冠婚葬祭ビジネスへの視線/第22回 生前葬自己プロデュースのススメ1
生前葬という言葉をご存知でない人は、今はもうあまりいないかもしれない。しかし、一般の方が頭ですぐさま漢字変換できるようになったのは実は最近のことだろう。昨年で話題になった有名人の生前葬としては、フェミニストの辛淑玉、漫画家の久米田康治、WAHAHA本舗の喰始社長か。ただ、久米田康治の場合はマンガ賞受賞記念と言うことでいささか通常の生前葬とは意味合いが違うが。
生前葬を取り扱っている葬儀社は多い。どんな形でもプロデュースできます、と謳っているが、ちょっと待った。どんな形でもプロデュースできるということは、生前葬にはまだ形式はなし、好き勝手にやっていいということだ。だったら葬儀社に頼む必要は全くないではないか。今回は、オリジナルな生前葬を考えてみたい。ワーキングプアの時代にふさわしく、余計な費用を一切抑える生前葬だ。残された側が主催する時にはあまりにみすぼらしいと体裁が悪い葬式だが、遺体(?)本人が節約したいと言うのなら、遺族(?)には反対する理由もないであろう。
さて、どんなイベントにもひとまず箱が要る。…もしかしたらここで眉をひそめた方がいらっしゃるかもしれない。「葬儀はイベントなのか?」と。以前記事にも書いたように、葬儀は準備期間の著しく短い大イベントである。中身は結婚式や祝う会の類と基本的に変わらない。ひとりを主役にして、人を集めて、主役をちやほやする。シンプルに考えればそれに尽きてしまう。
式場はセレモニーホールを借りればかなり高くつくし、他のサービスもついてきてしまう可能性が高い。ここで試みているのは原価ギリギリの葬式なのだから、葬祭ディレクターもセレモニーレディも必要ない。民間のホールはやめよう。箱はタダに限る。究極は自宅だが、公民館など公共施設なら広く使える。許可が必要だが、普通の葬儀でもバンバンやっているのだから断られる筋はない。なお、屋外でももちろん可能だが雨が降ったときのことを考えると賛成できない。
次に日取りの決定と参列者の割り出しだ。自由な葬儀なので関係ないと言ってしまえばそれまでだが、気になる人は友引を避けよう。普通の葬儀でも「友を引く」として避けられている。引くとは言っても死んでいないのだから基本的に無視していいだろう。日取りが自由に決められるのも生前葬のいいところ。誕生日、記念日、土日祝日など好きに決めよう。
参列者は、本人が自由に選んでいけばよい。何しろ死んでいないのだから、顔も見たことのない親戚や息子の会社の上司といった自分にはまったく来て欲しくない人物がどこかから聞いて駆けつけるなんて事態にはならない。披露宴と同じように、招待状を持っている人しか来ないのだ。自分が明日死んでしまうとして御礼を言っておきたい人を基準に選ぼう。ただ、やみくもに呼ぶと式場の問題で定員オーバーということになってしまいかねない。3つ続きの十畳間でも60人程度が無難だ。現実にはぎゅうぎゅうに詰めて縁側や玄関までじゅうたんを敷けば80人は可能だが、ゆったり座って欲しいではないか。昔から「座って半畳、寝て1畳」と言われる。人間ひとりが占めるスペースのことだ。参考にしよう。実際には「座って半畳」になるのはだいぶ恰幅のある人に限られるが、座れば荷物を脇に置かなければならない。焼香や献灯がある場合には通路確保も必要だ。前のほうには司会席等イベントスペースを設けなければならない…と考えれば、式場に対して余裕を持った定員を考える必要がある。イス式にするのであればイスを並べてシミュレーションしてみればわかりやすい。
さて、次は肝心の中身についてだが、長くなってしまうのでまた来週。なんだか楽しくなってきた。(小松朗子)
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