岡ちゃんが管理サッカーだって!
読者の皆様、すっかり更新が遅くなってすみません。いただいたコメントなどにも返せず、こちらもすみません。バタバタ走り回ってばかり……、情けないッス!
というわけで本来なら『誰も知らない靖国神社』を世に出している出版社の者として、靖国神社の映画にも触れるべきだろうし、「弱者・少数者のための雑誌」であることを掲げる小誌として、チベットでの弾圧は許せないと拳を振り上げるべきなのだろうが、頭が回りません……。
ということで、とっても分かりやすい問題、岡田ジャパンをひとつ。
いやー、キリン杯の発表会見後、2時間ものスタッフ会議を開いた日本代表の岡田武史監督のコメントには驚かされた。
「これまでは、こういう時は誰が守備する、などは言ってこなかったが、これからはこういう形でと…。完ぺきには(選手に指示を)与えないが、ある程度は与える」(『日刊スポーツ』08年4月4日)
どうやら「管理サッカー」へと完全に移行するらしい。W杯予選のバーレーン戦で完敗して、「これからは思い通りやらせてもらう」とオシム流サッカーからの離脱を宣言したと思ったら、今度は管理だと!
スポーツは次に何が起きるかわからない。そのうえパターン通りの行動を繰り返していれば、敵は裏をかこうとする。サッカーのように攻守が一体となり、プレーが止まることのないスポーツは特に決まり事をつくるのは難しい。
スポーツで決まり事の多さで有名なのは、ラグビーチーム・サントリーサンゴリアスを率いる清宮克幸監督だろう。3ケタにものぼる約束事があるのは有名だ。しかし清宮監督は「いまのサントリーには、次に決まっているプレー、シークエンス(一連の動き)はひとつもありません」と雑誌(『セオリービジネスvol1』)で発言している。また自身の提案について、「みんなの個性をいかすために、共有するベースをつくることだけ」とも語っている。
つまり決まり事はあるが、そのベースから自由に行動するよう指導しているわけだ。これは「考える」ことを求めたオシム流に近い。
NBAシカゴ・ブルズの名監督として6度のリーグ制覇をなしとげたフィル・ジャクソンは、システムとして非常に難しいトライアングル・オフェンスを取り入れたことで知られる。このシステムを完全に理解しているわけではないが、形こそ決まっているもののジョーダンやピッペンなど才能あふれる選手の個性は尊重している。パスを受けたプレーヤーがショット、パス、ドライブのどれを選択するかは自由なのである。つまり複雑な決まりはあるが、最後は考えて動けということだ。
レベルの高い競争で勝ち星をあげるためには、マニュアルを越えた「自由裁量」の部分が増えてくる。これは考えてみれば当然である。スポーツ以外のマニュアルでも同じなのだから。
カウンター越しに決められたメニューから選ばせるマクドナルドなら、マニュアルさえあればほぼ仕事をこなすことができる。しかし高級フランス料理店のサービスともなれば、客からの料理についての質問もあるし、グラスが空かないように常に注意を払う必要も出てくる。お客の行動パターンが読めない以上、マニュアルだけでは対応できない。
もちろん完全に管理されたプレースタイルで世界のトップになったプレーヤーもいる。ピーカブースタイルを考案したボクシングのトレナーであるカス・ダマトは、ラウンドごとマイク・タイソンにパンチを当てる場所を指示していたという。全盛期のタイソンはこの指示を完璧にこなし、勝ち星を重ねていった。
3分間ごとにインターバルのあるボクシングなら、ラウンドごとにパターンを変えることができる。ましてタイソンほどの豪腕ならパターンを見破っても相手は裏をかきにくい。こうした要素があっての「管理システム」だったといえるが、「管理」しやすいボクシングでさえ絶対に外せないことがある。それは選手からの信頼だ。タイソンはダマトを父と慕い、全幅の信頼を置いていた。だからこそ「管理」に従順だったのである。それが証拠にダマトが亡くなり、タイソンは勝てなくなった。
さて、長々と遠回りしたが、改めて岡ちゃんである。彼は選手から絶対的な信頼を勝ち得ているだろうか。少なくとも新聞報道をみる限り、選手は不信感いっぱいのようだ。
そりゃそうだろう。ワールドカップでは1勝もできず敗退した岡ちゃんを、世界レベルの監督だと思っている選手など誰もいない。日本代表に招集された選手の中には、レベルの高い欧州でのプレーが実現しそうな人もいるだろう。もちろん実際に欧州で活躍している選手もいる。となれば岡ちゃんは格下の監督ということになる。
こんな状況で「管理」は機能するのだろうか?
UEFAチャンピオンズリーグでのフェネルバフチェの活躍をみると、ジーコ流の自由なサッカーが悪かったのではなく、日本代表がそのレベルに達していなかったのかとの感慨を抱くが、といって岡ちゃんの「管理」サッカーで勝ち星あげられるほど世界は甘くない。
国籍の問題で日本代表に外国人選手を使えないのなら、せめて監督ぐらい金にあかせてハイレベルの外国人を招けばいいのだ。オシムが倒れる前あたりから日本人監督待望論が出ていたが、勝ちたいなら別に日本人にこだわる必要もなかろう。スキルの高い監督が言語の壁を越えて機能することは、日本のプロ野球でも証明されているのだから。
いま望むことはキリン杯で完敗し監督が交代することである。というわけで、もう監督を探し始めてもいいんじゃない?(大畑)
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コメント
もしかして、逆もまたしかり、なのでは?
と記事を読んで思ってしまいました。
自分で考えることのできる選手が少ないので、管理サッカーをする方向に転換するしかなくなったとか。。
(サッカーには興味ないので、どんな人たちが日本代表なのかも知りませんが。)
投稿: runtou | 2008年4月 4日 (金) 17時24分