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2008年7月11日 (金)

『吉原 泡の園』第69回/慶應ボーイを襲う吉原の洗礼

 ネズミの巣窟と化した寮に慶応大学出身の異色のボーイI君は暮らすことになった。
 ただ、ネクタイがひん曲がり、寝癖は目立ち、スーツ姿もいまいち格好が悪い。
 これが元慶応ボーイ? そう思った。
 慶応ボーイといえば、石原裕次郎に代表されるようなお坊ちゃまでお洒落、とにかく何もかもが一流というイメージだったのに、I君は180度違う。

 政治家に石を投げれば、たいてい東大卒に当たる。一流企業幹部に石を投げれば早稲田か慶応卒に当たる。なら吉原ボーイに石を投げるとどうなるか。元犯罪者や愚連隊出身者、それに等しい者に石が当たるのである。それなのに、どうして慶応ボーイがいるのか、もしかしたら嘘なのでは? そんな風にも思えてきた。

 仕事初日に、I君はマネジャーから吉原流の仕事の教わった。もちろん怒鳴りながらである。吉原の洗礼を受けたのだ。見ているこちらがいたたまれなくなった。といっても長くいる僕だって怒鳴られ続けているのだから、さして変わりはないのだが……。
 ただこれまでの生き方が違う。僕のような叩き上げは、吉原以前から怒鳴られ、シゴかれ生きてきた。社会の底辺をさまよってきた。しかしI君は日本を背負って立つ人材として、すばらしい教育を受け、同じようなすばらしい人間に囲まれて育ってきたはずだ。吉原に巣くう人種がいることすら信じらなかったろう。マンガの世界を体験したようなものか。
 それでも人生は容赦ない。恵まれた環境で生きてきた人間を飲み込み、社会底辺にまで引きづり落とす。
 吉原で生きる人間と、学問を経験してきた人間とは感性がまるで違う。暴力と金、そして脅しを武器に生きている「吉原人」に、I君は話しかけられなかった。ただ気が小さそうで、いつも怒鳴られている僕には安心できたのか、何をするにも僕に聞きに来るようになった。まあ、新主任はS店の内部にまだ詳しくなかったし、鬼主任には聞くに聞けないのも当然。とれなれば僕しかいないのだが……。
「ユウさん、ユウさん」
 そう言って慕ってくるI君に、僕も悪い気はしなかった。

 3日目の仕事が終わりに
「おいマル、今日新人歓迎の食事会いくぞ」
 と鬼主任が声をあげた。
 元慶応ボーイのI君のためのものだ。
 3日目のI君はボロボロだった。なにせ15時間くらい立っているうえに、階段を一日中上り下りするのだ。慣れない筋肉を使うため足はパンパン。忙しくなれば飯もろくに食えない。やっと仕事が終わっても、持っているのは汚い寮のベッドだ。正直、よくあの悪臭に耐えられるな、と感心していたほどだ。
 吉原ボーイの仕事に慣れるまでには、3ヶ月は必要だろう。それでようやくソープランドの時間とリズムを体が覚えていく。
 勉強ができる環境がいかに恵まれたものか、彼もきっと痛感したことだろう。僕ですらそう思ったのだから。

 午前2時過ぎ、ようやく業務が終わり、焼肉屋Tに鬼主任とボーイ数名で出掛けた。主役はもちろんI君だ。
 焼肉屋の席でもI君は僕の隣に座り、あまり“吉原臭”丸出しの人とは関わらないようにしていた。
 冷や冷やのジョッキに注がれた生ビールが運ばれてくる。
「いやー疲れたの~、今日も」
 鬼主任も嬉しそうに杯を傾ける。生ビールを飲む瞬間は最高だった。今日も無事、終わりました。よかったよかった。そんな気分で僕らもグビグビ飲んだ。
「ねえハラミとカルビ、あとライス」
 みんなでどんどん注文する。歓迎会には来なかったが、新店長が「皆で食え」と金だけを置いていってくれたのだ。となれば遠慮はいらない。笑い声が響き渡る店内で、隣のI君をチラリと見ると、あまり飲んでいないし、どうも元気がない。
「どうしたの? 飲んでる?」
 声をかけると
「は、ハイ。すいません。それにしてもユウさん凄いですね。仕事、完璧じゃないですか」
 僕の仕事ぶりをそう評価してくれた。
「いやあ、まだまだダメだよ」
 照れくさくて答えたが、入って3日目の人と、1年近く怒鳴られ続けている人間とでは、違いがあって当然だった。殴られ、物を投げつけられて覚えた技術なのだ。
「それにしても、慶応大学って、すごいね」
 話すことがないので話題を振ってみた。
「いやあ」
 何を言っても寂しそうに微笑むだけだ。
「どうして吉原ボーイになったの?」
 酒の勢いを借りて、ついに核心を突いてみた。(イッセイ遊児)

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コメント

面白い、本当に面白い、ノンキな客には見えない世界だ。吉原のボーイ達の個人的な印象はひたすら低姿勢で嫌な感じはしないのですが、裏では過酷なものがあるのだろうと想像はつきます。

投稿: 千束太郎 | 2008年7月11日 (金) 20時37分

イッセイ様こんばんは。貴殿が記されている上司のキレまくりマネージャーや鬼主任は異常ですね。精神の病に羅患していたのでは?と私は感じざるをえないです。あと、貴殿がRで大変な苦労をされていたのはよく分かりますが、当時、多少なりともましな他店に移ろうとは思いませんでしたか?差し支えなければRを含むこのグループに留まった理由をお聞かせ下されば幸いです。次回も期待しております。頑張って下さい。

投稿: 援護団 | 2008年7月11日 (金) 22時31分

援護団様、いつもコメントありがとうございます。厳しい環境下、どうして店を移動しなかったか?という質問ですが、確かにRグループから逃げ出し、他店に移ったボーイはいました。しかし、それはヘッドハンティングされたのではなく、逃げ出したわけです。以前、ある方のコメントに、吉原は関係者の間では、吉原村と呼ばれている。とありましたが、本当に狭く、逃げ出した奴、とレッテルを貼られて、負け犬のようになりながら、悪口を言われているボーイがいました。僕は、人に悪口を言われるのは構いませんが、自分の心に反する生き方をしたくはなかったのです。生き方が下手なのかもしれませんがね。とにかく、懸命に生きているのに、いじめられている。それに負けたくなかったのです。プライドも、これでもか、というぐらいにズタズタにされると、もう、相手をどうこうしてやろう、などと、僕は考えるのも嫌になってましたね。そして、移籍しなかった最大の理由は、今発表している泡の園です。つまり、ここでの出来事を、見て、聞いて、笑い、泣き、庶民の生き様を書かなければ、生まれてきた意味がないと思っていたからです。それを書くことが、僕の人生の使命だと、真剣に思ったからです。それについては、理由などありません。沸き上がる思いなのです。答えになったかどうかわかりませんが、これが正直な気持ちです。

投稿: イッセイ | 2008年7月12日 (土) 00時48分

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