ホテルニュージャパン火災の爪痕・第1回 投げ出されたホース
1995年12月、13年もの長きにわたり放置された東京・赤坂の廃墟が解体された。82年に33人もの犠牲者を出したホテルニュージャパンである。その取り壊し直前、私はその土地を所有する千代田生命に建物の撮影をお願いした。しかし許可されず、仕方なく闇夜に紛れホテルに進入した。
その焼け跡には、火事の恐怖はもちろんのこと、人命など爪の先ほども考えず金儲けにはしったオーナー・横井英樹氏の思想までもが表れていた。現在、その跡地はプルデンシャル生命のビルとして生まれ変わり、キレイに火事の痕跡は消されてしまった。
その焼け跡には、火事の恐怖はもちろんのこと、人命など爪の先ほども考えず金儲けにはしったオーナー・横井英樹氏の思想までもが表れていた。現在、その跡地はプルデンシャル生命のビルとして生まれ変わり、キレイに火事の痕跡は消されてしまった。
ホテル侵入から12年、当時の写真を公開し、改めてホテルニュージャパンの火災について考えてみたい。
火元である9階の3つ下、6階の消火栓からは消火用のホースが引きづり出されていた。絡まりそうなほどグチャグチャで本当に使われたのかは不明だ。ただ赤い絨毯にはススが積もっており、出火時、この階でもかなりパニックになったことは間違いない。(大畑)
※ここから先の記事は…
『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。
| 固定リンク
「ホテルニュージャパン火災後の廃墟」カテゴリの記事
- ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第31回 内装は木造住宅(2009.04.19)
- ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第30回 目立たなかった深い青の扉(2009.04.14)
- ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第29回 焼け残った奇跡?(2009.03.15)
- ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第28回 柱に空いた穴(2009.03.08)
- ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第27回 奇跡的に残ったコップ(2009.02.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
当時テレビからの現場映像を見て胸が震えた事を覚えています。
投稿: ぶんぶん | 2008年3月20日 (木) 20時48分
第1回で6階のホースの写真、2回目以降は焼けた客室の写真が出てますが、まったく手付かず(焼けてない、原型を留めた)客室や館内の写真はないですか?他所を検索しても全然見つからなくて。
投稿: KAZU | 2008年6月 6日 (金) 13時20分
コメントをありがとうございます。
焼けてない廊下の写真や荷物置き場の写真はあります。これから公開する予定です。ただ客室の写真はありません。火元を目指して、中に入ったものですから……。当時、取材許可がおりなかった記憶がありますので、撮影している人も少ないかもしれませんね。(大畑)
投稿: 大畑太郎 | 2008年6月 6日 (金) 17時57分