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2008年9月17日 (水)

終戦直後の2つの「大連立」構想と小沢代表の深謀

1946年4月の総選挙(全464議席)は日本自由党140、日本進歩党94、日本社会党92。すったもんだの末に自由党の吉田茂を首班とする第一次吉田茂政権が発足する。保守党の進歩党も支える側に回って過半数スレスレの政権運営となった。
この年の暮れから相次いで大型の労働争議が発生する。なかでも11月結成の全官公庁共同闘争委員会(共闘)の存在感は大きく政府へ次々と要求していく。翌1947年1月18日には共闘を中心にいわゆる「二・一ゼネスト」宣言を行った。

窮地に陥った吉田は一方でスト計画者や労働組合を厳しく難じつつ他方では野党社会党との連立工作を始めた。当時の社会党は左派はイケイケだったに対して右派は共産党主導の共闘路線には懐疑的だったとみられる。ここで社会党を抱き込めば冒頭の議席から与党は圧倒的多数となるので「大連立」の誘いだった。
誘われた相手は社会党右派の西尾末広書記長。西尾は前向きで同じく右派の片山哲委員長も抱き込み中央執行委員会で連立協議スタートを認めさせた。しかし反対の左派を中心に閣僚ポストの大幅要求などハードルを上げたために話は難航する。47年年明けに吉田が「参加しないと西尾は公職追放になるかもね」のような発言をしたとされ西尾が激怒して頓挫してしまった。このままいけば「ゼネスト→『反動』吉田政権瓦解」のはずだったが周知のように二・一ゼネストはマッカーサーの「許さない」声明で中止となった。

その年の4月、新憲法施行を直前に控えて先取りする形で行われた総選挙で日本自由党131、民主党(主に進歩党の党名変更)121、日本社会党143と社会党が比較第一党になってしまった。当然片山首相をめざす羽目?へ至った西尾書記長は社会、民主、自由に議席29の国民協同党を含めた4党大連立を画策する。というかせざるを得なくなった。
確かに勘定だけならば社・民・国の3党連立で多数派にはなれる。しかし社会党自身が前述のような左右対立を抱えている上に民主党は反軍演説の斎藤隆夫から中曽根康弘までゴチャゴチャに入り乱れている。やはりGHQと渡り合い日本国憲法の制定など戦後改革を指揮した自由党を巻き込みたい。今度は西尾が吉田自由党総裁へお願いする側となった。4党の幹事長・書記長会談で政策を示し、閣僚配分まで飲ませた。

とはいえつい数ヶ月前は散々ごねた挙げ句に自由党の「大連立」構想をけっ飛ばしたのは当の社会党および西尾だった。なるほど西尾は最後はキレてしまったものの本意でなかったかも知れない。だが背後の左派はどうだ。散々「反動吉田」と罵り、ゼネストにもシンパシーを寄せ、「大連立」構想を葬った事実上の「主犯」ではないか。大野伴睦自由党幹事長らは「だったら左派を排除せよ」と西尾に迫る。「いやそれはできないけれどそこを何とか……」と懇請する西尾。「いやダメだ」「そこを何とか」の繰り返しは結局「この分からず屋」「そのセリフは数ヶ月前の手前に返すぜ」みたいになって最後は吉田総裁の野党宣言で手が切れた。

今秋から冬にかけて行われると予想される解散総選挙の結果、この時の再現が見られるかもしれない。民主党が比較第一党になるものの過半数には届かず、自民党は大幅議席減ながら比較第2党は揺るがない。とはいえ公明党と合わせても過半数は取れない。民主が社民、国民新党、新党大地ら小政党と無所属をかき集めてかろうじて過半数、といった状況だ。
当然ながら比較第一党になった以上は民主党は小沢一郎首相を願う。でも小政党合わせて過半数かいくぶんそれを切るようななりでは大胆な政策は行えまい。共産党は「確かな野党」だから野党だろう。公明党も自民とともに「連立野党」などという誰が考えても無意味な選択はしないだろうけど、いきなり連立与党に加わるわけにも参らず「第三極」といういつかの歌を再び歌うのが精一杯のはずだ。何より共・公を加えたら安定するという話でもない。

その小沢民主党代表は昨年末に自民党との「大連立」協議を始め本人は前向きだったものの党内の反対に遭って蹴り飛ばした過去がある。この辺は自由党と本心では組みたかったのに派内の圧力で失敗した西尾とよく似ている。その小沢代表が、その時点での自民党総裁へ「大連立」を持ちかけられるのか。持ちかけたとして自民は応じるか。大野伴睦と同じく「左派を切れ」となりそうだ。そしてやっぱり「そのセリフは数ヶ月前の手前に返すぜ」でジ・エンド。

そうやってできた片山内閣の末路は実に悲惨だった……というところまで考えて小沢代表が今になっても福田首相との「大連立」構想を自分では間違っていないと主張を変えていない点へ思いを巡らした。
総選挙で民主党が比較第一党になって現在の共産党を除く野党勢力が結集すれば衆議院で何とか過半数というのは民主党にとって望外の勝利である。そう「望外」なのだ。今日よりありとあらゆる手段を講じて最高の結果を出したとしてこの辺だ。政権は取れよう。でもその後はどうなる。片山内閣と続く芦田均内閣の無惨な結末。その後の吉田茂大復活という歴史を手繰った時に小沢代表がいまだ「あの大連立構想は間違っていない」と言い続けている真の意味がわかるような気がする

しかも予想される連立政権の略称を並べると民・社・国。あの時と同じ(編集長)

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