« 乙女的遊戲~オイラ、先生が好きッス~ | トップページ | ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第7回 真っ黒にすすけたタイル »

2008年4月30日 (水)

阿部定事件の現場を歩く

Img_6656  1936年5月18日、左の写真の近辺で日本でもっとも有名な猟奇事件が起こる。不倫相手を殺し、イチモツを切り取って逃げた阿部定事件である。現場は東京都荒川区尾久にあった待合茶屋「満左喜」。当時の『東京朝日新聞』の見出しには「旧主人の惨死体に血字を切刻んで 美人女中姿を消す」とある。
 犯人は芸者や娼婦としても働いた経歴を持つ30歳の美人。被害者は彼女を雇っていた料理店の旦那・石田吉蔵。1週間も待合茶屋に宿泊した末に、旦那を絞殺して陰部を切断、雑誌の表紙にくるんで身につけ、さらに現場のシーツと被害者の左太ももに「定吉二人キリ」と血文字をつづり、左腕には「定」と刃物で刻んだという。しかも18日の朝、阿部定は「水菓子を買ってきます」とタクシーに乗って出かけたて行方をくらませたのだから、当時の人々が熱狂するのも当然だろう。
 定が逮捕される20日まで「定らしい美人を見かけた」との情報が警察に殺到。そのたびに警察が付近を大捜索するため野次馬が退去して押しかけることとなった。銀座ではその騒ぎによって一時は通行止めまで起こったというから尋常ではない。
 現場近くで料亭を営んでいた93歳の女性は、当時を振り返って言う。
「そりゃ大変だったよ。警察は来るし、野次馬は来るしで、大騒ぎ。だって、アレ持って逃げちゃったんだからさ。あんな大事件、尾久の警察じゃあ、最初で最後じゃない」
 実際、新聞には事件現場を見物する人でごったがえす「満左喜」周辺の写真が掲載されている。また当時、12~13歳だったという85歳の元芸者も子どもながらに、その喧噪を覚えていた。
「ここらへんも電話があまりなくてね。新聞記者が自宅の電話を使いっぱなしで離れないのよ。うちの仕事ができなくなるぐらいにさ」

 人々を興奮のるつぼにおとしいれた阿部定事件だったが、人々が定を怖がった様子はない。むしろ同情的だった。凶悪事件にもかかわらず、どこか滑稽で、何かしら悲哀が漂う。
 こうした「雰囲気」を、この事件がまとった理由の1つは定が美人だったことだろう。子どものころから近所でも評判の美人であり、定の友人の母親も雑誌で次のように語っている。
「お定ちゃんはなかなかきりよう好しでしてね。色は白いし、鼻筋はツンと取ってゐるし、口許はしまつてゐるし、まァ強ひて難をいへば、目許が少し上り気味だつた位のもんでせう。相模屋のおかみさんも、定ちやんだけは自慢で、いろんな着物を取り換え着せ換えては、近所となりを連れて歩いたものです」
 また、定の報道を記憶していた93歳の元女将も「キレイな女だったね。小股の切れ上がったイイ女っていうのは、あういう女を指すんだよ」と述懐した。
 さらに定が開いたおにぎり屋「若竹」を訪れ、60を越えた定と話をしたという72歳の女性も「昔はさぞかしキレイだったろうな思わせる顔立ちでした」と話してくれた。

 そしてこの事件を滑稽さを際だたせたのが、イチモツを切り取るという行動だった。
「小さな風呂敷包をいやに大事さうにしてゐましたが、あれが問題の包みなのでせうか、箪笥の上に乗せられたりして何だか嫌な気持ちです」
 待合から逃げた当日、定が変装のために立ち寄った新橋の古着屋の主人が新聞記者に答えたコメントである。この「問題の包み」が指だったら、この発言から受ける印象はまったく違っていたはずだ。
 しかし人々が定に同情を感じた最大の理由は、旦那と女中の不倫という被害者と犯人の関係性にあったと思われる。また殺人現場となった「三業地」の特性が、この殺人の悲哀を深めたのである。

 そもそも三業地とは芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可される区域を指す。つまり芸者のいる花街である。この花街で料理を提供して芸者遊びができるのが料亭。待合は酒だけしか置いておらず、料理は仕出し屋から取り、宿泊もできる施設だった。売春が行われることも多かったとされる。宿泊もできたため待合をラブホテル代わりにも使えたが、値段はかなり高い。
 事件のあった満左喜でも、定は5泊分の料金として当時の公務員の初任給とほぼ同額70円を支払っている。今なら総額20数万、1泊4万数千円を支払った計算になる。つまり三業地そのものが金に余裕のある人しか滞在できない空間だったといえる。

 先述の女将は当時を振り返って言う。
「お客さんがコセコセしてなかったからね。玉代(芸者を呼ぶ代金)が付いているのに、4人の半玉(芸妓)にお小遣い渡して、浅草まで映画見に行かせたりしていたからね。
 だいたいその日にお金をいただくことなんてなかったんだから。いちげんさんは別にして。お金持ち以外来られなかった場所だったよ」
 先述の元芸者の女性も「半玉を50人いっぺんに上げたりしてさ。いい時代だったねー。戦争が近かったっていうけど花柳界は別。みんなキレイに遊んでいた」と、嬉しそうに話した。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

|

« 乙女的遊戲~オイラ、先生が好きッス~ | トップページ | ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第7回 真っ黒にすすけたタイル »

あの事件を追いかけて」カテゴリの記事

コメント

男と女はホント困ったもんだよね。おれにとっちゃサケだなやっぱ、女より

投稿: | 2008年4月30日 (水) 19時21分

この事件を詳しく知ったのは高校生時代のこと。あれから15年余りの間に、数人の男と付き合って、結婚して別れてを経験して、阿部定と同年代になって、ようやく彼女の言うとおり『心から好きになるのは一生に一人』だと分かったのです。今の夫は35歳で好きになったから。いつも阿部定の言葉が頭にあるせいか、事件のゆかりの場所に行ったり本を読み漁ったり。すると、阿部定の甥っ子と幼なじみで実際に阿部定と話たことがある人と顔見知りになり、1987年位に彼女が亡くなったことを知らされました。さらに、現在仕事をしているビル内に入っている会社の社員さん。この人の兄嫁の兄弟が事実婚していた時分の阿部定と交流があったことや社員さんのいとこが浅草で失踪前まで阿部定を世話していたことまで知りました。なんとも不思議なご縁です。宣保愛子さんが阿部定のお墓が谷中にあると著書に書いてあるのが本当ならばいつか偶然見つけられるかもなんて密かに思ったりしています。

投稿: さくらん | 2009年1月31日 (土) 09時11分

小さい頃「アベサダにする」と言う言葉を聞いた事がありました。「アベサダ?アベサダって何?」ずっとそう思ってました。私が18歳頃にやっと大体の事を知りましたが、こんな詳細まで知らず、読んで知れば知る程女の情念に翻弄されたり、正直羨ましさも…。
過去にしたであろう大恋愛を比較しても私には阿部定の様な一人の男性を恋い焦がれ、そこまで情熱的に人を愛せただろうか…あらゆる事を考えさせられた内容てです。現在は完全に世代交代。
今は娘や息子達の恋愛を密かに応援する事しかできないけど、できれば阿部定の様な激しい恋がしてみたい。今からでも…。

投稿: まりぃ | 2009年4月16日 (木) 02時06分

2回目のコメントです。偶然ですね。私も事件現場を訪れた時、いろはという料亭は更地になっていたんです。小畑さんが訪ねた数日後のこと。1994年頃でしたか、阿部定事件を取り上げた番組で満佐喜のあった場所を土地の地主さんが案内していました。角地を差して『ここの一角ですから、満佐喜って待合いさんだったの』と案内していて、その人の背後に料亭とおぼしき古い建物があったので『何か知っている人がいるかも』とわずかな期待を持ったのです。あれから、谷中を散策しては阿部定さんのお墓は・・・とバカらしいことしています。宣保愛子さんの言ったことが本当かどうかも分からないのに。もうすぐ5月18日ですから、あの場所へ行こうと思っています。吉蔵さん、お定さんと再会できたかい?と手を合わせて来ます。

投稿: さくらん | 2009年5月14日 (木) 22時00分

追伸 5月18日、満佐喜跡に行きました。料亭いろは跡は駐車場になっていましたよ。これで、満佐喜跡地に住んでいる人も周辺の人も阿部定事件のことを知らない人が増えるかもしれませんね。つまり、惚れるってことはこれほど激しいものと感じる男と女がいなくなる・・・寂しいことです

投稿: さくらん | 2009年5月20日 (水) 22時55分

お定マニアの為、また阿部定本を買ってしまいました。今回は漫画で、絵を書いたのは私が高校時代から好きな森園みるくさんです。物語は、阿部定の少女時代、娼妓時代、事件に至るまで、出所後を抜粋して描き、最後は尼寺を訪ねて姿を消すで終わっています。定の独り言の中に『お前が一番だよ』『お前が寂しがりなのは一番よく知っている』(吉蔵が定に言っていたこと)『なんで吉蔵はいないんだろう』という言葉はがよく出てきます。定は親や兄弟からもほったらかしにされていたし、娼妓になっても本気で好きになってくれる男がいませんでした。吉蔵だけは家族でも夫でもなかったのに自分を理解してくれたので、独占欲が強くなってしまい、それが行き過ぎてしまったのでしょう。姿を消してしまったのは、やっぱり出所しても自分を理解してくれる人がいなく、吉蔵がいない寂しさに耐えられなくなったからではないでしょうか。今は、家族の絆も崩壊しつつある時代、定のような人が増えないことを望みます。私はあんなやくざみたいな男と結婚してと実家から勘当されましたが、自分を理解してくれるのは夫だけだと思っています。誰がなんと言おうと。

投稿: さくらん | 2009年8月31日 (月) 09時45分

谷中霊園の近くに住んでいます。霊園にあるのは明治初期に男二人を殺害、処刑され、毒婦といわれた高橋お伝の慰霊碑(墓ではありません)です。宜保愛子の書いている通り桜並木のトイレのすぐ横です。類似の事件なので、阿部定と混同する人が多いようです。

谷中霊園は都営墓地で、戦後は遺骨の所有者(遺族)のみが参加できる超高倍率の抽選があり、希望すれば建墓できる霊園ではありません。

宜保愛子も現地を踏査せずに、うわさを鵜呑みにして、書いたと思われます。霊能者と称する人たちの言うことは所詮この程度なのです。

投稿: maykoh | 2009年9月10日 (木) 19時15分

小学生の時だったので、微かな記憶です。川口浩探検シリーズをよくやっていた水曜スペシャルの番組の中に昭和100大事件?というドキュメント番組があり、3億円事件とか吉展ちゃん事件など紹介され、最後に阿部定事件が紹介されて白黒映像でしたが、阿部定さんの動画が流れていて、知り合い?の女性が『お姉さんどこにいるの?会いたいわ』と行方不明の定さんに呼びかけをしていたんです。かなり古い話しだし、水曜スペシャル自体もうやってないし、誰か詳しく知っている人いませんか?

投稿: 麒麟 | 2009年9月25日 (金) 19時34分

マニアなもので・・・。多分9月の間に出回ったスポーツ新聞だと思います。日刊ゲンダイもしくは、東京スポーツで、川島なおみが日活をはじめピンク映画についてコメントしているコーナーがあり、『実録阿部定事件』について、自身もドラマで阿部定を演じたと自慢気にコメント。阿部定に興味を持って、彼女のお墓はどこなのかと気になっていたら、ある人から教えてもらい、熱海駅の近くのお寺に行ってきたとか書いてありました。しかし、私は個人的に嘘くさいと思い、新聞は処分してしまいました。だって、お墓の場所を教えてくれた人が、あの山城新吾だって。彼は根っからの嘘つきではないでしょうが、綺麗な女性に対してはポロッと嘘やデタラメ言いそうです。実際、お墓に行って見たが、住職は92歳で阿部定は亡くなり、身内だけの葬儀をしただけというような説明で、結局お墓はなかった。どうせ、阿部定は熱海にいるらしいという噂に便乗したのでしょう。見つからなかったなら記事にするべきではありませんね。大畑さんはご存知でしたか?

投稿: さくらん | 2009年9月30日 (水) 10時04分

他にコメント寄せて下さった方がいて良かったし、なんとなく区切りがつきました。確かに谷中霊園のトイレのすぐそばに高橋お伝の慰霊碑がありますよね。(回向院のお伝のお墓は小さくて、鼠小僧次郎吉の隣だったぞ)間違えている可能性大です。はじめての愛と阿部定正伝という書籍の内容を総合すると。失踪後、裕福な家に嫁いだ姪とその娘から援助を受けて生活していたのは確かだと思います。熱海の保養所とか老人ホームに入居していたかもしれません。そうすると、川島なお美の熱海のお寺で葬儀をやったという記事はつじつまが合います。お墓がなかったのは、おそらくは定の両親が眠る埼玉県の坂戸市内のお寺に埋葬されたのではないかと思います。姪の娘は、丸山ゆきこさんの取材に対して『おばさん(定のこと)のことを知っているのは母と私だけなんです』と言っていたから、自分達の先祖代々(嫁ぎ先の)のお墓には入れられませんからね。これで区切りを付けたい。坂戸市にいくのは辞めたい。最初の結婚で住んでいたのが坂戸市。嫌な思い出しかありません。しかし、事件が起きた荒川区はすぐお隣だし、阿部定と関わりがあった人と知り合いになったり、しまいは坂戸市に住んでいたりと不思議な縁がある人だった。

投稿: さくらん | 2009年10月19日 (月) 21時05分

そのうち女性週刊誌が書き立てるかもしれないから。男を次々手玉に取って、金を貢がせたり騙し取っている、今話題の豊島区34才の女。阿部定と一緒にするのは辞めて欲しい。私は、金欠鬼(吸血鬼)小林カウとあだ名を付けました。とにかくお金に執着して、大金を巻き上げれば豪快に使い、あら、またこんなに使っちゃったとなれば、関係した男を始末して、血液ならぬお金の補給をするためにさ迷う。人数からしてカウ以上かも。

投稿: さくらん | 2009年10月29日 (木) 12時13分

コレも定さんとの不思議はご縁?京成電鉄の閉鎖された駅に博物館動物園駅があるのは知っていましたが、もう一つ寛永寺坂駅というのがあることを知り、その跡地へ行って見ました。これが駅舎なのかという物でした。近くに寄った時、国旗掲揚台とおぼしき物を見つけ、刻んである文字を見たら、紀元2千6百年記念とありました。どこかで聞いたなあと考えたら、阿部定が刑期を短縮された要因なるものでした。神武天皇即位から数えて紀元2千6百年にあたるってことで。そういえば、元号が平成に変わる際、また恩赦により死刑が無期懲役になるというデマを信じて夕張保険金殺人の被告が控訴を取り下げちゃったなんてこともありましたね。

投稿: さくらん | 2009年12月29日 (火) 19時11分

最近ゾロゾロ出て来ている、所在不明高齢者。彼女も探しているの?

投稿: 麒麟 | 2010年8月 7日 (土) 20時41分

もしかしたらですね。ただ、公表されていないだけで、死亡届は出ているのかもしれません。その前に住民票を移しているかという問題もありますか。

投稿: 大畑 | 2010年9月 2日 (木) 12時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122338/41042715

この記事へのトラックバック一覧です: 阿部定事件の現場を歩く:

» 太ももダイエットの方法│こんな太ももに。。♪ [太ももダイエットの方法│こんな太ももに。。♪]
太もものダイエットをしたいけど、太ももダイエットの方法が良くわからない?という方の為に現在太ももダイエット挑戦中の管理人が解説をします [続きを読む]

受信: 2008年5月 1日 (木) 13時59分

« 乙女的遊戲~オイラ、先生が好きッス~ | トップページ | ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第7回 真っ黒にすすけたタイル »