冠婚葬祭ビジネスへの視線/第8回 大海原を行く遺骨
世間は墓地不足らしい。今もそうだし、高齢化の進む将来はもっとそうらしい。不足するともちろん、値段だって上がってしまう。948万円という価格が墓ではなく「墓地」のものである、という話だから驚きだ。ちなみに青山霊園の一等地の価格、永代使用料のみ。サイト「ついのすみか」より。
http://www.tsuino-sumika.net/result/cemetery_006.html
もちろん墓地があるだけでは遺骨は埋められない。当たり前だが墓地には墓が要る。どんなに見栄えのしない墓石でも数十万円はする。墓地とあわせて一千万軽く飛んでしまう「ついのすみか」。一般人には手の届かない価格だが、青山霊園でなくとも都内で墓地から購入しようとすれば数百万円は簡単にかかってしまう。少なくともロスジェネの私にそんな金は払えない。親孝行をしたいとは思っても生きている自分たちが不幸になってはしょうがない。そんなとき、いい考え方があるじゃないか。「自然葬」があるじゃないか。
NPO法人「葬送の自由をすすめる会」は発足して18年目、NPO法人になって7年目の「自然葬」を運営する団体だ。この団体で行う「自然葬」は海や山への散骨である。とくに毎年4回観音崎沖で行われる特別合同葬は有名だ。遊覧船に乗って沖まで波に揺られ、粉状になった遺骨をそっと海に還す。「葬送の自由をすすめる会」で自然葬を行うとすると、一番高い見込み額で23万円程度(年会費を除く)。NPO法人なのだから破格なのは当然だが、他の団体や葬儀社に頼んだとて墓地&墓石購入よりは安く済むだろう。
しかし、ここで大きなカベが立ちはだかる。法律ではない。法律はクリアされている。もちろん土地の管理者の許可などが必要だが、自力でやる必要はない。むしろ散骨自体が「故人の遺志」であるかどうか、という問題である。まさか「親父が死んだら海に撒いていいか」と言い出すわけにいくまい。ましてや何も言わないまま逝かれてしまったらどうか。いくら墓地がない、資金もないと言っても散骨を選ぶのは至難の技である。だからこそ「死んだら自然に還るという考え方が、本来の日本人のあり方だから」といったもっともらしい理由が必要になるのだろうが、それでもさらに大きなカベが待ち構えている。それは「故人の遺志で」散骨を選んだ遺族にも共通に立ちはだかる問題だ。散骨するには骨を砕いて持参しなければならない。そりゃそうだ、そのまま撒いてしまったら何だか凄惨だ。米粒大ほどまで砕くのがマナーだそうだがなかなか勇気の要る行動である。
代行してくれる業者もいるようだが、親の骨を他人に預けて細かくしてもらうというのもけっこう感情に響く。
「自然葬」の希望も残さないままに亡くなった身内の骨を、木っ端微塵に砕けるだろうか?
だからこそ墓地も買えず、海にも撒けないでずっと自宅の片隅に遺骨を置いている家が、たくさんある。
今、「自分の」弔い方について、それぞれが考えなければならない局面にきているといえる。
(小松朗子)
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