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2008年9月 2日 (火)

サイテイ車掌のJR日記/証人尋問

 JR東海会長の葛西敬之氏が鉄建公団訴訟の控訴審に証人として出廷した。
 労働問題の訴訟で企業のトップが出てくるというのは極めて異例なことだそうで、1047名不採用問題を巡るこれまでの裁判でも勿論これが初めてのことである。
 繰り返しになるが、氏は当時の国鉄職員局次長で労務政策を担当。分割民営化を強力に推進した中心人物の一人だ。
 当日の高裁前には傍聴券を求める人で長蛇の列だったという。翌日の新聞各紙も尋問の中身をこぞって報道していた。また、ネットや機関紙等でも既に明らかにされているが、改めて氏の興味深い発言を記してみたい。
 まず、この訴訟の争点は「所属組合による採用差別があったか」だが、氏は「組合によって差別はしていない」と述べている。そんな嘘っぱちはどうでもよろしい。もう私達は聞き飽きている。それではその概略を。

 組合との関係は――
 56('81)年までははまず国労に提示し、妥結できる水準まで落としてから他の組合にもっていくというスタイルだったが、57('82)年以降は各組合に同時に提示した。
 合理化については――
 管理運営事項については事前に誠心誠意説明するが、合意が得られなくてもある時期が来たら実施するという姿勢だった。生産計画は経営事項であり、組合との合意は要らない。
 組合のいい分など聞かなくていいということか?――
 国鉄改革は国策だったからそれしか方法がなかった。 仁杉国鉄総裁更迭('85)まで分割民営化反対が多数だったが――
 そう考えて間違いない。私達(改革派)以外皆(当局の主流派)反対だった。
 85年6月から分割民営化の準備が始まったのか――
 62('87)年4月1日までという政府の方針に合わせて準備をした。
 国鉄改革反対は誤った方針だと思っていたのか――
 もちろんです。
 労使共同宣言については――
 時代はどんどん進んでいる。国労がそれを乗り越えなければならなかった。鉄産労に移った人達(国労脱退者)は分割民営化しかないと理解し、民営化後の企業への順応性が高い人達だと思う。
 職員の評価は――
 分割民営化に賛成すればプラスに評価されるということだ。
 人活センターの認識は――
 職場規律の維持、安全、安定輸送の確保のために必要だったと理解している。
 新会社への採用基準は――
 処分歴だけだが、本人の知識、適性、技能等のデータを参考にした。
 国労の採用率は40%、他労組は100%。本当にこれほどの差になると思っているのか――
 そう思っている。
 国労の処分が多くなる時期を狙っての採用基準作りという見方が成り立つと思うが――
 第2臨調、三塚委員会の方針にのっとったもので、国労排除の意図はなかった。
 「国労を潰せば総評も潰れるということを意識してやった」という中曽根発言を知っているか――

 知っているが、それが目的とはいささか物事の本質を取り違えている。私は鉄道の再生のため、また、真面目にやる者が報われるようにやってきただけであり、「子の心、親知らず」の典型だと思っている。
 概ね以上だが、誌面の都合で改革法23条等については割愛した。
 全体を通して、「おれのいうことを黙って聞いていればいいんだ」みたいな強権的な印象を受けたが、私も感情的になっているからだろうか。
 いずれにせよ、採用の判断基準は分割民営化に賛成か否かだったのである。賛否に最もウエイトが置かれたといって間違いない。

 氏がいくら勤務成績が云々といっても、実際は成績不良であっても国労を抜けさえすれば採用されたという事実。当時の当局による「国労にいたら採用されない」という凄まじいほどの恫喝。国労は、配属、昇進、賃金とあらゆる面で差別され続けたのだ。
 いくら躍起になっても事実は消せない。事実だけが真実なのである。(斎藤典雄)

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