◆新連載◆ ロシアの横暴/南オセチア独立に隠されたロシアの野望(1)
8月9日、ナガサキを地上最後の被爆地にしよう、と平和への願いをこめて祈念式典がおこなわれているとき、ロシア南部のカフカス地方では戦争が激しさを増していた。
その後欧米の強い非難をうけてなんとか沈静化の様相を見せてはいる。エネルギー資源をロシアに頼るヨーロッパの非難は迫力に欠けるが、それでも1999年の9月に始まった第二次チェチェン戦争とは大違いで、横暴なロシアもしばしば行く手を阻まれたりしている。長年加盟したくてたまらなかったWTO(世界貿易機構)についてですら、「そんなものに加盟して何になる」と捨てぜりふを吐くまでに追いつめられた時もあったほどだ。
しかし、「それなら石油を売ってやらないぞ」と逆襲されてロシアへの非難が腰砕けになってくると、プーチン首相はグルジア領内にあるアプハジアと南オセチアの独立を承認する、と発表した。そもそも紛争の根拠となったのは南オセチアなのに、なぜアプハジアまで紛れ込ませたのだろう?
それはともかく、このプーチン発言を受けてメドベージェフ大統領がどう決断するかがちょっとした注目事項になった。というのも、ロシアは領内に300年来の分離独立志願民族・チェチェンを抱えているからだ。そのロシアがグルジアからの分離独立を求めている2つの自治共和国(南オセチアとアプハジア)の独立を認めれば大矛盾が発生する。独立国家ロシア領内にあるチェチェンの分離独立の動きは認めないが、グルジア=ロシアと同じ権限を持つ独立国家=領内の分離独立の動きは認める、というのは誰がみても矛盾しているからだ。5月に就任した新大統領はKGB出身のプーチンとはちがい、法律家でリベラル派と目されていたので、このメチャクチャな首相案を大統領がすんなりとみとめることはないだろうと、善良な、特に日本のメディアは淡い期待を持ったのだった。
期待は「期待を持つのがそもそもまちがい」と言わんばかりにうち砕かれた。プーチン案をそっくりそのままオウムのように復唱するだけの「リベラルな大統領」に唖然とするしかなかった。アメリカのどこかの新聞にプーチン首相の執務室の壁にクマの毛皮が貼ってある一コマ風刺漫画があったそうだが、その通りになったというわけだ(メドベージェフというのは「クマ」という意味である)。
300年以上も独立を叫び続けているチェチェンは話題にも上らなかった。
ソ連時代にグルジア領に組み込まれていたアプハジアはペレストロイカとソ連崩壊を経て分離独立の気運が高まり、民族紛争が火を噴いた。とはいえ、チェチェンのように本物の自立独立志向ではなく、グルジアよりもロシアの方が羽振りがよさそうなのでひとまず独立しておき、ついでにロシアにしっぽを振ってお小遣いをせしめよう、といった程度のものである。植民地支配から独立へ、の気運が世界中に満ちているとき、みずから進んでロシアの支配下に入るのは何とも格好が悪いから、そこはトレンディに独立志向のポーズだけはとっておこう、としていたのだった。
南オセチアの独立承認はかなり不可解である。イスラム教徒が多いアプハジアが周囲をキリスト教地域に囲まれて何となく孤立感を持つのは理解できなくもないが、南オセチアは革命前からグルジアと同じキリスト教である。グルジア領にいても孤立することはないはずなのに、ここに来て急にグルジアの支配による人権侵害を云々し始めた。独立志向などないのに、ひょうたんからコマのように独立が承認された。
ロシアがアプハジアに肩入れするのは、黒海沿岸の良港「スフミ港」にある。現在はウクライナ領クリミアのセバストーポリを母港としているロシア黒海艦隊の常駐港が必要になってきているからだ。グルジア戦争が始まって間もなく、グルジア沖を目指して出港する黒海艦隊に対してウクライナは、「戦争目的なら二度と帰って来るな」と言い渡したほどだ。ウクライナの黒海艦隊追放宣言の法としての効力はともかく、ウクライナとの対立は日増しに厳しくなり「母港」の居心地は悪くなる一方の今日、自由にふるまえる居心地のよい港が欲しい、それがロシアのホンネであってグルジアの不当な支配からアプハジアを救うためではない。
南オセチアの独立を承認したのは、ここにロシア軍を常駐化させて、グルジアや、近辺のチェチェン・イングーシに睨みを利かせたいからである。というより挑発をかけて常に不安定状態にしておきたいからだ。2004年の9月に学校占拠事件がおきた北オセチアにはロシア軍の要塞があり、首都ウラジカフカスはその名も「カフカスを守れ」、の意である(カフカスを制覇せよとする訳者もいる)。不安定さを逆手にとってこの地域の支配を固めたいのである。
カフカス山脈を挟むオセチア地域を北のロシア領「北オセチア」と南のグルジア領「南オセチア」にまさしく「山分け」したのはスターリンだそうだが(何かにつけスターリンの仕業となる)、おそらく単なる区画整理的な観点であろう。当時はソ連という1つの国家のなかだったから、境界線は単純な方が好都合だからだ。その後ソ連が崩壊したので、南オセチアはグルジアに残したままになっていた。帝政時代からソ連に引き継がれた南下政策がソ連崩壊で後退した形である。
ロシアが2つの国を承認したとき、「おい、それならチェチェンはどうなるんだよ!」と疑問を持った国は多かったはずだが、口にしたところはない。1997年、チェチェン大統領選挙のあと、東欧のいくつかの国がチェチェンを承認したが、何の効力もなかった。国際的に力のあるEUの主要国は、ロシアのエネルギーと引き替えにチェチェンを見捨てて承認を見送ったからだ。ロシアの横暴にブチ切れながらも決定打を出せないヨーロッパは自分で撒いた種をどうやって刈り取るか、悩んでいることだろう。(川上なつ)
※写真は「グルジア上空からみたカフカスの山々」
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コメント
これは我が日本とアメリカの話か、と思いながら読みました。深読みでしょうか(笑)。大相撲じゃないけど、日本でも何か反露キャンペーンと新冷戦の風がそよそよ吹いてきているような気分です。
投稿: 渡部 | 2008年9月22日 (月) 06時54分