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2008年6月27日 (金)

『吉原 泡の園』第67回/さよならHちゃん

 主任Kの度重なるいじめに、巨漢のHちゃんが顔の贅肉をブルブル震わせながら言った。
「兵隊がいるから、店が成り立つのに、主任はひどいよ」
 恐らく一対一で喧嘩をすれば、主任Kの3倍はある体格差で、主任Kはひとまたりもないだろう。だが、そんな事をしたらヤクザ同然の幹部連中の御礼参りにあうのは分かっているので、Hちゃんもうかつには手がだせない。つまり牙を抜かれていたのだ。
 当時、体重100キロを超えていた僕ですら、本気でかかれば主任Kならどうか勝てるかもしれない相手なのだ。だから、よく中年ボーイから
「やっちゃえよ」
 などと冷やかし半分で言われたものだった。もちろん、聞こえない振りをしてごまかすしかなかった。もし、それに乗って
「やっちゃいますか」
 などと話し、後で彼に知れたら大変なことになる。
 おかげでボーイの主任Kに対するストレスは相当なもので、Hちゃんも同じ部屋の僕に文句を漏らすのが帰宅後の日課となっていた。
 店では毎日のように皿を落とし、グラスをバンバン割り、その費用が結構かさむのが問題にもなった。割るのはHちゃん1人。ある晩、どうしてグラスをたくさん割るのか、部屋で聞いてみた。
「手、足が震えるんだ。自分ではコントロールできない」
 Hちゃんは、重度の糖尿病だった。インシュリンを打たなければ生活もできないほどのものだ。僕に隠れて、指に針を刺し、血液を採取して、糖度計で血糖値をチェックしていたそうだ。
「マルちゃんの血糖値も見てあげるよ」
 分厚いメガネレンズの奥から、やさしい黒い目が僕を見ていた。
 一瞬だけチクッと針の痛みが走り、血が出てきた。それを専用の機械にとってみる。
「う~ん。マルちゃんギリギリ大丈夫みたいだけど、油断していると危ないね」
 Hちゃんがいったことは当たっていた。医師からも同じことを言われていたのだ。寂しそうに奥さんと子供の写真を見つめ言った。
「僕ね、女子プロレスラーのアジャコングと友達なんだよ」
 プロレスラーとして大仁田厚とタッグを組んでリングで暴れたこともあるそうだ。また、プロレスラーとしていまいち華開かなかったので巡業バスのドライバーをするようになり、アジャコングと仲良くなったそうだった。大切そうにアジャの写真を見せてくれた。
「この人も、苦労してきたからさ、すごくやさしいんだよ」
 Hちゃんが懐かしそうに話していた。それを聞いて、何だか先輩面していた自分が恥ずかしくなった。
 翌日、Hちゃんは主任Sに静岡に帰郷することを伝えた。本来ならば仕事を辞める1ヵ月前に言っておくのが一般常識だろう。だが吉原では突然の“飛び”が主流なので、1週間だけ働いて辞めるといったHちゃんは、ソープ業界の中では律儀といえる。
 主任Sは、それを聞いてとめもしない。使えないもの、やる気のない者は去れ。それがRグループ会長の言葉でもあり、Hちゃんは1週間後、店を去った。去る当日、店に最後の別れのあいさつに来たのだが、みんな素っ気ない。
「Hちゃん、元気でね」
 僕は吉原のメーンストリートでHちゃんと別れた。昼間で客もほとんど歩いていない。吉原を卒業するものは、仕事ができてもできなくても、別れの時はこんなもんだ。
 その日、吉原に面接に来たものもいれば、去るものもいる。無名の大男。静岡から希望を求めて来て、静かに去っていく者を見送った。飛ぶ者、去る者、そんな者を馬鹿にすることなどできなかった。明日は我が身なのだから。(イッセイ遊児)

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コメント

そのHさんはいまどうしているでしょうかね?それにしても吉原は退職し去り行く従業員には非情な街ですね。自分にとって吉原は天国ですが、私が知らない全く別の街の顔を今回垣間みた思いです。

投稿: 援護団 | 2008年6月28日 (土) 03時10分

援護団さん、コメントありがとうございます。私イッセイです。現在の吉原は、当時と比べどうなったのでしょうかね?入りや、メンバーなど気になります。しかし、吉原文化はもっと元気よくあってほしいですね。

投稿: イッセイ | 2008年6月29日 (日) 14時05分

イッセイ様こんばんは。メッセージを頂き有難うございました。貴殿が吉原にいらした頃とは状況が随分と変わりましたね。悪いほうにです。まず数年前に都条例が改正され夜12時の営業終了が義務付けられ、さらに店前での客引き行為が禁止された。特に前者のインパクトは甚大で多くの店の売上減少に影響を与えたようです。最近、警察はソープ店の取締りを強化し昨年は4店舗が摘発、営業停止になった。理由はホスト代金回収やヤミ金絡み、暴力団絡みですね。今年は既に2店舗が営業停止になった。理由は客引きを行ったからでした。あとは、やはり不景気の影響でしょうか、昨年後半からの売上減少の勢いはすさまじく、昨年比で3割も売上が減っている店はゴロゴロあります。土日でも暇でお茶を引く姫は珍しくはない。高級店、大衆店問わずですね。貴殿が在籍されていたグループも経営状態が非常に悪いようです。ガラが悪いグループであるのは私も昔から知っておりましたが、最近特に客離れが深刻なようです。長くなりすいません。吉原は全体的に非常に厳しい状況に追い詰められています。これは確かですね。このボーナス時期にどれだけ稼ぎ挽回出来るかが重要な課題だと思います。

投稿: 援護団 | 2008年6月30日 (月) 00時16分

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