに4回のムショ(刑務所)暮らしをしているんだ。4回とも障害罪の過剰防衛で、初犯から実刑だった。何ていうか、普段のオレは性格的にはおとなしいほうだと思うんだ。ただ、キレやすくて、キレたら手に負えなくなっちまうんだな。
 ケンカの発端なんて道を歩いていて、肩が触れたとかささいなことさ。それで相手が低姿勢に「どうも」とかいって出りゃ何でもねえが、「何だ。てめえ」とでも返そうもんなら、オレはブチキレちまって突っかかっていってケンカになっちまう。
 オレは相手をグーの音も出ないほど叩きのめさないと気がすまねえんだ。というか、背が低いほうだから、中途半端にやっつけておいて、相手が息を吹き返して反撃してくるのが怖いんだよ。あとで警察や裁判所で「いくら何でも、あんなにまでやることはないだろう」といわれるくらい徹底的にやっちまうんだ。ケンカのきっかっけは相手のほうが悪くても、オレも過剰防衛ということでムショ送りになっちまうんだ。
(Yさんは言葉を濁すが、板前をやめたり、妻と離婚したりしたのも、こうした事情と関係があるのかもしれない)
 ムショと娑婆を4回も行き来しちまったからな。仕事といったって、日雇いの建設作業か、いかがわしいDVDの街頭販売くらいしかねえからよ。
 その日雇いも60歳をすぎたら声がかからねえし、DVD販売もあんな事件があって商売あがったりだしね。もう、ホームレスになるしかなかったわけさ。お先は真っ暗だよ。
 えっ? 写真を撮りてえって。ダメだよ。後ろ姿だってダメさ。ダメったら、ダメなんだよ。てめえ、しつこい野郎だな。
(Yさんはキレてしまった。最後まで写真の撮影は許されなかったが、取材記事の掲載だけは許してくれた)(聞き手:神戸幸夫)

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コメント

尻上がりにいいですね、このシリーズ。
かのマイク・タイソンの師匠も「身長が伸びたらいけない、チビでなくては俺の理想の、最強ストロングスタイルを作り上げることはできない」と。
ただ重箱ですが、キレるってそれはハッキリちがうとおもいます。相手を観て、一瞬で勝ち負けを判断して、そういう計算、というか湿った情緒に基づいてのファッション言葉ではない、そうではないのではないでしょうか? 最近ヤクザの親分を殺してたかだか数十万を奪って逃走している少年が出てきましたがいいですね、無差別殺人とはハッキリ気組みがちがう、ああキレるってこういうことかと思わされたのです(この連載ルポ、色気はともかくプロの気概が有りますね)。

投稿: 蒔田一郎 | 2008年9月 9日 (火) 00時04分

連載おもしろいな。
もっと読みたい。
ただの悲惨話かって思ったけど、そうじゃないみたいですね。

投稿: ビリー | 2008年9月10日 (水) 19時00分

ありがとうございます。
聞き手はこれまでおよそ130人のホームレスに話を聞いています。
これからも月に3~4回のペースで掲載していきますので、是非お立ち寄りください。

投稿: 編集部 | 2008年9月11日 (木) 09時53分

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