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2008年7月

2008年7月31日 (木)

書評 『心を静めて耳を澄ます』(創森社 鎌田慧 著)

41tx3hzyctl_ss500__2  数年前だろうか、「若い労働者に団交の仕方を教えていますよ」と自動車会社関連の50代の労組幹部と話してくれたことがあった。若い派遣労働者が労組を作って組合運動を始めるときに、これまで積み上げてきたベテランの経験がく役に立つのだという。
 若者にとってはありがたいことだろうが、社会をそして職場を改善しようと頑張ってきた労組幹部は複雑な心境かもしれないと感じた。若い人に労働運動が必要となり、小林多喜二の『蟹工船』が売れているのは、時代が悪くなったからだ。
 この本でも鎌田慧氏は書いている。
「かつて、最底辺の労働者だった自動車工場の季節工(期間工)は、身分不安定とはいっても、会社の直接雇用だから、ピンハネはなかった。その哀れな期間工(拙著『自動車絶望工場』講談社文庫、一九七三年)よりも酷い状態の労働者が出現したことは、わたしの想像外のことだった」
 現在の労働環境は70年代前半より悪化しているというわけだ。悪化しているのは労働環境だけではない。国の締め付けもまた驚くほど強くなっている。この本の冒頭の文章には、卒業式前に保護者に向かって君が代斉唱に協力しないようお願いした教師が、卒業式が2分遅れたという理由で「威力業務妨害」の罪で20万円の罰金刑を言いわたしたという話が書かれている。
 当日の卒業式の映像には、この教師が静かに語りかける様子だけが映っているらしいから「業務妨害」自体、東京都と学校のねつ造だったことになろう。たしかに本当に妨害したのなら、2分での遅れでは済まなかったはずだ。
 「(教員は)石原都知事下の教育委員幹部とウルトラ右派都議たちの激しい憎悪をひきだし、都議会で追及され、被告席に座らされることになった。それはけっして彼ひとりへの攻撃ではない、というのが毎回、傍聴席にはいりきれないほどのひとたちが詰めかける理由である。わたしが被告席にいないのは、たまたまの偶然でしかない、とわたしも思っている」
 立川の自衛隊庁舎のビラ配り事件でもそうだが、国家に異を唱えることへの緊迫感は、かつてないほど高まっている。右とか左とか思想上の問題ですらなく、逆らうのか従うのかだけが問われる。こうした時代にあって、社会弱者の立場に立って1960年代から闘ってきた鎌田氏の言葉は重く響く。
 この本は2007年中に新聞や雑誌に掲載したエッセーや評論、書評、ルポなどをまとめたものである。さまざまな内容の文章が入っているだけに、ここ数年の日本の社会状況・文化状況が多面的にとらえることができる。
 本書で鎌田氏は「ジャーナリストとは、微量な有毒ガスをいちはやく察知する『炭坑のカナリア』であるべきだ」と書いているが、たしかにこの本には危険を察知したルポライターの警告に満ちている。
 以前、鎌田氏が「社会もよくならないし、本当にいやだな」とボソッと語ったことを鮮明に覚えている。食うために書く、名誉のために書く、書きたいから書くと、執筆者によって作品を生みだす理由はさまざまだろう。しかし鎌田氏は本気で社会を良くしようと考えて筆を執っている。だからこそ取材先でのデモにも参加するし、成田空港反対運動の農民などから野菜を買っている。

 小社の本やブログがカナリアになっているだろうか? 
 そんなことを考えた。(大畑)

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2008年7月30日 (水)

山川出版社教科書『日本史』表記変遷①

一番古いのは1975年発行のもの。以後「社会」が「地歴・公民」と改められてからは『日本史B』を参照する

●旧石器時代の文化
かつては「先土器文化・無土器文化」と表記されてきた。「この時代の文化がすべて旧石器文化とは限らない」ので用いられていたようだ。今では「アジア大陸の旧石器文化に相当する文化であることはあきらか」とある。
さて80年頃までの旧石器時代の遺跡にはかの有名な「神の(汚れた?)手」藤村新一氏の発見は載っていない。91年に「座散乱木」が脚注に登場して「もっとも古い時期」とし、94年発行で「馬場壇A」が登場してを最も古い旧石器の遺跡で「ほぼ15万年前」としている。さらに98年発行では上高森が加わり、最古を同遺跡の「60万年前」とし、「原人段階のものである」とまでエスカレート?した。
ところが事件が表面化して後の2002年にはこうした遺跡がすべて消去され、もっとも古い時代に関しては「前期旧石器(約13万年以前)」の「遺跡の追求が進められている」と表現が後退した。やはり翻弄されたんだね。この期間に教わって覚えている人(あまりいないか)はご注意を。なおすでに75年の段階で明記されていた聖岳遺跡は2002年には消えている。
日本の考古学史の画期となった直良信夫発見の明石人(俗に明石原人)は91年までは地図に遺跡として掲載され、脚注に「真否については疑問視する意見もある」とある。その後94年に地図から削除され、「最近の研究では完新世のものとする意見が強い」と後退する。そうなのであろう。ただし明石人の発見はそれ自体がすでに歴史上の出来事のはずであるから別の扱いとして紹介する価値があるはずだ。
なお91年には縄文時代の交易の例として黒曜石、ひすい(硬玉)とともに「奈良県の二上山に産するサヌカイト」が紹介されていたが、94年には消えていた。

●農耕の起源
かつて「縄文時代には農耕はなく、弥生時代から始まった」というのは基本中の基本知識であった。どうやら80年代に高校生だった人までの常識である。91年には「福岡県の板付遺跡では縄文晩期の水田と水路が発見され・・・・水稲耕作の開始はこの時期にもとめられる可能性が強くなった」とあり、94年からは縄文晩期の水稲耕作開始はもはや事実と読める表現となっている。ただ縄文晩期には「弥生土器は出現していない」ので、縄文晩期を縄文とするか弥生とするかは「意見に相違がある」という。つまり将来は縄文晩期を弥生に繰り込んで「縄文時代には農耕はなく、弥生時代から始まった」の常識が結果的に復活する可能性もあるわけだ。
肝心の縄文文化と弥生文化の連続性についてはどうだろう。75年から80年にかけてはほぼ「弥生文化は、朝鮮南部で成立した文化の直接的影響のもとに成立した」との「推測」で貫かれている。中国の影響も触れられているものの、それよりも朝鮮南部の影響の方が強いとみている。91年も文章は多少違っているが、ほぼ同様の印象を与える。
ところが94年になると一変する。まず中国と朝鮮の影響度の差は論じられず、影響があったことは認めるが、同時に「あきらかに縄文文化の影響を受けている面もある」とする。また弥生人骨の一部と縄文人骨に差があることにも触れ、「弥生時代は在来の縄文人が・・・・朝鮮半島からあたらしい技術をたずさえて日本列島にやってきた少数の人々とともに、うみだした」と推理する。文意はわからなくはないが、具体的にイメージしにくい。

●古代朝鮮の国名表記
4世紀中頃の朝鮮南部の3国を、「百済」「新羅」「任那」と80年までは表現していた。91年になると「任那」は「加羅または任那」となり「小国が分立していた状態」と説明がつく。94年以降は「伽耶(加羅)」と変わり、「任那」に関しては「『日本書紀』では伽耶諸国を任那とよんでいる」との注が付く。
この変化と「任那」または「伽耶」への日本の勢力浸透状況の認識は密接な関連がある。80年までは一貫して同地を「勢力下におさめた」とするが、91年は「進出し」と表現が変わっている。94年からは「密接な関係を持っていた」と支配のイメージから次第に遠ざかっていく。

●古墳文化
世界最大級の古墳と誰もが習う仁徳天皇陵などを教科書はどう伝えているだろうか。75年から80年までは「仁徳陵と伝えられる古墳」とあるが、91年には「仁徳陵古墳(大山古墳)」となり、94年には「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」と優先順位が逆転し、2002年には「大仙陵古墳(現,仁徳天皇陵)」と「現」という言葉が入っている。厳密さを追う学者がそうしたい理由は明白。そこにその方が眠っているとの確証なしにその方の名前を冠していいのか、と。
ちなみに古墳は時代によって紹介されるものが微妙に異なるものの、よく読むと大きな変化が二つある。一つは「箸墓古墳」で、94年からは脚注ながら太字で「出現期の古墳のなかで最大の規模を持つ」と紹介されている。もう一つは「装飾古墳」である。この二つは八〇年までにはみられない。
箸墓古墳は九四年の調査で築造年代が、これまでの通説だった三世紀中盤から四世紀前半ではなく、さらに三世紀後半から末にさかのぼる可能性が出てきた。そうなると三世紀中盤まで生きた卑弥呼または二六六年に中国に使者を出した記録が残る二代目の壱与が葬られている可能性が出てきて、邪馬台国畿内説(94年から「近畿説」)側から、がぜん注目されることとなった。
「装飾古墳」は「古墳の地域色」という視点から紹介されている。「装飾古墳」は九州北部に集中的にみられ、その形状から大陸との関係が推察されている。
大王の全国的プレゼンス(統一国家の形成)を示す有力証拠とされる熊本県江田船山古墳出土太刀に刻まれた「ワカタケル大王」と読める銘を75年と76年は「反正天皇をさすと思われる」と記している。これは福山敏男の説である。ところが78年に埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣に同様の「ワカタケル大王」と読める銘が判明したことから事態は一変する。
岸俊男らの再検討により、2つの銘ともに反正天皇ではなく雄略天皇のとみる説が有力となった。八〇年からはさっそく「雄略天皇をさすものと思われる」と直された。(編集長)

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2008年7月29日 (火)

元乙女のゲーム生活~上半期ベスト乙女ゲーム

 最近、だれてだれて仕方がないので、本気を出すためにデボラを嫁にした。
 本当のところは、本気を出そうと画策する→シンキング→ピコーン(ひらめく)→BLだ!→書店に特攻→あえなく敗れる→本気出すのやめるが正解。

 突然ですが、上半期個人的にベストゲームベスト3をお送り!

 第3位 『VitaminX Evolution』

 選択肢の代わりにツッコミかスルーをして点数を稼ぐ。LOVE寄りかSTUDY寄りかでエンドが変わる。ちなみにどちらのエンドも甘い。甘くて鳥肌立った。ノーマルエンドもありますし、アペンドエンドもある。ストーリーも、全員違う内容になっていてよい。
 落とす対象が多ければ多いほどプレイ回数が増えるので、ストーリーが同じだとやる気がそげる。Evolutionになって、新たにT6(美形先生集団6人組)が加わったそうです。
 笑いあり少しホロリとさせる場面ありと、シナリオはかなりよくできていておもしろいです。遊びながら声を出して笑ったゲームは初めてです。
 どうやらミニゲーム集と続編が出るそう。非常に楽しみです。

 第2位 『DUEL LOVE 恋する乙女は勝利の女神』

 前評判と発売後の評判の差に笑った。いまだに“ヘブン状態”は、AA(アスキーアート)になっていたりするが、肝心の中身は……。
 ストーリーは悪くない、システムもタッチペンを有効活用したミニゲーム(マッサージとか傷の手当てとか)に、マイクを使った声を出しての応援(頑張れー!とか言っちゃうんだよ)とか悪くないよ。
 このゲームの一番面白いところは、ヘブン状態ではなく、風呂をのぞいてフーフーするところかな。
 ドアをノックして返事がないから勝手に控え室に入り、シャワーの音が聞こえたら普通は、「あっ、シャワー中か!」って納得するだろう。にもかかわらず、「シャワーの中で倒れてたら!」って思ってしまうのはどういうこと?しかも、鼻歌歌ってるじゃないですか……。このヒロインバカなの? って真剣に思ってしまいました。 ヘブン顔タオルが付録に付いてきた雑誌があるけど、使っている人いるのかな。

 第1位 『ときめきメモリアルGirl's Side 2nd Season』

 ハマった。大いにハマった。連日徹夜でタッチタッチタッチしまくりんぐ! とかバカなこと言ってたら生理止まった。マジ、どうしてくれんの!コナミめ!!!!ってぐらいハマった。ついでに、PS版も買ってEDコンプリートもした。
 移植版は、これでもかとDSの機能を余すことなく使って、本当に本当にあr(ry
 スチルも美しい。フルボイス、簡易EVS搭載、起動メッセージも細かく設定されている。新キャラも2人加わって、すげえ!
 一番すごいのは、大接近モード。これのために買ったというのは秘密にしたいが、これはかなり興奮!
 久々にドッキンドッキンした。思春期の青少年が、女の子にツンツンツンツンされて、「あー、マジ襲いたいんだけど、つか、そんなことしたら嫌われる?」なーんて、理性と本能のぶつかり合いをしている様がとてつもなくおもしろい。嫌われるのはどちらかというと痴女デイジーの方だろ。付き合ってもないのに手をつないだり、チッスしたり、腕くんだり……いや、そもそも事故チューとかしちゃってるYO! 相手はそのことで悩んで悩んで眠れない日々を過ごしているのに、デイジーときたら忘れているし。あんたどんだけSなのよ。「えっ?」とか「変な○○君……」って、変なのはお前の方だ。でも私はデイジーが好きだ。
 1stの魅力コマンドを失敗したときの鏡のフレームが全部ドクロで、映った顔が口裂け女になっているのもよかったが。あれは、かなりグロい。ときメモGSの本気を見た。
 とりあえずまあ、ときメモGS2に関していえば、あんだけイチャイチャしてたのに、2人で修学旅行回ったのに、自宅でチッスもしたのに、まだ付き合ってはいない。告白は卒業式の後で。それがGSクオリティ。
 コナミもここまでのものを出したら3作目出しにくいのではないでしょうか……。シリーズものは出れば出るほど劣化していくのがほとんど。これより上回るものを作るとなると時間がかかるのは仕方がなさそう。3作目、出るならば楽しみに待っています。(奥津)

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2008年7月28日 (月)

『記録』8月号告知と発行困難のお知らせ

『記録』08年8月号が、本日に販売になりました。
 今月の特集は、「月刊『記録』の歩み」です。いくら来年で30周年を迎えるとはいえ、特集で己の雑誌の歴史を書くのは特別記念号でもなければ反則技でしょう。しかし、これには深い訳があります。詳細は、文末に掲載した「『記録』続行困難のお知らせ」をお読みくださいませ。

 さて、気を取り直して連載内容についてですが、やはり本誌の夏の風物といえば奥津裕美が報告する「みたままつり」でございましょう。今年はお化け屋敷。いや、侮れませんよ、靖国のお化け屋敷も。英霊のおかげなのか(?)かなり怖いです。

「忘れられたアフガン国内避難民」を連載する白川徹さんの今回の原稿は、アフガニスタンでの米軍従軍取材。軍が行う人道医療支援の実態を内部から告発。いや、怖さはお化け屋敷どころじゃありません。「米軍にとって、『人道支援』という美しい言葉は、戦術の手段でしかないのだ」という白川さんの一文に深く納得。

 知ってましたか? ソ連時代の医療と教育が有料だったって! 私は今回の鍋元トミヨさんの連載「チェチェン・死と瓦礫を乗り越えて」で初めて知りました。ロシアがソ連化しているといわれる昨今、ソ連の実情を教えてくれる鍋元さんの記事は刺激的です。

 というわけで今月もよろしくお願いいたします。
 引き続き、本誌6月から連載中「『記録』続行困難のお知らせ」をどうぞ。

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●『記録』続行困難のお知らせ(月刊『記録』へ3回にわたり連載)

【第1回】
 月刊誌『記録』の創刊は1979年4月。したがって来(09)年には30周年を迎える。休廃刊が当たり前の雑誌の世界では比較的続いてきたのではないだろうか。
 しかしここへきて経営状況が危機的な状態に瀕している。実は小誌の続行困難は今回が初めてではない。創刊以来の前発行人が休刊を決めたのを小社が引き継いだ時と2000年にそれまでのB6判64ページという一応雑誌らしい装丁から現在の形式へ変更した時などだ。それでも何とか続けてきたのだが、ここ2年ほど売上が芳しくなく赤字が積み上がり遂に「危機的な状況」と読者の皆様へ告知せざるを得なくなる事態へ直面した。
 こうなった最大にして唯一の理由は私を筆頭とする編集部の力不足であるのはいうまでもない。「常に弱者、少数者の立場にある」との創刊以来の編集方針はいまだ古びていないどころかワーキングプアの深刻な生活状況や格差社会の進展など昨今の社会状況を考え合わせるに、むしろ必要性は高まっているはずである。にもかかわらず誌勢を伸ばすどころか保つさえおぼつかない自らの不明を恥じ入らずにはいられない。
 ここで読者の皆様に甘えて窮状打開の応援を仰ぐというのも考えた。しかしそれは以前に行っている。そこでいただいた温かな支援にもかかわらず今日があるという事実に直面し「それはできない」と判断している。30周年を目前に最後の模索を自助努力でなしたい。その状況を誠に誌面汚しではあるけれども今後ご報告していくつもりである。                

【第2回】
 赤字を理由に休刊および廃刊にするのはたやすい。しかし曲がりなりにも約30年続いてきた雑誌を終わらせていいのだろうか。それがどうにも引っかかってなかば意地で刊行してきた最近2・3年だった。
 値下げも考えた。現在の値段が高すぎるのは承知している。しかし半額にすれば読者は倍増するであろうか。残念ながら展望がまったく開けないまま今日へと至る。
 加えて前発行人の庄幸司郎氏との約束も重かった。休刊を決めた庄氏に復刊を願い出たのは小社である。その際に庄氏は「紙1枚になっても出し続けてほしい」といわれた。すでに故人である庄氏だが約束まで消滅したわけではない。「紙1枚」でも……。なるほど文字通りそうするのは可能であろう。だが庄氏の意図はそこではない。 要は自分(発行人)が止めると決めた雑誌を復活させたいならばそれなりの覚悟を持てとの意味であろうと推察する。それらしき何かを必ず続けよと。
 庄氏は復刊を「精神のリレー」とたたえてくれた。ここで我々が休刊しても後を継ぎたい者は残念ながらいそうにない。となると本当に終わりである。といって紙一枚を申し訳程度に出すのは前述の通りアリバイ作りのような行為に過ぎず現実問題として無意味でもある。
 このようにして論理的に行き詰まったまま赤字の拡大とくにランニングコストの恐怖は小社の経営を揺るがすまでになった。母体がダメになれば結局は発行できない。といって発行をやめて小社が残れば前発行人に顔向けできない。袋小路に陥ったがわずかながらアイデアはある。

【第3回】
 現在、WEB上で「月刊『記録』編集部」というブログ(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/)をほぼ毎日更新している。最初は私個人の考えなど綴っていた。そのうち「元々が『記録』の宣伝目的なのだから」との理由から編集部員も書き手に加わって今日に至る。
 宣伝が目的とはいっても毎日毎日「今月号の『記録』はすばらしい」ではもたない。そこで曜日ごとにおおむね担当を割り振ってテーマを決めて書くようにした。としても宣伝する要素が連日あるはずもないので、いつの間にかルポなぞ始めた。元来がその手の輩の集まりだから必然的にそうなった。
 するとアクセス数もさらに上昇して今では当初予想もしなかったレベルに達している。
 ブログとは簡易型の日記で、小社のような長い記事で連日報じるというスタイルには合わないメディアとされている。事実としてコメントもあまり付かなかった。アクセスしても長すぎてすぐに読み止めたか、逆に全部読んで「なるほどね」と納得されてコメントを残すまでもない……といったところ。
 その様子も最近変わってきて気軽に書き込みをしてくれる読み手が出現してきた。ブックマークして下さっている方は『記録』定期読者よりも多いかもしれない。
 だとしたら。どうせ1冊100円にしても売れない雑誌ならば、というかその値段で売れても赤字の雑誌ならば、いっそ無料でネット上で披露したらいかがだろうか。読者の反応もわかるし連載をまとめて出版する際のマーケティングにもなる。現在考えている方向性だ。

というわけで紙で発行してきた『記録』を当ブログへ移行しようと考えており現在作家の方々と話し合っております。そのため、さまざまな試行錯誤をすでにブログ上でも始めています。例えば移行となるとコメントやトラバの扱いをどうするか。鎌田慧さんの記事にエロサイトのスパムトラバが付いていたら編集部真っ青。斎藤典雄さんの記事に公安も監視する某団体からと推察される恐怖のコメントが付いたら中央線の運行が危うい……など編集部だけで書いていた時には考えなくてもよかったセキュリティの問題をニフティと話し合って最善の策を取るつもりですし一部試行しています

またレイアウトがこのままでいいのかという大問題もあります。今後何度か見苦しく?着替えるかも知れません。ご承知いただければ幸いです(編集長)

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2008年7月27日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第25回 生前葬自己プロデュースのススメ4

 前回は生前葬をするにあたっての参加費について考察した。次は「お食事会」的なことをどう処理するかだ。何につけても儀式のある場合は後の食事がつきものである。結婚式後の披露宴しかり、落成式後のパーティーしかり。どれもこれも不景気に陥ってから簡素化されてきたものばかりだ。
 さて生前葬においては、何をするのも自由なのだから当然食事をつけるかつけないかというのも自由である。そもそもお葬式が終わった後の知るも知らぬも入り混じったどんちゃん騒ぎはなんなのかというと、一般的には「精進落とし」と言われる、仏式では49日の忌明けに行われる食事会だ。49日までの忌中はそもそも肉食を行わない。49日法要があけてやっと肉食が許されるので、精進料理から普通の食事に切り替わる際の食事会の意味合いで「精進落とし」という。生前葬では死んでいないので49日もなにもない。なのでその意味ではなにもやらなくてよい。しかしそれでは寂しいではないか、儀式のあとに一人で後片付けをするのは侘しいではないか。「来てくれてありがとう会」でも「オレ段取りお疲れ様会」でもいい、とりあえず終わったら打ち上げが常識だろ! という人は、そのまま読み続けて欲しい。

 打ち上げなんだから誰が参加してもいい、そんな風に考える人も多いだろう。でもせっかく案内状を出すんだったら、そのへんの事も書いておいたほうが無難である。出欠をとってしまったほうが招ぶほうも招ばれるほうも安心だ。公民館の前で知り合い同士が「どうする?」「行こうか?」と相談しあっているのも見苦しい光景だ。さらに予算も決めて、式の参加費とは別に記載すること。出席する人も慣れない生前葬、道しるべをきちんと示してあげることが大事だ。
 会場はできれば歩いていけるところが良い。近いところでは大人数の収容が難しければ、送迎バスが出る料亭などが望ましい。

 さてさて、これで一応案内状を出すまでのプラン立ては整った。案内状は往復葉書にする。パーティーの意味合いが強いので華やかなものでよい。結婚式や披露宴のものに従って、
・葬儀開催日時
・場所
・出欠確認欄

・二次会開催日時
・場所
・出席確認欄

と、シンプルなものである。

簡単でしょ?

では、次回は準備段階にステップアップ!(小松朗子)

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2008年7月26日 (土)

書店の風格/第15回 放浪書房東急ハンズ銀座店で「野宿野郎」を買う

 放浪書房という書店がある。
 その名が示すとおり、全国を放浪しながら路上で本を売るというスタイルの本屋さんだ。売られる本のジャンルは、ひたすら「旅についての本」。古本、新刊、そして一般には流通しないミニコミ誌も加えて売っている放浪書房さんが、期間限定で屋根つきの本屋さんになるという情報を得て、銀座に向かった。
 足を踏み入れたのは、有楽町駅から徒歩1分の12階建ショッピングビル、マロニエゲート。洗練された品揃えのセレクトショップが並ぶ中、5階から9階は東急ハンズが独占している。7階に実用書重視の「ハンズブックス」ができたのは知っていたのでそちらに出店していると思いきや、ない。店員さんにお聞きしたところ、「9階でございます」とのこと。なぜ9階? と思ったら、自転車やテントが並ぶアウトドアスペースに放浪書房はあった。なるほど。旅をテーマにコーディネートしているというわけだ。
 スペース内レイアウトは、東急ハンズだけにかなりハイソな仕上がり。いつも本、本、本しか並ばない(当たり前なのだが)書店のレイアウトや、おしゃれだけれども手作り感あふれるブックカフェなどの店作りしか見てこなかったため、衝撃だった。流行雑貨屋の手にかかれば、古本も簡易本もぐっとこじゃれた表情を見せるのだ。
 まずは本。ここ最近yahooのトップページで紹介されたりとますます認知度を高めてきたミニコミ誌「野宿野郎」が1号から最新号まで面を見せてドンと並べてある。そしてこれも個人発行のミニコミだが本格的な装丁の「旅と冒険」が熱のこもったお奨め文つきでディスプレイされてある。あとは旅の体験記、旅というよりもどちらかと言うと放浪のためのノウハウ本。古本なら『もの食う人びと』(角川文庫)、新刊本なら『俺の旅』(鉄人社)、マンガなら吾妻ひでおの『失踪日記』(イースト・プレス)など、コンセプトにしっかりとこだわった品揃えぶりに脱帽。そして風情あふれる手製の絵葉書あり、作製元とコラボレートしたビーチサンダルあり、「商売していて楽しい!」というメッセージがひしひしと伝わってくる。
 そして地続きにアウトドアスペースが続いていくのが見事。並んだ本と同じ棚にリュックサック、パーカーがディスプレイされ、棚裏にはハンモック。飯盒炊爨用品。マウンテンバイク。本を読んで膨らんだ夢をかなえるため、「自力で、ちょっと旅に出る」ときの道具でいっぱいだ。アイデンティティを模索する学生はもちろん、お決まりの道を往復する毎日を送るお父さん方にも魅力ある空間となっている。こんな空間、きっと消費者は待っていた。都心である銀座という土地にさすらいの精神が融合して、程よい心地よさをつくりだしていた。

 私も一冊、と思い、当ブログでも取り上げられた「野宿野郎」最新号である5号を買ってみた。中身については編集長へのインタビューとともに過去記事で触れているのでここには書かない。筆者は生まれながらのインドア派なので旅には興味がないが、野宿くらいならいいかもしれない。たまに寝る環境を変えてみるのも悪くない。近所だったら財布持たずにすむし、そしたらカツアゲの心配もない。トイレにもすぐ行ける。飽きたらすぐに帰れる。うん、いいね。(奥山)

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2008年7月25日 (金)

『吉原 泡の園』第71回/廉恥心が消えたI君

 焼肉屋で行われた盛大なI君歓迎会が終わると、下っ端ボーイは寮に向かう。幸いにも新S店の寮は吉原の中にあった。こうした酒を飲んだ後は近いほうがいい。
 店の幹部連中はというと、高級車で目黒のマンションにお帰りの人、三ノ輪周辺のマンションに帰る人など住まいのレベルは段違い。僕はミニバイクで店から10分程の場所にオンボロアパートを借りたが、その日は酒を飲んでいたので、タクシーを利用して帰宅した。やっと買ったミニバイクは店の駐車場に止めておいた。
 今までさんざん二人部屋で生活してきたので、どんなにボロい部屋でも、自分ひとりの部屋は嬉しい。プライベートがあるというのがたまらなかった。家賃2万8000円で共同風呂、トイレ、キッチンである。部屋は4畳くらいで窓はピタリと閉まらない。隙間風どころか数センチは完全に開いている。もともと何かの工場だったらしく、そこを中国人の家主が手作りでリフォームして、一軒家をいくつもの部屋にしきったのだ。1階は完全に物置だけの場所で、2階に上る階段は一段一段の幅がかなり違った。トイレスペースも手作りで、木で作られたスペースを白いペンキで塗った簡素なものだった。床からは怪しいキノコが生えていた。
 部屋と部屋の壁もいい加減で、かなり薄いベニヤ板のため、声や音が筒抜け。1階入り口部分も、大家が独自に編み出したひとりで勝手に閉まるドアが付いていたが、閉まったドアの隙間が10センチはあり、ネズミ、猫など入り放題。実際、2階に上がる階段でネズミを目撃したこともある。1階入り口には猫の糞がドカンと置いてあったりしたし。まあ、かなりひどいものだった。
 もしかしたら“ドヤ”と呼ばれる簡易旅館の方が快適かもしれない。それでも日払いではなく月々の家賃で済むし、なにより自分の部屋の鍵を持てたことが嬉しかったのだ。吉原の寮にいると、それほどの感覚に陥る。
 そんな場所に慶応ボーイのI君が住むのは、到底無理のように思えたが、その予感はすぐに現実のものとなった。

 寮生活といえば「高校野球の選手などが、寮生活をしながら・・・」などと格好の良い想像をしがちだが、吉原ボーイの寮生活はそんな甘いもんじゃない。看守のいない刑務所暮らし。そんな感じだ。
 I君歓迎会の翌日。ミニバイクを店の駐車場に置いてきてしまった僕は、タクシーで店に向かった。11時30分、I君がまだ店に来ない。昨夜の飲み過ぎて起きられないのか? と心配になった。
 鬼主任が怒鳴った。
 「おいイッセイ、Iのこと起こしてきてくれ」
 I君の部屋に着くと、鍵がかかっていた。ドンドンとドアを叩くが反応がない。熟睡中なのかな、あきらめて店に戻ると、もう1人の新主任Sさんが携帯電話に電話をし始めた。
 プルルルル~。
 結局留守電にメッセージを残し、仕事開始の時間になった。
 開始してから数時間たったころ、新主任Sさんが電話すると繋がったらしく、何か話していた。話が終わり、電話を切った。
「今日I君休みたいんだってさ」
 嫌な予感に僕も番号を教わり電話してみた。
「ああ、イッセイさんですか」
 電話をするとすぐに繋がった。
「休みって、具合悪いのですか?」
「いいえ、今横浜にいます。実は借金取りが実家に来たと連絡がありまして、それで横浜に居ます」
「いつから仕事に戻るの?」
「・・・」
「ねえ、いつからなの」
「実は警察に逆探を依頼しまして、やってもらうことになりました。ですのでいつ復帰できるかわかりません」
 何だかもう終わりだと思った。しばらく様子を見てからの復帰だと言っていたが、横浜に帰る際、寮の部屋の鍵を閉め、その鍵を持ったまま横浜に帰っていった。誰も合鍵をもっておらず、その間に面接に来て働くことになった人も、寮に入りたくても鍵を壊すしかなかった。
 I君の適当な態度に切れた新主任Sさんは。
「もうあいつは首だ!」
 そう怒鳴った。
 I君はもう二度と吉原に姿を現さなかった。こうして元慶応ボーイの吉原ボーイ生活はあっけなく幕を閉じたのだった。(イッセイ遊児)

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2008年7月24日 (木)

北京オリンピックの前に読む本

 北京オリンピックまで3週間余りとなった。中国に関連する報道を目にする機会も多くなったように感じる。大気や食べ物の汚染、テロ、経済発展、強権国家、ビジネスパートナー、反日運動、富裕層の生活。今の中国がさまざまな角度から切り取られ、日々、大量の映像や記事となって吐き出されている。
 ただ本当の中国がどんな国なのか、なかなかイメージが結ばない。中国自体が混沌としているうえに、報道も主張をともなっているものが少なくないからだ。

 で、今の本当の中国はどうなんだ、という疑問に『写真録 さらば中国』(八木澤高明 著 ミリオン出版)は答えてくれる。大量の写真に短めのルポが付いた本なのだが、これが異様なほどの迫力をもっている。
Photo  地方での不当な裁判や共産党幹部の横暴に怒った人たちが、北京の上級機関に訴えるために集まる「直訴村」。売血によってエイズが集団発生したエイズ村。キャラクターのぬいぐるみを生産するコピー工場。犬をさばく現場。纏足(てんそく)の女性。汚染された川とその水で病気に苦しむ人々。地方の農村から出てきた娼婦。都市で成功した富裕層たち。
 現在の中国の混沌が裸のまま投げ出され、こちらに迫ってくる。もちろん取材もラクではない。エイズ村では公安に軟禁されたうえに金を奪われ、あげくの果てに殴りつけられる。「直訴村」では公安におびえて帰りたがる通訳を怒鳴りつけて取材を続行する。コピー工場の取材ではコーディネーターから、「あなたは日本からのビジネスマンとして工場に行きます。もしカメラマンだとばれたら、どうなるか分かりません。非常に危険です」と言われている。それでも本には、きちんと写真が掲載されているのだ。

 しかも著者は余計なバイアスを事実にかぶせない。

 例えば生きた犬をさばく様子を取材した著者は、次のように書く。
「可愛い子犬を食べる人々を野蛮だという気持ちは毛頭ない。中国の犬食文化を素晴らしいと讃える気持ちもない。犬はペットだという認識の中で育った私は、心の中に何とも言えぬ違和感を感じながら、ただ懸命にシャッターを切ることしかできなかった。その違和感は何なのか。簡単に言ってしまえば、犬食文化を知る者と、知らぬ者程度の差異なのだろう」
 そして、この文章はこう続く。
「後日、犬を食べてみることにした」
 ヒステリックなあざけりも、現実感のない正論も現実に体ごとぶつかっていく取材者の前では、何の意味も持たないだろう。

 著者はあとがきで「今中国で起きていることは、かつて日本で起きていたこと、そして今起きていることと同じではないか」と書きつづっている。
 そうなのかもしれない。
 かつての日本の高度成長期の汚染と混乱、その一方にある活気。そして年々強くなる国家の横暴。カオス状態の現在の中国を写した写真に、いろんな年代の日本が映っていた。

 あーいい本だなー。
 出版不況だからこそ、こんな本を応援したくなる。(大畑)

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2008年7月23日 (水)

本が売れない

何だか最近経営が厳しい。創業以来厳しかったので「痛みに耐える」どころか「痛みに慣れる」状況でピンとこなかっただけで明らかに厳しくなっている。理由は簡単で本が売れないからだ。
出版市場は今や2兆円とみなしてよさそうだ。数年前までは3兆円市場だった気がする。ジリジリジリジリジリジリジリジリ下がり続けて3分の2ぐらいに縮小したらしい。
現在、書籍の返品率は平均4割である。上限が4割ではなく平均だ。市場は上位15~20社が売り上げの8割以上を占める。そうした大版元には小社より優秀な編集者や営業マンがいるに違いない。彼ら彼女が力を振り絞っても平均4割なのだ。
これを具体的に計算してみよう。256ページ上製四六判という平均的な書籍をイメージする。定価は1500円(税抜き)と強気にしてみよう。この値段は内容以前に買ってもらえるかどうかの瀬戸際である。もしかしたら、否きっとそれよりも高いかもしれない。
初刷りは3000部とする。これも案外と強気である。今では初刷り三桁も珍しくないのだから。
すると返品4割として全部を新刊委託すると

1500円×3000部×0.6=270000円

となる。
ところで書籍の多くは委託販売だから全額が出版社に入ってくるわけではない。最近の出版社の場合は3分の2が取り分の平均だ。また多くは新刊委託時に部戻しというのがかかる。これが平均5%。したがって3分の2=67%-5%=62%が出版社の取り分とみなしてよかろう

270000円×0.62=1674000円

ここから諸経費を引いていく。印刷、製本、搬入はどんなに頑張っても100万円ぐらいはかかる。本文レイアウトは社内のDTPでまかなうとしてカバーデザインと装丁ぐらいはプロのデザイナーに頼みたい。プロ校正もないと不安で仕方ないから頼む。デザインと校正を合わせてまあ30万円ぐらいはかかるだろう。この辺を低めに見積もって115万円としたら

1674000円-1150000円=524000円

だ。
忘れてはいけないのが著作権使用料(印税)である。本来は忘れちゃいけないどころの騒ぎではない。義務である。最近では実売部数(かつては刷り部数が主流だった)でお願いする会社が多い。また以前は10%が当たり前だったのを今や5%も珍しくない。さすがに実売の5%は気が引けるけど無理にお願いしちゃったとしよう。

270000円×0.05=135000円

ひどい。ひどすぎる低額だ。でもそれが出ていくとなると

524000円-135000円=389000円

さて。新刊委託をするに際して取次様の窓口へ持っていって言った数だけ卸してくれるかといえば大間違いだ。実際には委託注文分の2倍から3倍ぐらいでお願いする。3倍となるともう拝み倒す世界である。ということは1000部は注文を取ってこないといけない。そのために書店へのファクス送信や個店回りなどをしないと前提の「委託3000部」が達成できない。そうしたファクスサービスに10万円はかかる。それとは別に書店回りをしたとしよう。合わせて20万円ぐらいはかかる。通信費や交通費はどうしようもないので。

389000円-200000円=189000円

さてお立ち会い。ここまでの計算に社内編集者の報酬はいっさい含まれていない。営業の人件費もだ。またコピー出力代や筆者との電話打合せ代などもない。編集者は少なくとも企画を立て、数度の話し合いを重ね、プロ校以外の校正をし、さまざまな依頼を掛け、もちろん何度も読み直して構成をし直し、DTPを操り(つまりかつてのデザイナーと写植屋さんの仕事を代行し)外注さんや取次様へ出向くなどする。要するに働いている。これが1冊189000円で収まるかというと絶対に無理である。ゆえに赤字となる。
前述のようにこの数字は強気の部数と値段を前提に、出費を考え得る最低限で想定している。つまり楽観的な想定なのだ。実態はおおむねそれより悪くなる。
どうしたらいいのだろうか。廃業すべき? その通り。それが一番楽になる方法だけれども他に能があるわけでもなし。

そこで皆様。もはや本を買ってくれとは頼まない。小社の本だけを買って下さい。オチなし。ウツあり。カネもなければ死にたくもなし。林子平。(編集長)

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2008年7月22日 (火)

元乙女のゲーム日記~スクエニ祭

 ペルソナ4はまだクリアしてませんが、3よりもおもしろいので好きです。
 現在は、和菓子攻略をあきらめドラクエ5を攻略中。スーファミは途中までやっていたらデータが消え投げた。あの「デンデンデンデン……」の呪いのテーマを聞くたびガクブルしていたが、プレステ2に移植されてデータが消えることがなくなりストレスフリーで攻略したのはつい3年ほど前のことだったか。
 日本、ンガポール、香港と海を渡りちょこちょこ遊んでクリアしたときは泣いたね。あまりの主人公の可哀想さに。
 これまでのドラクエシリーズは、主人公が勇者というのがデフォルト。16才になったら勇者とか、どっかの国の王子だけど勇者とかね。でも、5の主人公は勇者じゃないんだよ。父も勇者じゃなければ息子も勇者じゃない。さらに子供が勇者なんだよ。そりゃあ一生懸命探したって勇者なんて出てきやしないよ。天空人の血を継ぐ子と結婚しなきゃできないって、それなんて種馬?
 父ちゃん殺されるわ、10年奴隷人生だわ、故郷の村が滅ぼされるわ、あげくの果てに自分が勇者ではないなんて鬼畜すぎる。どっかの国の王になった途端に石像にされるしね。踏んだり蹴ったりだよ。
 たぶんこの主人公の幸せの絶頂って、結婚とその後の1年間の新婚生活だけじゃね? 子供が産まれた後すぐに石像だし。なんて悲惨。
 だからこそなのか、嫁との結婚が妙に華々しく思える。主人公がゲーム中に結婚するのって珍しい。サブタイトル「天空の花嫁」だし、子供が勇者だから当然ちゃあ当然だが、暗ーいストーリーの唯一の華。
 DS版では、新しい嫁候補にデボラが登場。ツンデレの嫁らしい。幼なじみ属性ではないが、ビアンカを嫁に選ぶのが私のジャスティス……なんだけども今回はデボラを選ぶ。呪文ショボいけど、妹のフローラのが使い勝手いいけど、装備にお金かかりそうだけどデボラを選んでみる。子作り描写が気になるもんでね。ウヒヒ。
 それにしても、天空シリーズ3部作リメイクの第2弾として5が出たわけだが、いい加減止めてほしい。すでにリメイクしているじゃないですか。私の大好きな6なんてリリースしてもう10年以上たっているのに一度もなし。早く出してください。
 ところで、スクエニに関連して、最新作「ナナシノゲエム」をやってみた。あまりの操作性の悪さにビックリした。基本的に縦持ちで操作するのだが、ゲエムやメールは横持ちになる。それはそれで構わない。さすがに萎えたのが、走る時にカーソルキーを押しながらタッチペンで画面をタッチしたままにしなければ走れない。走って逃げなければならないときに走りにくい。
 さらに方向転換も画面タッチ。ちょっと手元が狂うとカメラが変な方向を向いてしまい、ワケがわからなくなる。3Dなものだから軽く酔える。あまり親切な設計ではない。その操作性の悪さが恐怖を煽るのかもしれないが、3Dで酔ってしまっては意味がない。スクエニだからこそできるゲエム画面(どう見てもドラクエですあr(ry)と、珍しいホラータイトルに期待していただけにガッカリ度が高い。3日目くらいでやめてしまった。怖くてやめた……となれば、制作者側も「怖がらせられてやった」となるだろうし、こちらも「くそっ、やられた。マジコエー!」となって嬉しいものだが、操作性の悪さでやめるのは不本意だ。やればいいんだけど、どうしても萎えてしまって先に進めない。他のホラーゲームでもやろうかな。(奥津)

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2008年7月21日 (月)

ロボトミー殺人事件の現場を歩く(2)

 桜庭のロボトミー手術が行われたのは1964年11月2日、逮捕されてから8ヵ月が過ぎていた。仮退院できたのは、それからさらに4ヵ月後の65年3月3日だった。この仮退院に際して藤井医師は手術の承諾書へのサインを要求したという。肝臓検査と偽って強行した手術の体裁を整えるためだ。医師の判断ひとつで監禁が続く環境で患者が逆らえるはずもなかった。

 ロボトミー手術が考案されたのは1935年である。それから約30年後に桜庭は手術を受けたわけだが、すでにロボトミー手術の限界は医師の書いた論文からも伺い知れる状況にはあった。まず「矯正」後の人格が人間味を欠き、さらに後遺症として失語症や尿失禁、てんかんなどに見舞われるケースがほとんどだったからだ。
 例えば広瀬貞雄医師が51年書いた『ロボトミー―主としてその適応に就て』(綜合医学新書)には、次のような記述がある。
「ロボトミーは、かかる症状を起し易い人の最も特徴的な性格――見方によっては相当価値のある性格傾向――を減殺することになるから、慎重にその発病の動機や環境を検討し、出来る限り精神療法的指導を怠ってはならない」
 あるいはこうも書いている。
「要するに、病苦が長年に亘り、素質的の要素が相当大きいと思われる場合に限り、最後の手段として行うべきものであると思う」
 つまり滅多やたらに手術するなということだ。ライターとして高い評価を受けている桜庭に手術をするなどは、とても「最後の手段」とは考えられない。
 特に広瀬氏が問題にしていたのは、手術によって出現する別人格だった。
「将来に対する顧慮が少なく、その日その日に興せられた仕事を忠実にするが、自ら進んで先々の計画を綿密に立てたりすることも少なく、行き当たりばったりである。自己を反省することが少なく、困った事態に直面しても、心底から深刻に考えたり、悩んだりしない」
「患者はしばしば雄念が湧いて来ない。よく眠り、夢を見ない、取越苦労もしなくなったと云い、他愛なくよく笑うが、当人は以前のような喜怒哀楽の情が湧いて来ないとしばしば訴える。一般に外からの刺戟を素直に許容し、周囲の環境から孤立するようなことはない、平日すぎる日常生活。他人と受動的に円滑に接触する。しかし何となく深みがなく、情熱に欠けている」
 一言で言えば、周りにだけ都合のよい人間になったということだ。しかも彼の統計によれば、精神障害の患者137人に手術して64人が「作業不能」だったという。「作業可能」も日常生活が送れるように人はまれという結果だったから、かなり悲惨な治療だったといえる。
 桜庭に施された手術は、この本に書かれた方法より進化したものともいわれていたが、ロボトミー手術としての問題はそのまま残していた。実際、桜庭もてんかん発作に悩まされ続け、美しい風景を見ても感動できなくなり、執筆も進まなくなった。結局、術後しばらくたってライターを廃業した。感動できる心も、向上心も、計画性も奪われたら作品を生み出せなくなって当然だろう。クリエイターの彼から手術が職を奪うことなど、素人でさえ想像がついたはずだ。
 実際、手術による連載休止が解けた『月刊プロレス&ボクシング』65年2月号に掲載した作品「世界タイトル取れぬ黒人レスラーのなげき」は、以前のようなキレがない。膨大な資料をうまくまとめているが、盛り上げどころに欠けている。文章力と構成力で一流への階段を登り始めていた桜庭は、自身の原稿の変化を痛感したに違いない。あるいは痛感することすらできなくなっていたのかもしれないが……。
 
 家族を殺された藤井医師は、どうして彼の意向を無視してまで強引に手術したのだろうか?
 可能性の1つとしてはあるのは、精神病質者に対するチングレクトミーの研究が彼の博士号のテーマだったことだ。つまり桜庭と同じ症例である。「精神病質者」とレッテルを貼られた者が入院しており、生かすも殺すも自分次第となれば、とにかく手術して研究を進めたいと考えても不思議はない。精神障害者への外科手術を進めようとしていた彼の母校である慶應大学医学部の医局の圧力もあったかもしれない。チングレクトミーが厚生省に正式に認められたからわずか7年。関係者にとっては、さらに発展が期待できる手術でもあったろう。
 あるいは本人の意思を無視することが、本人の幸福につながると考えたのかもしれない。そもそも「精神病質者」とは、生まれつきの性格異常で、当人や社会がその異常性に悩む人物を指すという曖昧なものである。桜庭で考えるなら、重なった前科が社会を悩ませたということになるだろうか。このような「異常」を取り去るのが自分の仕事だと考えたのなら、藤井氏は桜庭のライターとしての評価など考えもしなかっただろう。
 ただ、それはすでに治療行為ではない。善悪の審判と人格の改造を同時に司る「神の所業」だった。

 藤井医師と近所付き合いをしていたという82歳の男性は、自分の持つ駐車場のアスファルトを補修しながら語った。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年7月20日 (日)

日曜ミニコミ誌! 超左翼マガジン「ロスジェネ」イベントに行ってみた

 去る(かなり去る)7月5日、ジュンク堂書店池袋本店にて行われた「われわれサヨクの存在証明-国家権力に抗うプレカリ×アート-」というイベントに行ってきた。現代の若者の労働問題を扱う雑誌「ロスジェネ」編集委員のトークセッションで、パネラーは編集長の浅尾大輔氏、編集委員の大澤信亮氏、増山麗奈氏、津田塾大学准教授の萱野稔人氏。事の発端は筆者の軽はずみ。書店の風格第8回「模索舎で「ロスジェネ」を買う」という記事で「該当世代には高いんじゃないのか?」と発言したところ、増山氏から丁寧なコメントが返ってきた。しかも「反省してます」とまで書かれており、大変恐縮した。増山氏をおいてどの雑誌の編集委員が、たかが小出版社のしかも営業担当者が書いた不用意な呟きに、このように真摯な形で誠実に接してくれるであろうか。あわせてこちらはもっともっとあり得ない形の雑誌(16ページ480円)を出しているというのに・・・。
 こちらも真摯な態度を示すためには本誌を持って謝りに行くしかない!! そして正直、いつも増山氏が身にまとっている桃色の衣装も見たいぞ! といういささか不純な動機で、ジュンク堂へと向かった。

 トークセッションでは画家でもある増山氏が、ピンクのノースリーブシャツにチュチュ(?)、赤の編み上げブーツという超刺激的な格好でいらっしゃった。トークセッションは一人ずつ、どのような経緯で活動をするようになったのか、幼少期の傾向から順を追ってお話しして下さるという濃い内容となった。のち、環境、そして「左翼」とは何かという話になり、それぞれの意見を聞くことができた。

 大変印象的だったのは、会場に男性が多かったこと。7割がたが男性で、女性がいても男性と連れ立って、というパターンが目立ち、ひとり者の奥山は仕事の関係で来たとはいえちょっとすさんだ気持ちになった。しかし自分のことなどはどうでもいい。自らの意志で来た女性はかなり少ない、ということにならないか。数えてみたところそれらしき人は3人。40分の3とは少ない。世代で区切った問題なのだから、感覚は男女共有であろうに。せっぱ詰まっているのは男だけなのだろうか? 女性は結婚や実家に行ってしまうのか、はたまた不遇を自己責任と感じてキャリアアップに切磋琢磨しているのか、他に興味の向くことが多いのか・・・うーん、謎は深まる。

 そのあと増山さんにお詫び申し上げて、件の不穏な雑誌を渡したら「男の人だと思ってました」と言われてしまった。確かに(文章が)男らしいとよく言われる。

 トークセッション後は、図々しくも座談会にまで参加させていただいた。残った20人の聴衆は、下は17歳から上は40代まで。参加動機はけっこう熱い思いがあってのことかと思いきや、「ジュンク堂に寄ったらたまたま(広告を)見かけて、面白そうと思って」という男性もいて、思想系のイベントにしては風通しの良さを感じた。自らも身を置いている若い世代に寄り添おうという編集委員らの努力のたまものだろう。

 最後に私的妄想だが、「ロスジェネ」という雑誌名の付け方はうまいと思う。まず、見た目が可愛い。そしてかの大手新聞社が命名したネガティブな渾名を遭えて使うというのが、勇ましいではないか。違法コピーに挑戦するipod的な姿勢に似たものがある。
 と、神保町の「Neolive」で散髪して貰いながらウロウロ考えてみた。(奥山)

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2008年7月19日 (土)

書店の風格/第14回 リブロ東池袋店

 池袋でリブロといえば、西武百貨店内、駅から長く長く続く通路を潜り抜けてやっと辿り着く児童書豊富な書籍館を思い浮かべる人が大半だろう。若いオサレ人なら、パルコ内7階にあるコミックや特撮モノが豊富な本屋をあげるかもしれない。そして東池袋駅に近い立地、「本 コーヒー」と看板に掲げているカフェ付きのパルコを思い浮かべる人は・・・かなりの通か、もしくは腐女子の聖地「乙女ロード」ユーザーだろう。

 池袋駅からサンシャイン通りを歩き、高架の下を潜り抜けると青い看板と広い間口が目立つ本屋さんがある。ガラス張りのカフェテラスが優雅な雰囲気だ。サンシャインに行く前に、乙女ロードを歩いた後に、ひとまず立ち寄ってほっと一息つきたくなる憩いの場。しかし中をじっくり見ると、うーんと思わず唸ってしまう見事な棚構成がなされている。客層をバッチリつかんだ、何度でも来たくなる店の一つだ。

 まずは構成ジャンル。60坪程度のお店の中はほぼ真ん中で二つに分かれる。入り口から見て左側手前が雑誌、奥が文庫・新書。壁際に実用書や専門書が並んでいる。右側はレジ前に話題書が積まれている以外、全てがコミックだ。しかも品揃えの豊富さは、ただただ凄いとしか言いようがない。大手出版社のコミックが揃っているのはもちろんのことだが、入口にほど近いところに組まれた面陳台はまさに「ショーケース」。現在、徐々に注目されつつある新進気鋭の作家の作品と、雰囲気や作品のテーマがそれに似ているレトロな作品とが混在し、一定のイメージを持った空間が出来上がっている。編集という言葉がこういう場にも使われるのだとしたら、棚の作り手は天才的な「空間編集者」といえよう。そこには明らかに、コミックへの愛が感じられる。

 さらに面陳台の裏に回ると、そこにはフェアが展開されていた。夏の「恐怖コミックフェア」。そして面陳・平台ともに、膨大な数の手書きPOP、見本、コピー見本がコミックの上に載っている。ヴィレッジヴァンガードかタワーレコードに来たときのような感覚が脳を満たし、好奇心をかき立てる。POPに書いてある内容の濃いこと、読まないと絶対にこんなふうには書けないはずだ。ということは書き手は無数のコミックを読んでいるはずで・・・一体、どんな人なんだ?!

 そう思って営業というよりはミーハー心で伺ってみたが、担当の方はお休みとのこと。残念。ここの方の気に入られるような本を出したいと、切に願いながら乙女ロードに抜けてみた。(奥山)

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2008年7月18日 (金)

『吉原 泡の園』第70回/慶応ボーイが吉原ボーイになったワケ

 焼肉屋Tで行われた歓迎食事会の席で酒の勢いを借り、どうして一流大学を卒業したI君が吉原ソープに来たのかたずねた。たずねたはいいが、どんな答えが飛び出すか不安で身構えた。
 酒を飲んでも暗いオーラを身にまとう彼が、ぼそりと話し始める。
「大学を出て、大手アミューズメントパークを運営している会社に就職したんです。もちろん、その会社に骨を埋めるつもりでいましたよ」
 さすがは一流大学卒だと思った。その会社は日本人なら老若男女知らない人は少ない超有名企業だ。僕など足元にも及ばない。

「僕には親友と呼べる奴がただ1人いました。もちろん親友というからには信頼もしていたんです」
 いいな~、友達か。僕には友達などもういない。すべて無くしたのだ。自分の傲慢さ、好き勝手な生き方で。
「ある日、親友だったそいつが、僕に相談を持ちかけてきたんです。『借金の保証人』になってくれって」

 借金!
 つい最近、僕も自己破産という人生における「裏技」を使って負債をリセットした。借金をした理由は違うにせよ、借金の苦しみは一緒だ。ようは金の問題だ。ダメダメ人間の僕であろうが、元慶応ボーイであろうが、どうやら借金苦に陥った人間の思考回路はどこかで繋がるらしい。それは「楽に稼げて、金を返せる仕事を」という1点に尽きる。
「で、返しているの?」
 人の問題に首を突っ込むのもどうかと思ったが、ここで話を打ち切ることもできなかった。
「いえ、闇金から借りていまして、利息も返せない状態です。とても無理でして今は滞っているんです。ですから吉原に来ました」
「大変ですね」
 残っていたビールを一気に口に流した。アルコールはあまり飲めないのだが、酒を煽るしかやり過ごす方法がなかった。
「実家が横浜なんですよ、でも実家にまで嫌がらせがきて、ついには職場にまで……。骨を埋めるつもりだった会社からは、『辞めてもらえないか?』と言われまして。まあ体のいいクビですね」
 I君は話し終わるとグラスに口をつけた。
 きまじめそうな眼差しが、分厚い眼鏡レンズの下から伺える。きっと、まじめに生きてきたのだろう。それでも人生が狂ってしまい、吉原に逃げてきたのだ。

 実は、僕の親も保証人問題で苦しんでいた。身近な人や世話になった人から頼まれると、なかなか断れないらしい。そんな事態が、いつ誰に降りかかるか分からない。友達や金。たったそれだけの問題が一流大学の優秀な人間を簡単に狂わせる。天国と地獄、それはほんの少しのボタンの掛け違いでしかない。
 改めて吉原ソープで働く男の裏事情に、借金問題が多いことを感じた。

 金の問題で離婚し、犯罪を犯し、逃げ回る。その末に吉原でのし上がる野望を抱いた者の一握りが金の亡者となり、女の体を利用し、弱い立場のボーイをこき使い、鼻息荒く金だけを追い求める。すべては金のためだ。
 ボーイ達は金持ちになろうとしぶとく生き抜いていく。「金がなけりゃ稼げばいい。それが男の人生だ」と、彼らの背中が語っていた。
 地獄の底をはい回る野郎どもを見ていると、そう思えてくるのだった。(イッセイ遊児)

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2008年7月17日 (木)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第18回 汚れた枕の山

20a_14 無造作に積み上げられた枕は、ところどころ黒く汚れていた。当時、感じたのはジトッとした湿気とカビ臭さだった。ただ改めて写真を見ると、ネズミなどの糞尿で汚れたものもあったように思う。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年7月16日 (水)

竹島問題はアメリカが何とか言え

竹島(独島)問題がまた大騒ぎになりつつある。日本人と韓国人。反韓日本人と反日韓国人は満を持して100万の言葉で互いをののしり合うけれど他国にいけば一緒くたなのは旅行するだけでわかる。ついでに言えばどちらも「チャイニーズ?」と聞かれる運命。本来お隣同士だから仲良くすればいいのだ。それが日比谷公園程度の広さの岩(島?)でいがみ合うのはバカげている。
とはいえ領土問題なのだから双方とも簡単に譲るわけにもいくまい。国家は国土と国民あってこそ。だから領土の確定が死ぬほど大事という概念はわかるので。

古文書などの世界を除けば竹島(独島)がどちらのものかとの争いは次の2点であろう。

【その1】
1904年8月 第一次日韓協約調印
1905年1月 日本が閣議で竹島を「本邦所属」と決定
1905年11月 第二次日韓協約調印。大韓帝国(韓国)は外交権を失う

要するに1905年11月以降は韓国に外交権はない。しかし日本が竹島領有を公にしたのは約10ヶ月前だから「私の領土だ」と韓国が思えばいえたはずである。
しかしすでに第一次日韓協約で韓国の外交権はかなり制約されていた。その条文は「韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ、外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ」である。
では韓国が「総テ其意見ヲ詢」わなければならなかった「外交顧問」の「外国人」とは誰かというとアメリカ駐在日本公使館のスチーブンス顧問。アメリカが日本の韓国に対する「優越的支配を承認」したのは05年の桂・タフト協定だから、04年段階で日本はアメリカ(およびイギリス)の顔色をうかがったというのが定説だ。
このスチーブンスさんが一説には初代統監伊藤博文すら戸惑うほどの「親日」であり、竹島がどうこうと韓国側に立って抗議するような人物でなかったのは明らかだ。なお彼は後に韓国人によって殺害されている。

【その2】
1945年9月 降伏文書に調印して連合国軍による占領統治始まる
1946年1月 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の覚書で竹島は「日本の範囲から除かれる地域」であるとされる。と同時に連合国の「最終的決定」ではないともある
1950年6月 朝鮮戦争勃発
   11月 朝鮮戦争に中国人民義勇軍(実態はほぼ人民解放軍)参戦。盛り返しつつあった連合軍(実態はほぼ米軍)が押し返される
1951年6月以降 戦線膠着
   9月 サンフランシスコ講和条約調印
1952年1月 李承晩ラインの設定に伴い今日的な意味での竹島問題浮上
   4月 サンフランシスコ講和条約発効。日本が独立を回復

今度は【その1】とは逆に日本が外交権を持たない間に李承晩大韓民国(韓国)大統領が先手を打った格好である。通称GHQ覚書は二つの側面を持つ。一つは日本の間接統治を事実上決定する法規の面。もう一つは最高機関である極東委員会の決定とまではいえない面。GHQは組織上極東委員会の下部にある。
前者の面から日本の竹島領有権は事実上「日本の範囲から除かれ」た。そしてサ条約が発効するまでついにこの覚書が別の覚書によって覆されはしなかった。

ではサ条約自体はどうか。韓国は招待されなかったので絶対とはいえないものの、それでもここに何らかの言及があれば後々の根拠ぐらいはなったはずだ。しかし何も書かれていない。忘れちゃったというテンションではなく故意に触れなかったとみるのがどうやら有力である。
触れたくない理由は明白で朝鮮戦争でアメリカは李承晩とともに戦っていたから彼が嫌がる記載は避けたかった。と同時にサ条約自体がアメリカが朝鮮戦争を体験して日本を占領下に置くより独立させた方が有利とみてのものだから日本側が難色を示す決定もできなかったのであろう。
今日からみればサ条約より前に戦線は膠着していたとなるが当時はどう転ぶかわからない緊迫感に包まれていたわけでアメリカとしては「触れない」というのが一番の安全策だったと推察される。

そのすき間を縫ったのが李ラインである。私自身は李ライン自体を不当と思っている。さりながら李承晩の政治的カンはある意味天晴れだとも思う。このタイミングでしか打てないばくちだった。

さて連合国軍最高司令官総司令部といっても実質はマッカーサー(=アメリカ)総司令部である。そこが覚書を出して否定する覚書を出さなかった。サ条約がアメリカ主導だったのは明白だ。

というわけで【その1】【その2】ともにアメリカが何らかの関与をしていたといえる。とくに【その2】はダブルトークをした……じゃないか。ダブルトークと思わせないよう隠したのか。結構な責任があるのではないか。何か発言しても罰は当たらないよね。

ところで。近々アメリカ在韓国大使に就任するのはキャサリン・スチーブンスさん。反米感情高まる韓国で「スチーブンス」で大丈夫か。なんて。(編集長)

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2008年7月15日 (火)

ゲーム廃人にっき:ペルソナ4

 ペルソナ4が出ました。先日までは1週間限定でスネーク祭が開催されていましたが、今はペルソナフェスタ開催中。

 ペルソナを知らない方のために簡単に説明すると、ジョジョです。スタイリッシュなジョジョです。
 もう少し詳しく説明すると、アトラス(アストラじゃないよ♪)から発売されている『女神転生』シリーズの外伝的な位置づけにあり、現代の街や高校を舞台にペルソナの能力に目覚めた主人公や仲間たちと共にシャドウという敵と戦うRPGです。
 ちなみにペルソナの名の通り登場人物は武器攻撃の他に、自分のペルソナ(分身のようなもの)の能力を使って戦うこともできる。主に呪文、いや呪文攻撃はペルソナの仕事です。
 このペルソナだが、デフォルトペルソナが各キャラ一体ずついており、主人公のみ「ベルベットルーム」というところでパワーアップさせることができる。ペルソナとペルソナを合体させて強いペルソナを作ることで、戦闘を有利に進めることができる。
 1、2はやっていないので詳しくはないが、3は銃で自分を撃ってペルソナを召還させていたが、今回はペルソナカードを破壊するらしい。雑誌で登場人物たちが眼鏡をかけていたので、「ウルトラセブンみたいに眼鏡で召還か!」とワクワクしていたが、眼鏡は霧が漂う異世界(シャドウと戦うダンジョン)で、視界を良くするためのアイテムだった。ただ、ダンジョン内では常に眼鏡をかけているので眼鏡萌えの人には堪らないシステムである。
 前作は高校が舞台で、ダンジョンが真夜中の学校(タルタロスといいます)だったが、今回はテレビの中! ジュネスというショッピングモール?内にある電化製品売り場の大型液晶テレビからダンジョンへはいることが可能。夜中にジュネス前集合して店内のテレビから突入って、よく考えたら設定がすごい。まだ深夜の学校に集合の方が現実的だ。入ったら入ったでスタジオだし、クマがいるし、街になってるし。現実世界では連続殺人起こってるし、BGMが軽快な割りにストーリーは陰鬱! 前作は深夜0時に出歩くと行方不明になるだけで、そこまで暗くもなくどちらかというと明るい方だった……たぶん。
 次回は、ペルソナ4のEDを迎えられていたらペルソナ4の詳細を届けたい。

 追記。ストーリー冒頭でお亡くなりになる女子アナが、お前モナーと被るように思えて仕方がない。タイムリーに不倫をしていたのでそう思えるだけだと信じたい。(奥津)

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2008年7月14日 (月)

大道芸を見る!~上野公園蛙の噴水前

080713_155849  日差しは和らいでいるもののコンクリートから出る熱で余計に暑さを感じる午後の上野公園。
 蛙の噴水前に人垣ができていて、少し待っていると音楽とともに始まった。
 バルーンを顔につけて画用紙に書かれた文字を顔で表現するリアクション芸のようなものが最初のに行われ、途中で観客の中から一人選び一緒にやっていた。
 次もリアクション芸で、ホイットニー・ヒューストンの曲にあわせて梅干しにわさびや唐辛子、レモンなどをかけてサビの間近で口に入れて表情を見せるというもので、梅干し芸について聞いてみたところ初期からやっているそう。辛い物が嫌いな私からすれば想像したくもない味がしそうだが、やっている中で「慣れました」と笑っていた。 最後が、フレディ・マーキュリーの曲にあわせてパントマイムをするもの……と、箇条書きで書くとあまりおもしろくなさそうだが、独特な雰囲気の芸で字にするよりは実際に見てもらった方がいいという判断であえて細かくは書かないでおく。
 終了後に声をかけている人が多く、最中も写真やビデオを撮っている人が多かったので、芸歴を聞いてみたところ、「16年になりますね。でもこれで食べるようになれたのは10年くらいです」。戻ってからもらった名刺に書かれていた名前をネットで調べてみると、どうやら有名な人のようでテレビにも出ているらしい。よかったら調べてみてください「サンキュー手塚」さんです。(奥津)

URL:http://www1.odn.ne.jp/thankyou/

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2008年7月13日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第24回 生前葬自己プロデュースのススメ3

 「生前葬自己プロデュースのススメ」も第3回を迎えてしまった。べつにシリーズ物にするつもりもなかったのだが、書き始めたらたいへん長くなってしまった。もしかして生前葬って結構面倒くさいものなんじゃないか、と不安になりつつあるが、いやいやそんなはずはない。ポイントをうるさくつつきたくなるのが葬祭業界にいた者の性なのだ、多分。ほら、いるではないか。葬式が出るたびに仕切りたがるウザい近所のおやじが。ちょっとモノを知らないだけで目くじら立てたがる近所のおやじが。言うまでもなく、奴らがこの国の葬式を複雑怪奇にしてきたのだがそれについてはこれ以上触れまい。とりあえず生前葬。筆者は近所のおやじと同じくらい小うるさく言おう、「死んでないんだから自分の葬式くらい好きにやれ」と。

 今回は生前葬をする際の香典について。これには便利な対応策がある。会費制にしてしまうのだ。そのほか、気持ちとして持ってきてくれるという人がいたら受け取ればよい。ただ、この措置は自分に利益が出るようにというよりは、あくまでも招かれる側の心情に立ってのものだ。香典は要らない、参加費はこのくらいですと宣言することで参加者の不安を紛らわすためのものである。その意味でも、金額ははっきりと伝える必要がある。
 さて、いかほどいただくか。「普通に葬儀に参加するとして包むくらいの額」を基準に考えるとすると、友人や会社関係など親類でもない限り、都市部の場合は5000円が相場。田舎は3000円くらいだ。ん? 公民館を貸し切ってさよならの会をするだけで5000円? 高くない? と思うだろう。そう、香典は高いのだ。なぜってお返し代が含まれているから。焼香した帰り道にもらうお茶などがそれだ。49日を過ぎて送られてくる海苔などがそれだ。俗に言う香典返しだ。半額返しが相場と言われているから、2500円相当の品物である。しかしこの場で考えているのは自由奔放な生前葬。お土産を一切出さないという方針で行くならもっとぐっと安い金額設定にしないとボッタクリ感が漂ってくる。もちろんお土産を出すにしても香典返しの相場に引きずられる必要は全くない。参加費は自由に設定してよいのだ。準備にかかる経費なども総合して考えて無理のない金額で行こう。
 さらに言えば、香典とは金のかかる葬式に対して皆が出してくれるカンパである。ということは、実際に自分が死んだときに幾らかかるかも参加費のうちに入れて良いかもしれない。充分に預貯金のある人は別だが、火の車ならその分を上乗せしても罰は当たらない。葬式を済ませたとして他に必要なのは搬送費と棺代と火葬場の使用料。ざっとあわせて20万程度。さらに墓代…とか言ってるととんでもない額になるから、上乗せするにしても火葬代金くらいにしておこう。

 経費計算して参加人数で割って、よし会費が決まったとしよう。しかし、まだ招待状は書けない。なぜか。イベントにはあとの食事がつきものだ。仏式葬儀なら精進落とし、結婚式なら披露宴、二次会まである。それをどうするか。やはり式で終わりじゃ寂しいだろう。せっかく集まってもらったんだし、近しい同士で食を共にしたいではないか。と考えない人は別にいいが、そう考える人はまた経費がかかる。人の選別もしなければならない。会費も違ってくるだろう。次回はその処置について書こうと思う。ああ面倒くさいね。(小松朗子)

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2008年7月12日 (土)

書店の風格/第13回 有隣堂ヨドバシアキバ店

 オタクの殿堂秋葉原。JR中央口をくぐり抜け、向かって左の方に出る。そこにどどんと待ち構えているのは、9階建ての巨大なエンターテインメントビル、ヨドバシAkibaだ。奥山にとっては大変なじみ深く、思い出多い場所である。数ヶ月前までここで働いていたからだ(土日限定)。一階携帯電話スペースにて、変なワンピースを着てマイクで声を張り上げていた。この建物の中は80%がヨドバシカメラであるから、「ヨドバシカメラ秋葉原店」だと思っていた。しかしそうアナウンスすると「そんな店はない」と叱られてしまった。正式には「ヨドバシカメラヨドバシAkiba店」という。大変紛らわしい。

 今回はそんな電器屋ビルの7階にある有隣堂ヨドバシAkiba店をご紹介しよう。活字好きには垂涎の品揃えと言っていい、地域最大級の書店である。秋葉原で地域最大級ということは、日本のコミック・ポップカルチャー・インターネット文化を担う書店と言っていいだろう。
 入り口脇には半円形にフェア台が広がっている。出版社PR誌を集めてみたり、郷土書を並べてみたり、活字マニアにはたまらないフェアがいつも組まれている。フラフラと立ち寄って、何十分か過ごしてしまう人もいるのではないだろうか。まだまだお店の入り口だというのに。
 中に入ると雑誌、文芸、話題書フロアが広がっている。その奥がコンピューター関連、そしてコミックフロアになる。少年少女アダルトレディコミガロ系コミックエッセイと様々なジャンルに分かれており、一人で目当てのものを探すのは到底無理だ。ということで検索機もついているのだが、ここに来たからにはせっかくだから棚構成を楽しんで欲しい。専門家らしくジャンルとジャンルを関連づけて並べてあるからだ。ただ出版社のあいうえお順に並べるのではなく、「これが好きならこれも好きでしょ?」とでも言ってきそうなくらい心憎い並べ方をしているのだ。まるでリアルamazonだ。しかもamazonのように機械的にではなく、当然の事ながら人の手で並べられているので確実に好みを当ててくる。速攻で「ハイ、これも好きです」と白旗を揚げるしかない。衝動買い間違いなしである。さらに雑誌と単行本を一緒の棚に置く作りなので、今まで見も知らなかった、しかし自分の好みに見事にフィットする雑誌を見つける可能性も高い。

 そんな見事な棚構成を作り上げるコミックの担当さん・・・には、まだご挨拶できたためしがない。いつもお客様か他社営業担当者の相手をして大忙しなのである。ご挨拶を果たそうと思って「待ち」の営業担当者の数を数えたことがあった。「待ち」の営業は雰囲気でわかる。大概はスーツ姿で、休憩時間に雑誌を眺めているというわけでもなくビジネス書を熱心に選んでいるでもなく、ただ棚の前で署名ばかりを眺めているとか、どう考えても読みそうもない実用書の前にたたずんでいるとか、そういう人はかなりの確率で書店員の時間が空く時をじっと待っている営業担当者である(こういう場合、必ず先客というものがいるものだから、順番を守るのがマナーである。時たま順番を守らないKYがいる)。その日は4人ほどが機会を伺っていたので諦めた。コミックを出しているわけでもない営業が、超多忙な書店員の手を煩わせてはいけない。今度出す企画がコミックフロアにますます向いてそうだということになったらいよいよデビューしよう。何人待ちでも粘ってみよう。(奥山)

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2008年7月11日 (金)

『吉原 泡の園』第69回/慶應ボーイを襲う吉原の洗礼

 ネズミの巣窟と化した寮に慶応大学出身の異色のボーイI君は暮らすことになった。
 ただ、ネクタイがひん曲がり、寝癖は目立ち、スーツ姿もいまいち格好が悪い。
 これが元慶応ボーイ? そう思った。
 慶応ボーイといえば、石原裕次郎に代表されるようなお坊ちゃまでお洒落、とにかく何もかもが一流というイメージだったのに、I君は180度違う。

 政治家に石を投げれば、たいてい東大卒に当たる。一流企業幹部に石を投げれば早稲田か慶応卒に当たる。なら吉原ボーイに石を投げるとどうなるか。元犯罪者や愚連隊出身者、それに等しい者に石が当たるのである。それなのに、どうして慶応ボーイがいるのか、もしかしたら嘘なのでは? そんな風にも思えてきた。

 仕事初日に、I君はマネジャーから吉原流の仕事の教わった。もちろん怒鳴りながらである。吉原の洗礼を受けたのだ。見ているこちらがいたたまれなくなった。といっても長くいる僕だって怒鳴られ続けているのだから、さして変わりはないのだが……。
 ただこれまでの生き方が違う。僕のような叩き上げは、吉原以前から怒鳴られ、シゴかれ生きてきた。社会の底辺をさまよってきた。しかしI君は日本を背負って立つ人材として、すばらしい教育を受け、同じようなすばらしい人間に囲まれて育ってきたはずだ。吉原に巣くう人種がいることすら信じらなかったろう。マンガの世界を体験したようなものか。
 それでも人生は容赦ない。恵まれた環境で生きてきた人間を飲み込み、社会底辺にまで引きづり落とす。
 吉原で生きる人間と、学問を経験してきた人間とは感性がまるで違う。暴力と金、そして脅しを武器に生きている「吉原人」に、I君は話しかけられなかった。ただ気が小さそうで、いつも怒鳴られている僕には安心できたのか、何をするにも僕に聞きに来るようになった。まあ、新主任はS店の内部にまだ詳しくなかったし、鬼主任には聞くに聞けないのも当然。とれなれば僕しかいないのだが……。
「ユウさん、ユウさん」
 そう言って慕ってくるI君に、僕も悪い気はしなかった。

 3日目の仕事が終わりに
「おいマル、今日新人歓迎の食事会いくぞ」
 と鬼主任が声をあげた。
 元慶応ボーイのI君のためのものだ。
 3日目のI君はボロボロだった。なにせ15時間くらい立っているうえに、階段を一日中上り下りするのだ。慣れない筋肉を使うため足はパンパン。忙しくなれば飯もろくに食えない。やっと仕事が終わっても、持っているのは汚い寮のベッドだ。正直、よくあの悪臭に耐えられるな、と感心していたほどだ。
 吉原ボーイの仕事に慣れるまでには、3ヶ月は必要だろう。それでようやくソープランドの時間とリズムを体が覚えていく。
 勉強ができる環境がいかに恵まれたものか、彼もきっと痛感したことだろう。僕ですらそう思ったのだから。

 午前2時過ぎ、ようやく業務が終わり、焼肉屋Tに鬼主任とボーイ数名で出掛けた。主役はもちろんI君だ。
 焼肉屋の席でもI君は僕の隣に座り、あまり“吉原臭”丸出しの人とは関わらないようにしていた。
 冷や冷やのジョッキに注がれた生ビールが運ばれてくる。
「いやー疲れたの~、今日も」
 鬼主任も嬉しそうに杯を傾ける。生ビールを飲む瞬間は最高だった。今日も無事、終わりました。よかったよかった。そんな気分で僕らもグビグビ飲んだ。
「ねえハラミとカルビ、あとライス」
 みんなでどんどん注文する。歓迎会には来なかったが、新店長が「皆で食え」と金だけを置いていってくれたのだ。となれば遠慮はいらない。笑い声が響き渡る店内で、隣のI君をチラリと見ると、あまり飲んでいないし、どうも元気がない。
「どうしたの? 飲んでる?」
 声をかけると
「は、ハイ。すいません。それにしてもユウさん凄いですね。仕事、完璧じゃないですか」
 僕の仕事ぶりをそう評価してくれた。
「いやあ、まだまだダメだよ」
 照れくさくて答えたが、入って3日目の人と、1年近く怒鳴られ続けている人間とでは、違いがあって当然だった。殴られ、物を投げつけられて覚えた技術なのだ。
「それにしても、慶応大学って、すごいね」
 話すことがないので話題を振ってみた。
「いやあ」
 何を言っても寂しそうに微笑むだけだ。
「どうして吉原ボーイになったの?」
 酒の勢いを借りて、ついに核心を突いてみた。(イッセイ遊児)

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2008年7月10日 (木)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第17回 13年間束ねられた布団

20a_15  先週に引き続き、3階にある和室の写真である。布団などがきちんと束ねられて置かれていた。13年間もヒモでくくれている布団というのも、改めて見るとかなり不思議な感じがする。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年7月 9日 (水)

一日が30時間あれば

井上陽水のように「人生が二度あれば」とは思わない。一回で結構だ。それより1日24時間が問題だ。その間を文字通り不眠不休で働いても働いても、1日1食で取り組んでも、エッチなDVDはおろかじっと手を見ることすらせず取り組んでも、終わらない仕事を引き受けていると時計が早い!
そこを何とかするところまで生きていられなかったのかアインシュタイン先生は。

何かが間違っている。20代で忙しすぎるのが嫌で新聞社を辞めた怠け者が40代になって別に背負うものができたわけでもないにもかかわらず20代の時より働いている。何でこうなっているのか自分でもわからない。

書きたいことはヤマほどあるのだ。でもここが実名ブログのつらいところで吐き出してしまうとお得意様や取引先やらを失いかねない。
「王様のように働き、王様のように遊ぶ」とのキャッチフレーズがあった。それにならえば「王様のように働き、王様のように働く」だ。それでは王様ではない。

好き放題をしたくて自分の会社を作った。その結果好きなことができないというジレンマ。このブログに書くのは「一番好きなこと」なのに最後の後回しになった揚げ句に、こうした文章をやっつけで書くしかないパラドックス。抜け出さなくてはならない。そのためには仕事を断るしかない。断るのは簡単なはずだ。でもできない。
ホテル・カリフォルニア状態だ。あの曲が日本でヒットした際に英語がまるでわからないはずのサラリーマンが「フフンフンフンホテル・カリフォルニア。フフフンフフン」と絶叫していた意味が今にしてわかる。言葉がわからなくても込められた意図が胸に突き刺さったのだね。フェイドアウトしていく錯綜したギターアンサンブルは本当は永遠に終わらない。それと同じ。時間よ止まれ。私以外は

……という状態と編集部員は知っているはずなのに「今日は私が代わりましょうか」とか「大丈夫ですか」と誰も言わない。「わかりました」と「すいません」しか言わない。それしか言うなと命じたは私である。だから言わない。それでいい。それでいいのか?(編集長)

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2008年7月 8日 (火)

元乙女のゲーム道【和菓子を作りながらオプーナを愛す】

 頭文字Dの乙女ゲームが出たらいいのに。出たら文太一筋で行くよlovelyという妄想をしながら頭文字Dを見ております。……妄想は嘘です。

 絶賛プレイ中の携帯機ゲームはいろいろあれど、久々にプレステで遊びたくなり買ったのは、和菓子喫茶で和菓子を作って売って儲けてコンテストで優勝して恋もするという“純和風経営恋愛シュミレーション”というへんてこりんなジャンルのシミュレーションゲーム。
 一応、女の子専用恋愛シミュレーションと銘打ってあるので、乙女ゲームなのか? と思いきや、パッケージ裏を見ると、「採種・栽培をしよう」の欄には、「男の子と山へ種の採取へ行きましょう。種は畑に植えて育てると収穫ができる」。次いで、「和菓子を作りお品書きを決めよう」の欄には、「いろいろな和菓子を作ろう。季節にあったお菓子を並べて飲み物にも気を配ろう」。最後の「売り上げ確認をして茶房を豪華にしよう」には、「ライバル店に負けないように赤字にならないように気をつけて経営しよう」と恋愛には関係ない文字が並ぶ。
 「あま~い純和風恋愛シミュレーション」だとか、「和菓子に込めた乙女の恋」と書かれている割には、レビューを見ると、「経営が難しいし、和菓子コンテストに優勝しないと、他の条件を満たしていてもグッドエンドを迎えられない」と、どちらかというと、「和菓子に込めた乙女の計算」というか、男の人は、「種を取りに行く、材料を取りに行くだけに必要な人員なのよ、オホホホ」という感じ。これこそ種馬っすね。
 恋愛を謳っているだけあるので、それぞれの男の子ルートに入ると(と書いているが誰もクリアしていないし、まだ途中)、季節ごとにイベントが起こるもののやはりメインは経営。それにスチルの作画崩壊がすさまじく笑える。恋愛なしエンド狙いでいいんじゃないかと思ってしまうが、一応、恋愛エンドを迎えなければ買った意味がない。が、和菓子作って経営する方が楽しい。
 いやはや矛盾した気分になるゲームである。

 というわけで、クリアしたらまたこのゲームの記事を書こうと思う。

 先日、先輩から「頭に丸いのが乗ってるやつのゲームやって」と頼まれた。
 なんだろうと思ったいたが、頭に丸ときいてピンッ!ときたのが「オプーナ」だった。
 オプーナといえば ここにあるとおりオプーナを購入する権利が必要なので海賊版を買うしかなさそうだ……と思ったが、権利を手に入れたので、経営ゲームが終わった後にでも購入して近々レポートしたい。

 この夏は体力が許す限りゲームをやりたいと思う。(奥津)

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2008年7月 7日 (月)

ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1)

 2008年2月、河北新報は「『自死権』は認めません」という見出しで、無期懲役で服役している男性が起こした裁判を報じた。79年に2人の女性を殺害したとした桜庭障司79歳の訴えを退けた地裁判決だった。
「男は長期の服役による身体の不調を訴え、『生きていても仕方がない』などと主張していたが、近藤幸康裁判長は『自死権が認められる憲法・法律上の根拠はない。身体状態や刑務所の処遇状況にかかわらず自死権の根拠はなく、請求は前提を欠く』と指摘した」(『河北新報』08年2月16日)
 いわゆる門前払いの判決である。法理論から考えれば当然だろう。しかし1988年3月には、3メートルの金網をよじ登り拘置所の5階屋上から飛び自殺を図った原告にとって、この判決は数奇な運命をたどった男の最後の希望を打ち砕いたような気がしてならない。
 彼の犯した殺人容疑に対する裁判で、「被告は現在も医師の殺害を願っており、矯正は到底不可能」と検察は死刑を求刑した。ところが地裁判決は「極刑を科すには一抹の躊躇を感じる」、高裁では「死刑をもって臨むことはためらいを禁じ得ない」、最高裁でも「(被告が)割り切れない気持ちを募らせたことには理解できる面もある」と、被告への同情を示し無期懲役とした。こうした裁判所の「配慮」が、さらに桜庭を追いつめているのだから皮肉である。

 1979年9月26日午後5時過ぎ、桜庭はデパート配達員を装い、円形の帽子を入れる段ボール箱を持って藤井擔(きよし)医師の家を訪ねた。対応に出た藤井氏の妻の母・深川タダ子さんを隙を見て押さえつけ、手足を手錠かけ、目と口をガムテープでふさいだ。それからしばらくして買い物から帰宅した妻の藤井道子さんも同じように縛りあげた。通常なら午後6時には帰ってくるはずの擔さんを殺害するためである。
 しかし、たまたま同僚医師の送別会に参加していた藤井医師は夜8時を過ぎても帰宅しなかった。このまま藤井医師が帰らず、縛り上げた2人を解放すれば藤井医師に近づくチャンスはなくなる。それを恐れた桜庭は2人の首と胸を刃渡り8センチのナイフで切りつけて殺し、物取りに見せかけるため、約46万円が入っていた藤井氏の給与と約35万円の残高があった妻名義の預金通帳を持って逃走したのである。
 しかしてんかんの発作を抑えるために大量に睡眠薬を服用していた桜庭は、かなりもうろうとしていたのだろう。藤井宅を出て2時間後には池袋駅の改札前で段ボールから手錠を落として職務質問を受け、そのまま西口交番まで連行。給与袋や血の付いたナイフなどが発見され、銃刀法違反の容疑で逮捕となった。
 結局、藤井医師が帰宅したのは午前4時近くであり、それから警察に通報していることを考えると、遺体発見前に容疑者が逮捕されていたことなる。

 わざわざ待ち伏せして殺す。そのために家族の口までふさぐ。そこまで桜庭の憎悪を募らせた原因が、藤井医師が事件の15年前に実施したロボトミー手術だった。そして手術の発端となったのは、なんと兄妹げんかなのだ。
 64年3月、母親のことで妹夫婦ともめ、激高した桜庭は茶ダンスや人形ケースなどを壊して暴れた。その様子に恐怖した妹の夫が警察に通報。当時35歳だった桜庭は器物破損の現行犯で逮捕されたのである。
 民事事件には原則として介入しない警察が逮捕したのだから、かなり暴れていたのだろう。しかし事件の翌日妹夫婦が告訴を取り下げたのにもかかわらず、警察は彼を釈放しなかった。それどころか1週間後に精神鑑定を行い、「精神病質」との鑑定を受けて精神病院に強制入院させたのである。こうした警察の行動に、彼の前科が関係したことは間違いない。過去に2度ほど逮捕されていたからだ。ただし、その2件が劣悪な犯行だったのかは疑問だ。

 最初の逮捕は57年。暴行、恐喝容疑だった。当時、土木工として道路工事に携わっていた桜庭は、飯場で出稼ぎ労働者をいじめている男をいさめた。気の荒い連中の多かった飯場でのこと、たちまち殴り合いとなった。しかし19歳のとき社会人ボクシング大会で優勝した実績もある桜庭が負けるはずもない。簡単にノックアウトしたのである。
 それからしばらくして桜庭は路肩の手抜き工事を発見する。正義感の強い彼は班長に抗議する。ところが班長は取り合わず、お前はクビだと脅した。これに腹を立てた桜庭は社長に直談判をする。それを受けた社長は桜庭にしこたま酒を飲ませ、5万円を握らせて同意の上で解雇した。大卒銀行員の初任給が1万3000円に満たない時代であった。かなりの金額ではある。しかし気の荒い連中を使うことになれていた社長が、事をうまく収めたとみることもできるだろう。
 この事件から2ヵ月後、桜庭は逮捕される。訴えたのは彼がノックアウトした土木工だった。この件で事情聴取された社長が金を渡したと自供し、暴行に恐喝が加わることとなった。ただ初犯ということもあり、判決は執行猶予がついた。
 次の逮捕は翌年8月。ダム工事の土木工をしていた彼は賃金不払いと不当解雇に怒り、社長に直談判した。これが恐喝にあたるとして逮捕だった。1年8ヵ月もの間、長野刑務所に収監されることになったのである。

 こうした前科も影響し、強制入院として送り込まれた先が桜ヶ丘保養院だった。そこで医師をしたいたのが、後に妻を義理の母を殺されることになる藤井医師である。脳の一部を切り取るなどして精神障害を「治療」するロボトミー手術の1つチングレクトミーが、彼の専門だった。
 爆発的な激情を抑え社会適応させるための手術として、藤井氏はこの手術を高く評価していたようだ。一方、桜庭はこの手術をかなり恐れていた。病棟で出会った若い女性がこの手術の1ヵ月後に首つり自殺をしていたからだ。手術をどうしても回避したいと考えた桜庭は藤井氏に懇願するとともに、母親にも手術の承諾書に絶対にサインしないよう手紙で頼んでいた。
 ところが藤井氏は肝臓の検査と偽って桜庭氏を手術台にあげ、ロボトミー手術を強行した。母親を病院に呼び出して熱心に説得してまで実施した手術だった。

 ここで問題になるのは、この治療に効果があるとしても桜庭に必要だったのかという問題である。
 当時、彼は売れっ子スポーツライターと活躍していた。独学で勉強し米軍の諜報機関OSIにもスカウトされた英語力、ボクサーとしての経験、作家を夢見て磨いてきた文章力。どれもがライターとしてプラスに働いていた。
 この事件を含め、ロボトミー手術にまつわる事件をルポした『ロボトミー殺人事件』(佐藤友之 著 エポック・メーカー)には、「いま評論家と呼ばれている人たちは、すべて桜庭さんの亜流みたいなものです。当時、海外の情報をきちんと紹介できる人は、他にいませんでした」という担当編集者の声が掲載されている。
 実際そうだったのだろう。当時のサラリーマンの月収の3~4倍を稼ぎ、資料の整理に2人のアルバイトを雇っていたのだから。そのうえ強制入院させられても、彼は病院で原稿を書き続けていた。編集者から厚い信頼を得ていた証拠だろう。
 鬼山豊のペンネームで書かれた原稿は今読んでも古びた感じがしない。海外の報道で取り上げられた事実を織り込み、きちんと人の心を描いている。例えばベースボール・マガジン社発行の『月刊プロレス&ボクシング』では海外レスラーの人生を小説風に仕立てた読み切りの連載が続いていたが、第二次世界大戦中を述懐するプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノに、桜庭は次のように語らせている。
「すべては破壊の中にあった。ものも人々の心も伝統も道徳も、一切が破壊と混乱の中にあった。私は多くの仲間たちのように不健康な遊びにおちいらぬため、なにかスポーツをやる決心をしたが、貧しい労働者の私に許されるスポーツといえば、重量挙げしかなかった。それなら、いつでも自分の都合のいいときに好きなだけやれるし金もかからない。はじめはあまり楽しくもなかったが、やがて、私はこのスポーツは肉体を強くする以上に心を美しく強くすることを知った」(『月刊プロレス&ボクシング』64年8月号)
 このセリフは桜庭の人生とオーバーラップする。
 東京高等工学院付属工科学校に進学したものの貧困により退学して働くしかなかったこと。それでも「禁欲昇華」を目指してボクシングやボディービルで体を鍛えていたこと。

 この原稿は、ロボトミー手術による連載中断のわずか4号前、閉じこめられた桜ヶ丘保養院で書かれたものだった。(つづく)

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2008年7月 6日 (日)

日曜ミニコミ誌!/全国ミニコミサミットin新宿に行ってきた

 去る6月29日日曜日、「全国ミニコミサミットin新宿」という不穏な集まりが新宿はネイキッドロフトにて開催された。「日曜ミニコミ誌」というタイトル柄、日曜担当なので一週間報告が遅れてしまった。WEB時代になんとも悠長なことである。しかしよいのである、何の速報性もないのどかな話題なのだから。なんといっても「全国」と銘打っておきながら16団体しか参加しないという実態が一番のどかである。まあ、会場の規模から考えたら妥当もしくはありすぎるほどであった。純粋なお客さんも入れると80余人、狭い会場が溢れかえり、個性溢れる編集長のPRタイムには爆笑の渦が巻き起こった。これから、奥山の目で見た一部始終を報告したい。

 当日15時30分。新宿駅に降り立つとなにやら騒がしい。洞爺湖サミットに向けてデモに励む人たちが行進しているのだ。どんなことを主張しているのか詳しく見てみたいのに、残念なことに行進はまるまる警官が取り囲んでいてメッセージが完全に見えない。見えるのは紺地に白の「警視庁」がたくさん。おじさんたちの背中である。音楽がガンガン鳴っていて声も聞きとりづらい。なんでこういうことをしているのか前知識がなければただの騒がしい集団としか思わないだろう。せっかくの運動なのに残念な話だ。などと考えながら一人与太与太ネイキッドロフトに到着する。するとそこには既にブースを構える人たちがいた。ミニコミ誌では老舗である「車掌」の編集長とライターの神田ぱんさんだ。車掌といいながら鉄道とは全く関係のない雑誌、今度この連載でも取り上げたいものだ。ご挨拶すると、「記録」本誌に連載があるJRの斎藤車掌をご存知との事だった。「最近連絡がないんですが、元気なんでしょうか?」と問われましたので、斎藤さん、連絡してみてください。

 「車掌」のお隣に陣取ると、次に来たのが「酒とつまみ」の皆さん。「中南米マガジン」の金安編集長。さらに可愛らしい3人組の女性陣が名刺を手にやってきた! 中綴じ大好き(どういうこと?)と公言する「食パン」モグさん、「愛情通信」ヨンコさん、「minority」みじんこさん。そして次々とブースにご挨拶に来ていただいたのに、ゆっくりもっさりで内気な奥山は足の踏み場もない混沌とした会場の中で動き回る余裕がなく、お邪魔できないところが多かった…。本当にごめんなさい、誰も見ていないと思いますがこの場でお詫び申し上げます。
 各誌PRタイムがはじまり、「記録」は早くも三番目に呼ばれた。16ページ480円、中綴じ表紙なしというものすごい雑誌だが、執筆陣はトヨタの期間工として働いた経験から書いた「自動車絶望工場」(講談社文庫)などが有名な気骨あるルポライター・鎌田慧氏、エロマンガ業界では有名な編集者・塩山芳明氏などがいること、そして常に弱い立場の人の視座に立った編集をしていることなどをまじめにアピってみた。しかしそれだけでは「記録」のよさは表現できない。これは私個人の意見だが、この雑誌は「続いている」というところに究極の美点がある。ホームレスに取材する人は山ほどいるが、10年以上ひと月に一人をとりあげて連載をするような人は神戸幸夫氏をおいて他にいないと思うし、その紙面をとる雑誌もここしかないのではと思う。連載が始まってから7年間、盆も正月も靖国神社を訪れている奥津裕美しかり。そんなことを伝えたかったんだが、一歩間違えると自虐に走ることになるのでやめておいた。ただ、各連載の面白さはちょっとくらい伝わったはずだ。

 その後なんとか数冊売り、ほっと一息ついていると重鎮が現れた。「模索舎」設立者の五味さん。「模索舎」にはいつも置いていただいている上に、この世界に疎い私は存じ上げなかったのだが、「記録」再刊のときにお世話になったそうで、そんな恩人にわざわざ名乗らせてしまったことに恐縮しながら名刺を交換する。いただいた新聞記事を見ると、代表を務めていた「ほんコミ社」自主定年のあと、今はフリーで出版とエコグッズ関係のプロデューサーをされているようだ。興味深い生き方だ、と思う。

 無事「野宿野郎」かとうちあきさんにもご挨拶を果たし、ミニコミサミットは終了。主張したいと熱い思いを携えた人々と交流できて、なんだかすごく元気になれた。心地よい疲労が全身を襲った。企画してくれた「シネマ秘宝館」斎藤館長、ありがとうございました!(奥山)

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2008年7月 5日 (土)

書店の風格/第12回 山下書店渋谷南口店

 この書店を知らないという東京都民の皆さん、じゃあ渋谷駅なら行った事があるだろう。

 行った事がある。よし。それなら南口に出て、大きな歩道橋を渡ったことくらいはあるのではないだろうか。

 今度その歩道橋にさしかかったら、ふと橋の下を見下ろして欲しい。そこには雑誌が所狭しと並んでいる本屋さんがあるはずだ。どうして外から見て所狭しと並んでいるかがわかるかって、そりゃ、店の外に棚があってそこに並んでいるから一目でわかってしまうのだ。さらに全面ガラス張り。入り口脇にはガチャガチャが何台か設置してあり、ただものでない感がひしひしと伝わってくる。遊び心をそそられたら、歩道橋を降りて店頭に立ち、路上で雑誌を物色しよう。男性向けのファッションや趣味についての雑誌が多い。今流行中らしい「おしゃれボウズの作り方」のムックなんて、女性である私はここで立ち止まって観察しなければ存在すら知らないものだ。僥倖に感動を覚えながら、入り口のガチャガチャにはかろうじて手をつけずにお店に入ると、そこにはとてもアツい平台がある。「アツい平台」といっても何のことやらわからないと思うが、並べた人の熱意がひしひしと伝わってくる品揃え。デザインに優れた非定型書籍などがジャンルを問わずPOPつきで並んでいるのだ。流行の中心地である渋谷という場所柄、たいへん的を得ていると言えよう。

 さらにこの書店はなんと24時間営業、もちろん無休だ。私があと10歳若かったら絶対この辺の路上でたむろしている。間違えた。一人ではたむろできない。ええと、座り込み? 野宿? とにかく飽きないで周辺に張り付いていると思う。

 中に進んでいくと、お客さんは圧倒的に若い男性が多い。熱狂的ファンがいそうな本屋だ。軽めのノンフィクションやサブカルチャーに加え、コミックの多さでお客のニーズに応えている。レジ前にはチラシやフライヤーがあふれ、表現系の若者にも親しまれていることがわかる。

 しかしこの本屋、意外と女子もいけるのだ。入り口からまっすぐ入ったところの文芸棚は、文化系女子向けのコーナーが一角を占めている。近年話題になっている腐女子本、それに付随するエッセイなどで構成されている。男性ばかりいる印象で、なかなか入れない…としり込みしていた女子の面々はぜひ勇気を持って入店していただきたい。必ずやお気に入りの一冊に出会えることだろう。
 それは必ずしもいつも自分が親しんでいる趣味のよい本や、装丁の可愛らしい本ばかりを意味しない。激しいサブカル本でもなければちょっとオタク度の高い小説やコミックでもない。女子向けの棚を鑑賞したらそこから一歩遠ざかり、隣のアイドル写真集やアウトドア、スポーツなどの本にも少し目をかけてみて欲しいのだ。もしかしたら結構面白い、未知なる世界が広がっているかもしれない。私の出会った「おしゃれボウズ」のムックしかり。そう、ここは出会い系の本屋なのだ。うら若き文化系女子の諸君、そろそろ文化系とか呼ばれるのにも飽きてきたなと思ったら、渋谷は山下書店に集おう。(奥山)

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2008年7月 4日 (金)

『吉原 泡の園』第68回/初めての独り部屋

 15万程度の月給が貰えるようになり僕は早速“飛んだ”のではなく、スクーターを購入した。同時に、池袋の不動産屋で見つけた家賃2万3000円のアパートを借りた。
 アパートといっても、もともと工場の跡地に中国人の大家が自分で建てた代物だ。1つの家をいくつかの部屋を仕切った、長屋のようなつくりになっていた。とにかく手造り色の濃い家で、階段なども一段一段大きさがバラバラ。
 それでも当時の僕は、そのアパートをバカにすることができなかった。なにせ自己破産した身で、どうにか寮を脱出し、やっと手に入れた住み処なのだから。一応、一国一城の主ともいえないこともないし……。
 考えてみれば上京して始めての独り部屋だった。風呂は共同、トイレも共同、大家はわけのわからぬ中国人。窓ガラスもピッタリ閉まらなければ、部屋も何畳だか不明の間取りだった。恐らく3畳半か4畳あたりだったろう。
 後にそのアパートの外観を元某テレビ局のディレクターに面白半分で見せたことがあったが、彼はかなりドン引きしていた。強烈な外観なのだ。建物全体が傾いているのだから。とにかくアパートのオンボロさならば、絶対に誰にも負けない自信があった。嫌な1番だけれども、1番ならば前からでも後ろからでもスゴイと思うが違うだろうか……。
 それでも吉原の寮を出られたのだ。これ以上の嬉しさはない。おんぼろアパートから、おんぼろスクーターで毎日吉原まで通う日が続いた。新店長は白いベンツで目黒の高級マンションから通ってくる。同じ通うにしても天と地ほどの差である。それでも僕は新鮮な毎日だった。
 ただ上司にも同僚にも後輩にも住所を言わなかったた。主任連中は、僕が絶対に住んでいる場所を教えないので少しいぶかしがっていた。       
 そんなある暇な日のことだ。僕を含めた下っ端ボーイ衆は、いつものごとく「暇だな~。なんかいいことねえかな~」など考えながら、ダラダラと時間をつぶしていた。そこに姉妹店の社長がオタク風の男を引き連れて来店したのである。
「この店ボーイが足りねえだろ。うちに面接に来たんだけどよ、ここで面倒みてやってくれよ」
 社長は主任にそう言うと、スタスタ引き返していってしまった。残されたオタク男がコクリと頭をさげる。主任Sさんは突然の出来事に面食らっていたが、姉妹店の社長のたっての願いでもあり、第2待合室での面接が始まった。
 アイスレモンティーをつくり、2人が話す待合室に持っていった。それからは送迎や部屋のセットに追われ面接のことなど忘れていたが、40分くらいたってSさんが声をかけてきた。
「マルちゃん、寮の部屋、空きあるよね」
 以前、僕とHちゃんで使っていて、現在は空いている部屋のことである。
「はい」
 そう答えると
「そこに今度新しい人を入れるから、以前使っていたんだから、そのコのために掃除しにいってよ」 
 と頼まれた。
 Sさんの笑顔のお願いでは仕方がない。渋々承諾した。その部屋がねずみの巣になっているのを知っていたので、あまり近寄りたくなかったのだ。鍵を渡され、何ヶ月ぶりかに部屋に入った。いきなり吐き気をもよおした。
 布団が引きっぱなしになっていたベッドの上には、布団を覆うほどの巨大なネズミの糞が散らばり、ひどい悪臭を放っていたからだ。もはや人間が寝る場所ではなかった。それでも横浜から吉原に来て、この寮に住む新人君のために布団の上に散らばる糞を片付けた。
 ただ、それでも臭い。染みは布団に付着し、もうどうしようもできなかった。
 主任は細かくチェックするわけでもなく、新しく入った横浜からの新人君は変な色のシーツや部屋の匂いの異常さを感じつつも1人でそこに住み始めた。
 かつて猫くらいの大きさのネズミをその部屋で目撃している僕には、その部屋が怖くてたまらなかった。ボロアパートを借りたのも、たんにお金が貰えるようになったからだけでない。あまりに巨大なネズミに遭遇した恐怖が、僕の背中を押したのである。(イッセイ遊児)

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2008年7月 3日 (木)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第16回 3階和室

20a_16  3階の布団置き場である。火事の跡もないので、この写真だけを見れば火災現場には見えない。13年間も放っておかれたわりには、マットなどがキレイに整っていたのも不思議な感じがした。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年7月 2日 (水)

範馬勇次郎vsゴルゴ13vsケンシロウ

範馬勇次郎とゴルゴ13とケンシロウが戦ったらどうなるのだろうか

①範馬勇次郎vsケンシロウ
勇次郎はあらゆる武道(戦場格闘技も含む)に精通しているから北斗神拳も使えるはずだ。しかし正統伝承者しか知らない秘奥義までは知らない可能性がある。どちらも素手での戦いとしたらバリエーションで勇次郎、秘奥義でケンシロウか。
しかし両者ともにスポーツ選手ではない。勇次郎は戦場格闘技という要するに何でもありの戦いで磨き上げている。ケンシロウは暗殺拳だ。つまり気取られないよう接近するプロである。となると勇次郎がケンシロウの接近を察知できるのかが重要になる。
戦いの精神構造も違う。ケンシロウは相手が敵ないし悪とみなさなければ戦わない。対して勇次郎はしばしば相手が強いという理由だけで「餌」としたがる。だとしたら一般的には勇次郎が仕掛けてケンシロウが受けるという形になろう。勇次郎にとってケンシロウは「餌」としての魅力は十分だろうから仕掛ける。先に動いた方が有利というケンカの基本を考えれば勇次郎優勢だ。もっとも北斗神拳は多分に受けの要素が強いから必ずしも不利ではないとの反論ができよう

②範馬勇次郎vsゴルゴ13
まずゴルゴは自らを狙う者以外は高額の報酬がないと動かない。その点は安心だ。一国の軍事力に匹敵する範馬勇次郎を消したい大金持ちやエージェントはたくさんいるから。逆は考えにくい。確かにゴルゴの身体能力は高いけれども真骨頂は射撃である。これまで勇次郎がガンマンにそそられた例がほとんどない。
さてゴルゴといえば背後である。勇次郎は奴の後ろに立てるのか。そうなって勇次郎に勝てなかったり逃げられた場合は戦い以前にゴルゴのキャッチフレーズが崩壊してしまう。
実際の戦いは超長距離から偽装なり何なりしてゴルゴは銃で勇次郎を仕留めようとするのがスタンダードである。戦場で鍛えた勇次郎は「ゴルゴが狙っている」と知っていたらどんなに遠方にあっても狙撃されないポジションに身を置くはずだ。だがゴルゴはそうして警戒してきた何者をも殺してきた。文字通りの「矛盾」の世界がそこに展開されるのだ。
では依頼を受けたゴルゴが密かに勇次郎へ銃口を向けたらどうか。つまり勇次郎がゴルゴに狙われていると知らなかったら。勇次郎の肉体は鍛え抜かれているが決して弾を跳ね返すとか避けられるといった感じではない。ほぼそれに匹敵する俊敏さはあるものの基本的には接触しての勝負だ。となるとゴルゴが強烈な武器ですごく離れた地点から狙ったらやられる可能性はある。事実勇次郎はかつて麻酔銃で眠らされた。
しかし「バキ」の世界観は当然ながらゴルゴ13のような存在を想定していない。だからゴルゴと勇次郎が現にあると互いにわかったら勇次郎側が選択肢として「オレはゴルゴに狙われる可能性がある」を排除しないであろう。ともに裏社会に生きる身でそこでの知名度は絶大だから名を知らないなどあり得ない。
つまり「知らなかった」という油断がそもそも勇次郎にはないとなる。むしろ十分に予測して逆にゴルゴを密かに襲うであろう。それをゴルゴが探知できるかといったら疑問だ。彼にはビジネスがあるので勇次郎を警戒して出歩かないという選択はしたくでもできない。対して勇次郎の戦いはもっぱら自発的で非営利だからやろうと思えば動き出す。ここがゴルゴの弱点となるだろう

③ゴルゴ13vsケンシロウ
まず前提条件をどちら側にするか問題となる。「北斗の拳」とすればカネの効力が無力化し暴力のみが支配する世界観だからゴルゴに依頼する金額自体に意味がない。「北斗の拳」でも銃はなぜか横行しているからゴルゴに武器がないわけではないが狙う動機がなくなる以上狙わない。ケンシロウは敵か悪しか相手にしないからゴルゴを倒す動機がない。よって両者は戦わない。
「ゴルゴ13」の世界観とすると、そもそもケンシロウは正統伝承者になっているかとの問題が浮上する。「北斗の拳」によると義理の次兄トキがその第一候補だったが核戦争で被爆して自ら降りた形となる。実際には核戦争は起きていないのだからトキが伝承者となりケンシロウは拳を封じられて指圧師あたりになっているのがせいぜいだ。だからやっぱり戦わない。
それらを取り払って戦ったとしたらケンシロウが有利であろう。北斗神拳は自らの体を鋼鉄上にする気功法を持つ。つまり弾丸とて跳ね返せる。だから互いに戦っているとわかっている前提ならばスティンガーを用いるとか地対地ミサイルのボタンを押すとかなる。そんなのゴルゴじゃない。
勇次郎と同じくケンシロウがゴルゴに狙われていると知らなかった時はゴルゴ勝利の可能性があるものの「北斗の拳」でケンシロウがゴルゴほどの殺し屋が、自分以外ならばともかく自身を狙っている気配を察知しないとは考えられない

というわけで結論は出ない。ここに江田島平八やアラレちゃん、スーパーマンなどを交えるとさらに面白くなりそうな気もするけど止めておく……というか面白いか? というより範馬勇次郎vsゴルゴ13vsケンシロウという設定自体が面白かったか。面白いとしても私の記事そのものはつまらないのではないか。(編集長)

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2008年7月 1日 (火)

ゆるゲーならこれ!~ニッポンのあそこで~

 PSPソフトに「ニッポンのあそこで」というゲームがある。
 激しくゆるいゲーム(ゆるゲー)で内容を簡単に説明すると、「ネズミが宇宙船に乗って日本のいろいろなところでちゅり(釣り)をする」のだ!

 どうだゆるいだろう!

 宇宙旅行代理店の調査員のナビッチュが、担当先のニッポンで調査をするわけです。調査内容は、上司のカチョウから言われるので、言われたとおりにこなせばいいのだ。
 やればやるほど日本の有名なものに詳しくなれるし、地理にも詳しくなれるという二次作用もある。

 このゲームで好きなのが、ヴリコさんがやっているお店での買い物。
 48都道府県+12ヶ月+高級品ウェア、ヘッド、アクセサリーを買うことができる。毎日半額セールが行われており、今日がどこの商品かはヴリコさんの方言でわかる。
 ちゅりで釣るギョ(魚)も情報によって形が変わりチュリ自体も難しくなる。ハマると難しくなればなるほど熱中して、釣り上げたときの快感度が高まる。昇進試験もあるし、ミッションによっては宇宙船のコクピット内に飾ることもできる。物が増えていく様は気持ちいい。収集癖がある人には大変におすすめである。日本地図が埋まっていくのも気持ちいい。

 上記は調査モードでの話だが、遊覧モードは日本のいろんなところを見て回ることができる。ワープ機能があるので、住所を入れるとそこまで飛んでいけるのだ。とりあえず自分の出身校を探してみたところ発見。こういうゲーム内で自分に関わりのあるところを発見するのは嬉しいもので、他にもいろいろ探してしまった。

 最初は期待していなかったものの意外と面白く手軽に遊べてしかもハマれる。1日1ミッションと決めて遊べば長く遊べるし、1ミッションの行き先も複数あってすぐに終わるわけでもない。

 もしPSPがあったら(なかったら買って)是非遊んでもらいたい。暇つぶしにはもってこいのゆるゲー。この夏いかがでしょうか。(奥津)

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