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2008年7月21日 (月)

ロボトミー殺人事件の現場を歩く(2)

 桜庭のロボトミー手術が行われたのは1964年11月2日、逮捕されてから8ヵ月が過ぎていた。仮退院できたのは、それからさらに4ヵ月後の65年3月3日だった。この仮退院に際して藤井医師は手術の承諾書へのサインを要求したという。肝臓検査と偽って強行した手術の体裁を整えるためだ。医師の判断ひとつで監禁が続く環境で患者が逆らえるはずもなかった。

 ロボトミー手術が考案されたのは1935年である。それから約30年後に桜庭は手術を受けたわけだが、すでにロボトミー手術の限界は医師の書いた論文からも伺い知れる状況にはあった。まず「矯正」後の人格が人間味を欠き、さらに後遺症として失語症や尿失禁、てんかんなどに見舞われるケースがほとんどだったからだ。
 例えば広瀬貞雄医師が51年書いた『ロボトミー―主としてその適応に就て』(綜合医学新書)には、次のような記述がある。
「ロボトミーは、かかる症状を起し易い人の最も特徴的な性格――見方によっては相当価値のある性格傾向――を減殺することになるから、慎重にその発病の動機や環境を検討し、出来る限り精神療法的指導を怠ってはならない」
 あるいはこうも書いている。
「要するに、病苦が長年に亘り、素質的の要素が相当大きいと思われる場合に限り、最後の手段として行うべきものであると思う」
 つまり滅多やたらに手術するなということだ。ライターとして高い評価を受けている桜庭に手術をするなどは、とても「最後の手段」とは考えられない。
 特に広瀬氏が問題にしていたのは、手術によって出現する別人格だった。
「将来に対する顧慮が少なく、その日その日に興せられた仕事を忠実にするが、自ら進んで先々の計画を綿密に立てたりすることも少なく、行き当たりばったりである。自己を反省することが少なく、困った事態に直面しても、心底から深刻に考えたり、悩んだりしない」
「患者はしばしば雄念が湧いて来ない。よく眠り、夢を見ない、取越苦労もしなくなったと云い、他愛なくよく笑うが、当人は以前のような喜怒哀楽の情が湧いて来ないとしばしば訴える。一般に外からの刺戟を素直に許容し、周囲の環境から孤立するようなことはない、平日すぎる日常生活。他人と受動的に円滑に接触する。しかし何となく深みがなく、情熱に欠けている」
 一言で言えば、周りにだけ都合のよい人間になったということだ。しかも彼の統計によれば、精神障害の患者137人に手術して64人が「作業不能」だったという。「作業可能」も日常生活が送れるように人はまれという結果だったから、かなり悲惨な治療だったといえる。
 桜庭に施された手術は、この本に書かれた方法より進化したものともいわれていたが、ロボトミー手術としての問題はそのまま残していた。実際、桜庭もてんかん発作に悩まされ続け、美しい風景を見ても感動できなくなり、執筆も進まなくなった。結局、術後しばらくたってライターを廃業した。感動できる心も、向上心も、計画性も奪われたら作品を生み出せなくなって当然だろう。クリエイターの彼から手術が職を奪うことなど、素人でさえ想像がついたはずだ。
 実際、手術による連載休止が解けた『月刊プロレス&ボクシング』65年2月号に掲載した作品「世界タイトル取れぬ黒人レスラーのなげき」は、以前のようなキレがない。膨大な資料をうまくまとめているが、盛り上げどころに欠けている。文章力と構成力で一流への階段を登り始めていた桜庭は、自身の原稿の変化を痛感したに違いない。あるいは痛感することすらできなくなっていたのかもしれないが……。
 
 家族を殺された藤井医師は、どうして彼の意向を無視してまで強引に手術したのだろうか?
 可能性の1つとしてはあるのは、精神病質者に対するチングレクトミーの研究が彼の博士号のテーマだったことだ。つまり桜庭と同じ症例である。「精神病質者」とレッテルを貼られた者が入院しており、生かすも殺すも自分次第となれば、とにかく手術して研究を進めたいと考えても不思議はない。精神障害者への外科手術を進めようとしていた彼の母校である慶應大学医学部の医局の圧力もあったかもしれない。チングレクトミーが厚生省に正式に認められたからわずか7年。関係者にとっては、さらに発展が期待できる手術でもあったろう。
 あるいは本人の意思を無視することが、本人の幸福につながると考えたのかもしれない。そもそも「精神病質者」とは、生まれつきの性格異常で、当人や社会がその異常性に悩む人物を指すという曖昧なものである。桜庭で考えるなら、重なった前科が社会を悩ませたということになるだろうか。このような「異常」を取り去るのが自分の仕事だと考えたのなら、藤井氏は桜庭のライターとしての評価など考えもしなかっただろう。
 ただ、それはすでに治療行為ではない。善悪の審判と人格の改造を同時に司る「神の所業」だった。

 藤井医師と近所付き合いをしていたという82歳の男性は、自分の持つ駐車場のアスファルトを補修しながら語った。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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コメント

ベトナムについてのブログを書いてます。
TBさせていただきました。
有難うございます。

投稿: HA-NAM | 2008年7月23日 (水) 22時43分

 ボクの成人なりたての頃ですね。テネシーウイリアムスの映画にはよく精神サイコモノもありますが、チベット地域でもこの種の前頭孔施術で超能力が開発開眼されるようなネットサイト記述みられますが、非科学的で異常な現象分野です。出血腫瘍絵の処置ではない硬膜保護の器官を傷める医療行為! 精神病質との診断で頻繁にこの脳手術が流行ったようです。後遺症リスクは無視、患者にとって既に実社会には出られない人えの禁止事項世界。結局殺人鬼氾濫防止えの逆効果ではノーベル医学賞も弊害及ぼす無価値な金利シロモノ´´ パニック事件に違いありません。変わりモノ固執医に罹ると身を滅ぼす危機がありそうですが自分次第の責任能力問題でもありませう!

投稿: burogumania | 2008年10月22日 (水) 10時06分

私が、生まれる前の事件ですので、読み終えてびっくりしました。しかし、何年前でしたか、テレビで似たようなことを放送していました。故ジョンFケネディの兄弟でただ一人(女)だけロボトミー手術を受けた人がいたのです。手術を強制したのはジョンの父で、優秀な兄弟の中に一人だけヒステリーの激しい者がいることが世間にバレたらまずいからという理由で。手術は成功したか否かは不明ですが、その後は、ジョンをはじめ、ケネディ一族はどんどん不幸に。先ほどの事件も関係者が不幸になりました。なにか因縁めいた感じがします。あまり、詳しく追求しない方がいいことなのかもしれません。ただ、ジョンのロボトミー手術を受けた兄弟は今でも生きているそうです。現在、弁護士として活躍しているジョンFケネディの長女はおばと交流しているんでしょうか?

投稿: さくらん | 2009年2月10日 (火) 20時35分

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