« 書店の風格/第18回 神保町をギュっとね! 本のすずらん堂 | トップページ | ●ホ ー ム レ ス 自 ら を 語 る 第6回 路上生活まだ1週間/Yさん(62歳) »

2008年9月 7日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第26回 高野山カフェへ行ってきた

 「高野山」に「カフェ」がくっつくとは誰も予想だにしないだろう。だって、あの高野山である。高野山といえば金剛峯寺。金剛峯寺は真言宗の総本山。開基は空海こと弘法大師様々であり、さらに2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたこともあり、ありがたく荘厳な空間として日常からは遠くかけ離れている。要するに近寄りがたいのだ。「観光」といって「じゃあちょっくら高野山にでも行ってみっか」ということにはめったにならないだろう。
 そんな高野山が「カフェ」を期間限定でひらくという。「カフェ」ですよ。カフェといったらあれですよ。要するに喫茶店ですよ。しかも横文字なんで、妙齢の女性があははうふふとチンタラ色恋話に華を咲かせるスポットのはず。いったいどういう事?! と、妄想ばかりたくましく悩んでいてもしょうがないので、とりあえず行ってみることにした。

 高野山カフェは表参道にあった。場所どりもオシャレである。青山学院大学前の無印良品から小道に入って徒歩1分。カフェレストランHy'Sを、一週間だけ高野山テイストにしてある。飲食可能なカフェスペースはもちろんあるが、他にも観光案内、そして体験スペースが設けられている。体験は、写経・阿字観(瞑想)・声明ライブと3つのコースがある。写経も声明も別イベントで体験済みなので、阿字観とやらに行ってみた。
 連載名が示すとおり、宗教に興味があるというよりはむしろ葬式が専門分野である。よって「阿字観とはなんぞや?」という素人くさい態度で臨むことになった。

 会場に足を踏み入れた途端、嗅ぎなれた匂いに鼻が過去を連れてきた。これは抹香の匂い、しかもこの甘ったるくゆるぎなく漂う匂いは参拝客用の安い抹香じゃない、住職専用のかなり高いヤツだ! …この抹香でないと承知しなかった真言宗の住職のことを思い出した。業務用のファイルにも書いてあった。この寺の葬儀の際は白檀(びゃくだん)必須、と。…などと過去に浸ってる間に整理券を渡され、地下に案内され、靴を脱いで座布団が並んだマット敷きの室内へと進んだ。座布団の数はざっと70枚。ほとんどの席が埋まって、なんとほぼ全員が女性である。男性はきっかり3人きりで、みんな女性に連れられてきたような格好だった。年齢層もかなり絞られていて、20代後半から40代前半といったところだ。ほぼ出産年齢期が集まっていると言える。世の女性よ、なんでこんな所に瞑想しにくるのか。スピリチュアルとかヨガブームの一環か。軽率といわれてもむしろそうであることを望みたい。これだけの人が純粋に瞑想しにきてるんだったら驚愕だ。

 しばらくすると僧侶が参内し、正面にある弘法大師、曼荼羅、大日如来に向かって真言を唱え、阿字観についての説明をし出した。曰く、「阿」の「字」を「観」ずると書いて「阿字観」。サンスクリット語で大日如来を示す「阿」の「字」を手で表現し、正しい呼吸法を用いて心身をリラックスさせ、仏を「観」ずる、ということらしい。まずは体をまっすぐに整え、さらに正面の仏を見つめ、両手を組み合わせるようにそろえて「阿」の字をつくり、息を吐くときに「あー」と声を出す。
 ここで僧侶は「座禅みたいですけど、全然違う修行です。むしろ正反対と思ってください。座禅は心を無にするためのもの。しかし阿字観は、祈りを込めます。瞑想に近いものがあります」と言った。なるほど、昨今の座禅ブーム(ブームになっているかどうかは微妙だが、どうやら座禅見合いとかがあるようだし)にたいするアピールのようなものだろうか。たしかに一緒くたにされてはたまらない。座禅と観想は全くの別物だ。そして座禅は曹洞宗など禅宗の専売特許、たいして阿字観は真言宗や天台宗など密教系のものである。

 「吸うときは鼻から、仏様の清新な気を吸い込むように。吐くときは口から、体中の良くない物を吐き出すように」と指導され、さらに「自分の中の仏様を感じてください」と言われた。うーん、こうしてあぐらをかいて座って、半目開きで吸ったり吐いたりを繰り返してると、なんだか宗教みたい。と思ったが、そうだった、宗教であった。オシャレな雰囲気にすっかり取り込まれていたが、これは宗教的所作の一環なのだ。だから危ないとか言い出す気はさらさらないけれど、はて会場のみんなは自覚しているのであろうかどうか。
 結局20分程度、吸ったり吐いたりを繰り返したのだが、ただ座っているだけでも同じ姿勢を保つのは結構辛かった。いつもどんな乱れた姿勢をしていることか。そういえば会社では椅子に座っているし、家では寝っ転がっている。自分で自分の背中をまっすぐに保つ、腹筋を使った所作はしていないのだなと実感した。そりゃ腹に肉もたまるわけです。

Ts3g0054  さて体験して煩悩がなりをひそめたり、心が落ち着いたかと言われれば笑うしかない。だって隣接カフェの限定スイーツがとんでもなくおいしそうで、体験終了後に直行してしまったのだから。ちなみに食べたのは「護摩豆腐と季節のマチェドニア」。濃厚さが嬉しい高野山名物ごま豆腐の上には、キウイやパインなどのフルーツがいっぱい散らしてあって、なんと茄子のコンポートが飾られていた。おそるおそる口にしてみると、冷たくて甘くて、茄子なのにちゃんとデザート化している!

 宗教的体験と精進料理。一見地味だが、スピリチュアルと美食を取り入れて女性向けにプロデュースする余地は確かにある。今回は南海電鉄との共同企画なので観光PR中心であろうが、宗教の本分はやはり布教だ。葬式仏教から抜け出して、新しい宗教観を作り出すきっかけとしては充分なアプローチであろうと思った。(小松)

|

« 書店の風格/第18回 神保町をギュっとね! 本のすずらん堂 | トップページ | ●ホ ー ム レ ス 自 ら を 語 る 第6回 路上生活まだ1週間/Yさん(62歳) »

冠婚葬祭ビジネスへの視線」カテゴリの記事

コメント

↓仮にも職業ライターはこういうのをトウシロウという、世間一般じゃ「ずぶのずぶのずッぶのドシロウトの」といわれます(あと大畑さんの文章は変わらず安定した無表情を保ちつづけていて、流石は徹底的に編集長さんに鍛えあげられたのであろう月刊「記録」永世筆頭ライターですね。あと無知すぎるかもですが、たった今一篇無料で読ませてもらった限りですけれど、思い返すに「編集長さん倒れる!」以降の女性ライター皆様のこれまた意地になったような視点も悉くおもしろかったです。或いは金は稼げなくとも面白いものは十二分にやってゆけるんだぞって包容力が……、そういうアキバ以降の、ポスト・ヌーベルバーグっておもわされます)。

http://jp.youtube.com/watch?v=BU8hh3XnLK0

ちょっと連投は駄目みたいでハネられてしまったので、けど「吸うときは鼻から」以降は筆が伸びていますよね、けど仮にも文筆家なら偽名使ってでも己のチンケな限界をみせては損だとおもう。

投稿: 蒔田一郎 | 2008年9月 9日 (火) 00時26分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 冠婚葬祭ビジネスへの視線/第26回 高野山カフェへ行ってきた:

« 書店の風格/第18回 神保町をギュっとね! 本のすずらん堂 | トップページ | ●ホ ー ム レ ス 自 ら を 語 る 第6回 路上生活まだ1週間/Yさん(62歳) »