出歯亀事件の現場を歩く
最近あまり耳にしなくなったが、のぞきをする男を「出歯亀」という。『広辞苑』には「女湯をのぞくなど、変態的なことをする男の蔑称」とあるから、かつてはのぞき以外の変態行為をする男性にも使っていたのだろう。
この「出歯亀」という言葉が生まれて、今年で100周年となる。というのも、この言葉の起源となった殺人事件が、今から100年前の明治41年3月22日に起こったからだ。殺害現場は東京府豊多摩郡西久保(現在の新宿区大久保)の空き地。27歳の女性が乱暴された上、濡れ手ぬぐいを口に突っ込まれ窒息死しているのが発見されたのである。近くの銭湯「藤の湯」からの帰りだった。
この事件は新聞にも大きく報じられ、焦った警察は性犯罪の逮捕歴がある者を片端からしょっ引いて取り調べたという。事件から10日後には20人以上もの
容疑者を取り調べていたというから、かなり乱暴だ。そのうえ警察は34人もの「婦人」を臨時に雇い、おとり捜査までしたという。
そして3月31日別件で逮捕した池田亀太郎(31)が4月4日に犯行を自供する。何度か女湯をのぞいて検挙された過去のある男だった。この池田亀太郎の仕事仲間が「出ツ歯の亀」と呼んでいたと報道されたことから、のぞきが「出歯亀」と呼ばれるようになったわけである。
『広辞苑』にまで「(明治末の変態性欲者池田亀太郎に由来。出歯の亀太郎の意)」と書かれてしまっているが、どうやらこの出歯亀事件は免罪らしい。池田亀太郎は裁判で一貫して無実を主張し、警察から拷問を受けたとも証言した。さらに現場の足跡が彼のものではない、自白調書と死因鑑定結果の絞殺方法の食い違いなどの矛盾も弁護士側が明らかにした。しかし裁判結果は無期懲役となった。検察のメンツが勝ったわけだ。
また「出歯亀」の起源も、「出っ歯」ではなく、「でしゃばり」だという説がある。実際、赤旗事件で市ヶ谷監獄に入獄した大杉栄は亀太郎に会い、「目立つ程の出歯でもなかったようだ」と自著に書き記している。
亀太郎にとっては、とんだ災難というところだろう。
事件が発生した新宿区大久保を歩いてみた。コマ劇場からさらに北に進み、ラブホテルとホストクラブが立ち並ぶ歌舞伎町を通り過ぎ、職安通りを超えると大久保一丁目である。この職安通りあたりから景色は一変する。大久保は日本でも有数のアジアンタウンだからだ。職安通り沿いには、韓国料理のレストランや韓流スターの店などが並ぶ。韓国ドラマがブームになったころは、中年女性が大挙して押し寄せたとも聞く。
この大久保一丁目にある大久保小学校では、全校生徒の57%が外国人だという。つまり学校では日本人がマイノリティーとなる。学校からのお便りも、ボランティアによって英語、ハングル、スペイン語、タガログ語などに変換されている。それが大久保の現実だ。街を歩く人の多くも日本語を使っていない。
被害者が使った銭湯「藤の湯」は事件の影響で客足が遠のき廃業となったが、何かの縁を信じ大久保に唯一ある銭湯「万年湯」を訪ねてみた。受付に座る日本人女性は「わたしが嫁に来て10年。主人が3代目ですよ」と笑顔で教えてくれた。先代はもう亡くなっているとのことだが、もちろん開業して100年はたっていない。
現在の客層については、「韓国の方とか、ほんとうにいろんなお客さんが来ますね」とも教えてくれた。ただ残念ながら「出歯亀」という言葉は知らなかった。万年湯を出て、試しに街の外国人に「出歯亀って知ってる?」と尋ねてみたが、不思議そうな顔で首を振れられただけだった。それはそうだろう。
事件のわずか12年前に大久保村から豊多摩郡に昇格した土地が、ここまで大きな変貌を遂げるとは、当時の人は誰も思っていなかったに違いない。
ただ出歯亀事件の痕跡を奇妙なところで見つけた。大久保の隣にある歌舞伎町が「のぞき部屋」のホットスポットなのだ。
1980年代初頭、「のぞき部屋」は大阪で生まれた。マジックミラーの付いた個室から、女性がトップレスで踊る姿を眺める風俗として大人気となった。歌舞伎町にもかなりの数の店舗が開店したという。しかし性風俗が一気に過激化する流れを受け、のぞき部屋は個室マッサージへと業態を変えていく。しかも85年に施行された新風営法により、のぞき部屋は届け出制となり一気に店舗を縮小していった。
インターネットで調べた限りでは、東京の歓楽街でも「のぞき部屋」はほとんど残っていない。池袋に1店舗、神田あたりに1店舗あるようだが、掲示板にお客が熱心にコメント残すような活気はない。ところが新宿には現在でも4店舗が開業している。昨年10月には人気店だった「ピンキー」が無届け営業したとして経営者が逮捕されたが、新聞には毎日20万円の利益を上げていたとあった。ネットの風俗掲示板にも、この店の復活を望む声が溢れている。かなりの固定客がいたのだろう。
さっそく歌舞伎町ののぞき部屋を訪ねてみた。ドンキホーテの前、歌舞伎町でももっとも人通りの多いメーンロードに面したビルに店舗があることに驚かされる。
受け付けで2000円を払い、盗撮を防止するため携帯電話やバッグを預けて15分ほどショーの開始を待つ。赤いソファが置いてある小さな待合室で男2人が待つこととなった。
何だか気まずい。
やっとショーの開始を告げられ、案内された部屋の扉を開けると、半畳ほどの空間に三脚の丸イスがドンと置いてある。目の前は壁は上半分がマジックミラーになっており、ミラーの枠は15センチ程度出っ張りがある。そこにティッシュが箱ごとガン! その下にはプラスチック丸いゴミ箱。見ながら処理しろということだろう。
部屋の張り紙にはオプションのサービスが欲しい人は、マジックミラーの上のスイッチを押せと書いてあった。2000円払えば手で、3000円払えば胸をいじってよくなり、4000円払えば手が口に代わり胸もいじれるとのこと。
そんな張り紙を読んでいるうちにショーが始まった。黒い花をあしらった白いスカートを履いた女性が、白いフェイクファーのカーペットで体をくねらせる。円形の部屋が薄暗いためマジックミラーでは色が悪い。さっそくミラー中央ののぞき穴からのぞくと、よりハッキリ女性の姿が見えた。
色の白い、目の大きな美人だった。ただ表情がない。トップレスになっても、下半身を手を置いても、すごく静かな目がこちらを見ている。時に窓に近寄り、下半身を近づけてくるのだが、それでも大きな瞳に表情が宿ることはなかった。何だかやるせなくなった。
おそらく池田亀太郎が現在によみがえっても、のぞき部屋の常連になることはないだろう。風俗嬢がこちらを意識している時点で、それはのぞきとは違う代物になってしまうだろうから。
大杉栄が『自叙伝』で書いた「いつも見すぼらしい風をして背中を丸くして、にこにこ笑いながら、ちょこちょこ走りに歩いていた。そして皆んなから、『やい、出歯亀』なぞとからかわれながら、やはりにこにこ笑っていた」という池田亀太郎の印象は、こっそりのぞく気の弱い「出歯亀」の印象と合致する。そんな男が抵抗する女性の視線に耐えられるだろうか?
マジックミラー越しに冷たい視線にさらされ、踊り子の細いパンティーを凝視しながら、なぜか池田亀太郎の冤罪を確信することとなった。(大畑)
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