ホームレス自らを語る 第4回 生活保護を受けるまでは/R・Sさん(61歳)
昭和22年に鹿児島県の大隅半島で生まれました。家の近くの高台に登ると、桜島が見えましてね。そんな雄大な景色のなかで育ちました。家は魚屋をやっていまして、暮らしぶりは普通でしたね。私は7人兄弟の5番目で、性格的におとなしくて、人の先に立つより後ろからついていくほうでした。
中学を卒業して東京に出てきました。あの頃は高度経済成長の真っ只中でしたから、日本中がものすごい求人難で、私らは「金の卵」とかいってもてはやされましたね。
私が就職したのは鉄工所でした。従業員が10人もいない町工場です。工場は渋谷の円山町にありました。当時はあの町にそんな工場もあったんですよ(笑)。私の仕事は溶接工でした。鉄骨を溶接で切断したり、鉄骨に鉄筋などをくっ付けたりするのが仕事です。ただ、10人足らずの工場ですから、ほかの作業も何でもやらされましたけどね。
その鉄工所で働きながら、駒場にあった都立高校の定時制に通いました。4年間真面目に通って、ちゃんと卒業しました。英語が得意でしてね。大学か専門学校にでも進んで、もっと勉強したい気もありましたが、経済的な理由で無理でした。だけど、無理してでも進学して、もっと英語を学んでいたら、いまとは違う人生だったかなとも思いますね。
高校を卒業して、鉄工所のほうも辞めました。仕事の内容が、自分の性格に合わなかったからです。それで運送会社に就職して、大型トラックの助手になりました。助手をしながら大型用の運転免許を取得して、トラックの運転手に昇格しました。
私が運転手になった頃から、「合理化、合理化」と盛んにいわれるようになり、トラック乗務も助手制が廃止されて、運転手の一人乗務になりました。私の仕事は東京の大森から群馬まで、毎日ビールを運ぶのが仕事でした。当時のビールケースは木箱で、1ケースに大ビン24本が入っていました。荷物の積み下ろしが機械化される前で、すべて自分の肩に担いでしなければならないから大変な重労働でした。
大変な仕事だけに給料はよかったんですが、こんなことを続けていたら身体を壊してしまうと思って、運送会社を辞めました。24歳のときですね。
それからは横浜の寿町に来て、日雇いで働くようになりました。寿町を選んだ理由ですか? やっぱり、この町にいると仕事にありつく機会が多いですよ。東京の高田馬場や山谷にくらべて、寿町には荷役など港湾関係の仕事もありましたからね。日当もこっちのほうが、少しだけどよかったんじゃないかな。手配師の数も多かったですしね。
仕事はその港湾関係の仕事や、土工の仕事、その仕事で飯場に入ったこともあります。それに私は大型車の運転ができましたから、車の運転をする仕事も多かったですね。何をやっても食っていくことができる。そんなふうに安易に考えていたところがありましたね。
結婚はしませんでした。仕事場に女の人がいませんでしたからね。それに所帯をもつにしても、経済的にやっていける自信がありませんでしたからね。
稼いだ金の使い道ですか? 酒とギャンブルですね。酒は日本酒でした。1日の仕事を終えて寿町に帰って、馴染みの居酒屋で酔いつぶれるまで飲んで、ドヤに帰って寝るという毎日でした。
ギャンブルはもっぱら競輪です。競輪は人生のドラマそのものですよ。選手の先輩、後輩による駆け引き、所属バンクが同じ選手同士での仕掛け、それに走路妨害や落車のアクシデントもありますからね。それこそ人生ドラマを見る思いでしたよ。
そのレース展開をピタリと読み当てたときの、痛快なことといったらありません。私も1レースで最高30万円くらい当てたことがあります。そんな金は酒と次の競輪の車券に消えて、すぐになくなってしまいますがね。
そんなふうに日雇いの仕事があって、競輪で遊んで、酒が飲めたのも50歳まででした。50歳を越した途端に仕事をまわしてもらえなくなって、あぶれる日が多くなりました。
それに私の場合は、若いときに無理をしたのがいけなかったのか、両膝を悪くしましてね。「膝関節機能障害」とかいうことで手術を受けました。(R・Sさんはズボンを捲り上げて、膝の手術跡を見せてくれた。)
それからはもう働けなくなりました。いまでも同じ姿勢でいると、膝が痛くなってくるんですよ。(そういえばR・Sさんは取材の途中で、突然立ち上がるということを、幾度も繰り返していた。そんな事情があったのだ。)
仕事にあぶれて稼げないと、ドヤにも泊まれなくなりますからね。いつからか路上に野宿するようになっていました。寿町にはそんなのが、いっぱいいますから特別な感慨はありませんでした。ただ、この街にはアーケードのような屋根付きの通りがありませんから、雨のときなど逃げ場がないから困りますね。
それに私は膝に病気をもっていますから、遠くまでエサ(食料)探しに行けないので、夕食抜きという日が結構あります。夕食が食べられないのはひもじくて辛いですね。
いまはじっと我慢のときだと思っています。あと数年もすれば生活保護の対象年齢になって、役所から世話をしてもらえますからね。それまでひもじさを抱えながら、じっと辛抱したいです。なーに、この街で35年も暮らしてきたんですから、あと数年の辛抱ができないはずがありませんよ。ねえ。(聞き手:神戸幸夫)
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