« ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第8回 残されたグラス | トップページ | 書店の風格/第4回 TSUTAYAサンストリート店 »

2008年5月 9日 (金)

ある意味頑張った船場吉兆

 社長自ら刺身を使い回したとは、なかなか思い切った行動に出たものだ。
 そう、船場吉兆使い回し事件である。
 吉兆となれば懐石。だから一品一品が客の前に置かれている時間は短い。とはいえ手を付けていない皿をすぐに下げるわけにはいかない。しかも刺身が出てくるのは先付け、吸物も続く3品目である。まだお酒が進んでいるころの皿だから、早くても15分近くは客の前に置かれていたはずだ。
 これぐらいの時間で刺身が変色するとも思えないが、生ものだけに社長の行為が料理人に与えたインパクトは大きかったろう。料理人の緊張の糸が一気に切れ、刺身が使い回せるなら焼き物はすべてOKだと思ってもおかしくない。

 新聞報道によれば、銀ダラやハモ、牛肉などの焼き物、さらにアユの塩焼きも使い回しされていたという。これらを自分が食べて気づけるかというと自信がない。まず、アユの塩焼きについては、夏に露天などで売っている鮎でさえ「ウマイ、ウマイ」と食ってしまうのだから焼き直しに気づくはずがない。銀だらにいたっては味の濃い粕漬けとかなら絶対2度焼きを見破れないし、塩焼きでも油が多い魚だけにムリ。牛肉なんて最初がレアに焼いてあれば、火を入れ直したってこんなものかと思いそうだし……。見破れる可能性が若干でもあるとしたら焼きハモだろうか。繊細な味わいだけにって、いや、よく考えたら味が繊細過ぎて、いつもどんな味か思い出せないのに見破れるわけない。
 となると私は船場吉兆でも特に不満はないってことになる。

 船場吉兆には訪れたことはないが、以前に京都吉兆にはうかがった。とても緊張する食事だったので味はよく覚えていないのだが、まあ、場を保たせるという意味合いではよい店だったという印象がある。京都吉兆とすれば同じ括りにされるのも癪だろうが、事件発覚前の船場吉兆も似たような評価だったのではないか。
 ネットの情報によれば、船場吉兆のお値段は、お座敷で懐石コース料理を食べると昼で26250円から、夜ともなれば36750円である。ここまで高くなれば客が求めているのは味だけではない。欲求は好みの分かれる味よりも、空間やサービスに向かっていく。会合に向いているかどうか、招待する自分のメンツが立つかどうかが重要なのだ。そういう意味では落ち度のない料理さえ出してくれれば、もだえるほど美味しくなくとも「名店」としてやっていける。
 ただし、こういった店で鳥肌が立つほど美味しい食事に巡り会うことはない。なぜなら料理人がだれるからだ。祇園の千ひろ、駒場東大前のミラヴィル、ジャック・ボリー時代のロオジエ、一口食べた途端身もだえた名店はどこかに緊張感が漂っていた。ギリギリまでウマイものを追求しようとする緊迫感が、温かなサービスと別に店を覆うからだろう。
 逆に社長自ら刺身を使い回した姿を見れば、厨房はソコソコの料理でいいかという気分に満ちる。残念ながら、そんな場から最高峰の料理は生まれない。

 以前、箱根で素敵なフレンチをだすホテルがあった。夜のフルコースはもちろん、朝のリゾットまで一切手を抜かなかった。20年ほど前、生まれて初めて食べたリードボーは、今でも鮮明に記憶に残っているほどだ。
 ところが10年ほど前にオーナーとシェフが経費削減の問題でもめ、シェフは独立して北海道に店を構えてしまった。そこから料理の味はもちろんサービスの質も低下していった。
 数年前に久しぶりに訪ねたら、もう店を包んでいた緊張感はまったくなく、以前のレシピをまねて作ったであろうトンデモない料理がテーブルに並んだ。当然、ホテルとしての付加価値はなくなり、値下げ競争の第一線で「活躍」するホテルとなってしまった。
 そんな凋落を目にしているだけに、20年前から緊迫感を失ってようもったな、と船場吉兆には妙な感心をしてしまった。(大畑)

|

« ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第8回 残されたグラス | トップページ | 書店の風格/第4回 TSUTAYAサンストリート店 »

グルメ・クッキング」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ある意味頑張った船場吉兆:

« ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第8回 残されたグラス | トップページ | 書店の風格/第4回 TSUTAYAサンストリート店 »