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2008年4月

2008年4月30日 (水)

阿部定事件の現場を歩く

Img_6656  1936年5月18日、左の写真の近辺で日本でもっとも有名な猟奇事件が起こる。不倫相手を殺し、イチモツを切り取って逃げた阿部定事件である。現場は東京都荒川区尾久にあった待合茶屋「満左喜」。当時の『東京朝日新聞』の見出しには「旧主人の惨死体に血字を切刻んで 美人女中姿を消す」とある。
 犯人は芸者や娼婦としても働いた経歴を持つ30歳の美人。被害者は彼女を雇っていた料理店の旦那・石田吉蔵。1週間も待合茶屋に宿泊した末に、旦那を絞殺して陰部を切断、雑誌の表紙にくるんで身につけ、さらに現場のシーツと被害者の左太ももに「定吉二人キリ」と血文字をつづり、左腕には「定」と刃物で刻んだという。しかも18日の朝、阿部定は「水菓子を買ってきます」とタクシーに乗って出かけたて行方をくらませたのだから、当時の人々が熱狂するのも当然だろう。
 定が逮捕される20日まで「定らしい美人を見かけた」との情報が警察に殺到。そのたびに警察が付近を大捜索するため野次馬が退去して押しかけることとなった。銀座ではその騒ぎによって一時は通行止めまで起こったというから尋常ではない。
 現場近くで料亭を営んでいた93歳の女性は、当時を振り返って言う。
「そりゃ大変だったよ。警察は来るし、野次馬は来るしで、大騒ぎ。だって、アレ持って逃げちゃったんだからさ。あんな大事件、尾久の警察じゃあ、最初で最後じゃない」
 実際、新聞には事件現場を見物する人でごったがえす「満左喜」周辺の写真が掲載されている。また当時、12~13歳だったという85歳の元芸者も子どもながらに、その喧噪を覚えていた。
「ここらへんも電話があまりなくてね。新聞記者が自宅の電話を使いっぱなしで離れないのよ。うちの仕事ができなくなるぐらいにさ」

 人々を興奮のるつぼにおとしいれた阿部定事件だったが、人々が定を怖がった様子はない。むしろ同情的だった。凶悪事件にもかかわらず、どこか滑稽で、何かしら悲哀が漂う。
 こうした「雰囲気」を、この事件がまとった理由の1つは定が美人だったことだろう。子どものころから近所でも評判の美人であり、定の友人の母親も雑誌で次のように語っている。
「お定ちゃんはなかなかきりよう好しでしてね。色は白いし、鼻筋はツンと取ってゐるし、口許はしまつてゐるし、まァ強ひて難をいへば、目許が少し上り気味だつた位のもんでせう。相模屋のおかみさんも、定ちやんだけは自慢で、いろんな着物を取り換え着せ換えては、近所となりを連れて歩いたものです」
 また、定の報道を記憶していた93歳の元女将も「キレイな女だったね。小股の切れ上がったイイ女っていうのは、あういう女を指すんだよ」と述懐した。
 さらに定が開いたおにぎり屋「若竹」を訪れ、60を越えた定と話をしたという72歳の女性も「昔はさぞかしキレイだったろうな思わせる顔立ちでした」と話してくれた。

 そしてこの事件を滑稽さを際だたせたのが、イチモツを切り取るという行動だった。
「小さな風呂敷包をいやに大事さうにしてゐましたが、あれが問題の包みなのでせうか、箪笥の上に乗せられたりして何だか嫌な気持ちです」
 待合から逃げた当日、定が変装のために立ち寄った新橋の古着屋の主人が新聞記者に答えたコメントである。この「問題の包み」が指だったら、この発言から受ける印象はまったく違っていたはずだ。
 しかし人々が定に同情を感じた最大の理由は、旦那と女中の不倫という被害者と犯人の関係性にあったと思われる。また殺人現場となった「三業地」の特性が、この殺人の悲哀を深めたのである。

 そもそも三業地とは芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可される区域を指す。つまり芸者のいる花街である。この花街で料理を提供して芸者遊びができるのが料亭。待合は酒だけしか置いておらず、料理は仕出し屋から取り、宿泊もできる施設だった。売春が行われることも多かったとされる。宿泊もできたため待合をラブホテル代わりにも使えたが、値段はかなり高い。
 事件のあった満左喜でも、定は5泊分の料金として当時の公務員の初任給とほぼ同額70円を支払っている。今なら総額20数万、1泊4万数千円を支払った計算になる。つまり三業地そのものが金に余裕のある人しか滞在できない空間だったといえる。

 先述の女将は当時を振り返って言う。
「お客さんがコセコセしてなかったからね。玉代(芸者を呼ぶ代金)が付いているのに、4人の半玉(芸妓)にお小遣い渡して、浅草まで映画見に行かせたりしていたからね。
 だいたいその日にお金をいただくことなんてなかったんだから。いちげんさんは別にして。お金持ち以外来られなかった場所だったよ」
 先述の元芸者の女性も「半玉を50人いっぺんに上げたりしてさ。いい時代だったねー。戦争が近かったっていうけど花柳界は別。みんなキレイに遊んでいた」と、嬉しそうに話した。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年4月29日 (火)

乙女的遊戲~オイラ、先生が好きッス~

Vitaminx3  友だちとアキバの某ショップへ行き、そこで互いの萌え(枯れと制服)についてひとしきり語っていた最中。BGMとして流れている曲がどうしても気になった。

 俺を愛せ、俺を愛せ・・・

 どこのBLだよ、どこのオラオラ系だよ。「俺を愛せ」ってどんだけ図々しいんだよ……。沸々とわき上がる怒りのボルテージ。歌に対してツッコミなんて入れちゃイケナイのわかってる。分かってるけど、分かってるけど、エンドレスリピート無限大じゃあ突っ込みたくもなる。
 耐えられなくなって、結局「お前、どこの組のもんじゃーッ!」と、諸悪の根源を探したところそこにあったのはときめきメモリアルGirl's Sideのイラスト集……。
 「うぉっ。キテルが私のこと見てる。キャー、キャー、見ないで見ないでよ!私あなたのこと全力で愛しますから。いえ、今すぐ私のへそくりでお買い上げしますから許してー!!(///」などとは思うわけもなく、とりあえず「頼むよ、耐えられないんだ!」ってわけで見つけたのが、『VitaiminX Evolution』 だった。
 きゃー!これこの間の「B's LOG」で見たお。『ラストエスコート』シリーズを出してるトコがつくったゲームだお。ポペラ絵が好きじゃないゲームだお。いや、でも、これティーチャーが主人公で、同僚教師(文頭のイメージの方々)とムフフ(←死語)ストーリーもできるらしいじゃん! きゃーっ! と、約5秒間の脳内会議が開かれたのは言うまでもないが、白衣萌え以前に、根本的に、イヤ、実生活においても、うーん……、なんて言いますか、昔から先生が好きな私には非常においしい……もとい、嬉しい、うーん、とにかく面白そうだったので遊ぶことにした。君に決めた!

 正直な話、手にしたのはよいもののあんまりおもしろくなさそうに思ってしまったのは紛れもない事実。それは否定しない。絵もビミョーだし、ポペラ長そうだし。……それを言ったらときメモの長さはどうなるんだ。
 とりあえず1ヶ月ぐらい放置した。したんだけど、とりあえずPS2のときメモも主要男子キャラ8人からの告白も受け終わり、とうぶん若王子先生もいいかな……と思っていた新緑の頃、ふと思いだしやってみたら大ハマり。

 D3パブリッシャー製品に関しては、ラスエス2にがっかりしたばかりで、これ以上傷口に塩を塗るような真似はしたくないな、という私の第一印象を裏切ってくれた。
 なにがいいって、システムが斬新。だいたいにおいて恋愛シミュレーションやアドベンチャーは、選択肢を選ばせて先に進むが、これはひたすら「スルー」と「ツッコミ」を入れる。選択肢はお情け程度に入っていて、激しくエンディングに関わるわけではない(ティーチャーの選択肢は関わるが)。選択肢で手に入るポイントはボーナスのようなもの。スルーとツッコミでコツコツと恋愛値(スルーにより加算)と偏差値(ツッコミにより加算)を上げていくことでエンディングが変わる。
 非常に簡単。単純明快お茶の子さいさい。シナリオも充分におもしろい。よくまぁ、こんな物語が作れるなーと感心してしまった。1章1話形式で全12章。エンディングは3つで、その他ストーリーが3つとやりごたえあり!
 ちなみに先生ルートは、2章立てでエンドは3つ。もちろん私は、恋愛値MAXで恋愛エンドまっしぐら。猫まっしぐら。究極の選択も恋愛しか選んでないゼ!キシシシシ。究極の選択を出すために、2章のクイズを何回も解いた(教師ルートの場合、2章はアクションポイント全部と、最後のテストで8問以上を出さないと究極の選択がでないらしい)。数学担当の衣笠タソなんて何回やったか……。数学が苦手な自分を恨んだゼ。「ここへ向ける情熱を仕事に向けたらいいのに……」と思っている元教師! そうだお前だ。私の変わりに仕事頑張ってネheart02

 最終的にまとめると、

  1. 設定が斬新でなかなかよかった。
  2. D3Pを少し見直した
  3. 結果的に衣笠タソではなく、鳳先生へのが強かった。
  4. 主人公は俺の嫁
  5. 乙女ゲームもEvolutionしていることがわかった。
  6. 補足として、冒頭の「俺を愛せ」の曲タイトルは『真夜中救世主~ミッドナイト・サルヴァトーレ~』というらしい。

 久々に大笑いしながら遊んだゲームだった。
 次回のレポートはT6の皆様(文頭のイメージの方々)についての予定です。(奥津)

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2008年4月28日 (月)

月刊『記録』5月号の告知

『記録』08年5月号が、今月28日に販売になります。
 今月の特集は「政商・奥田を生み出したマルコス政権」です。政財界と距離を置くトヨタ自動車の体質を「カイゼン」し、政財界支配へと歩み出した奥田元トヨタ自動車会長の軌跡をたどります。

 塩山芳明さんの『奇書発掘』のタイトルは、ズバリ「毒舌おばさんの性感帯。」。今月もヤバイです。本当に……。ちなみに取り上げている本は『小説論 読まれなくなった小説のために』(金井美恵子 著)です、ハイ……。

 最近、テレビや新聞での活躍が目立つ白川徹さんの「忘れられたアフガン国内避難民」は、難民キャンプの病人を日本人が助けることの「意味」を実体験から語ります。友人を病気から救った彼が「ひどいことをしたと思う」と述懐せざるをえなかった厳しい現実とは!?

 新刊『どこかで』(盛満侑斗 著)が発売になります。表紙などは、「出版社アストラのホームページ」まで。

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2008年4月27日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第15回 永代供養「さくら」ってどんなの?

 なんだかお墓の話ばかりが続いて申し訳ないが、今回もまたお墓の話である。別に私が墓好きというわけではない。こんなに取り上げざるを得ないということは、今、お墓が葬祭ビジネスにおいて大変重要なポジションにある、ということに他ならないだろう。どうしてセレモニーではなく、お返しの品でもなく、仏壇でもなく、お墓なのか。理由は墓の必要不可欠性にある。
 まずは葬祭業界の主役といってもいいだろう、セレモニーの部分。これは年々簡素化してきている。最近は直葬といって、祭壇の前で葬儀をせずに火葬場でいささかばかりのお弔いをして済ましてしまう形式がじわじわと増えているらしい。形骸化どころか、あってもなくてもいいものとしての地位を着々と築いているのである。無論、式の簡素化にしたがって香典の中身もお返しも簡素になりつつある。
 つぎに仏壇。これはモダンなものを取り揃えたりと頑張っているアーティスト系の仏具屋もあるが、持ち家率の低下と無宗教葬の出現にダブルパンチを食らっている。
 さて問題の墓であるが、これは根本的に、必要なものなのである。それが既出のものとは違う。
 何ゆえ必要か。
 骨という現物が、残るからである。

 ここでただ「墓は必要なもの」と言ってしまうと語弊が生じるだろう。墓を必要としない弔い方はある。散骨がその代表格だ。しかし、埋めるにせよ撒くにせよ「処理しなければならない」現物としての骨がある。家族の骨をその辺にうっちゃらかして平然としていられるような心臓の持ち主は稀有だ。なにがしかの対処が必要であり、そして対処が必要なところに、自然とビジネスが生まれる。

 ここで紹介する骨供養の方法「さくら」は、㈱メモリアルアートの大野屋が3月にオープンさせた『神戸聖地霊園』で行う樹木葬だ。墓地としての許可を得た区域に、桜の樹を墓標として植えたて、遺骨を根元に埋葬する。

 この方法だと遺骨は土に還ることになるが、散骨などの「自然葬」といわれるものとは若干違うことに留意したい。「自然葬」は、墓を必要としない。あとから弔うところの基点がない。しかし樹木葬は、樹木が墓であり、お墓参りの対象となるのだ。

 しかし、この「さくら」は、承継者を必要としない。埋蔵後はそのまま永遠に動かされず、改葬もない。まさに「永代供養」の代金として、個別での納骨なら30万円、共同納骨なら9万円を支払う。墓はあったほうがいい、でもずっと管理できるかわからないという人にはいいとこ取りのプランである。本音を言ってしまえば、そんなんでいいのなら、裏の庭の木の根元に埋めてしまえばタダだよと……まあ法律的にはそれでもいいらしいのだが、ご近所の目が厳しいだろうからね。賃貸住宅ならなおさら。他人から不快に思われないように、お金を払って処理するのだ。

 結構いいプランじゃないの、と好意的に見ていたのだが、実際の風景を見てちょっと凍りついた。これ→http://www.ohnoya.co.jp/cemetery/search_other/651kbs/sakura.html、ちょっと寂しすぎないか? 桜の季節なら華やかでよさそうだけれど、冬の間ずっとこれだと、しかも来てくれる人もいないと、かなり悲しい気がする。これなら富士の樹海でひっそりと骨になってたほうが、まわりにじっとりと色々あって楽しかろうと思うのは私だけだろうか。(小松朗子)

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2008年4月25日 (金)

東京駅・大宮駅コインロッカーバラバラ事件

1987年12月、東京駅八重洲口のコインロッカーから腕などの遺体が複数の袋詰めにされて見つかった。この事件は翌88年1月17日、埼玉県大宮駅のコインロッカーから胴体が見つかり、同じコインロッカーが遺棄現場だったことや両遺体が同一人物(男性)と断定されたことから一挙にヒートアップ。都県をまたいだ凶悪で特異な事件に当てはめられる「警察庁広域重要指定事件」になり得る「準指定」とされた。ちなみに直近の指定事件は87年9月の赤報隊事件だった。この事件は犯行声明で私のいた毎日新聞も(朝日と)同罪などとあったため支局そばにパトカーが常駐して警戒するなど異様な雰囲気が立ちこめていた。

「広域重要指定事件」は都道府県境をまたぐ場合に適用されるので凶悪犯罪がすべてそうなるわけではない。しかし広域で同一とおぼしき犯行がなされる以上、社会不安を招くという点で他の特捜本部事件よりもいっそうの警戒が必要である。それは報道側に立てば取りも直さず決して落としてはならない大ニュースをも意味する。

この事件で最も困難だったのはバラバラの場合に本人を特定する最も有効な部位である手首(指紋)と首が見つからなかった点である。したがってプロの犯罪ではないかと捜査当局も報道陣も当初から疑っていた。冷凍されていた痕跡も後に明らかとなってこの見方が強まる。プロの犯罪となれば誰の頭にも当然「暴力団関係者」のイメージがふくらむ。被害者が中年男性らしきもあって記者クラブでも最初のころは「きっとそうだろう」とうわさをしていた。
ところが日を追うにつれて捜査本部の調べで被害男性は「たくましくない」肉体だとわかる。別にその筋の人はたくましくなくてはならないという決まりはないし、被害者が「その筋」とは限らないから変ではないけれども暴力団同士の抗争の結果という推理は成り立ちにくくなってきた。またプロの手口としたら遺棄した場所が3日ほどで期限が切れる、つまり見つかってしまうコインロッカーというのが腑に落ちない。死後バラバラにされたのはほぼ確実で、見つかった死体から致命傷が見出せないのも困った。
非常に綿密で周到な遺棄方法だが遺棄した場所が間抜けというのはありうるのだろうか。結局のところ首や手首が見つからなければわからない点が多々あり、同時に事件の性質上どこかの駅コインロッカーで首も見つかるのではないかと憶測され、もしそうなったら大大ニュースである一方で発見されるまでは身元不明者の身体的特徴と照合するなど地道な作業にならざるを得ず、次第に捜査本部も情報ナイナイ会見が続くようになり事件は迷宮入りかとの心配が立ちこめてきた。

事件は予想外のところで解決をみる。1年以上たった89年10月、詐欺容疑で身柄を取られていた男性の押収物に被害者とおぼしき首が見つかり逮捕した広島県警などが捜査本部を設置し、首の切断面が東京・大宮の両遺体とほぼ一致するとわかるや殺人事件として捜査を開始した。広島・埼玉・東京へまたがる大事件かと沸き立ち、背後に日本一有名な広域暴力団の存在をうかがわせる傍証も出てきて「役者はそろった!」感が一時は立ちこめる。ところがその後の調べで被害男性は病死と断定された。加害者は詐欺師というお仕事がお仕事なので自らの店舗内で死去した被害男性の遺体処理に困っての犯行だったようである。

さて。事件としてはある意味で竜頭蛇尾だった東京駅・大宮駅コインロッカーバラバラ事件だが私には付随して起きたもう1つの死体遺棄事件が忘れられない。

大宮駅のコインロッカーで胴体が見つかった際、警察は当然のことながら捜査の一環として駅のロッカーすべてを調べた。つまり開けた。するとそこからほぼ白骨化した赤ん坊の遺体が見つかったのだ。この事件自体はすぐに解決する。遺体を預けていた母親が「大宮駅コインロッカーで胴体見つかる!」のニュースをテレビで知り、あわてて引き取りにきたところをお縄となったのだ。どうやら母親は産み落として失神、目覚めた後にまもなく男児が死亡していると知りロッカーへ隠した。
ただその詳報を知るに及んで驚くべき事実がわかる。最初にロッカーへ持ち込んでから発見まで実に約3年も経過していたのだ。前記のように駅のロッカーの使用期限は3日。つまり母親は約3年もの間2日か3日に1度ロッカーへ行ってお金を入れ続けていたとなる。その回数は単純計算しても360回は下らないはずだ。
何百回も我が子の遺体があるロッカーへコインを投じ続けた母親。時々ロッカーも変えていたというから人通りが少ない夜間などに訪れていたのだろう。そんな行動へ彼女を駆り立てたのは何だったのか。愛情?発覚への恐怖?習慣?どれとも言え、どれでもないような気がする。チャリンとかすかな音がすれば後3日、我が子の遺体はロッカーで眠る。その夜に母親は眠れたのだろうか。どんな心持ちでその音を聞いたのだろう。
そしてあの事件がなければ。つまり胴体の遺棄がなければ母親はその行為を続けていたに違いない。あれがなければもしかしたら今でも。となるとバラバラ事件は彼女を御用にした災厄といえる半面で救ったともいえる。それとも彼女にとってロッカー通い自体が救いだったのだろうか。それが救いであっていいのか。

胴体発見で大騒ぎしているなか県警記者クラブで先輩が「本当はこういうニュースこそ記者は追うべきだ」とぼそっともらした。その通りだと思った。(編集長)

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2008年4月24日 (木)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟・第6回 ねじ曲がる金属管

20a_26  客室内の写真。ブロック塀に点々と残る焦げ跡は垂木が打ち付けられていたところである。ブロック塀が黒こげになっていないだけに、一見、火事の現場とも思えかもしれないが、熱によって曲がったであろう金属製のパイプが出火時の惨状を思わせる。

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『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年4月23日 (水)

光市母子殺害事件被告へ死刑判決

無期懲役判決に対して最高裁が「量刑は不当で、著しく正義に反する」「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と高裁へ審理を差し戻した以上は死刑判決しかあり得なかった。上告審での破棄差し戻しの理由には2審まで考慮した被告が未成年(犯行時)であった点や更正の可能性も踏まえた上だったから、ここを差し戻し審で被告弁護側が持ち出しても死刑判決は確実である。

さて以上のような構図での差し戻し審とはどんな意味があるのか。つまり死刑判決以外に事実上あり得ないと最初から決まっている裁判にどんな意味があったのか。

「ある」とする有力な意見は主に法律論に発する。すなわち事実審へ戻した方が自判するよりも被告人の利益にもかなっていると。

でも「ない」ともいえる。おおかたのマスコミは黙っているけれど06年の破棄差し戻しの時点で「これで死刑は決まったな」と報道する側はわかっていたはずだ。もし差し戻し審で無期懲役判決を出しても検察側上告の結果として再び差し戻される公算が大(というより確実)だから。それ以前に上級審にそこまで言われて死刑判決を出さない下級審はあり得ない。被告弁護側は上告するようだが、おそらくは2次上告審では棄却されて死刑が確定するだろう。以上をもって差し戻し審以降、今後そうなるであろう上告棄却まで含めて始めに結論ありきの茶番劇、暗黒司法の最たるものだと批判できなくはない。

では今回の判決を「ない」の立場で批判できるか。司法のあり方にかねてより疑問を抱いている私としては批判したいところだ。しかしこの事件に限ってはどうしても被告を擁護する気になれない。

この事件は大きな流れでみれば永山基準とそれに沿ってきた判例の修正が進んでいるといえよう。かねてから批判されてきた「命の価値」問題が1つ。つまり永山基準で示された被害者の数が2人であっても無期の「量刑は不当」という方向へ変わってきた。と同時に「遺族の被害感情」「社会的影響」も以前より重んじられてきた。
その点で差し戻し審の被告弁護側の主張は拙劣との印象がぬぐえない。判決文で指摘された新供述の「不自然」や「荒唐無稽」は多くの人の意見と同一であろう。なるほど差し戻し以前の殺意などの認定を覆さない限り「特に酌むべき事情」にはならないとの法廷戦術は戦術そのものとしては素朴にわかる。否認以外に方法が思いつかない現状で「起訴から6年以上して新たな供述を始めたのは不自然」(判決文より)とされたら立場がないと一応いえる。
しかし新供述で繰り出されたさまざまは正直いってここに書くのもはばかられる内容だった。遺族でない第三者の私でさえそうなのである。遺族の怒りはもっともであり、むしろ永山基準の「遺族の被害感情」を極大化してしまった結果となった。そればかりか意見表出のやり方の是非はむろんあろうけれど、被告弁護側の主張に対する「社会的影響」を批判の方向へ増大させたのは間違いない。それが事実審における裁判官の心証に影響を与えたとはいわないまでも結果として「虚偽の弁解」により「死刑を回避する事情を見いだすすべがなくなった」と量刑判断されてしまった。
元々1・2審の無期懲役判決は殺意の有無やアリバイなどが争われた結果ではない。したがって差し戻し審が新供述を認めない以上は主に1審判決を逐次追認していくのは当然である。

最高裁が差し戻して死刑が確定したのはこれまで2例。うち前記永山事件は環境の劣悪さに一定の配慮は示されたものの極刑は免れず、福山市女性強盗殺人事件の元被告は更正の余地を最後には否定されたに等しい。だからその線で争っても勝ち目はないと被告弁護側が考えたのは繰り返すけど「戦術」としてはわかる。しかし弁護士法1条に「社会正義を実現することを使命とする」とある以上、たとえ隘路であったにせよ裁判所に「不自然」と連発される新供述ではなく犯行時の被告の本当の心理や犯行後に酌むべき情状を誠実に訴えていった方がよかったのではないかと思えてならない。

しかしそれがなかったならば。具体的にいえば永山則夫元死刑囚にあったような贖罪と推定できるような言動がなかったり、きわめて乏しかったとすれば弁護人にできることは何だったのかと考えると難しい。「荒唐無稽」と決めつけられるような主張をする以外に方法がなかったのか。被告へのアプローチに課題はなかったのか。できればそこが少しでもわかるような2次上告審であってほしい。(編集長)

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2008年4月22日 (火)

萌えずに遊ぶ乙女ゲーム~ヘブン状態再び~

 どうやらあの超絶煩悩108つゲーム『DUEL LOVE 恋する乙女は勝利の女神』の携帯ゲームバージョンがあるらしい。
 公式サイトを見ると、『DUEL LOVE~恋のラウンド放課後編』というタイトルで、どうやら先生との恋愛が楽しめるらしい。
 まぁ、なんて汚らわしい! さっそく遊ばなければ! というわけでプレイした。

 出てくるのは、担任と保健室の先生。白衣眼鏡か、ひげワイルドと主人公。もちろんオレの嫁の主人公を選びたいところだが、主人公は私自身なので選べない。
 とりあえず白衣属性なので保健室の先生(タッキー)にターゲットを絞る。

 先日、メッセサンオーに行ったらレジ脇に「眼鏡ボールペン」というものが売っていた。さりげなく「眼鏡萌え」をアピールできるらしい。さらに、『鬼畜眼鏡』というゲームがあるそうで、眼鏡をかけないとヨワヨワだけど、眼鏡をかけると「鬼畜戦隊攻めレンジャー」に変身する素敵な作品らしい。すごいゲームだな。

 さて話を戻すことにして、遊びました。

 うーん・・・やっぱり主人公はオレの嫁にふさわしい。男の子のみならず先生まで虜にしちゃって、もぉ、このこのぉ~! という感じである。
 内容は非常に薄っぺらい(本編もヘブン状態が面白いだけで内容は薄い)。たしかにミニゲームだからしょうがない。しょうがないけど、ほんの3ヶ月で先生とアハンってどうなのよ。現実の先生攻略は、若王子先生とのときめき修学旅行よりも難しいんだぞ……。修学旅行のためだけに何回1年半だけやったことか……、ハァ。
 この薄さを考えると本編の隠し要素で入れてよかったんじゃないかと。タッキーの「ようこそ、僕の保健室へ」が音声で入っていないんじゃ意味がないし、入ってなくてもいいから2人クリア後に、タッキーの待ち受け画像でもくれれば……。伊達先輩のヘブンFLASH(待ち受け)だけではだめだ。
 それにしても、このゲームのネタ性は他の追随を許さないほどである。
 DSでCEROCなんて……。汗ふきにシャワー室でフーフーとか、だいたい選手のズボンのローウエスト具合がマジヤバイ。あと10センチ下げたら見えるんじゃね? って考えながら遊んでいましたよ。
 よく考えたら『どきどき魔女裁判』もあるわけだし、いや、ときめきメモリアルGS2ndの大接近モードもヤバイ。 やるな、DS。ライトユーザー向けのソフトしか出していないかと思ったが、ロリ、オタ、腐女子、貴腐人までもカバーしていたとは。侮りがたし。

 感心している場合ではない。

 とりあえず本編でヘブン状態になったからといって、携帯アプリゲームに手を出そうとするならば課金する前に一呼吸してほしい。
 どれだけ保健医(こんな言葉はない)を愛しているのか、どれだけワイルドな髭男爵の虜なのか、それを自分の胸に問いただしてから遊んでもらいたい。
 あれだけしかやらないで315円払うのはチャレンジャーとしか言いようがない。(奥津)

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2008年4月21日 (月)

大道芸を見る!~明日のアイドルを目指せ~

  歩いてすぐというわけで、なにかとホットな話題溢れる秋葉原へ行ってきた。
 平日の秋葉原は少しのオタクと、以外と多い外国人観光客で構成されているが、休日の秋葉原は大勢のオタクと大勢の観光客(一般人?)、そしてアイドルを目指す女の子達で賑わっている。

 明日のミュージシャンを目指す若者は各地域の路上か駅前に集うが、明日のアイドルは秋葉原の路上(道路)にくるのだ。そして彼女たちは唄う。そしてビラを配る。 彼女たちがパフォーマンスをすれば、そこにはカメラを持った男性達がカメラを持って群がる。
 その光景はなかなか特異で、普通、何かのパフォーマンスを見ているときは黙ってみているが、彼らは一心不乱に撮影をしている。撮影後、その写真をどうするのだろうかと不思議に思えるが独特な世界ができあがっている。

 休日の秋葉原歩行者天国を見るのは2度目だが、一定間隔で人だかりができていた。

 一人目は、JR秋葉原駅電気街口をでてすぐの道路脇。不自然に密集した人をかき分け進と制服を着た女の子が一人。ビラを片手に立っていた。被写体と撮影者の距離、わずか1メートル程度。近い。おまえら近いよ!

 漂う香りに30秒でギブアップ。その場を離れ大通りに出る。
 通りを歩くといるわいるわ。

 人だかりのあるところにアイドルあり。目指せAKB48。アキバ発のニューカマー! まずはアニソンのテーマ曲だ。てなぐらいにパフォーマンスをしているわけです。
 中にはホンモノもいるわけだが、だいたいが卵。卵でも人前で何かをするんだからそうとうな度胸である。少し歩いているとドンキ・ホーテの近くに人だかりが。唄っているわけではなくただ立っているだけだが、かなり大きな輪ができている。
 さっそく近づいてみると、ロングヘアのかわいい女の子が。
 チラシをもらうと、Little Nonというグループのボーカルらしい。邦楽はわからないが、TBSの『どうぶつ奇想天外』なら名前は知っている。そのED曲を歌っているらしい。メンバー写真を見ると、ヴォーカルの子をサポートさせるために何らかの思惑が動いたかのように思わせるメンバーの風貌。違うかもしれないが、額近くにそびえる角のような髪型をした人なんて、怪しすぎる。どうやら一目惚れをしてしまったようだ。

 その隣もまた大きな輪ができていて、そっちの子からもビラをもらった。ビラには、どこぞのエロ雑誌かと見間違うような微エロ写真が。このビラを見ると、制服(学生服以外も含む)というのは何かしらの力を持っているのだと実感。制服を着ているだけで人だかりが倍になるんだもん……。私も制服着ながら仕事しようかな。まだブレザーくらいいけるだろ。

 さらに歩を進めると、唄い踊るオニャノコを発見。こちらはアイドルを目指す女の子。愉快な音楽に愉快な踊りを披露している姿と、ビラに書いてある8thライブが路上ライブ8回目ということのようで、プロを目指すアマチュアということでもう少し具体的に宣伝をしてみようと思う。
 ビラ情報によると、名前はYumeさんと言うようで、アイドルデビューに向かって邁進しているそうだ。頑張れ。努力している姿は非常に好感度が高い(in my mind)。是非ともデビューを勝ち取っていただきたい。

 それにしても秋葉原の歩行者天国は混沌としている。明日のアイドルを目指して唄う子と、それをファインダー越しに見つめる男性。
 それはアイドルイベントでの状況と全く同じ。どこが違うかといえば、中央にいる女の子のほとんどが一般人かアイドルに毛が生えたような子たちばかりだ。事務所やテレビ局のバックアップがあるわけでもなく、パフォーマンスをしてビラを配って、どこかで火がつくのを夢見て頑張っている。
 一昔前、私が知っている時代のアイドルといえば、スカウトされたりオーディションを受けたりして、どちらかというと「運」が大きく作用していたような気がするが、ここ最近は、自分から能動的に活動している。街中で唄ったり踊ったりしていれば道が開けると信じていそうな感じだ。
 だいたい「どこどこから出てきた」という場合(クラブシーンで活躍とか)、裏には何か(詳しく書くと消されそうだ)が動き回っているわけで、アマチュアなのに光っているといった事がない限り目にとまることほとんどはない。
 だけれど、いつかはテレビの向こうでキラキラ輝く存在になりたいと夢を見るのではなく、努力する姿はピュアで見ていて応援したくなるのが人情だ。これからもくじけず頑張ってほしい。
 頑張る女の子たちを応援したくなったらぜひとも、日曜の秋葉原へ、レッツゴーです。(奥津)

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2008年4月20日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第14回 秘密の花園★セレモニーレディのお給料

 葬儀式場に立つ一輪の(菊の)花、それがセレモニーレディ。通夜や葬儀ホールや火葬場に行くと、黒系のスカートやパンツスーツでひっそりと姿勢良くたたずんでいる複数の女性がいるでしょう。彼女らのことです。
 石のように立ってるだけに見えるセレモニースタッフ、果たしてあなたたち、おいくらまんえんもらっているの??
 それが葬儀屋在職中、小松が持った一番の疑問だった。田舎の葬儀屋だからこそ、セレモニーレディなんてめったに使うことはないが、たまに大型葬儀で派遣されてくると、彼女らはなかなかにウザい存在なのである。
 美しく保たれた姿勢、慇懃な敬語、取り澄ました表情、誰に対しても態度を変えずとりあえず「人に会ったらお辞儀」。やりすぎだ。
 それで仕事ができるならまだいい。しかし大半はただその場に佇んでいるだけである。こちらとしてもお飾り用に呼ぶわけではないからあれこれと指示はするけれど、忙しいから呼ぶという面もあるからそうそう面倒を見てはいられない。とにかく動いて気づいてそして働けプロならば! と言いたいところをグッとこらえ、大抵は見限って一人で仕事をする。彼女らには神妙な顔でお辞儀だけしておいてもらう。認めたくないところだが、同じ性だからこその敵対心もあるのかもしれない。こちらは遺体や棺も運ぶし化粧もするし祭壇組むしテントだって一人で立てなきゃならないときもあるのに、あんたらは突っ立ってるだけで金がもらえるのかよ! という気持ちがあったことは否定しない。そこを「いやいやこの仕事を選んだのは私だから」と心の中で首を振り、「でも、あんたら幾らもらってんのよ?!」という突っ込みは消えないのであった。

 話が私的方向にブレすぎた。セレモニーレディのお給料の話だが、今回は
・求人情報に待遇を明記してある法人のサイト
・個人ブログ
・コミュニティ
以上の3点からサンプルをとって調査することにした。ネットでの個人的な発言が含まれるため信憑性には欠けるけれど、調べてみたらじゃんじゃん出てくる。とくにSNSのコミュニティサイトは大変参考になった。
総合してみると、時給でもらっている方とひと現場幾らでもらっている方と2種類いる。セレモニーホールのスタッフとして雇われれば時給、セレモニーレディの派遣会社から派遣されるのであればひと現場幾らというパターンが多いもようだ。
で、気になる結果は、平均時給およそ1000円(小松調べ)。

へっ!!

や、安い!

 急にかわいそうになってしまった。「葬式系は給料が高い」というのは定説ではなかったのか? まあ、彼女らの仕事量からしてみれば多すぎる感もあるけれど、しかし驚いたのは「依頼する側」だったことがあるからだ。セレモニーレディの派遣料金は高かった。ひとつのお葬式で一人頼めば10000~15000円がとんでしまう。だからあまり歓迎したくなかったが、いるだけで店が華やかになるキャバクラのお姉ちゃんのように、いるだけでその場の空気が粛然とするのだからやはり大きな葬儀には欠かせない。大企業会長の葬儀に立ち会ったのは汗ミドロで駆けずり回っている現場社員だけでした、ではお客さんに申し訳ないだろう。仕方ないのだ。ないの、だが…平均時給が1000円だとすると、大きな葬儀では準備をあわせて4、5時間程度は立ち会ってもらうので彼女らの取り分は多くて5000円。支払額が10000円。マージンが半分って取りすぎなんじゃ…え? どこも一緒? う~ん、そうだろうか。他の業種についても調べてみないと判らないが。

 にしても、憎むべきは彼女らではなく、派遣会社のほうだったということがわかりちょっとした収穫。
今までごめんなさい、麗しきセレモニーレディのみなさま。(小松朗子)

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2008年4月19日 (土)

書店の風格/第1回 WonderGOO 守谷店

  「吉原 泡の園」もひと段落ついた土曜日連載。これからは新入社員・営業の奥山が、日ごろお世話になっている書店様訪問記を書かせていただきます。「訪問」なんて言葉を使うのもおこがましいくらい、不躾にただただお邪魔しているだけなんですが…アポイントもとらずに押しかけていって突然呼び止めて仕事の手を休ませて、ようするに「今度本を出すので置いてやってください」に帰結する下手な話を繰り出すしかない私なんかを2分でも3分でも相手してくださってありがとうございます。本当に感謝申し上げます。

 というわけで第1回目の感謝はWonderGOO 守谷店様に。
 WonderGOO 守谷店は茨城県守谷市にあるバイパス沿いの大型店舗。同じ店内にTSUTAYA、同じ敷地内にHARD OFF、HOUSE OFF、Right On、カフェなどがあるエンターテインメント空間だ。
 中高生が自転車で出入りするのが頻繁に見られ、若者の遊びスポットになっているもよう。
 店内に入ると手前右側に携帯コーナー、左側にコスメコーナーが見える。真ん中を貫いているのが本のコーナーで、さらに奥のほうにTSUTAYAがある。本のコーナーでは古本も扱っている。新刊本と棚分けはされてあるが、棚自体は同じ物を使っているので見た目は新しい本とそう変わらない。ただ値段が違うだけ、そんな印象を受ける。これなら古本に抵抗のある人も、手が伸びやすいかもしれない。

 ブラウジングしたあと、ケータイ小説の棚に向かった。ここWonderGOO 守谷店は、とくにケータイ小説の売れる大型店舗-そんな風に伺っていたから、一度拝見してみたかったのだ。
 そして、ありました。私たちの『あの頃』が。

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さらに三面で展開されたケータイ小説、およそ80タイトル! どの本も4~5冊程度で積み上げてあり、奥に配置された本も手に取りやすい。手書きのPOPもあり興味を惹かれるし、なにより通路が広く解放感にあふれている。ところどころに試し読みしながらくつろげるソファもある。ゆったり本を選べるこんな環境なら、どれだけ豊富に種類があっても自分だけの一冊をじっくり決められるだろう。まさに本好きにはたまらないお店だ。

 今や若者のアイテムとして市民権を得たかに見えるケータイ小説、今は何が来ているのか? 文芸書担当、Mさんにお話を伺った。

 「全体的に人気のある分野ではありますが、今、強いて言うとしたらコレですかね」
 そう言って示したのは『戦場のサレ妻』(主婦の友社)。上下巻に分かれており、いたってシンプルな真白装丁。たしかチラリと書評を読んだことはあった。が、浮気されてしまった妻(=サレ妻)の内部葛藤から始まり、家庭崩壊へと進む昼ドラっぽいつくりのはず。とすると、ええと、コレを買う年齢層って・・・・・・
 「もちろん、買うのは中高生よりも少し上の世代ですよ。夫婦の物語ですからね。女性だけでなく、男性も買われます。でも、ケータイ小説自体、実際は若者だけじゃなくて少し上の世代の人も買っていきますよ」
 Mさんによると、20代後半と思しき人々も買っていくという。さらには親子で買われるお客様もいるとか。今までどこのお店で聞いても「固定読者層がいる」「若者が買っていく」という答えしか返ってこず、人気があるにもかかわらず閉鎖的なイメージのあったケータイ小説が、このお店では10代女子以外にも売れるという。しかし改めて棚を見て合点がいった。ケータイ小説専用の棚、のように見えるが、ライトノベル風の小説もちらほらと置いてある。そして隣接するのは新刊・話題の本の棚だ。ケータイ小説をひとくくりにしないで、あえて他のジャンルや人気商品に馴染ませる--そんな棚作りが対象年齢の読者のみならず、様々な世代の人に本を手に取りやすくさせているのではないか。

 ケータイ小説=若者の読むモノ、という図式が、ここから変わっていくかもしれない。そう思わせる書店だった。

 棚だし、レジとお忙しい中、にこやかに応じて下さったMさん、本当にありがとうございました!(奥山晶子)

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2008年4月18日 (金)

ケータイ小説の新しい波と『どこかで』

2  2007年度、出版界を席巻したのはケータイ小説だった。日販が公表しているベストセラーランキングによれば、文芸部門のベストテンに5つものケータイ小説がランクインした(表参照……赤がケータイ小説)。じつは、これらのヒットにもっとも驚いたのは編集者だったと思う。

 2002年、ケータイ小説の先駆けともいえるYoshiの書いた『Deep Love』がスターツ出版より書籍化され、累計270万部ものヒットを記録する。それでも出版各社は、この本に冷たい視線を送っていた。主人公の心情を細かに把握できないほど早いストーリー展開、旧来の小説から考えると稚拙な文学表現、そして執拗な性描写。こうした批判は版を重ねても消えることはなかった。そのような業界の雰囲気は、05年出版の『天使がくれたもの』の大ヒットでも変わることはなかったように思う。
 少し過激な言い方をするなら、多くの業界関係者がケータイ小説を「書籍」と認めていなかったのだ。句読点が三点リーダーの代わりに使われたり、詩と同じように句点で文章を切って改行していくケータイ小説ならではの手法にも、出版関係者の多くがアレルギーを示した。編集者として培った「審美眼」が通用しない書籍など、とても認められないというのが正直なところだったと思う。しかし07年に続発したケータイ小説のメガヒットは、そうした問題を吹き飛ばすのに十分だった。

 その結果、08年に入ってからケータイ小説の出版点数は一気に増加。飽和状態となったケータイ市場は、かつてのようなメガヒットを生みにくい状況となっている。ならばケータイ小説のブームは終わりなのかというと、どうもそういうわけでもないらしい。市場が成熟したによる競争が、新たなケータイ小説を生みだしているからである。
 まず、バラエティーに富んだ内容が描かれるようになった。
 かつては恋愛小説が、恋の始まり→薬物などトラブル→失恋→恋復活→彼氏の死などの黄金パターンで描かれていたが、現在はホラー小説など恋愛以外の題材もかなり出版されている。また、男性の作家もちらほらと見かけるようになった。そして、ついには浮気された妻の家庭崩壊を描いた小説まで現れ、それなりの人気を誇っている。
 夫婦仲について描いた小説を女子高校生が競って買うわけもあるまい。コアな購買層が中高生の女子であるが、顧客の裾野が広がってきたことは間違いない。考えてみれば、発売当初の『Deep Love』に夢中になった世代は、20代となり、多くは社会人になっている。彼女たちが自分の年齢に合ったケータイ小説を求めても不思議はない。

 このように多様化しつつあるケータイ小説は、インターネット同様さまざまな層を取り込みながら、予想外の発展を遂げる可能性を持つ。実際、書籍動向に敏感な大手書籍グループ仕入れ担当者からは、「ケータイ小説で理解する哲学なんて本も、これから出版されるかもしれませんね」と話してくれた。2ちゃんねんなどで優しく哲学を解説するスレッドが立っているのをみれば、そうした可能性が低くないとも思う。

Photo_2  このような時期に小社も意欲的なケータイ小説を5月中旬に発売する。盛満侑斗さんが執筆する『どこかで 世界を変える様な優しい唄』(株式会社アストラ 定価1000円+税)だ。ヤフーのブログランキングで高い評価を受け続けてきた盛満さんの短編小説と詩のコラボレーション作品である。10編の短編小説、その1つひとつのストーリーにマッチする詩を並べている。

 17歳の現役高校生であると同時に、サンミュージックに所属するタレントの卵でもある彼の作品は、時に150件以上ものコメントが寄せられる。若い女性読者の心をつかんで離さない彼の作品の魅力にひたるのもいいし、若者の心象風景を探る本としても面白いと思う。
 ぜひご一読を。
 盛満君のブログ「世界を変える様な優しい唄 -どこかで-」は、コチラからどうぞ!

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2008年4月17日 (木)

ホテルニュージャパン火災の爪痕・第5回 原形をとどめない便器

20a_27  この日、部屋を覗いては撮影して、火元の部屋へと近づいていた。そのため焼け跡の惨状はどんどんひどくなっていく。割れてはいるものの洋式便所としての原形をとどめていた部屋(第4回参照)から、まったく跡形もなくなった部屋へ。
 この写真を見ると、どうして死が確実の高層階から人びとが次々と飛び降りていったのか、その理由が痛いほどわかる。
 あの日、この部屋は想像を絶する熱地獄にあったのだ。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年4月16日 (水)

容疑者と元社長と「ダライ・ラマ」

三浦和義氏の呼称について「容疑者」か「元社長」かという問いが今年の某マスコミの入社試験で問われた。海外の捜査機関とはいえ逮捕されているので容疑者で構わないというのが正則だけれども彼に対してメディアは例の「疑惑の銃弾」騒ぎの当時、書き得とばかりにかなりのムチャを報道して後の名誉棄損裁判で多く敗北した経緯もあってかテレビを中心に「元社長」が使われている。
私が新聞社へ入社した時点は容疑者を呼び捨てにする最後の頃だった。したがって80年代末に一斉に「容疑者」をつけるようになった際には違和感を持った。まだ罪と罰が確定していない時点での呼び捨てはよくないとの人権面での配慮と記憶する。
だとしたら三浦氏の呼称も「容疑者」で十分なはずである。しかし「容疑者」付記から20年ほどたつと「容疑者」と付けるのが以前の呼び捨てと同じような意味合いを持ちかねないとの危惧があるようだ。

ちなみに法律では容疑者ではなく被疑者。被害者との区別が分かりにくいからメディアが「容疑者」という造語を作ったという説が有力だ。しかし私は何人かの古い記者から「警察や検察と同じ言葉はなるべく使わない」というスタンスで、つまり当局発表とは距離を置くという気持ちを込めて「容疑者」との語を作ったとも聞いた。
取材の現場では警察官が使う通りの「被疑者」「マルヒ」を、被害者も「ガイシャ」「マルガイ」を記者も使ってコミュニケートするも記事化する際には改める。そこに権力と一定の距離を置くという取材者の矜持があると。
確かに「分かりにくい」説だとメディアが刑事被告人も民事の被告も「被告」で統一しているところが説明できない。民事で訴えられると被告になる。「オレ被告になった」といって大いに警戒された経験がある。
人権への配慮と権力への冷静な距離感が生み出した「容疑者」ならば使用して一向に構わないはずである。

「氏」とするにはためらわれる。しかし犯罪者と決めつけるような呼称は避けたいという場合は意外と多くある。例えば暴力団員が車にはねられたのを記事にするとしよう。抗争などには関係なく純然たる被害者だった時に「○○さん」「○○氏」でいいはずだ。でも何かためらわれる。といってこの場合は犯罪者ですらない。そこで結局「○○組員」などとする。本当に組員か確認した経験もある。その結果として「元組員」とすることも。
暴力団は自らを暴力団とは呼ばない。その点は過激派も同じ。ただ暴力団は存在自体が社会悪との通念があるから被害者だとしても「氏」「さん」とは付けにくい。

で「元社長」である。こういしたムリヤリな肩書きを「氏」「さん」の代わりに付ける場合はいくつかあるが三浦氏の場合は逮捕・身柄拘束という事実があるので限りなく「容疑者」に近いとのニュアンスが込められる。耐震偽装事件の際の姉歯秀次元一級建築士のように。となると結局は「容疑者」と「元社長」に差はないようにも思うがいかがであろうか。
そういえば読売新聞の渡邊恒雄氏の愛称(ですよね)「ナベツネ」にご本人が呼び捨てとは犯罪者以下の扱いだ。名誉棄損だと怒り心頭に発し、以後「ナベツネさん」が通り相場となったこともあった。今では職業によっては呼び捨て原則禁止がある。大工、左官、八百屋には「さん」付けである。百姓に至っては不快用語であり農業従事者などと言い換える。ただし農業従事者自身が「俺たち百姓の誇りだ」などと発言する場合は使用可。
しかし「土方」はそれすらいけないらしい。ホームレスの取材の際「オレだって昔土方をやっていた頃は結構な暮らしをしていた」と発言して記事にする時どうしようかと悩んだ。まさか「オレだって昔建設作業員を……」と書き換えるわけにもいかない。だってそう言っていないのだから。結局は但し書きを付けた上で発言通りを掲載した。

などと考えている最中にチベット問題が発生した。そこでは「ダライ・ラマ」と呼び捨て風である。ダライは歴代の苗字である「ギャツォ」と同義だから苗字と位置づけていい。「ラマ」はイスラームの宗教指導者が名乗る「師」と同じような意味。すると「ダライ師」とするのが一番正しそう。でも「ダライ・ラマ」の呼称は広く知られているから変えるとおかしいと校閲の方から聞いた。ダライ・ラマ師とすると同義反復になってしまうようだ。
でも一般的感覚として「ダライ・ラマは……」という記述は呼び捨てに読めてしまう。ウサマ・ビンラーディン容疑者でさえ当初は「氏」をつけていたのだから多くの人から尊敬を集めている人物を呼び捨て風とするは疑問である。
同義反復が行われて久しい用語もある。アイヌという言葉には広義の「民族」の意味を含んでいるとの有力な説があり、だとしたらアイヌ民族というのはおかしい。天皇の語は紛れもなく尊称だから陛下をつけると二重の尊称となる。まあ天皇陛下は国民統合の象徴だから丁寧に「天皇陛下」とするのに異議はない。でも、ならば「ダライ・ラマ師」もありなのではなかろうか。(編集長)

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2008年4月15日 (火)

ヒアリング・リスニング・英語の聞き取り講座

 もともとゲームは好きなほうだが、それ以上に洋楽が好きだ。中学生の時から聞いているので、10年以上聞いている。
 最初は映画のサントラから入り、ポップ(男性グループ系)→いろいろ→ロック→ポップ(女性アイドル系)→いろいろ(今ココ)と、かなりの偏り具合で聞いてきた。

 

おかげで英語耳

 英語について話していると、多数の人が「聞き取りが苦手」というのを聞いてきた。私の場合、聞き取りと会話はできる方だが英文読解はできない。頭が痛くなる。そのかわり、なまっている英語でも聞き取る自信はかなりある。
 英会話の体験レッスンに行くと必ず、「聞き取り」に関しては「Excellent」と褒められる(会話もできるので、ボキャブラリー増やせば完璧!らしい)。

 ある日、その理由を大まじめに考えてみたところ、「洋楽を聴いてきたからではないか」という結論にいたった。
 叫び声にしか聞こえないメタルや、リリカルサウンダー(注・こんな言葉はない)R&Bなどはさすがに無理だが、ロックやポップなどは3回聞けばほぼ完璧に理解できるようになった。

 3回というところがすごさを感じさせないし、あまり説得力がないようにも感じられる。

 そこは気にしないでおくとして、これから英語の聞き取りを強化したいと考えているのならば、「ヒアリングに強くなる」という宣伝文句に踊らされるより、CMなどで流れていたりラジオで聞いて気に入った曲があったらその曲の入っているCDを買ったほうがいい。
 教科書めいたものだと、「買ったんだからやらなければ」という脅迫観念に苛まれるが、CDだと気が向いたときに聞けるし、勉強をしている気にならないのにずっと聞いているといつの間にか聞き取りができるようになっているという非常に優れたテキストなのである。
 ただここで注意してもらいたいのが、初心者は必ず日本語の解説のついたCDを買うこと。
 安いからといって輸入盤を買うのはダメ。最近は減ってきたものの歌詞カードがついていないからだ。英語の歌詞がついていない場合、日本語訳の載ったブックレットに歌詞が書かれているので、まずはそれを見ながら聞く。
 趣味で聞くのではなくテキストとして使用するならば、英語の歌詞を見ながら聞いて、慣れたら歌詞を見て共に歌う。シンギングも重要。歌の場合の発音は、メロディーに合わせての発音なので気にせず歌う。さらに慣れたら歌詞をみずに聞きながら歌う(動画サイトなどでビデオクリップが落ちていたらそれを見ながら歌ってもOK!)。

 聞いて口ずさむことで覚えるので、上達が早くなる。

 おすすめの歌手は、ダントツでビートルズとカーペンターズ。ビートルズは、イギリス英語で「R」が巻きではないので聞きやすい。カーペンターズは、レロレロしていて聞き取りにくさを感じるかもしれないがおすすめ。
他は、ポップだとメイヤ(スウェーデン人)。ロックでのおすすめは、フーバスタンク(聞き取りやすいロック)。

 超個人的趣味に走ると、P!NK、Slipknot、LINKIN PARK……挙げるとキリがないので以上。ちなみに上記の3つは、上級者向けテキストとなるのでご注意。

 ニーズがあるかどうか分からないが、興味を持たれた方はどうぞ試してみてください。(奥津)

※ゲームは攻略中のためお休み。

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2008年4月14日 (月)

日本をダメにする言葉

●切り替える
スポーツの大会などで負けるたびにアナウンサーや解説者が呼号する。06年ドイツW杯では終了間際にオーストラリアに逆転負け。なのに終えた瞬間から「まだ次がある」「次に切り替えろ」。続くクロアチア戦で引き分けて最後の相手であるブラジルに勝つしか決勝トーナメントへの道が事実上閉ざされたにもかかわらず「奇跡を信じろ」「切り替えろ」。奇跡は起きないから奇跡である。案の定ブラジルには大差負け。やっと「切り替える」が出てこなくなったかと思いきや「次の南ア大会に向け切り替えろ」だって!その南ア大会アジア3次予選でバーレーンに負けたらまたまたまた「切り替えろ」。
切り替えてはいけないのである。というか切り替えてさえいないから負けるのである。「負けたことをとやかく言っても仕方ない」との大声でかき消されるけど敗因の分析と敗北を叱咤する声こそが戦うチームを強くする。ねちねちと敗因を追及し、戦犯は放逐し、必要な人材を招き入れるのが必要だ。ずっと気持ちだけ切り替えていては永遠に栄光はやってこない
●夢
寝るときに見る現象。起きたらたいていは記憶から消えてしまう。ここから比喩的に将来の目標や獲得すべきポジションをかなえる時に使われる。だったら文字通り「目標」「ほしい地位」とすればいいのに「夢」とあいまいにする。このすり替えは「目標をあいまいにする」にほかならない。それがいかに目標達成に障害となるかは各組織論で大声にてとなえられている。
読売球団の上原浩治選手が大リーグ行きを「夢とはとらえていない。目標なので」と発言したは以上の意味で立派だ。「夢」だと原義では「かなわない」が続かねばならない。なのにちまたでは「夢はかなう」などという言語矛盾が満ちあふれている。先の「奇跡」と同様だ。できもしないあいまいなスローガンを若年者に強要したら鬱へ導くのみである。「夢のレベルではかなわない。目標は何だ。具体的に言え」と迫る大人が少なすぎる。それ以前に大人が漠たる「夢」で生きている
●面白い(ないしは「ウケる~」)※正しくは「有卦」?
「笑える」「親しみやすい」というニュアンスで使われる場合が問題。この言葉は「そのニュースは面白い」といった用法もあるのに、こちらの方はどんどん駆逐されて「笑えればいい」の風潮が爆発的に増えている。といって『閑吟集』の有名な「一期は夢よ ただ狂え」(ちなみに「夢」とは正しくはこう使うべきだ)との覚悟もない。東知事や橋下知事を生み出した背景にある。
漱石の『猫』のユーモア表現にニコリともしない若者がいる。「ここはこういう理由で笑うポイントだ」と「説明しなければわからない。そうした彼ら彼女らは教師が壇上で苦しげにせきをしたり、むせ込んだり、転んだり、手に持っていたプリント類を誤ってぶちまけてしまった時に爆笑する。以前ならばシーンとなるケースでだ。むろん若者だけではない。やむを得ない失敗を爆笑する大人社会は至る所である。「笑っている場合ではない」「面白いではすまない」という文化はどこへ行ったのか。かつては東京人の決まり文句だったのに
●国民不在
古舘伊知郎氏の決めせりふ。「国民不在の国会」など。国会議員は国民の選挙で選ばれる。したがって「国民不在の国会」などあり得ないのだ。国民が切実に求めている懸案の解決に国会議員が興味を示さずほったらかしという状況をもってそういうならば国民の選択がいかにいい加減で自業自得に陥っているかをメディアが知らせなければならない
●オーラ
そんなものはない。ないものをあるとするはオカルトである。オカルトを信じた行動の大半は失敗に帰する。仏像には確かに光背がある。あれはオーラなるものの親戚であろうが仏様だからあるのである。
●精神力
同じくそんなものはない。真剣ににらんでも小石一つ動かせないし、不惜身命の境地にあっても結跏趺坐ではサッカーに勝てない。ビジネスでもそうだ。契約が取れないのは精神力が弱いのではなくトークなどに問題があるからだし、営業成績があがらないのは単に生産性が低いだけである。「心技体」とは何だ。技と体は絶対必要だけど「心」は? 「心」って何だ?
「前へ向かっていく精神力(ないしは「心」)が足りない」という現象はたいてい技と体で相手に圧倒されているからである。
●一丸となる
室町時代の「一味同心」あたりと同じことを訴えた言葉なのかね。組織に「一丸となる」などあり得ない。少数のリーダーが高い生産性を示し、ほぼ同数の落ちこぼれが何とかかんとか最後尾でついていき、大多数の中間層がそこそこ働けば御の字である。なるほど成功した組織は一丸となったように見えよう。でも内実は成功体験から美化しているだけ
●元気をもらった
何だそれは。元気とやらの物質が存在して両の手のひらで受け取ったとでもいうのか。「感動をありがとう」も親戚。(編集長)

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2008年4月13日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第14回 火葬船構想のその後

 本連載第8回でも紹介した「火葬船構想」
 「4月には具体的な回答を」とのことだったが、去る4月7日に日本財団より「葬斎・火葬船「そうまる」の構想」という名で報告があがった。
 報告書はなんと161枚にも及ぶ本格的なもの。法に抵触するかと思われる海洋葬などにまつわる問題の解決、「職員は「船員」と位置づけられるか」などといった具体的な疑問についてまで提議し、実現への熱意が感じられる内容だ。

 さて肝心の火葬船、船体はどうやら船舶式になる模様。船舶式と浮体構造式、つまり「客船に火葬炉を乗っけたもの」と「特定の場所に浮いたままの火葬場」と、どちらも視野に入れて検討をなされ、両方の美点欠点が何個となく挙がっていたが、過去に類似例もある(大戦中の氷川丸)などの理由で「本事業での検討主体は船舶方式とする」とある。ただ「利用者の要望がいずれであっても的確に応えられるよう検討を進める」とされている。

 船舶方式となると、客船としても設備を備えた船体にする必要がある。船での葬送を行ううえで同報告書が提案するお別れスタイルとして「ゆったりとしたホテルのラウンジを思わせるようなラグジュアリーな空間で、波の音、宗教者による法話などを聞きながら、静かにお別れのための時間を過ごす」とか、「ホテル並みのサービスが不可欠」と書かれてあるが、ええと、利用者として気になるのはそのお値段である。そのサービス、おいくらまんえん?

 報告書に添付してある「採算検討例」によると、火葬料金は一体10万円。付随する葬儀式も行うとして、式場使用料が21万円。ひゃっほう! 「安いんじゃないの?」と首を傾げる方々、これが官営の火葬場なら住民は無料かタダ同然のところが多いはず。多く見積もっても2万円前後だろう。それが10万円。うむむ! 式場料金だって、公民館や自宅なら(今どきあまり現実的ではないが…)無料だし、民間の葬儀式場でも会員外の価格でもないと21万円などという数字にはお目見えしないはず。庶民に手が届かないと言うほどの額ではないけれど、10万円単位で差額が出るのなら、「陸が混んでるからウチは海で」なんてあっさと引き下がる「庶民」の遺族はそうそういまい。船はできても、もとを取るために満足な稼働率を得るには庶民の支持を得るのが不可欠。魂が海へとむかう美しいイメージを喚起させる新しい神話が必要になってこよう。さてどんな神話が誕生するのか。いまからとても楽しみだ。(小松朗子)

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2008年4月12日 (土)

チキンレース化するた聖火リレー

 聖火リレーがえらいことになっている。ついにサンフランシスコでは聖火が隠密活動をとったという。聖火リレーの一団が巨大な倉庫に消え、1時間後には倉庫から3キロ離れた道路に現れたというから、もう大仕掛けのマジックである。米国だけに、まさかデビッド・カッパーフィールドの仕業ではあるまいな、と疑ったのは私だけではないだろう。

 10日、ジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)会長は聖火リレーについて「中断や中止する計画はない」とIOCの決定を伝えているから、とにかく聖火リレーはマジックを使っても完走させるつもりのようだ。

 しかし聖火リレーがこのような形で人権運動のアピールの場になるとは皮肉なものである。
 じつは聖火リレーは近代オリンピック開始当初から行われていたものではない。始まったのは1936年のベルリン・オリンピックである。
 ベルリン・オリンピックはナチス・ドイツの宣伝として徹底的に利用されたことで知られる。ドイツ民族の優秀性とナチスの権力増大をアピールする場として、オリンピックはまたとない舞台だった。メダル獲得数においてドイツがダントツだったことも、自国の民族優越主義をうまく後押しした。
 当然のことながら聖火リレーもナチスの宣伝用に開発された見せ物だった。ギリシアからたいまつを掲げて火を運ぶさまは、ドイツ国民を熱狂させるのに十分な効果があったという。

 このように国家宣伝に大きな力を発揮した聖火リレーだが、ロサンゼルス・オリンピックではまったく違う役割を担わされることになる。テレビ放映権や五輪マークの使用制限によって、企業から高額のカネを巻き上げたことに成功したロス五輪は、聖火ランナーまでも有料化したのである。この構想にギリシャのIOC委員会は「聖なる火の商品化だ」と大反対したが、結局、反対を貫くことができなかった。そして現在、聖火リレーのスポンサーは大会スポンサーと別に設定されるほどになった。
 つまり国家宣伝のために始まった聖火リレーは、ロス五輪で金儲けの一部となり、今では五輪ビジネスの大黒柱の1つなったわけである。

 そして今回の騒動なのだ。
 この聖火リレー、中国にとっては国家宣伝の一環だったに違いない。チベットの聖地であるヒマラヤ越えを目指すあたりも、いかにもアピールのにおいがする。
 ところがチベットの人権蹂躙に抗議する場として、各国の聖火リレーはかっこうの場を提供した。ここで聖火リレーは国家宣伝でもなく、商業広告でもなく、個人の主張する場としての機能を持ったといえる。

 しかも中国側は国家的な威信を保つため、どんなに反対運動が活発化しても聖火リレーを続けると主張するだろうし、IOCはスポンサーが降りない限り聖火リレーを取りやめることができない。そして人権団体もかっこうのアピールの場を得て、手を引く理由がない。つまり三者三様の思いを抱えたまま、とにかく聖火リレーは続くわけである。誰が根負けして降りるのか比べるチキンレース状態といえる。

 となれば混乱を起こしたない地元警察や委員会などは、それこそ聖火隠しのマジックでも使うしかない。聖火リレーが行われる長野県では「治安がいいから大丈夫」という長野市職員のコメントも伝えられているが、立場の違う者が共有する「宣伝媒体」として聖火リレーが使われている以上、「治安」はいっさい関係ないだろう。

 ちなみに個人的には、どのような形であれチベット解放の運動が世界に波及するのは大賛成である。(大畑)

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2008年4月11日 (金)

東照宮の逆さ柱

今日から金曜日は新しい企画を始める予定だったはずなのだけれど案の定更新されていない。理由があるにはある。単行本の入稿を17日に控え、書店営業、取りまとめ、もちろん編集作業、市場調査、校正、撮影、デザインと1つでもミスしたらお仕舞いという状況なので。
そこに病魔(風邪)に倒れた社員あり。さらに4月は零細でも容赦なく義務となる決算あり。かくして更新がなされていないわけである。おそらく。
土曜名物の「あの事件を追いかけて」も担当の大畑から「今回だけはご勘弁を……」と泣きが入る。小社名物「書けないライター」本領発揮だ。
というわけで私(編集長)が穴埋めのような記事を書いて不始末を気高き読者の皆様へわびるような形となりました。社内の問題でご迷惑をおかけしてすいません。

と心からわびた後に考える。小社において最も忙しいのは誰か。それは私である。別に威張っているわけではなく事実がそうだから仕方ない。他の者も上記理由で忙しかろう。しかし私ほどではない。私ほどでない忙しさでブログの記事が更新できないという問題をカバーするために私が原稿を書いている。したがって私はさらに忙しくなっている。今現在。
これをもって私が最も忙しいとする更なる証拠となろう。日光東照宮の逆さ柱のようなものだ。完璧さを神がねたまぬよう柱の1つをあえて逆さとした。つまり不作法(今日のこの記事のように)をビルトインした。すると形式論としては確かに不作法と映る。でなければ意味がない。しかし実際には「神の怒りを恐れていると柱をあえて逆さとした」という工夫が加わっているという意味において完璧さはさらに増すのだ。そのデンでいけば私は完璧である。
なんてね。たしかこの論理は庄司薫さんの作品で過去に読んだものの引用にすぎない。引用で自らの完璧を証明するなど笑止であった。

実際の私はこれから洗濯機を買いに行くのだ。これが壊れてしまうと1人暮らしではアウトに近い。そして壊れた。ドラム式を狙っている。洗濯機を買いに行く男が直前に威張っていたというジュールな内容となった。そんな意図はなかった。どんな意図もなかった。穴埋めにならないような穴埋めにしようと書き始めてそうはなっていない気がしてきた。などと書きながらオチが付かず焦っている。そうか。この段落自体が要らないのだ。「笑止であった」で終わればよかったのだ……というのがオチということで(編集長)

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2008年4月10日 (木)

ホテルニュージャパン火災の爪痕・第4回 熱で割れた便器

20a_28  火事の熱が本当に怖いものだと実感したのが、この便器だった。もともと白かったはずのタイルが真っ黒なも恐ろしいが、熱によって便器が割れているのには心底驚かされた。
 手に持った懐中電灯に照らされた割れた便器は、人の命など一瞬で奪いさるほどの熱量があったことを物語っていた。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年4月 9日 (水)

巨人軍が弱いのは新興・零細企業並の補強だから

プロ野球の読売巨人軍は栄光ある伝統を持ち、球界では最も豊かな球団である。だからカネにあかせて他球団の主力選手を補強するのだと一般に見なされている。でもそうして強くなるとは到底思えない。
これが新興企業だったらわかる。右も左もわからない状態では取りあえずその世界で実績をなした選手を取れば他の選手のランドマークの役割を果たすだろう。零細も同じ。ただ零細の場合はカネがないので一点豪華主義で拝み倒してくるのだ。サッカーJリーグ開幕前に住友金属がジーコを連れてきたような例である。

新興企業は自由である。なぜならば栄光をつかむのはこれからであり、栄光あってこそ伝統が生まれ、伝統がその会社独自の「作法」を生ぜしめ、時間とともに作法は複雑化し、縛りとなっていくという経緯を持つから。
零細もある意味で自由である。零細であり続けるとは栄光にいつまでもたどり着けないのと同義だ。栄光がなければ伝統は生まれない。生まれたとしても「零細であり続ける」伝統だからチャンスをものにする際にはかなぐり捨てるべき対象である。また零細の多くには独裁者がいて不自由だろうとの憶測もあろうが、現実問題としてちょっと違う。例えば小社の回りには小社も含め多数の零細があり、小社における私のごとくたいていは独裁者が存在する。しかしこの独裁者は零細を維持する程度の能力はあっても、それ以上に発展させる力がない。だから零細のまま低空飛行を続ける。またカネもないので社員をカネで縛り付けることもできない。いわば弱い独裁者である。
したがって安い給料ならば適当にやろう(=自由)という社員のモチベーション?を抑止する力はない。また逆に零細から脱出するすべを独裁者は知らないので「脱出するにはこの方法があります」との提案を社員がしてきたら、その誘惑に負けて許してしまうのだ。
こうした「自由」からおそらく偶然に商機をつかみ、脱出していったのが現在の大企業である。大きくなって過去を振り返ると、その偶然があたかも必然のように思われ、行き当たりばったりだったり風に乗っただけだったというのが真相の発展もまた整然たる物語として企業文化として、伝統として根付いていく。いったんそうなると伝統自体が人を育てるようになり、最後は誇りにまで昇華する。朝日新聞社員が自らを朝日人というように、電通社員が自分を電通人とするように。もう通常の人類とは違うというところまで来るわけだ。

冒頭に述べたように読売巨人軍はそうした会社である。「巨人軍は紳士たれ」の合い言葉の元でヒゲ面を許さない。ヒゲが生えているか否かで打率や防御率が変わるわけじゃないだろうとの発想は私のごとき零細ならではであって、栄光が生んだ作法を伝統ある会社はことのほか重視する。ヒゲ禁止に類する作法はおそらく100を下るまい。その多くは暗黙知である。ほんのちょっとした違いが伝統企業にとっては驚くべき不作法となり、そうした掟破りを白眼視する。新人や実績のない移籍選手ならばその冷たい視線に気づき、次第になじんでいくしかない。だが大物移籍選手はどうか。
彼らはいうまでもなく高い打率や防御率などを求められて招致されている。本人もそれを果たすが役割と心得る。現在のところ巨人軍以上に歴史と実績を有する球団は国内にはない。したがって彼らが前にいた球団は巨人ほどの作法はなく、場合によっては相当に自由であったろう。
となると結果はみえている。大物移籍選手はわけのわからん作法をわけがわからんゆえに時々破っては白い目を向けられる。いちいち覚えていくだけの柔軟性が彼らにあったとしても第一の使命である「数字を残す」に集中できない。受け入れる側に以上のような理解があって配慮をしたとしても今度は作法が身にしみている生え抜き選手が腐ってしまう。生え抜きが伝統を重んじる度合いは以前「『TOKYO』を『YOMIURI』にした罰」というタイトルで(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/10/tokyoyomiuri_b900.html)松井秀喜選手の述懐を紹介した。大変なことなのである。

したがって読売巨人軍は自らの伝統を信じて、多少の低迷は覚悟して生え抜き主体のチーム作りをするしかないのである。今のような方法をとっていたら純粋に戦力が巨大だから優勝ぐらいできるかもしれないけれど、巨人を愛するファンには愛想を尽かされ、新たな野球ファンは訳のわからないチームとしか映らず思い入れようもない。それができない言い訳として「優勝が宿命づけられている球団だから」がある。でも宿命づけられているとの思い込みは過去の伝統に発するのだから、そこを損なっては論理矛盾である。私は密かに今の巨人軍の編成に携わる人たちに伝統への懐疑が生まれているのではないかと心配している。
そうでなければいったん伝統なり何なりをリセットして新興球団としてやり直すのだ。そのために最大の障壁は「監督は生え抜きでなければならない」という伝統だろう。初代の藤本定義監督は彼の現役中にプロ野球がなかったから生え抜きではないのは仕方ない。その後の全監督は今に至るまで現役時代は巨人一筋だった(注:監督兼選手だった中島治康はその時点まで生え抜き。辞任後に他球団でプレー)。藤田元司氏など現役こそ巨人一筋だったものの後に他球団のコーチを務め、それが監督就任の際に問題となった。それほどの純血主義である。ここを変えない限り「一から出直すぞ」とのメッセージはかけ声だけとなろう。最も効果的なのは巨人以上の伝統があるアメリカ大リーグのチームで監督を務めて実績を残した人物を招くことだ。巷間挙がっている次期監督候補は星野仙一氏を除くと一筋組ばかり。これでは何も変わらない(編集長)

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2008年4月 8日 (火)

理性破壊!煩悩炸裂!ゲーム魂~ヒロインは俺の嫁!~

Duel_love  というわけで、密かに話題になっている『DUEL LOVE 恋する乙女は勝利の女神』をやってみた。
 たたきは、「彼を支えるセコンド系恋愛アドベンチャー」「たくましい身体で抱きしめて」。

 ・・・・・・・・。
 
 まずこのゲームの何が話題になっているのかというと、一言でいえば「ヘブン状態」である。プレイ最中に「ボディケア」というミニゲームがあり、それをうまくこなしていくと、「普通→いい感じ→気持ちいい→恍惚」に変化する。その最終段階にある恍惚が例のヘブン状態である。
 ただ、そのヘブン状態もボディケアの手当てや汗ふきでは楽しさを味わえない。やはりそのおもしろさを堪能するならば、マッサージである。
 矢印が4つ出てくるので、出てきたとおりにタッチペンでなぞる。タイミング良くこなすと徐々に男の子に変化が現れる。わかりやすい変化として声が変わる。
 最初が「あ、あ、うん」だったのが、「あぁ、あぁ、うぅ~ん」になり、最終的に「アッー、アッー、アアァッー」(語尾に空気も入っている感じで読んでください)という感じになる。ヘブン状態のときの声は完璧、喘ぎ声。うーん、日頃からエロゲでもご活躍されているだろうし、結構なお手前で。感心します。
 ヘブン状態についての私の感想ですが、あまりおもしろくなかった。引きつり笑いってあんな感じなんだ……という発見をすることができたのが最大の収穫。

Photo  私がこのゲームでウヒャったのは、ヒロインの胸がでかいところ。こういうゲームだとヒロインのスタイルをあまり見ることできないが、今回のヒロインは最高です。特にメイド服なんて最高です。メイド服+ボイン(死語)は、なんて素晴らしいのでしょうか。それこそヘブン状態だね!

 あと一つよかったのが、伊達先輩ルート。
 とりあえず、サブタイトルに勝利の女神が入っているということで、格闘がテーマなんですね。その頂点に立つのがキングで、そのキングが伊達先輩なんですよ。
 その伊達先輩は、非常にオレ様系でいいんですよ。声なんてぴったりですよ。意味もなく2回も攻略した。

 こう書いているとただのキャラ萌えバカにしか思われないのでまじめに書くと、伊達先輩ルートに入ると、ヒロインのキャラクターが鮮明になって、持ち味がうまく生かされストーリーとも合致してシンクロ率が高まる。
 このゲームでの最大の謎であるが、このヒロイン、普通の子なのになぜか格闘センス(戦わないが)があって、転校してすぐにその意味があるのかどうかわからないセンスを発揮するわけですよ。非常に少女漫画的展開ですが、他の男子ルートに行くと、「ヒロイン意味不明、なにその無駄な能力」という気持ちがわくのに、伊達先輩ルートだと、そのアリエナスな性格がぴったんこ。
 なんというか、このストーリーを見せるために、そのた余計な男子キャラを全員攻略させていたのか……?というギモンが出てくるが、非常に単純明快、煩悩炸裂、ハァハァ御免という内容なので許そう。
 正直、伊達先輩ルートだけでいいかな。ホントときめきメモリアル。そのルートでは、伊達先輩というより、ヒロインに80ときめきをプレゼントしたい。ハートばいんばいん。
 この手のゲームでヒロインがグッジョブなのは珍しい。そういう面ではよかった。小林ひとみ最高!(自分のプレイヤー名)。
 ただ、保健室の先生を落とせないのはつまらなかった。エクストラステージとして、保健室にずっと通い続けると、保健室の先生と恋愛モードへ……。先生属性白衣萌え科の私としては、無駄にリロード覚悟で「ようこそ、僕の保健室へ」(こんなこという保健室の先生なんていねーよ)を聞きに行っていたわけで……。その根性と執念を誰か買ってくれ。
 感想として、買ってまでプレイをしたいとは思えない。もし買うのであれば、中古で充分。内容も薄い。値段(メーカー希望小売価格5500円)に見合った商品ではない。 とりあえず伊達ルートはおすすめなので、それだけやってみたい方はどうぞ。(奥津)

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2008年4月 7日 (月)

大道芸人を見る!~ヘブンアーティスト?~

 今回は体調不良のため取材ができませんでした。もうしわけありません。
 ということで、東京都では大道芸人(ストリートパフォーマー)の登録制をとっていることをご存じだろうか。
 都では、東京国際映画祭、アジア舞台芸術祭、都民芸術フェスティバルの開催などの文化政策を積極的に行っている。
 その中の一つにヘブンアーティストというのがある。ヘブンアーティストは、審査によって選定されたアーティスト(大道芸人)にライセンス発行された人たちのことで、それを取得すると駅や公園などを活動の場として使用することが可能となる。
 お上公認のストリートパフォーマーになると、公共の場で活動していても警察官がやってこない…。しかし、以前、ヘブンアーティストに登録しているパフォーマーの人に話を聞いたときに教えてもらったのだが、公演時間が決まっていて、その時間内にすべて(設置~片付けまで)を終わらせないといけないそうで(当たり前か)、終了後は非常に慌ただしいそうだ。話している最中も急いで片付けをしていた。
 ただ、大がかりな装置を使って活動をしている人たちにとっては、場所の提供などプラスになる面も多いらしい。
 都は、「街のなかにある劇場」として都民が気軽に芸術に親しむことによって、アーティストと観客との交流が活発になる。結果、相互のコミュニケーションによって芸術文化が育まれる……ということを狙っているようだ。
 登録しているアーティストがどこで活動しているかを知りたい人は、ヘブンアーティストで調べるとホームページがあるのでそれをみてもらいたい。
 あんなところでやっているんだという発見ができておもしろい。(奥津)

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2008年4月 6日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第13回 潜入! 葬祭派遣

 葬祭派遣というビジネスがある。
 実際には「葬祭にかかわる一切の業務」を派遣対象としているので、葬儀会場でベタつきになることももちろんあるが、その次に多いのが生花店のお手伝い。そして花輪店のお手伝い、テントなど外装のお手伝いと、力仕事が主らしい。
 葬儀は生ものだから、いつ発生するかわからない。急に忙しくなる、急に暇になる、ということが日常茶飯事の職業だ。よってアルバイトを確保することがたいへん難しい。あらかじめシフトを決めてしまうと、結局忙しいときに人が足りなかったり、暇なときに人が余ったりすることを止められない。
 その点、一日単位で人を派遣してもらえたら葬祭業者としてはだいぶ助かるだろう。ただ、問題なのはそのスキル。葬儀の場にディレクターの一人として直接かかわるのならば、ある程度の知識と経験がなければお話にならない。日常には見ることのない仏具や祭壇装飾の部品、一般人には先の見えない段取り、そして今どき尺貫法。
「曲録持ってきて」
「引導のあと、マイクはずして」
「8尺幕張っといて」
 …ありがちな指示だが、素人にはお手上げだろう。ディレクターは仕事中は忙しいのが常で、自分のところの新入社員でもなければいちいち構っていられない。ましてや雇ったその日に役立つ人を遣わすのが派遣業。いったいどの程度の経験があれば一人前だと、葬祭派遣は考えているのか。

 考えるよりも聞くほうが早い。登録だけなら働かなくとも良いであろうと、先日、「未経験歓迎」と銘打ってある葬祭派遣会社に話を聞きに行ってきた。

 最初に経験者であることを告げると、そうなんですか、と言ったあと気まずそうな顔をされた。
「ウチの取引先は葬儀屋さんというよりも、花屋さんが多いんです」
 なるほど、「未経験歓迎」にはそういう意図があったのね。お花屋さんなら、体力仕事が中心。花の名前を覚えるのは大変だけれど、基本的に葬儀の流れに関係のないところにいられる。ただ、お花屋さんでアルバイトするという感覚で考えるとけっこう高い日給。1万円から最高のレベルになると2万円近くまで上がる。
「最初は葬儀会場に出入りするお花屋さんで働いてもらいます。ランクが上がるたびに、モノの名前や仕事の曲流れをどれだけ覚えたか確認させてもらって、だいぶ慣れたら葬祭に移行してもらうんです」
 うーん、なかなかうまい事を考えるではないか。力仕事をしているうちに葬儀の流れを盗み見て覚え、そっちのお手伝いもできるようにしていくという段取りだ。
 一番下のランクからひとつランクアップするには、14日~21日の勤務日数が必要。あとは派遣先の評価によって検討し、面接を経てランクアップ。勤務日数が多くなれば自動的にランクアップするという訳ではないのが良心的だ。長く働くだけ働いてて、全く役に立たないという人もいるだろうからね。そういう人はそもそもどんな仕事にも向いていないわけだが。

 さて、登録会場には他に数名の登録者がいた。今後の抱負を問われたとき、皆それぞれ「お金をためて欲しいものを買いたい」「サービス業のスキルを磨きたい」「とくにない」と答えていたが、若者たちよ、自己実現にしか興味がないのか? 「葬祭」「派遣」で働く上での「抱負」と問われて「ご遺族のお役に立ちたい」とか「派遣先にかわいがってもらえるよう頑張りたい」という回答が出てこないもんなんだろうか。ドライなのもいいけれど、そういう気持ちが微塵もなければ「葬祭」も「派遣」も向いていない気がするんだが…(小松朗子)

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2008年4月 5日 (土)

『吉原 泡の園』第62回/才能は「ほめ倒し」

 千葉県のナンバープレートをつけた4WD。僕が客引きをしていると、その車の主が一軒一軒客引きのボーイに女のコの写真を見せてもらっていた。
 写真の中に気に入ったコがいないらしく、段々とこちらに向かって車が進んで来る。秒殺されたボーイはガックリと肩を落としていた。もし、ここで店のコの写真を見せ、僕の話術で客をくどき落とす事ができたら、メーンストリートの客引きボーイから注目の的だ。
 こんなことで注目されたくないという思いと、マネジャーの手前、R店の面子は汚せないという妙なプレッシャーが交錯する。だが迷っている時間などなかった。後ろでマネジャーが怒鳴っていたのだから。

 心臓のドキドキが止まらないが、車はどんどん僕の方に向かってくる。
「お前、冷やかしかよ、さっさと決めちまえよ、もう」
 ブツブツ言っていたら、隣りの店のボーイも秒殺。車はゆっくりと僕の前に来て止まった。助手席のウインドウが開き、兄ちゃんが体と首を助手席側に伸ばしながら言ってくる。
「どんな感じよ」
 プーンと香水の甘い香りが鼻をつく。
「新人さんからかわいい系まで揃ってますよ」
 僕は得意げにそう言うと、背中側のベルトに差してあった女のコの写真を抜き取り、開いたウインドウから上半身を車の中に突っ込んで写真を見せた。その姿はフロントから丸見えで、マネジャーもときおり様子を覗っている。
 ただ上半身をウインドウに突っ込んでいるおかげで、話している様子までは見えない。とにかく、それとなく仕事をしている風を装う必要があった。アッサリ断られるのだけは避けなければならない。
「秒殺」では見栄えが悪すぎる。

 客が入るかなどハッキリ言ってどうでもよかった。ただ、お客を逃したときのマネジャーへのいい訳や「頑張りました」という体裁は必要だ。後ろに控えるマネジャーへの恐怖と、僕の「誇るべき?」才能が客をとらえた。

 そうハッタリだ!

 嘘は得意だ。もちろん害のないウソだが、ほめ倒しだけは昔から誰にも負けなかった。
「このコ、お客さんみたいな男性がタイプなんですよ。だからお客さんが入ってくれれば、絶対喜んで張り切りますよ。スペシャルサービスなんかがあるかもですよ」
 適当に嘘八百が口からほとばしる。しかもお客は下半身を膨らませた男なのだ。興味を持たせたいなら単純明快。彼らの性欲や妄想を膨らませてやればいい。
 客をタイプの女のコがサービスをしたくて店で待っている、と言いまくった。カネのためではなく、恋愛感情でサービスするのだという客の勝手な妄想を刺激する。絶対に女のコはお客を好きになる、と客をほめて、ほめて、ほめ倒した。
「そうかぃ。へへ。じゃあこのコに決めようかな」
「ありがとうございます。あ、お車はここにこのままで結構でございますよ」
 そう言った後、ニヤリと微笑んでしまった。やはり、売上げを上げたいという気持ちがあるのだろうか?
 店内で一部始終を見ていたボーイ達が、マネジャーに告げる。
「はい、一名様ご案内」
 僕がそう叫ぶと。店内は一気に活気づいた。それまで暇だったからなおさらだ。
 フロントで2万5千円を払っている客をよそに、僕は客の4WDに乗り、店の横にある駐車スペースに移動させた。この時、移動に少しでも時間をかけると、マネジャーから罵声を浴びせられるので車移動も命がけとなる。
 とにかく急ぐ。急ぐので車を擦る事故は後を絶たない。もちろん誰にも言わない。かつてピカピカのジャガーの助手席側ドアをコンクリートに擦った時は、さすがに生きた心地がしなかった。「怖い方」の車だった。あれがバレていたら、指を詰めて泣いて謝るしかなかっただろう。
 今考えてもゾッとする。

 移動が終わると、また客引きに戻る。
 しかし適当にほめ殺してぶち込んだ客はたいがい怒って早あがりしてくる。通常なら30分ほどで、カンカンになって1人階段を降りてくるのだ。これが10~20分で上がるなら、緊急の用事によるはや上がりなのだが……。
 千葉ナンバーのお客は
「おい、もう帰るから車用意しろ」
 と真っ赤な顔ですごい剣幕だった。
「どうなさいました、お客様」
 Tちゃんが白々しく尋ねる。
 もちろん理由は分かっている。ほめ殺しでぶち込まれた客の相手をした女のコは、吉原高級店6万5千円の価値などすっかり忘れ、驚くほどマイペースなのだ。サービスも服も脱がずに手コキのみ。もちろんキスすらなし。
 それはR店のボーイなら、みなが知っていることだ。

 待合室に通し、麦茶で熱くなった頭を冷やさせる。
「手コキだよ、服も脱がないし」
 ああでもない、こうでもないと客は不満をぶちまける。それでも金はびた一文返さない。
「お客様、お車のご用意が整いました」
 客がすごい勢いで店を出て、車に乗りこもうとする。客引きの僕は、最後ドアを閉めてあげるのだが、その時、客が聞いてきた。
「ねえ、ここ有名なR店だよね、高級店だよね、おかしいよ。この店」
「はあ」
 ごもっともな意見だが、それを認めてはお終いだ。僕はとぼけた。
「そうでしたか、またご来店のほどお待ち申しております」
 最後までとぼけにとぼけてそう言ってドアを閉めた。
 ウインドウが開き、客は震えながら言った。
「もうこねーよ」
 ブーンッと黒煙を撒き散らしながら4WDが小さくなっていく。「もうこねーよ」という彼の言葉が耳にいつまでも残った。

 そう、お客さん、あんたは正しい。
 だが、僕は苦笑いを浮かべて、また僕は客引きに専念するのだった。だって、僕はボーイなのだから(イッセイ遊児)

※『吉原 泡の園』は、いったん中断いたします。またイッセイ氏の原稿が溜まりしだい再開する予定です。

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2008年4月 4日 (金)

岡ちゃんが管理サッカーだって!

 読者の皆様、すっかり更新が遅くなってすみません。いただいたコメントなどにも返せず、こちらもすみません。バタバタ走り回ってばかり……、情けないッス!

 というわけで本来なら『誰も知らない靖国神社』を世に出している出版社の者として、靖国神社の映画にも触れるべきだろうし、「弱者・少数者のための雑誌」であることを掲げる小誌として、チベットでの弾圧は許せないと拳を振り上げるべきなのだろうが、頭が回りません……。
 ということで、とっても分かりやすい問題、岡田ジャパンをひとつ。

 いやー、キリン杯の発表会見後、2時間ものスタッフ会議を開いた日本代表の岡田武史監督のコメントには驚かされた。
「これまでは、こういう時は誰が守備する、などは言ってこなかったが、これからはこういう形でと…。完ぺきには(選手に指示を)与えないが、ある程度は与える」(『日刊スポーツ』08年4月4日)
 どうやら「管理サッカー」へと完全に移行するらしい。W杯予選のバーレーン戦で完敗して、「これからは思い通りやらせてもらう」とオシム流サッカーからの離脱を宣言したと思ったら、今度は管理だと!
 
 スポーツは次に何が起きるかわからない。そのうえパターン通りの行動を繰り返していれば、敵は裏をかこうとする。サッカーのように攻守が一体となり、プレーが止まることのないスポーツは特に決まり事をつくるのは難しい。

 スポーツで決まり事の多さで有名なのは、ラグビーチーム・サントリーサンゴリアスを率いる清宮克幸監督だろう。3ケタにものぼる約束事があるのは有名だ。しかし清宮監督は「いまのサントリーには、次に決まっているプレー、シークエンス(一連の動き)はひとつもありません」と雑誌(『セオリービジネスvol1』)で発言している。また自身の提案について、「みんなの個性をいかすために、共有するベースをつくることだけ」とも語っている。
 つまり決まり事はあるが、そのベースから自由に行動するよう指導しているわけだ。これは「考える」ことを求めたオシム流に近い。
 NBAシカゴ・ブルズの名監督として6度のリーグ制覇をなしとげたフィル・ジャクソンは、システムとして非常に難しいトライアングル・オフェンスを取り入れたことで知られる。このシステムを完全に理解しているわけではないが、形こそ決まっているもののジョーダンやピッペンなど才能あふれる選手の個性は尊重している。パスを受けたプレーヤーがショット、パス、ドライブのどれを選択するかは自由なのである。つまり複雑な決まりはあるが、最後は考えて動けということだ。

 レベルの高い競争で勝ち星をあげるためには、マニュアルを越えた「自由裁量」の部分が増えてくる。これは考えてみれば当然である。スポーツ以外のマニュアルでも同じなのだから。
 カウンター越しに決められたメニューから選ばせるマクドナルドなら、マニュアルさえあればほぼ仕事をこなすことができる。しかし高級フランス料理店のサービスともなれば、客からの料理についての質問もあるし、グラスが空かないように常に注意を払う必要も出てくる。お客の行動パターンが読めない以上、マニュアルだけでは対応できない。

 もちろん完全に管理されたプレースタイルで世界のトップになったプレーヤーもいる。ピーカブースタイルを考案したボクシングのトレナーであるカス・ダマトは、ラウンドごとマイク・タイソンにパンチを当てる場所を指示していたという。全盛期のタイソンはこの指示を完璧にこなし、勝ち星を重ねていった。
 3分間ごとにインターバルのあるボクシングなら、ラウンドごとにパターンを変えることができる。ましてタイソンほどの豪腕ならパターンを見破っても相手は裏をかきにくい。こうした要素があっての「管理システム」だったといえるが、「管理」しやすいボクシングでさえ絶対に外せないことがある。それは選手からの信頼だ。タイソンはダマトを父と慕い、全幅の信頼を置いていた。だからこそ「管理」に従順だったのである。それが証拠にダマトが亡くなり、タイソンは勝てなくなった。

 さて、長々と遠回りしたが、改めて岡ちゃんである。彼は選手から絶対的な信頼を勝ち得ているだろうか。少なくとも新聞報道をみる限り、選手は不信感いっぱいのようだ。
 そりゃそうだろう。ワールドカップでは1勝もできず敗退した岡ちゃんを、世界レベルの監督だと思っている選手など誰もいない。日本代表に招集された選手の中には、レベルの高い欧州でのプレーが実現しそうな人もいるだろう。もちろん実際に欧州で活躍している選手もいる。となれば岡ちゃんは格下の監督ということになる。
 こんな状況で「管理」は機能するのだろうか?

 UEFAチャンピオンズリーグでのフェネルバフチェの活躍をみると、ジーコ流の自由なサッカーが悪かったのではなく、日本代表がそのレベルに達していなかったのかとの感慨を抱くが、といって岡ちゃんの「管理」サッカーで勝ち星あげられるほど世界は甘くない。

 国籍の問題で日本代表に外国人選手を使えないのなら、せめて監督ぐらい金にあかせてハイレベルの外国人を招けばいいのだ。オシムが倒れる前あたりから日本人監督待望論が出ていたが、勝ちたいなら別に日本人にこだわる必要もなかろう。スキルの高い監督が言語の壁を越えて機能することは、日本のプロ野球でも証明されているのだから。

 いま望むことはキリン杯で完敗し監督が交代することである。というわけで、もう監督を探し始めてもいいんじゃない?(大畑)

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2008年4月 3日 (木)

ホテルニュージャパン火災の爪痕・第3回 客室に残る炭化した角材

20a_29  ブロック塀の前に炭化した角材。この写真だけをいきなり見せられても、普通なら元がどんな建物か想像することは難しいだろう。まして、かつてはそれなりに名の通っていたホテルの客室だとは、誰が予想するだろうか。

 空気の通るブロック塀に燃えやすい角材、その上にベニアを張って壁紙。そんな建築当時さえ建築基準法に違反している可能性の高い建物が、32年たって大火災を引き起こしたのである。ましてオーナーであった横井秀樹氏は、消防署の指導を無視してスプリンクラーを設置しなかった。

 左奥の壁は角材が打ち付けられた部分だけが黒く炭化し、ベニアはブロック塀を焦がすことなく一瞬にして焼け落ちたということか。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2008年4月 2日 (水)

がんばれ毎日新聞

毎日新聞社に関する悲劇的な出来事が最近になって週刊誌をにぎわせている。

1つは『週刊新潮』08年3月6日号に載った他社に比べて「死亡率2倍」という記事である。発端は組合紙『我ら』(『われら』だったっけ?)の報告から。続いて現役記者とおぼしき方々の悲惨話が続く。
折しも就職活動シーズン。この記事を読んで優秀な人材がAやYに流れるのを憂える。そこで「ご安心下さい」というお話を。

まず『我ら』について。この機関紙は労組によって発行されている。労組にも当たり前だが記者がいる。春闘などタイミングを見計らってさまざまな待遇改善を勝ち取るために必然的に「我らは苦しい」という内容を掲載しなければ組合紙としての意味がない。だから書くまでだ。
ここで注意しなければならないのは組合紙の原稿を担うのが主として新聞記者であるという点だ。さきほど書いているじゃないかって? いやいやここが重要なのですよ。
毎日新聞記者が自らの窮状を訴えなければ意味がない組合紙において、そのネタ元は社内である。すなわち情報源は自らおよび社内である。要するに勝手知ったる我が社を情報源として取材をなりわいとする腕利きの記者が書くわけだから連戦連勝の独占スクープになるわけだ。しかも「悲惨だ」というところに力点を置いた書き方をしないとミッションが果たせないので記者は「泣かせる」切り口で迫る。したがって「死亡率2倍」のようなあっと言わせる記事が登場する。
しかも『我ら』のそれはAやYの組合紙を凌駕すること間違いないはずだ。「はずだ」としたのはAやYのを読んだことがないから。『我ら』の内容は社内にいてさえ「私はこんなに悲惨なのか」と驚くほど厳しい職場環境をこれでもかと鮮やかに提示する。もはや名人芸の域であり一般に販売したら本紙より売れるのではないかというほどの出来栄えである。

加えて社員の労働環境悲惨話もまた噺として確立しているからまともに信じてはダメですよ就活生さん。噺には古典と新作があって古典の方はもはや社内で知らぬ者はない。多分10作はある。例えば1977年に倒産寸前まで陥って「新旧分離」という方式で回避した際に(ちなみに古典の大半は新旧分離頃の発祥)ボーナスが出なかった。そこである社員は妻に「我が社は今後ボーナスは出ない」と告げ、ボーナス復活後もそれで通し、ある日妻にばれて○○という危機に陥った……という噺の知名度は社内で100%だろう。なお○○には諸説ある。
事実に基づく噺と怪しい噺が渾然一体となって生まれ、出来のいいものが膾炙するうちにさらに物語性がグレードアップするという伝承文学に似た構造がある。そういえば「死亡率2倍」も「社員の平均寿命が他社より短い」といった形で20年前からある古典である。それを楽しむという、まあ自虐といえば自虐だけれども、同時に余裕といえば余裕とも解釈できるわけで、豊かな企業文化の一端と理解すればいいのだ。フォローになっているか? うーん。

もう1つは「本社の新聞輸送体制の変更により」との理由で遅配が続いたという問題である。どうやらコスト圧縮のため輸送会社を切り替えた結果として混乱したらしい。これは確かに「企業文化」では済まない。宅配を生命線とする新聞社にとって遅配は致命的である。朝の出勤前に新聞を広げるという習慣が今現在どれほど残っているか不明なれど、そうである読者の方は怒髪天をつくであろう。それ以前に紙が運ばれてこない販売店が激怒する。怒りの度合いは熱心な読者、頑張っている販売店であればあるほど大きいはずだから容易ならざる事態といえよう。
ただ、そうであったとしても高コスト体質を改めようとした努力と実行に移した決断は評価されていい。毎日はテレビという最後の砦を持たない全国紙だ。正確にいえば失って久しい全国紙だ。だからどこぞのようにテレビからの援助も期待できない。要するに自活するしかないのである。だから決行した。つぶれてしまっては永久遅配……じゃなくて永久欠配になってしまう。その前に手を打ったは英断なのである。

これまたフォローになっているか? うーん。(編集長)

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2008年4月 1日 (火)

理性破壊・煩悩炸裂!ゲーム魂!~声に酔え!~

今回からタイトル変わりました。「煩悩炸裂・理性破壊!ゲーム魂」です。
【以下本題】

 乙女ゲームの脳内沸点を上げる最大のツールは、「イヤホン」だ。

 真夜中(最近は夜遊ぶのをやめて、朝から告白されている)に、イヤホンを付けて声を聞く。結果、ときめく。
 萌え死に?キュン死に? なんというか、たまらないね。あまりというよりもまったくもって「声」に対して興味はなかったが……、イヤホン効果で声が好きになった。
 若王子先生(変な名前)の声聞きたさに何回プレイしたか・・・。この声優さん、FFⅦのセフィロスの声の人なのね・・・。今日から若王子先生がセフィロスに見えるようになる。感じとしては、ドラゴンボールのセルが、サザエさんのアナゴさんに見えるのと同じ効果。

 若王子先生→セフィロス→FFⅦがやりたくなる→遊ぶ→柷・ときメモ卒業!→なぜか声優にハマる。

 このようになるのだろうか・・・。

 今回、乙女ゲーム研究をするにあたってさまざまな資料を読んできたが、声優に興味がなかったので注目はしていなかった。
 しかし、ゲームにおける声の役割をまじまじと(改めて?)実感すると、無視できない対象となった。
 長きに渡り登場人物のセリフはカッコ内にありそれを自分で読み上げるシステムが主流だった。それがプレイステーション2以降、フルボイスシステムが増え、ボイスの入っていないゲームに物足りなさを覚えるようになった。セリフを読むよりしゃべってくれた方が入り込みやすい。
 そうすると、キャラクター絵と声のマッチングがカギになってくる。渋い顔なのに、アルトとかソプラノ…お子様声だと気持ち悪いし、だからといってバリトンでも低すぎるのもかえって合わない可能性もある。
 それに、演技力も重要。表情なしに声だけでプレイヤーをときめかせたり泣かせたり嬉しい気持ちにさせられなければ、職人としてはだめ。
 ここ数年、タレントが声をあてている作品が増えてきているが、邪道だ。邪道過ぎる。
 某シュレックの関西弁や、某ハウルの声とか、某シンプソンズの映画版とか……。たまにはまっている人もいるがたいていがだめ。相当声に独特のある人や、特定キャラのイメージが強すぎると、個性が出すぎて違う作品なのにとあるキャラクターが頭に湧いてきたりもするが、声を売りにしている人の声の幅はやはり広い。言われなければわからないときもある。
 セフィロスなんて見ていたにもかかわらずわからなかった(そもそも興味がなかったから繋がらなかったってのもあるが)。クレヨンしんちゃんの声をあてている人もしかりですが。
 二次元や吹き替えはやはり声の演技のプロである声優に勝る者はなく、これ以上、話題性だけでタレントを起用した映画やアニメが増えないことを願いたい。
 やっぱり「声優+絵+イヤホン」の効果は、中毒性が高い。(奥津)

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