冠婚葬祭ビジネスへの視線/第17回 ダイヤモンドは永遠の
エターナル・ペンダントというものをご存知だろうか。
遺灰をジュエリーに仕立てたアクセサリーだ。
第15回で紹介した株式会社メモリアルアートの大野屋(長い社名だが正式名称がこれ)も提供している手元供養のひとつで、大野屋では「アッシュペンダント」と称して真珠の中に遺灰をこめたもの、「メモリアルペンダント」と称してホワイトゴールドのペンダントヘッドに遺灰をこめたものがある。最愛の人といつまでも一緒にいたいという遺族の気持ちにうまく応えた品だと思う。
まあ、「ハイ、お父さんの遺灰が中に入ったペンダント」と母親から渡されたらなんだか微妙だが。やっぱり恋人や夫やよくもって自分の子ども(持ったことがないからわからないが)位までだろうと思うのは私だけだろうか。遺物として配るような類のものではなく、持つにふさわしい人は限られているような気がする。
さてこの類にはゴージャスなものがある。数年前に一時騒がれたので記憶にある人もいるだろうが、遺灰をダイヤモンドにしてしまうというものだ。ダイヤも灰も炭素系。遺灰をグラファイトに精製→高熱・高圧をかけて圧縮しダイヤモンドを造成→カッティング・研磨という工程を踏んで、灰はダイヤモンドに生まれ変わる。
このサービスで代表的なのはアメリカのライフジェム社、スイスのアルゴダンザ社だ。まず気になるのはやっぱりそのお値段。果たしておいくらまんえんなのか。
各社ホームページにて調べたところ、一番手ごろなのは
アメリカのライフジェム社
↓
0.2カラット(0.20~0.29カラット)
¥400,000 ~¥500,000
スイスのアルゴダンザ社
↓
0.2カラット(0.16~0.25カラット)
\399,000
細かく大きさに応じて価格設定をしているか、認定カラット数ごとに価格設定をしているかという違いはあるがアクセサリー加工をしていないことを考えるとなかなかのお値段だ。しかし記念と考えれば巷の天然ダイヤと価格を比べるような品物でもない。まさに世界にひとつだけのジュエリーになるのだから。
奇想天外なこの企画、しかし墓地不足の日本にとっては将来的に「アリかも」と考える。馬鹿高い墓地と墓石(占めて100万か200万か、上を見ればきりがない)を買ったり待ったりするよりは、一粒のダイヤに40万、そっと箪笥にしのばせる。手ごろだしコンパクトに供養ができる。スリにあったら泣くどころの騒ぎではないけど。スリも嫌だろうな…
あわせて、故人が散骨を希望しているがそれだけではちょっと寂しいという遺族にもすすめて良いだろう。遺髪からダイヤモンドを作れるサービスもあるようだから、献体希望者の髪を加工してもらっても良い記念になる。献体希望者は、亡くなって大学病院などに引き取られれば2年は帰ってこれない。実際、髪やつめを骨壷に入れて供養することが多いのだ。
問題は抵抗感。「遺灰をダイヤモンドに」という感覚が、お骨に対して強い執着を持つ日本人になじむまでどのくらいの年月を費やすか。そしてサービスが普及したとしても、仏壇に納めるものとしてふさわしいかどうかと問われると首を傾げざるを得ない。さらに子どもや女性、ペットはまだいいが「おじいちゃんがダイヤモンドになったよ」と言われてもなんだかしっくりこなくて納得がいかない。なにより自分がダイヤモンドになるとなったら…なんだかニヤけてしまう。「私が死んだらダイヤモンドにして」って、どうよ? シャイな日本人には似合わないこの趣向、やっぱり遺された人向けのサービス。当たり前だけど。(小松朗子)
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コメント
これは純粋に応援歌ですけれども月刊の縛りが在るんだよな。三谷コーキの大河ドラマならばとっくのとーにって、言いたかったんです大畑さんの御ふみにに対して。けど開高ケンの作品は、料理に対してもっともっとエロス即ち生命感をこめているのかもって、そう。でも事料理となれば、凄まじい官能ですよね大畑さんのエロ文章は(とっくに編集長をも超えている、所謂西村ケンタの色気って奴ですよね)。馬鹿ッ、モテるモテないのモノサシを出す阿呆がどこの世界に居るんだよッ、せめてオクダと差し違えて観ろよってのがそもそもの経営方針だったわけだろ、今さら節を屈しやがって……って、そうか宮崎さんは、否イナそんなことって、しんじています。ともかく、月刊というのがセコいんだけれども、エースは筆頭に大畑健在、大畑いつもここに在りってな一途さをかんじました、おわり。
投稿: 巻太郎 | 2008年5月11日 (日) 07時37分