アフガン終わりなき戦場/第2回 アフガンを視る(2)
11月の終わりではあったが、カブールには初雪がしんしんと降り、気温は0度に達していた。道路沿いに粗末なテントや日干し煉瓦の小さな家が並んでいる。
テントの中からひょいと、ひどく眼のくすんだ男が出てきた。尋ねると、彼はこのキャンプのリーダーだという。男はアブドゥと名乗った。40歳くらいに思
えたが、話を聞くとまだ28歳だと言う。アブドゥは抑揚の低い小さな声でぼそぼそと何か言いながら、彼の家に私を招きいれた。彼の小屋に入ると、気温が急
に五度は下がったように思えた。気のせいではなく、日差しの当たらない分外より寒いのだ。アブドゥは火の入っていない炬燵に腰を下ろすと、1分間ほど押し
黙り、それからぽつりぽつりと彼の境遇を語りだした。
彼の家は、カブールで小さな商店を代々営んでいた。しかし、20年前のナジッブラー政権下の動乱で、彼の家族は身の危険を感じ、パキスタンに脱出した。 アブドゥは多感な青年時代をパキスタンで過ごすこととなった。勉強を終え、18の時に工場で技術者の職を得た。豊かではないが、十分な食べ物があり、温か い家と家族があった。パキスタンでの生活の中でも、彼は常に自分の故郷であるカブールを思っていたという。そして、彼は2004年に念願を果たし、アフガ ニスタンに帰国した。しかし、夢にまで見たカブールでの生活は、みすぼらしい小屋の中で、明日の食べ物にも困るような生活であった。
私は、なぜアフガニスタンに帰ってきたのかと尋ねた。隣国のパキスタンからなら、アフガニスタンの状況は推測できなかったのか。
彼は小さな声だが、少し怒気を含んだ声で答えた。
「騙されたんだよ」
2004年、アブドゥたちの前にアフガンから使者がやってきた。使者は、難民たちに伝えた。
「アフガニスタンは君たちの若い力を必要としている!アフガニスタンに帰還し、国の再建に力を貸してほしい!食べ物も、住居も、仕事も全て政府が用意する!今、帰還するならその費用として、一家族あたり100ドルを与えよう!」
少年の頃からアフガニスタンに思いを馳せていたアブドゥにとって、これほど希望に満ちた話は無かった。彼はすぐに荷物をまとめ、親戚らと共に故郷カブールに向かった。
アブドゥはカブール市民から歓迎を以って迎えられるはずであった。しかし、彼がアフガンでかけられた言葉は侮蔑であった。
「お前はパキスタン人か、それとも動物か。どうやっても、アフガン人には見えないね。この臆病者!」
町じゅうで口汚くののしられ、政府が用意してあるはずの家も、食べ物も、仕事もない。働こうにも、バザールの荷物運びの口すらない。物乞いで得た残飯で
何とか食いつないでいる。アブドゥはその屈辱的な記憶と生活を唇に乗せながらも、また抑揚のない小さな声に戻っていた。もう怒る気力すら残っていないの
だ。
彼の住んでいるキャンプから、昨年は子供と老人ばかりの凍死者が6人出た。また今年も死んでいくだろうと言う。外国からはもとより、政府からの支援さえ全く無い。
アブドゥはそっと周りを見回してから話してくれた。やはり、小さな抑揚のない声で。怒気はもう、かった。
「カルザイが外国からの支援を横流ししているんだ。全部やつのポケットにすべり落ちるような仕組みになってるんだよ。私たちを帰国させたのも、外国に対してのポーズにすぎないんだよ」
カルザイ政権は汚職にまみれ、外国からの支援も届かないことが多い。また、パキスタン政府は2009年までに国内の全難民キャンプを閉鎖すると発表している。(白川徹)
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