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2008年2月

2008年2月29日 (金)

ベアハッグ、侮り難し

 1970~80年のプロレスにおいて、ベアハッグは強烈な技の1つだった。古くはブルーノ・サンマルチノ、もう少し後だとアンドレ・ザ・ジャイアントが必殺技として使っていた。

 ただ相手の腰に正面から手を回し、空中に持ち上げて締め上げるという単純な技だけに、いまいち派手さがない。アンドレほど大きな男が相手を締め上げると、それなりに痛そうだったが、プロレスが好きだった私もこの技が効くとは思っていなかった。だいたい友達同士でプロレスごっこをしても、まったく痛くない技だったし……。
 ラリアートで一世をふうびしたスタン・ハンセンが、この技でドラム缶を潰
したという話を聞いた時は驚いたが、それでもパイルドライバーや卍固めほどはインパクトを持たなかった。

 しかしである。
 四十を前にして、いきなりベアハッグは大変な技なのではないかと感じた。事の発端は水曜日の昼。地方から出てきた友人と昼食を食べ、さて会社に向かおうと思ったら、徐々に気持ち悪くなってきたのだ。朝からなぜか下が水状だったので(ご飯食べていたらごめんなさい)、悪化したのかなと思ったら、なんだか気持ち悪くて動けなくなってしまった。

 少し休めばどうにかなるだろうと、レストランでしばらく待ったが回復しない。皆、予定があるのでとりあえず店を出て解散したが、下はピーピーだし、気持ち悪し、頭痛いしで、わずか数駅なのに電車に乗る自信がない。タクシーなんかすぐ吐きそうで怖くて乗れない。

 病院に行こうとも思ったが移動ができないとなれば、救急車しかない。おかしな話だが病院に行くためには、とにかく症状を抑えるしかないという結論にいたった。
 しかたなくマンガ喫茶に駆け込み、リクライニングシートで休息を取っていると、数時間して頭痛と吐き気が収まってきた。そろそろ大丈夫かなと思って起きあがると、なんと今度は背中と腹が痛い。しかも胃が痛いというより、周りから締め付けられている感じがする。

 これはベアハッグではないか!?

 数十年ぶりにいきなりプロレス技を思い出した。腰といわず、脇腹といわず、胴回り全体が痛い痛い! ウエストが10センチほど引き締まったような気さえする。そうこうするうちに痛みに釣られるように、また吐き気が!

 ここで思い出したのが友人からのアドバイス。気持ち悪いの吐けないときは、炭酸ジュースを飲んでゲップをするとかなり楽になるよ、と。実際、その数時間前には劇的な効果を発揮したので、身体を引きずってフリードリンクコーナーに行き、コーラを取ってきて個室で一気に流し込んだ。
 当然、ガンガンゲップが吐き出され、いくぶん気分がよくなってきたのだが、直後にジュースで腹が膨れ猛烈な激痛に襲われることに。ただでさえ腹に圧迫感があって痛いのに、ガスで膨らませりゃ、そりゃ痛くもなるかと思ったがあとの祭り。リクライニングシートで体をくの字に曲げて悶絶することとなった。もう痛すぎて歩くことすらできない……。

 このとき痛みと闘いながら、頭の片隅でベアハッグの効果を見直した次第だ。いや、シンプルだけど、きっとこの技は痛いと。実際、熊にハグされてギブアップしたレスラーがいたとか聞いたこともあるけど、もっともだと。

 まあ、そんなことを思い出しても仕方ないのだが……。

 その後、少しだけ回復したのを見計らい、マンガ喫茶から編集部に駆け込み、すべての仕事を拒否してイスで寝続けたのでした(ウィルス性かもしれない病人が編集部に仕事しないのに逃げ込むってのも、会社としては迷惑な話だと思うが……)。で、結局、終電まで待っても電車に乗れるほど回復せず、翌日の昼にやっと自宅にたどり着いた。

 いや、ベアハッグ恐るべしっていうか、この病気が怖いのか。医者行ってないので、病名は分からんのですが……。唯一の救いは編集部でも家族も同じような病気になってないこと。とりあえずウィルス性ではなかったみたいです。ホッ。(大畑)

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2008年2月28日 (木)

ドリームボックス 第4回 ピアノからは逃げられない(後編)

 最近は、人生でその他のことが意外とうまく行き、視野を広げたことで、いろいろな分野の人に会うようになりました。そんな中で、いろんな生き方があることを知りました。そしてその中で自分は、なぜピアノと運命的な出会いをしてしまったのか、この道を選んでしまったのか残念な思いがあって。もっと賢ければ、視野が広ければ自分はすばらしい何者かになっていたのかもしれないと思い、何よりも今、自分の人生からピアノ=苦しみを消せるなら消したいという思いがずっと心の中にありました。

 しかし、よく考えてみると私の身に起きた良いことはすべて、会ったすばらしい人の多くもすべてピアノが運んでくれたプレゼントでした。だから、こんな人生に誰がしたの!!!(怒)なんてピアノを恨むのはやめて、ピアノとともにゆっくりやっていこうと思っています。本当に辛かったときは、自分の部屋でピアノを見るのが嫌でした。いつもそこにあるから。ちなみに、私は、どこに住んでも大きなピアノと共に暮らしていますのでピアノから逃げることはできないのです。

 ピアノが嫌になる最大の理由は、練習でも人間関係でもなく、コンサート。舞台に出ることのプレッシャーとどう向き合ってよいかわからない自分に嫌気がさしてきます。そして失敗してしまえばそれがもっと強まるわけで、しかももうこれ以上の痛みは受け止めきれない、だけど私が一番やりたいこと、一番大切なことそれは、ピアノ。だからいっそ死んでしまおう。こう思うことがよくあったのです。死ななかったのは偶然かな?

 ちなみに日本人で初めて海外留学したピアニスト久野久は、ウィーンで留学中に投身自殺をして死んでしまうのです。しかし、私は、お酒が大好きでよくお友達と飲みに行くし、私生活のほうでは、言いたいことを言って、やりたいことをやって、かなり奔放に生きてきたので、まぁ楽しすぎる人生だなと思います。だからやっぱり死ねなかったのかな(笑)

 そう、それで、今回のコンサートは、なんだか前日からうまく行く気もしていたし、緊張したけど、うまくいきました。思ったとおり。ベートーベンのソナタを弾きました。

 ピアニストは、一人で舞台に出て行かなければいけないし、ソロの場合は、楽譜も見られないので、とにかく孤独で不安と戦わなければいけないのです。とにかくどうにか乗り切ろうと思って、いろいろな願掛けをしてしまいます。

 まず、近しい友達で応援していてくれる人には、「祈っていてね、明日弾くから。お願いだからパワーを送ってね」と頼んでみたり。ちなみに、バカみたいと笑われるかもしれないけれど、私の場合、一人で海外にいるので、アメリカとか日本とかイギリスとか韓国とか、とにかくどこでも海外からパワーが飛んでくると思うと、意外となんか、こう、ワーーーって自分の中に魂が入ってくるような気がするのです。特に遠いところの友達に言うとなんだかスッキリするような、まぁ真意は、自分でも良くわからないんだけど。

Dscf1898_4  そして、その次に重要な儀式があって、ファンの人からいただいたアクセサリー、応援してくださる先輩音楽家からいただいたハンカチ、すごく仲いい友達がくれた品、ハンカチとかipodとかペンとか、両親が送ってくれた物などでも。そういうものを身に着けて行くこと。それで、楽屋では、ipodで何か聞きながら「自分はそう一人じゃないんだ!!!みんながついていてくれるじゃないかぁ。!!!!」という想いを抱き勇気を奮い立たせる。なんか書いてて頭おかしい人みたいって思ってきたけど。そう、これが本当のBrendaなのです。

 ちなみに写真は、実際に今回私が持っていったものです。(福冨ブレンダ)

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2008年2月27日 (水)

ドリームボックス 第4回 ピアノからは逃げられない(前編)

 みなさんこんにちは。日本もずいぶんと寒かったようですが、いかがお過ごしでしょうか。
 私は、風邪こそ治ったものの7日ぐらい寝たきりの状況が続いたので、さすがに体力が落ちてしまい本当に辛いです。
 前回は、病の床からのリポートになってしまいましたので今回は、コンサートのことを書きたいと思います。

 

Dscf1902  ところで、私は、日本に住んでいたときに外資系のIT企業で総合職として営業やら、マーケティングやらの部署で働いていました。そのときは、毎月お給料日が来るのが楽しみで、早く一ヶ月が終わってまた25日にならないかなと思うと同時に、月曜が始まるとかなりブルーになって早く一週間終われ!と願いもしたものです。そんなふうにただ一度しかない人生を生きている自分が嫌でした。ひとつひとつの時間を、そして人生もかみしめながら、今日というその日を感じながら生きていたかったからです。

 だって生きているその瞬間、瞬間がすばらしければ、時間なんて止まれ!っていうふうに思うはずでしょ。早く一週間終わって週末来い!なんていうのは、最悪の生き方ですよ。

 今はと言えば、仕事がライフワークで、プライベートも仕事の延長なので週末という概念もありません。ただ、今日も仕事をしていて思ったのですがとにかく楽しい。だから、こんなんでお金をいただいてしまっていいのかなと思うことはあります。とにかく毎日毎日、ただの一日だって普通の日などありません。毎日、考えて、考えて、どうしたらいいのか悩んで、うれしいことがあれば喜びをかみしめ、悲しいことがあれば、一人ではやりきれないのでできるだけ誰かに寄り添いながら、今日一日があることに感謝して過ごしています。一週間が過ぎるたびに自分が何を成し遂げたのか自省し、一ヶ月終わるたびに、今月もこうして生きることができたと一ヶ月という期間の天寿を全うしたなと納得するのです。

 人生80年とか100年とかも天寿かもしれないけど、今日の一日も一ヶ月もその天寿の中の大切な天寿なのです。このように考えて生きられることが「私って本当に幸せ」と思える日々。先ほども書いたように幸せでないから早く過ぎろなどと思うのです。

 しかしながら、いろいろやっていて怒涛のごとく忙しいので、日々はものすごい勢いで駆け巡るし、立ち止まる時間もあまりないほどではあるのですけどね。

 そんな中で一番大切なことは、やっぱり音楽。今は、昔と違ってこれだけあれば生きていけるというようには思わなくなったので。恋愛もビジネスも人生のまたその他のことでも自分にとってプラスになりそうなことは、一緒に経験しているところです。

 昔の私は、もっと堅物でした。ピアノだけできれば、もうそれで何もいらないという気持ちが強すぎて、なにも省みようとしなかった。2003年12月18日にクラクフに越してきて、最初にしたことは、ピアノの練習、それから自分のピアノをまだ買っていなかったので、着いたその日からピアノ探し、数日で買って、その日からは「弾く」のみ。あの頃は、今では信じられないけれど一日8時間も弾いていました。

 ちょうどその時期は、クリスマス。越してきたばかりの頃は、その日がポーランドの人々にとってどれほど大切かなどということはまったく関係なく、クリスマスも、大晦日も、一人っきりで誰にも会うこともなく毎日8時間、長いときは10時間ぐらいピアノに向かっていました。そしてついにある日、上の階の人から苦情が来て、しかもその人が大家さんに訴えた内容が面白すぎて笑えました。

「下に住んでいる人は何をしてる人ですか?あの人は、出かけないんですか? ていうか、本当に、本当に毎日一日中弾いてるんですけど。頭おかしいんじゃないですか?」

 クリスマスや大晦日なんていう一年で最も楽しまなきゃいけない日にもピアノを弾き続けていた私。さすがに今では、そんなことはしませんけどね。

 その他にも上の階に住んでいた有名な女優さんがいきなりうちに来て申し訳なさそうに、「あなたのピアノのおかげでテレビの音も聞こえないし、公演前で精神統一が必要なときも静かな時間を過ごせないの」と言われてしまいました。

 私は、苦情が出るたびに生きた心地のしない日々を送り、ひどい不眠症に陥り、どうにかこの騒動がおさまらないかお酒を持って必死で謝りに行ったものです。騒音騒ぎを恐れて、おなじ建物の住人に肉じゃが配ったりチャーハン配ったりもしていました。それもこれもすべてピアノのため。

 ピアノに関しては、とにかく、すべてをなげうって取り組んできたのだけれど、結果に全然満足などしていません。しかし、これは、人生を賭けて挑戦していくべき課題、今だけではなく、これから最期の日まで挑戦は続くのです。(福冨ブレンダ)

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2008年2月26日 (火)

10年ぶりのポケモン

 約10年ぶりにポケモンのソフトを買った。ちなみに本編のダイヤモンド・パールではなく、『ポケモン不思議のダンジョン・時の探検隊」だ。
 これは主人公がポケモンになって、仲間たちと冒険(探検)するというストーリーだ。
 私とポケモンの出会いは約10年前。
 当時小学生だった弟が、学校ではやっているということで『ポケットモンスター緑」を買ってきた。ピカチュウバージョンが発売され大ブームが起きる前である。小学生はなぜ流行の先取りが早いのだろうか……。ミニ四駆もそうだし……。やはりコロコロコミックの影響か!? それはさておき、そのとき私は女子高生。たまごっちをやっている人々はいたけど、ポケモンで遊んでる女子高生はいなかった。しかも当時はDSなんてオサレなものなんてなく、どでかい弁当箱のようなタイプか、小さくなった白黒のゲームボーイしかなかった。
 ゲーム売り場に行けばオタクっぽい(いや、オタクか)人しかいないような時代……。
 ときメモで虹野さんゲット!詩織ウゼェ!!なんて騒いでいたら白い目で見られるような時に、ポケモンなんて小学生の遊びに時間を割いていたなんて事がばれたら恥ずかしい事だったのですよ。
 でも、奇跡的に私と同じくポケモンをやっている女子がいて感動し、語り合える仲間がいたのでポケモンを嫌いになることはなかった。

 まあ、ポケモン思い出話はここまでにしよう。
 とりあえず現在は、不思議のダンジョンをやっているわけですが、これはですねミニゲーム(頼まれた物を配達したり、迷子になっているポケモンを探す)をこなしながら、探検家として成長していく……そして、自分がなぜポケモンになったかという謎も解く(ここはわからない。だって攻略の最中なんだもの)というゲームだ。 人間は出てこなくて、サトシ(本編の主人公)が「○○ゲットだぜ!」とか言わないからうざくなくてイイ!昔からポケモンになりたいなー、ポケモンになりたいなー、と思っていたので、私の欲求を満たしてくれる大変素晴らしい作品なのです(青の救助隊とかもあるけどね)!
 初めてのポケモンは、フシギダネ。これは草タイプのポケモンで小さいときはかわいい。進化すればするほど(2回くらいする)かわいくなくなるけど、お気に入りだった。ピカチュウなんて目じゃない。フシギダネの「つるのむち」って技が大好きなのだ。
 しかし、今回、時の探検隊を買った理由がある。最初に質問に答えてタッチパネルをさわるとポケモンが決まるというシステムになっていて、私はどうしてもアキバのヨドバシおもちゃコーナーで一目惚れしたポッチャマというペンギンポケモンになりたかった。で、あんまり好きじゃないけどピカチュウをつれて行きたかった(逆でもイイけど)。
 だから意気込んではじめたわけです。

 にもかかわらず、診断で「あなたは素直な人ですね……ナンチャラカンチャラ」といわれ、「そんなあなたはフシギダネです」と訳わかめな結果になった。

 おいおいおい。いや、フシギダネは好きですよ。でもポッチャマになりたくて(それか、行動したくて)、今の自分には大枚はたいたのにこんな仕打ちって……。フシギダネの事を忘れていた罰ですか。……でも、まだ仲間にするポケモンが残っているじゃない忘れてた……ってことで仲間ポケモン見たらいねーし。んだよ。しかたねぇ、ピカチュウにするか……というわけでただいまピカチュウ連れて遊んでおります。

 次回こそはポッチャマ……今取説みたらあちゃも(ひよこぽけもん)もかわいかった……を連れて歩きます。 ちなみにこのゲームの難点をあげると、セーブ時間が長い。ロードはそんなに気にならないものの、セーブの時間が非常に長い。電車内で遊ぶなら降りる一つ前の駅に着いたときにセーブをして片付けないとスマートに降りることができない。
 次回作が出るのであれば、セーブ時間をスムーズに行えるようにしてほしい。よろしくおねがいしいます。(奥津)

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2008年2月25日 (月)

靖国神社を訪れる中国人

 2002年から月刊「記録」誌上で『靖国神社』という連載を続けている。
 靖国と聞くと、今でこそ「戦争で亡くなった人が祀られているところ」とか、「A級戦犯が祀られているところ」と答える人が多いかもしれないが、私が連載をはじめたころは小泉前首相が靖国へ参拝すると言い始めた(言い始めたというより、8月15日靖国参拝は選挙公約だった)ときで、さほど靖国に対する関心は高くなかった。 中曽根元首相の公式参拝以来、8月15日の首相による参拝は、中国との外交関係にひびが入るということで見送られてきた。
 とはいえ、参拝をしないからといって反日感情がなくなるわけではなく、かといって煽られるわけでもない。小康状態が続いていたのがこれまでの靖国に対する双方の接し方だった。
 しかし、小泉前首相在任期間中の靖国参拝は年を経るごとに注目されるようになり、国民からの関心が寄せられるようになってきた。
 その一番のピークが、2005年の中国各地における反日デモと、日本の若者による嫌中感情と愛国心がぶつかったころだ。
 当時は日本ではなく香港に住んでいたため日本での状況や反応はあまりわからなかった。しかし、一時帰国をしたときは必ず靖国へ取材に行っていたが、反日デモ以降の靖国参拝人数が明らかに増えていたのだ。
 靖国をテーマに書き続ける私にとって、靖国神社がどのようなところなのか積極的に知ろう(動機はなんでもいいが)とする姿に、歴史を知ることはよいことだと思う反面、複雑な気分になった。
 それと同時に靖国問題に触れた書籍が山のように出版され「靖国問題ブーム」が起こった。
 ここで靖国問題について書くと非常に長くなるので書かないでおく。
 以降、小泉元首相の任期終了まで「靖国ブーム」が続くが、安倍政権発足後は中国との関係正常化を優先し、靖国参拝は見送った(安倍元首相自身は、首相になるまで8月15日に参拝をしていた)。
 以降の中国との関係は安定していたが、先の重慶で行われたサッカー東アジア選手権でのブーイングやラフプレーを見るとあまり変わっていないようにも感じる(重慶という場所がよくなかったのかもしれない)。

 靖国に話を戻すと、靖国ブームも過去の話になった現在、平日でも多かった若者の参拝客が減り、代わりに意外な人たちの参拝が増えて来たのである。
 ある日、いつものように取材へ行くと団体参拝者がいた。近くを通ると、聞き覚えのある言葉。
 そう、中国語。中国からの参拝客が度々訪れているのだ。
 初めて見たときは驚いた。あれだけ騒ぎ立て日本大使館にペットボトルを投げ入れていた国の人たちが靖国にいる。あれだけ騒がれたのだからどんなところか興味が沸いたのだろうか。靖国神社ってどんなところだ、と。 とはいえ彼らは境内で騒ぐわけでもなければ、爆竹を鳴らすわけでもない。おとなしく参拝している。
 彼らにどのような意図があるかはわからないが、自分たちの同胞を殺した人々が神として祀られているところへ自ら赴くという姿勢に民族の違いを感じた。
 ただ勘違いされては困るが、そういう面だけを見て、中国人はフトコロが広いと援護をしているわけではない。どのような感情を持ってにせよ、自ら進んで見に行くというところは日本人にはない意識である。これは中国が戦勝国だから…っていう理屈は抜きにしてね。そろそろ日本も過去の呪縛から解き放たれてほしいと切に願う。(奥津)

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2008年2月24日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第8回 大海原を行く遺骨

 世間は墓地不足らしい。今もそうだし、高齢化の進む将来はもっとそうらしい。不足するともちろん、値段だって上がってしまう。948万円という価格が墓ではなく「墓地」のものである、という話だから驚きだ。ちなみに青山霊園の一等地の価格、永代使用料のみ。サイト「ついのすみか」より。
http://www.tsuino-sumika.net/result/cemetery_006.html
 もちろん墓地があるだけでは遺骨は埋められない。当たり前だが墓地には墓が要る。どんなに見栄えのしない墓石でも数十万円はする。墓地とあわせて一千万軽く飛んでしまう「ついのすみか」。一般人には手の届かない価格だが、青山霊園でなくとも都内で墓地から購入しようとすれば数百万円は簡単にかかってしまう。少なくともロスジェネの私にそんな金は払えない。親孝行をしたいとは思っても生きている自分たちが不幸になってはしょうがない。そんなとき、いい考え方があるじゃないか。「自然葬」があるじゃないか。

 NPO法人「葬送の自由をすすめる会」は発足して18年目、NPO法人になって7年目の「自然葬」を運営する団体だ。この団体で行う「自然葬」は海や山への散骨である。とくに毎年4回観音崎沖で行われる特別合同葬は有名だ。遊覧船に乗って沖まで波に揺られ、粉状になった遺骨をそっと海に還す。「葬送の自由をすすめる会」で自然葬を行うとすると、一番高い見込み額で23万円程度(年会費を除く)。NPO法人なのだから破格なのは当然だが、他の団体や葬儀社に頼んだとて墓地&墓石購入よりは安く済むだろう。
 しかし、ここで大きなカベが立ちはだかる。法律ではない。法律はクリアされている。もちろん土地の管理者の許可などが必要だが、自力でやる必要はない。むしろ散骨自体が「故人の遺志」であるかどうか、という問題である。まさか「親父が死んだら海に撒いていいか」と言い出すわけにいくまい。ましてや何も言わないまま逝かれてしまったらどうか。いくら墓地がない、資金もないと言っても散骨を選ぶのは至難の技である。だからこそ「死んだら自然に還るという考え方が、本来の日本人のあり方だから」といったもっともらしい理由が必要になるのだろうが、それでもさらに大きなカベが待ち構えている。それは「故人の遺志で」散骨を選んだ遺族にも共通に立ちはだかる問題だ。散骨するには骨を砕いて持参しなければならない。そりゃそうだ、そのまま撒いてしまったら何だか凄惨だ。米粒大ほどまで砕くのがマナーだそうだがなかなか勇気の要る行動である。
 代行してくれる業者もいるようだが、親の骨を他人に預けて細かくしてもらうというのもけっこう感情に響く。

 「自然葬」の希望も残さないままに亡くなった身内の骨を、木っ端微塵に砕けるだろうか?

 だからこそ墓地も買えず、海にも撒けないでずっと自宅の片隅に遺骨を置いている家が、たくさんある。
 今、「自分の」弔い方について、それぞれが考えなければならない局面にきているといえる。
(小松朗子)

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2008年2月23日 (土)

『吉原 泡の園』第56回/でかい体に檄がとぶ

「荷物を置いたら店に戻るよ」
 Hちゃんに言った。あまり遅いとマネジャーから携帯に電話がかかって来る。
Hちゃんはウンといい、僕たちはまた店に急いで戻った。
「H、A店でやってたんなら、大体仕事はわかるよな」
 マネジャーがHちゃんに尋ねた。
「はい。まあ大体は」
 言っているそばからトゥルルルルと内線がなる。ドリンクの注文だ。
「○●。××ばだるぁ」
 マネジャーが叫ぶ。もちろん、何を言っているのかわからない。僕はそこそこやってきたので、大体は分かるのだが。
「H、ボケ―っとしてねーで、さっさとオーダー作れ」
 早速初日からHちゃんに激が飛ぶ。当然Hちゃんには何を言われたのか分からないが、マネジャーには聞けない。僕にも聞かず、大体の想像でオーダーを作っていた。

 通常は2人分作り、作り終わると「オーダー入ります」と言ってドリンクを運ぶ。しかし、Hちゃんは「お、お、オーダーます」とおどおどしながら声を出し、盆の上にグラスとストロー、コースターを乗せた。だが、その手がプルプル震え、2階へと向かう足元がおぼつかない。非常に危険な感じだ。
「H、気をつけて行けよ」
「は、はい」
 階段を上り始めたかどうかくらいの時、階段付近から。
 パリ―ン。ジャバー。
「ああ、ひゃあ」
 ものの見事に1発目のガッシャ―ンをやらかした。
「おいH、大丈夫か」
 とマネジャーが声をかけた。
「あ、はい。大丈夫です」
 と応えるHちゃん。
「バキャローオメ―ジャネ―。ドリンクとグラスは大丈夫かってんだよ」
 これには聞いていたボーイも引いた。そのうえ常に全力のマネジャーは、店の3階にまでとどろくほどの大声を張り上げる。もちろんお客様にも丸聞こえだろう。

 さすがに体格のでかいHちゃんも、この店の真の姿を知り、度肝を抜かれた様子だった。ただ、僕にとってはTさんが抜け、仕事を1人だけ多く受け持ってきただけに、力のあるHちゃんはありがたかったのだった。

 Hちゃんと同部屋になり、朝起きると、「おはよう~」とのん気に挨拶するHちゃんが、羨ましくもあり、どこか憎らしくもなってきた。どうやらHちゃんが仕事のできない人なのだとも分かってきたのだ。客に一生懸命電話しても誰も来ない。辞めたTさんと同じようなものだ。
 客を呼べないボーイはひどい扱いを受ける。Hちゃんも同じだった。

「H、日暮里だ。速攻で行け、そして戻って来い」
 店長が非情な事を言う。 
 Hちゃんは分厚いメガネレンズの奥から、体に似合わない小さな瞳をウルウルさせて、お迎えに向かう。でかい体で送迎車の運転席に入ると、車に乗っているというよりも、ちょこんと運転席に大きな置物が置かれているようだった。

 しばらくしてHちゃんが店に戻ってきた。
 本来なら店に戻る数百メートル先から、間もなく店に到着する旨の連絡を店に入れなければならない。ドアマンがお客の乗る車のドアを開けるタイミングを計るためだ。連絡がないと、ドアマンが煙草を吸っているなんて事もありうるからだ。
「どうしたHちゃん、あれ、客は」
 と問いただすと。
「いませんでした」
 と答える。そこに店長が割って入った。
「いねえだと、ふざけるんじゃねえ」
 Hちゃんにやつあたりだ。
「本当にいなかったのか」
「はい。とりあえずそれらしき人に声をかけたのですが、みんな走って逃げてしまうんです」
 Hちゃんが答えると。
「おまえが迎えにいったからじゃねえか」
 店長はちゃんの心をザクザクと刺すのだった。(イッセイ遊児)

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2008年2月22日 (金)

お茶をにごしました

 更新が遅れてどうもすみません。
 何か書かなければならないのだが頭がまるきり働かないので、朝方まで編集していた本誌3月号の特集について少しだけ書いておきます。

 今回、横浜にあるトヨタ系企業の工場跡地の近隣住民を取材したわけだが、彼らはみんなあきらめていた。今さら鉛の含有量が高いと言われても仕方ないよって感じだ。
 土地の汚染具合を調べるのには金がかかる。それで危ないとなっても、今度はその汚染が隣接する工場のせいだと証明しなくちゃ企業側は補償してくれない。自前で土地をキレイにするためには建物を壊し、土地の入れ替えをしなくちゃダメ。
 そんなの放っておくしかないというわけだ。

 これと同じような光景を、僕は劣化ウラン弾に汚染された土地で見ている。普通に牧草の生える土地。ところが奇形の牛が次々と生まれてくる。焼けこげた戦車もいっぱいあったから、きっと劣化ウラン弾のせいだと多くの人が知っている。「でも、どうすればいいの?」ってことだ。
 土地を離れられないなら気にせず生活するよりほかないなっと。

 結局、お金がないとリスクが高まるんだな~。
 食も住も安全は金しだいってことになると、小学生の一番欲しいものが「金」でも嘆くことはできないなぁ。

 というわけで、完全にお茶を濁してしまいました。
 すみません。

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2008年2月21日 (木)

記録3月号の予告

『記録』08年3月号が、今月28日に販売になります。

 今月の特集は環境にこだわるトヨタ系列が放置する工場跡地の土壌汚染問題についてお送りします。
 白川徹さんの「忘れられたアフガン国内避難民」では、経済的な理由から働かざるをなかった少女が、「あばずれ」とののしられてしまうアフガンの現状をリポートします。
 辛口の書評でおなじみの塩山芳明氏は『インカ帝国地誌』を俎上に。題名は「エコロジック名人喰い習慣?」と、今回も非常に過激です!

 

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2008年2月20日 (水)

ヨーロッパの素敵なバレンタインデー--バラのミステリー

「ドリームボックス」連載中の福富ブレンダさんから「タイムリーな話題」として原稿をいただきました。本当は14日にアップしたかったのですが既に大畑が「バレンタインとデジタル・デバイド」なるしょうがない?原稿をあげていて、翌日というのもどうかと思っていたら予定ではソープ、葬式、人殺し、ゲームの原稿が決まっていたので(いつものことながら脈絡がないですね)本日となりました。
なお誰も知らないでしょうが本日は私(編集長)の番です。したがって適当に言い抜けてサボったのではないかと思われる人もいるかもしれないけど違います。なぜならば本日は私が書くなど誰も知らないからサボるという概念が存在しないからです。ついでに申し上げるとこうした詭弁をトートロジーといいます。
と下らないひねくれ文はここまでとして「もてない男」代表として人一倍バレンタインデーを憎み続けて45年の私も認めたディナーとバラが彩る秘密のゲームが美しいヨーロッパのバレンタインデーをどうぞ(ここまで編集長)

日本では、女性が男性にチョコレートをあげるという世界でも稀に見る不思議な習慣がありますが、チョコレートは、お菓子屋さんの戦略で始まったらしいですね。女性は、男性にお食事をおごっていただくことも多いので、その気持ちにお礼ができる絶好の機会です。
それ以外では、本命、義理とありますけど、私は、日本では、とりあえず、何か借りがある男、仕事上根回しすべき男には、義理をあげたりもしましたが、基本的に彼氏以外の男に何かをプレゼントしたり、いちいち微笑んだりするのが好きじゃなかった。

日本では、バレンタインデーに愛の告白を試みる女性も多いのかもしれませんが、だいたい菓子屋の作った金儲けの風習につられてチョコレートで愛の告白なんて安っぽいと私は思っています。
そもそもあからさまに女から男を追っかけるなんてあまりにeasy。ただ、日本人男性は、女を追っかける勢いがヨーロッパの男性に比べて断然劣っているので、日本の女達がしびれを切らして自分から追っかけてしまう精神状況もわからなくはないですけれど。

ここヨーロッパでは、バレンタインデーは、男性から女性への大切な告白の機会だったり、日ごろ示している愛をもっと示す時間だったりします。普通恋人同士は、おしゃれして特別なディナーにでかけます。また、友達以上恋人未満の人たちは、男性が女性を食事に誘ってなんとなくアピールしてみたり。しかも、バレンタインデーには、女性は男性からプレゼントをもらえるんですよ。

私は、というと、ここ何年間もこの日はデートではなくバレンタインコンサートで弾いていましたが(ちなみに人が休んでいるときこそが出番なので楽しむ人々を尻目にいつも仕事です)、でも今年はオフでした。

バレンタインデー当日。買い物に出たら街中はあふれんばかりの恋人同士。恋人同士と必ずわかるのは、手にバラの花を持っているから。プレゼントを抱える男性もちらほら。

家に帰ってきてなんとなく寂しくなってきて、ラブソングを聴きながら自家製納豆を作っていると・・・。いきなりインターホンが鳴って。なんとインターネットから注文をお届けと言うお花屋さん。いや、しかし私は、間違っているんじゃないか?と思って、すでに隣に住んでる大金持ちのお嬢のドアの前には、花瓶ごとお届けの花も届いていたし、そのお嬢さんに来た品だろうと思ったので、よく確かめたのだけど私の住所。
それで一応オートロックの中に入れたんだけど、もしかしたらバレンタインに寂しく過ごす女を狙った強盗かなんかに押し入られるのか? などなど警戒していると、本当に箱入りのバラの花が届いたのです。しかし、誰か検討がつかないし送り状にも名前なし。誰か聞いてみると「知ってるけど言えない」と・・・。
でも、箱の中にカードが入っていたので開けてみるとなんと!!!

“From a secret admirer”(秘密のファンより)

だって!

こんなおしゃれなことをしてくれるのは誰かしら・・・と考えてたのだけど。うーーーん、謎が解けない。誰なんだろう。結局、ピアノの上にお花を飾って謎解きをしながらピアノを弾きました。

とそのとき電話が鳴って。
なんと!お花屋さんから電話。

「お届けのお花があるんですけど住所どこですか?」って。

住所はごく一部の人にしか教えてないから、今度は私の住所を知らない人がお花屋さんに注文してくれたらしい。
ふーん。でも一体誰だ?と思って、誰からかわかりますか?と聞いてみると「今言えません」って。一体誰なんだよ~~~。

でも女として素直に嬉しい。ちょっとだけだけどもてた気分。好きな人にもててるといいんだけど。
でも、まさかバレンタインを装った振り込め詐欺とかじゃないよね?あとで請求書が来たりして(福富ブレンダ)

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2008年2月19日 (火)

ゲームのために今日も働く。

 DSのソフトがクォリティの割に高いものが多いと思うのは私だけでしょうか。
 気に入ってやり込めば値段の元も取れるのかもしれませんが、RPGなんかは1週目クリアして隠しボスを倒して終わり。それ以上は暇な時間もそんなにないので、早々に売っても案外安く買い取られる。
 需要と供給が比例しない……買う人が多ければ出荷数も増え、それだけ市場に出回れば売る人も増える。そうすると買値がどんどんどんどん下がるのは最も。
 しかし、私が好きなパズル系は長期に渡って楽しめるものが多いため、売値も高いが中古品も高い。しかもあまり中古屋でも売られない。
 ただいま欲しいと思うソフトは、『非常口DS』。先日、ソフマップで見つけましたが約4000円。元値5040円でそんなに安くない。
 来月出るらしい『無限回廊』は3980円!(中古の非常口と同じじゃないか)。
 しかし、これはPSP……。持ってないよ。DSはなかなかベストプライス版を出してくれず(過去、ゲームボーイアドバンスで出たものでベストプライス版が出てはいる……)、PSPはかなり大盤振る舞い(そこはPSと同じ)で中古に頼らなくても安くソフトが購入できる。
 本体も薄くなりカラーバリエーションも豊富。値段は19800円だが、DSは16800円。3000円の違いしかないのに、この差はなんだ!
 まぁしかし、よく考えてみれば、幼い子はじいちゃんばあちゃんに買ってもらい、女子は「アルカノイドスゲー懐かしい!」とか「やっぱRPGはドラクエじゃなくてゼルダっしょ!」とかは言わなそうだ。逆に、「(内緒だけど)女子力アップのソフト使ってる」とか、「佐伯チズのソフトは使える」とか言って、マメにゲームソフトを買っていないから値段は気にしないのかもしれない(よくわからないけど)。
 でもやっぱり高い。スーファミの値段を考えたら十分安いけど、でもやっぱり値段が上がってきているような気がするのは私だけだろうか。
 クオリティーが上がればソフトの値段も上がってしまうのは仕方がないのかもね。
 文句言わずにゲーム道を突き進むにはもっと働いて稼げってことなのだろうか。仕事ガンバロウ。(奥津)

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2008年2月18日 (月)

金属バット事件の現場を歩く

 犯行現場にほど近いトンカツ屋の女主人は、事件当日の昼に検死官が血の付いた白い手袋をカウンターにポンっと放ったのを鮮明に覚えているという。

Img_6588_2   1980年11月29日、神奈川県川崎市で起こった夫婦殺害事件は、翌日20歳の息子が逮捕され解決した。東大出の父と早稲田卒の兄を持つエリート一家で二浪の息子が金属バットで両親を殴り殺すという事件は、加熱する受験戦争を背景に世間を震撼させた。

 じつは犯人の一柳展也自身、高校まではエリートコースを歩いていた。進学校として有名な海城高校に入学。志望校も早稲田大学に置いていた。しかし高校進学してからの成績はふるわず、中の下といったところをウロウロ。現役時代には早稲田の法と商学部など5つの私立大学を受験するも全敗。一浪でも早稲田にくわえ2つの大学を受験したが不合格となった。

 犯行当日、彼はレコードを買うために父親のキャッシュカードで1万円を引き出し、父から怒られている。また母親からも「こんなことしていると、大学に合格できないわよ」となじられたという。その後、いら立ってウイスキーをあおっていた彼の自室に父親が入ってきて、「ドロボウを飼っておくわけにはいかない」と彼を蹴った。結局、これがダメ押しとなり、展也は午前2時半頃、両親を撲殺。外部の犯行に見せかける工作を施してから、翌朝、両親が死んでいると近所に駆け込んだのである。

 事件が起こった自宅は田園都市線の宮前平駅のほど近くにあった。東急が一括して開発した高級住宅街は当時、憧れ土地だった。それは事件から3年後にTBSで放映され話題となった『金曜日の妻たちへ』が、この沿線の新興住宅地を選んだことからもわかる。

 取材に訪れた金曜日の昼下がり、その一帯がいまだに「高給新興住宅街」だと知った。駅周辺を歩いている住民たちは皆おしゃれで、声を掛けてもにこやかに対応する。ただ「金属バット事件の取材だ」と告げると、誰もがにこやかな笑みのまま「全然知らないんですよ」と答え、きびすを返すのである。
「ちょうど越してきたばかりのころで、まったく覚えていないんですよ」
 そう語った高齢者の女性に「ありがとうございました」と挨拶し、数秒たってから「ところでここらへん大騒ぎだったでしょう?」と背中越しに声をかけてみた。すると、「そりゃもう、通勤客にまで取り調べしてましたからね」と振り向いて答え、一瞬しまったという顔をした。それでも、その女性はすぐに笑みを取り戻し、「でも、詳しく覚えていることは何もないんですのよ」と語り去っていった。
 面倒なことにかかわるのは、この地では禁物なのだ。
 
 こうした反応は、最初に話を聞いた二子新地の住民とは大きく違った。川崎の下町的な風土を残すその地で、古くから住む地元住民に私は丁寧に犯行現場を教えてもらったのだから。駅にしてわずか4つだが、その差は大きかった。

 それでもかなりの住民に声を掛け、やっと当時の思い出を語ってくれたのは、冒頭のとんかつ屋の女主人だった。犯行当日も店を開けていたという彼女は、犯行現場にいた展也と親戚からの昼の出前を頼まれている。
「事件があった日でしょ。ゾッとしましたね」と、彼女は当時を振り返った。その夜、展也は親戚の家に泊まり翌日には逮捕されているから、彼が自宅で食べた最後の食事は、この店のトンカツだったことになる。

 その女主人によれば、一柳家は夫婦をはじめ穏やかな気持ちのよい人だったらしい。展也が両親が死んでいると最初に知らせた隣人も、「あの日、展也君がウチに知らせに来てね」と店でしんみり話したこともあったというから、展也に極端に悪感情を抱いていたとも思えない。「一帯が同時に家を買って引っ越してきたから、隣組というか連帯感があったんですよ」と女主人の語る近所付き合いに、展也は犯行後もまだ参加していたことになる。

 犯行日、被害者夫妻は結婚記念日だった。そのため、いつもはお酒を口にしない母親からも司法解剖で少量のアルコールが検出された。おそらく結婚記念日を夫婦で祝っていたのだろう。
 夫婦仲もよく、憧れの土地に自宅を購入し、長男もエリート街道をひた走っている。そのなかで鬼っ子だったのが犯人の展也だった。彼がどんな大学を受験したのかは分からない。しかしエリートの枠組みを捨て、とりあえずどこかの大学に潜りこむぐらいは、海城出身の彼なら容易だったはずだ。しかし彼の家族に、そしておそらく彼自身にもそんな選択肢はなかった。結局、エリートの家庭に育った「鬼っ子」は、どんどんスピンアウトしていき、最後には自分をエリートの道に押し込めていた家庭を破壊した。

 そして事件を起こしたことで、彼は地域の鬼っ子にもなった。報道などで騒がれたことに嫌気がさしたのか、事件後、この土地を離れた一柳家のご近所も少なくないという。
「近所の人がタクシーで『宮前平』って言ったら、『あー、金属バットのところね』って言われて怒ってましたよ。『事件が起こって【金属バットのところ】になちゃった』って。だから、あの事件にはみんな触れたくないというかね」
 地域の声をトンカツ屋の女主人は、そう代弁してくれた。

 不倫の代名詞ともなったドラマ『金曜日の妻たちへ』は、新興の高給住宅街で暮らす家庭の抱える見えない危機をあぶり出した。まったく違う形ではあるが、一柳展也もまた「金ツマ」と同じ環境で、エリート家庭が抱える危機を表面化させた。だからこそ犯行現場一帯では、いまだに事件がタブー視されているのだろう。

 かつて惨劇があった家は取り壊され、今はしょうしゃな洋館が新築され新しい住民が住んでいる。ただ、坂の高低差を利用して作られた、地下駐車所だけは当時の写真のままだった。家の土台に当たる部分だけに、手を加えるわけにはいかなかったのだろう。住民の記憶と同様、すべてを塗り込めるわけにはいかなかったようだ。

 犯行当日に一柳家から出前を頼まれた女主人は「こんなときでもお腹が空くんだな」と思ったというが、きっと生身の人間なんてそんなものなのだろう。
 食って、寝て、生きてさえいればいいんじゃない、と片意地張らず生きていければ、展也もここまで追いつめられることもなかったはずだ。せめて住環境ぐらい気楽な場所だったらと思わずにはいられなかった。(大畑)

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2008年2月17日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第7回 大海原を行く火葬船

 世間は火葬場不足らしい。今もそうだし、高齢化の進む将来はもっとそうらしい。町に一つしかない火葬場の予定のなさに羨望のまなざしを向けながら片田舎の葬儀屋で働いていたからピンとこないのだが、都市部は大変深刻な状況のようなのだ。関係者から聞いたところによると、火葬場が空かず、遺体安置室で一週間冷蔵しておくことなどザラだとか。新築するにしても、近隣住民から当然のごとく反対の声が上がる。そもそも都市部に人が集まりすぎなのでは、どうせクルマ移動なのだから火葬だけ田舎でやることにして地方に金を落としていってくれればよいものを、などと考えるのは私だけだろうか。

 それはさておき、火葬場不足から出てきた「火葬船」構想。寺院コンサルタントを行っている日本テンプルヴァン株式会社の代表、井上文夫氏がかねてから提唱してきたプロジェクトが動き出している。1月27日付の日経ネットによると、国土交通省のOBらが実現に向けて検討を重ねているとのこと。カーフェリーを利用し、葬儀から火葬までを一気にこなせる施設を内蔵するという。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080128AT1G2601M27012008.html

 構想自体は面白いのだが、クリアしなければならない問題が多々ありそう。結構難航するのではあるまいか。陥りそうな状況を思いつくままにざっと挙げていくと、

■こんどは漁業団体の反対に遭う
「どこから、そしてどこまで出航するか」をまず決定しなければならない。フェリーは現行のものを再利用するとして、出航場所は新たに作るのか。出航しやすい場所とはもちろん今現在有効に使われている場所でもあるだろう。出航場所に反対団体、そして「じゃあこのへんで」と火葬を始める場所にも「ここじゃ俺たちが魚採ってんだ」と反対団体では、陸地につくるときの倍は疲れてしまう。かといって何の心配もない大海原に乗り出すというのも遺族心情としてはなんとなく不安だろう。さらに葬儀自体が簡素化される傾向にある現在、遠い海岸線まで連れて行かれさらに遠くまで船に揺られて火葬しに行くという選択を、果たしてどれだけの遺族がするであろう。

■フェリー代が高くて一部の人しか使えない
仮にも航海用の乗り物を一台貸しきるのだから、いくらか自治体が負担してくれるとしても陸地で斎場を使用するよりはかなり高額になってしまうことが考えられる。それとも通常の斎場のように一日六回転するとでもいうのだろうか。海の上で。他人の火葬がなされる中、船の上で一日中逃げも隠れもできない遺族の精神状態が心配だ。

■住職が船酔い体質だ
「私は火葬船はちょっと…」と言っただけで営業の幅が狭まってしまうというのは、檀家不足に悩む昨今の住職にとって致命的だ。

■遺族が船酔い体質だ
もちろん、女性は喪服など着ていられない。ただでさえ胴回りが苦しい帯にやられて一発アウトだろう。

■大シケで葬儀が出せない
「海が荒れているので葬儀は延期です」という奇妙な事態が発生する。そして結局、海が凪ぐまで遺体安置室に収容される。

■一族郎党がご遺体と化す危険性がある
海難事故が起こりうる。船が激しく揺れれば火葬炉の事故も起こりうる。火事と水難の二つの危険を抱えるわけで、葬儀を出して死に至るとはお悔やみの言葉も見当たらない。

「安全性などの問題をクリアして、3月までに結論を出す方針だ」(リンク先記事より)とのことだが、どうクリアするか注目どころである。
(小松朗子)

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火葬船構想に思うこと

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2008年2月16日 (土)

『吉原 泡の園』第55回/世間様とは「さよなら」した身

 弁護士との接見はすぐに終わった。次に会うのは東京地方裁判所だ。そこで免責の降りた者は裁判官に名前を呼ばれる。それが自己破産確定の時でもある。
 当日、どれほどの人が裁判所に来ていただろうか。あまりにも多すぎるので、裁判自体は数十分で終わるそうだ。1人頭ものの数分という計算である。
 まるで学校の合格発表かのように若者が多く、自己破産を受けに来ているものにしては数が多すぎるように感じた。

 裁判所の中に入り、椅子に腰掛ける。裁判官に名前を呼ばれた者は起立する。
「以下の者、免責を認定する?」
 とかそんな感じの事をたしか言われた。呼ばれた者は法廷を出て、裁判所の廊下に集まり、担当弁護士先生にあいさつなどをして帰宅する。
 まったくもって簡単であり、あっけないものだった。自己破産は弁護士を通さなくてもできる。しかし確実に免責が降りるし、手間も省けるので、ほとんどの人が弁護士に頼むようだ。費用はその人の借金額によって違うが約30万である。
 その30万は分割OK。たったそれだけの額で、600万近くの借金の重荷とさようならできる。
 人生たった一度のドラえもんグッツのようなものか、というと怒られるかもしれない。

 ただ自己破産した実感はなかった。どのみち世間様とは当の昔にさよならした身だ。それに今は吉原のど真ん中で生活している。ここにいると何が起きても気にしなくなってくるし、また気にしていては生きていけない。世間にさよならはしたけれど、どこかでまた戻れるという淡い期待もなくはない。ただ、こんな生活から普通の生活に突然変われるとは思えないかった。なるようになれ、といった感じが正確かもしれない。

 ともかく借金返済という重荷だけは免れたので、随分と気持ちも楽になった。返済分を食費に当てらので、義理風呂があっても生活に余裕が出てきた。
 仕事は相変わらず怒鳴られっぱなしだが、じつは意外とできるようになっていて、ミスも少なかっていた。

 そんなある日、朝のミーティング開始時間に出勤すると、大きな体をした男が店のフロア―にいた。こいつも借金取りか、ヤクザ関係者か、と相手にしないようにしていると。
「あのー、R店の人ですかー」
 とのんびりと象さんのように聞いてくる。
「ええ」
 面度臭そうに答えると、うれしそうに微笑む。メガネのレンズは分厚く、かなり目が悪いのだろうと想像できた。
 はちきれんばかりのスーツ姿だ。

 スタッフが揃うと、マネジャーが話し出した。
「今日からうちで働く事になったHだ。以前はA店にいた」
 A店というのはR店の近くにある高級店だ。
「H、あいさつしろ」
 ボーっとしていたHにマネジャーが渇を入れた。マネジャー5人分くらいの体格をしていたHだが、どこか気の抜けた感じのする男だった。
「あ、Hです。よろしくお願いします」
 メガネの奥の目は贅肉で埋もれ、少しだけ鋭い光を放っていた。これだけの体格に恵まれていて、どうしてソープで働くのか、少し不気味に感じた。たまたま寮の部屋が空いていたので、僕と同じ部屋となった。それまでいたTちゃんが、3畳ほどの1人部屋に移ったのだ。
「マル、部屋まで案内してやれ」
 とりあえずHはかなり年上だし、得体の知れないオーラを放っていたので、僕は「Hちゃん」と親しみを込めて呼ぶことにした。Hちゃんは僕をマルちゃんと呼んだ。僕も先輩として威厳を見せようとするが、なにせ持ち合わせた貫禄が違う。こいつ、何者だ、と様子を探ることにした。

 ボロ寮に入り、部屋を案内する。
「ドアは絶対に開けっぱなしにしないこと。ねずみが部屋に侵入するからね」
 とドアを開けたらすばやく閉めることを教え、服をかけるクローゼットを教え、2段ベッドの下を指差す。
「ここが空いているから。さすがに上だとベッドが抜けるでしょう」
 と冗談などを言ってたら、Hちゃん、おもむろにバッグから写真立てを取り出した。
 そこには綺麗な女性と子供3人が写った写真が飾られていた。それを枕元に置く。
「へー、知りあいですか」
 聞いていいものか、少し戸惑いながらも僕はHちゃんに質問した。聞いて怒り出したりはしないだろうかと心配だった。とにかく体格が違う。贅肉がついているとはいえ、Hちゃんが暴れ出したら僕にはどうすることもできない。きっと。

「嫁と子供だよ」
 メガネの奥でやさしい目が、こちらを見返す。
「へー、結婚してるんですか」
「ううん、離婚した」
 ええー、いらぬこと聞いちまった。
 でもまてよ。どうして離婚したのに、そんな相手の写真を枕元に飾るんだ。全くここは変わり者しか来ないのかよ。
「離婚したけど、お互い嫌いで離婚したわけではないんだよ」
「ふーん」
 それ以上、理由を聞くのは野暮ってもんだ。僕はそんな離婚もあるのかな、と思いを馳せていた。(イッセイ遊児)

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2008年2月15日 (金)

柳美里氏と猿害ホテルの事件が促す取材者の覚悟

 最近、あいついで取材者と取材対象関係者とのトラブルが起こった。
 1つは餌でサルを呼び寄せて猿害風景を撮影した、と志賀高原のホテルがテレビクルーをブログで告発した件。その後、「誤解を与える表現があり大変騒がせした事をお詫び申し上げます」と謝罪したが、ネットでの騒ぎはまだ続いているようだ。
 もう1つは作家の柳美里氏がブログで息子の虐待を疑わせる記事を書き、その「疑惑」を取材しにきた週刊誌記者に柳美里氏が激怒した事件だ。彼女は記者が息子をつけ回したとしてブチ切れ、自身のブログで記者の名刺を公開、版元がアップしていた記者の顔写真にリンクを張った。

 どちらも真相はよくわからない。
 猿の撮影については今年に入って猿害が報告されていないとの報道もある。柳美里氏の虐待については、自身のブログで当日の内容を改めて詳しく書き、「広義な解釈で『フィクション』」だったと釈明した。とはいえ虐待を疑われる本人の記述だから記者が取材に行くのも十分に理解できる。また記者の取材方法についても、柳美里氏と版元側の言い分は食い違っているようだ。

 結局、これらの真相がハッキリすることはないだろう。また私自身、その真相に興味はない。ここで取り上げたいのは、取材者が持つべき覚悟についてだ。

 最近、取材者に対する世間の目は厳しい。うさんくさい奴らだと多くの人が思っている。事件を隠蔽しようする取材対象者から、このように思われるのなら仕方ないが、実際には事件に巻き込まれた被害者からも評判が悪い。

 私も後追い取材で、過去に幾度も先行したマスコミの悪口を聞いた。まったく意図と違う報道をされた、味方の振りしたので話をしたら騙された、非常識で会うのも腹立ったなどなど。自分自身がどう思われているのかは調査していないので偉そうなことはいえないが、記者に怒っている人がけっこう多いことには驚かされた。

 それでも10年前なら怒った人に対抗手段がなかった。版元や放送局に訴えてもラチがあかない、裁判は手続きが面倒ときている。
 しかしインターネットが状況を変えた。メディアへの不審はネット内でのニュースバリューが高いだけに、吹き出した疑惑は一気に大きくなる。記者の個人情報がネット内にあれば、即座にさらされる。

 こうした記者の吊し上げが正直いいとは思えない。でも、もともとメディアはそんな仕事かなとも思っている。
 メディアの発祥が瓦版だとするなら、そもそも高貴な職業であるはずがない。今だと驚かれるが、1960年代初頭には「テレビ局みたいな所で働いているヤツに娘を渡さない」なんて言う父親もいたのだ。
 日陰者が「汚れた」話をかぎまわっているのだから非難を浴びても仕方ない。権力を笠に着た攻撃には徹底的に闘うべきだが、顔ぐらいネットでさらされても我慢するしかない。そう思っている。

 実際、僕の尊敬する取材者は逃げも隠れもしない。有名なルポライターは名刺に自宅住所と電話番号が印刷されいた。マスコミ電話帳にも、その情報がしっかりと掲載されている。以前、そのことについてたずねたが、まったく気にしていなかった。
 本誌で連載してもらったことのあるカメラマンの石川文洋氏などは、ベトナム戦争で従軍取材をした人だから、ネット攻撃どころか実弾攻撃のなか取材を続けていた。
 これが取材の気概とも思う。願望を込めてであるが、そうありたいなと思っている。(大畑)

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2008年2月14日 (木)

バレンタインとデジタル・デバイド

 先週、フードデバイドについて書いた。そこまで深刻じゃないが、ちょっと気になっているのが食品とデジタル・デバイドについてである。

 じつは2月2日にチョコを買いに行った。といっても同性愛者になったわけではない。チョコ好きの友人から頼まれ断り切れなかったのだ。お目当てはヴィタメールの「薔薇のショコラ」2100円也。(高いすぎでしょ、コレ……)

 バレンタインデーが近づくと売り場も混むし、何より女性の集団に負けずに購入する元気も勇気もないので、2月2日(土)の開店直後、日本橋高島屋に出向いた。もともと顧客の年齢層が高い日本橋店だったこともあるのか、バレンタインデーの特設会場はガラガラ。ところがヴィタメールの売り場で死ぬほど探しても、お目当てのチョコがない???

 高島屋のバレンタインデー特別販売期間は1月30日からで、3日間しか店頭販売していない。まさか売れ切れでもないだろう。だとしたらメーカーを間違えたのかもしれない。
 でも、ただでさえ会場で浮いているで店員に尋ねる勇気もなく、特設会場入り口に置いてあるバレンタイン用のパンフを見直してみた。ところが、やっぱりお目当てのチョコはヴィタメール製だった。

 結局、ショーケースにかじりついて探し、そのあといきなり会場入り口に戻ってパンフをめくり、また脱兎のごとくショーケースに戻ってくる不審な客となった店員に質問した。
 店員さんによれば、「薔薇のショコラ」はネットで注文が殺到。もう店頭への入荷の見通しが立たないとのこと。「じゃあ、どうすればいいのか」と質問すると、個数の制限を超えていないならネットで注文するのが確実とのこと。実際、ネットで注文して商品が届いたのだが、このメーカーの対応は面白いと感じた。

 ネットで人気が出ているとなれば、店舗でも売上げが期待できるはず。でも実際には店頭よりネット販売を優先したわけだ。店頭販売用のパンフレットに写真が掲載されていたのにもかかわらずである。
 ただ、理由はわからなくもない。とにかくネット注文が殺到しているのだから、天気によって売上げが左右される店頭よりロスが少ない。また、店頭なら「売れ切れです。もうしわけありません」と言われたらけっこう納得しやすいとも思う。少なくとも「もう売り切れなんてさいてー!」とかネットに書き込むこともないだろう。

 デジタル・デバイドとは情報量の差から生まれる格差と考えていた。例えば転職などは紙媒体よりネットの方が質が高いといわれる。企業側も「ネットぐらい扱えないとね」ということらしい。そのためネットの情報を得られる人が有利になる。
 ところが今回のチョコは「薔薇のショコラ」が売り出されるという情報を得ているかどうかの差ではない。購入方法を直売ではなくネットを選択することに格差が生まれる。
 これと同じような構造を持つ食品としてルセットのパンがある。2斤近くあるパン1ホールで3000円。驚愕の値段だが、とにかく大人気らしい。で、問題の購入方法だが商品はすべてインターネット販売。携帯電話経由のネット販売も受け付けていない。ホームページなどを読むと、めちゃくちゃこだわって作るため作れる個数も限られており、ネット注文に応じて販売するのが合理的らしい。

 食品は賞味期限があるだけに店頭で売ればロスが生じる。逆に大人気の商品を店頭販売すると店の前に行列ができかねない。もちろんネットで販売すると送料がかかるし、試食などができないという問題もある。それでも、こうした問題をクリアできる食品のネット販売は増えていくのではないだろうか。

 かつて店頭販売と通信販売を比べれば店頭に優位性があった。チケットぴあに電話しても繋がらないから、プレイガイドに早朝から並ぶという選択肢があったわけだ。ところが、この優位性は逆転しつつあるのかもしれない。

 ネットを当たり前に使いこなしているとあまり感じないが、じつはネットに接続できない人は少なくない。デジタル・デバイドについ、ちょっと考えさせられたバレンタインだった。
 もっと考えることもありそうだけどね……(大畑)

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2008年2月13日 (水)

エイミー・ワインハウスがグラミー主要3部門制覇

Winehouseとは本名なのだそうだ。その名を地で行く酔っ払い。だからリハビリ施設に行けとの忠告を拒否した歌を披露したら記録的大ヒットで「飲み」ならぬノミニー。だけでなく新人賞を入れれば主要3部門を制覇。でも“I said no, no, no”との態度まかりならんと移民局が米国ビザ発行を認めずI wont go, go, go。母国イギリスからの中継で授賞式に参加した。出来すぎてるけど面白い。

このところ主要部門独占というのが一種のバリューとなっている感があるグラミーだが、それをエイミーとしたのは一種の見識だろう。新人という点も含めて最近ではノラ・ジョーンズが似るけど彼女の場合はアメリカ人だし素行は申し分なく楽曲もアメリカ好み。対してエイミーはUKチャートの女王ではあるものの全米ではセールスとして1番というわけではない。
選者は何を気に入ったのか。ブリ張りのお騒がせが気に入った……わけはない。アルコール依存症という連想からビリー・ホリデイを見た……はずもない。
「はずもない」か? エイミーのスタイルは10代はもとよりパンク・ムーブメントで育った世代も、ビリー・ホリデイ崇拝世代もそれなりに思い入れができるオルタナティブな要素がある。歌唱はビリーよりエラフィッツに近いが。何はともあれ既存の権力に反抗的という点をとってみればグラミー好みともいえる。ビザ発行を認めなかった=不寛容なブッシュ・アメリカ=それに反抗する我がリベラルなグラミーという連想からノミニーに留めず受賞へ突き進んだのかもしれない。そういえばオバマ氏も賞をもらっていたし。

もう1つの側面はカニエ・ウエストに対する相変わらずの扱いである。「カニエでいいじゃん!」がまだ「エイミーでいいじゃん!」を上回らない現実。いつものように「ラップ部門総なめ」というありがたいのか腹立たしいのかわからない受賞となった。授賞式でのカニエは露わに不満こそ示さず、むしろ感激している風を見せていた。装っていたのかもしれない。もうかなり大人しくなってますよとアピールして次回への布石としたのか。確かに授賞式で吠えるという従来までの姿勢では事態はいつまでたっても打開できない。
それでもカニエに対するグラミーの「封じ込め」は異様に感じる。今の彼はもはや電気泥棒のブロックパーティでの帝王という位置にはいない。ナイル・ロジャース、クインシー・ジョーンズ、ベイビー・フェイスなどと比べても遜色ないプロデューサーでもある。
かえってそれがいけないのかな。いったんカニエに主要部門を認めると曲はどれも「ピーポーピーポー・ゴー!ピーポーピーポー・ドゥ!」のようにしか聞こえないアンチヒップホップの人々にとって「不良の音楽」が栄光あるグラミーを席巻するアリの一穴になると。いやカニエの存在感を考えるとゾウの一穴か。なおさら怖い。まるでパンデミックを防ぐための封じ込め作戦のようだ。

最優秀アルバム賞のハービー・ハンコックは誰もが意外だったろう。“River: The Joni Letters”は「きちんとした人々」が集まったコラボレーションだったのでエイミーの新人賞を除く主要三部門独占という事態を回避するための毒消しとして、またはカニエに「彼ならば仕方なかろう」と思わせる大御所として決まったようである。でも“River: The Joni Letters”って売れているのかしら。

商業的には抜群のジャスティン・ティンバーレイクはほどほどを与えられてバランスを取る。イケメンに厳しい私としてはこんなものでいい。それにしてもブリにふられていてよかったよね。

マルーン5は最優秀ポップパフォーマンス賞デュオ/グループを受賞。これでアダムのシャラポワショックも少しは癒えたであろう。複数受賞のアリシア・キーズは今回が常連への足がかり。彼女は年配にも人気があるので主要部門受賞もヒットが続けば夢ではない。

ロバート・プラントはアリソン・クラウスと最優秀ポップコラボレーション賞をもらった。ツェッペリンのヴォーカルとカントリー(ブルーグラス系)の売れっ子の組み合わせはコラボレーションという点で確かに面白い。でも曲を聴くとロバート・プラントの声があまり聞こえてこない。アリソンがガンガン来てロバートが時々「フワーアアア」とおなじみのハイトーンに行く気配だけ見せて行かない。行けないのだろう。でも元気で何よりである。(編集長)

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2008年2月12日 (火)

Wii Fitで健康に??

 昨年(07年)12月にWii Fitというのが出た。
 これはバランスボードになっていて、基本的にバランス感覚を養う体感型ゲーム機である。
 もちろんWiiがないと遊べないが、Wiiさえあればプレイすることができる。発売以来、大変な人気で完売する店が多かった(本体とは違いすぐ入荷するが)。 とりあえず好き者としては買わないわけにいかないので発売当日に買ったことは言うまでもない。
 付属のソフトを起動させると、体重、BMI、バランス年齢がわかる体チェックと、トレーニングの二つのメニューがある。
 トレーニングはヨガ、有酸素運動、筋トレ、バランスゲーム、お気に入りの5項目がある(このためにゲームを立ち上げた)。
 私のお気に入りはヨガと、有酸素運動のながら踏み台だ。ヨガは置いておくとして、ながら踏み台はテレビを見ながらなど何かをし「ながら」決められた時間踏み台昇降をするのだ。なので、2画面にしてお気に入りのドラマ『CSI』を見ながらやっている。
 さて、一つ一つの項目だが、ヨガは15種類、筋トレは12種類にチャレンジとして3種類、有酸素運動とバランスゲームは9種類。
 DSの脳トレーニングゲームのように、条件をクリアしていくと新しいトレーニングや難易度などが追加される仕組みになっている。
 本当に家族でわいわい楽しみながら遊ぶことができる。「ゲームで運動?」と思う方もいるかもしれないが、なんでも継続は力なりで、続ければ運動不足解消、もしかしたらやせることもできるかもしれない。
 今はやりのメタボリックも、楽しくわいわい家族でやれば撃退できるかもしれない。
 ただ種類が少ないので、追加ディスクなどを売り出して欲しい。ネットにつないでいない家庭もあるだろうからそういったニーズにも応えて、ネット販売と店頭販売の両方でこれからもリリースして欲しい。
 せっかく増えてきたゲーム人口、増やすも減らすも任天堂次第だ。(奥津)

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2008年2月11日 (月)

PS3のためにAV投資をしてみた。

 これまでゲームといえば、クリアしてなんぼだと思っていた。
 いや、今もそう思っている。

 が、第3世代機が出て、さらにハイクォリティなソフトを作れるようになった。
 そうなってくると、クリアをするだけではなくその恩恵を受けないともったいない! という思いが出てくる。
 というわけで、42インチの液晶テレビを購入。これまで液晶ではあったが画面が小さく、対戦プレイをしているとさらに小さくなりよく見えない。だが、画面が大きくなったことでそういったストレスが減った。
 しかし、このテレビ。映像と色は美しい。だいたい40インチ以上になると液晶だと色や画質が落ち、プラズマのがよくなる。
 40オーバーで値段もお買い得だったが、音が悪い。気にしなければ気にならないが、音もよかったシャープ製を使っていたため気になる。
 そういうわけでホームシアターセットを買った。これは5つのスピーカー、ウーハー、アンプを設置して、まるで映画館にいるような臨場感を味わえるという代物。それをメカ好きの私が設置し、AV環境がさらに進化。 ここまでいけば映画を見るわけでもないし、たかがゲームなんだからこだわる必要はないのではないか……と思われるようだが、色、音がよくても解像度がよくなければPS3のもっている力を最大限発揮することができない。
 というわけで、出力端子を買いに行った。
 これまではビデオ入力(赤白黄のコード)だった。いつものようにヨドバシへ行き、コードを見る。
 当初はD端子にしようと思っていたが、さまざまな端子の説明を見て吟味した結果、HDMIを買うことにした。
 HDMIはDVDレコーダーですでに使っていて、実際のところあまり効果のほどがわかっていなかった(お恥ずかしい)。しかし、説明によれば音と映像が出力できる次世代端子ということで、次世代好きの私には魅力的に映った。
 早速、コード50センチのものを買いつなげようとした……が、短すぎて届かない。なのでDVDのと交換し、その後もいろいろあったが接続完了。
 PS3の電源をつけると、解像度がめちゃくちゃ上がっている。これまではなんとなくボンヤリというかノイズがかっているような気がしたが、クリア! 心の中で「ゲームショップのデモ画面みたい!」と叫んでしまった。
 このようにして新次世代機を快適に使うという目的のもと(夫は違うが)、総額ン十万円かけて改造を施した。
 しかし、私は最後の最後まで気づいていなかった。
 この2日ほど前、我が家にあったたった1枚のPS3ソフト『忌火起草』(ヨドバシのセールで3000円で購入)を売ってしまっていたことを……。
 なので今現在、PS3のソフトをこの環境で遊んでいない。そして当分、遊ぶこともない。
 一体、この投資はなんだったのだ。早まりすぎた。
 しかし、PS3で遊ぶなら、是非ともHDMIをテレビと接続して欲しい。PS2のソフトでさえも解像度がよくなりなかなかの仕事をするからだ。(奥津)

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2008年2月10日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第6回 仏教葬儀屋―仏教家族葬の会

 第1回で「僧侶派遣」について書いた。僧侶派遣とは、葬儀や法要の際に僧侶や寺院を宗派・予算にあわせて紹介し、菩提寺のない方でも一般的な仏式葬儀・法要ができるよう場と人材をととのえるものだ。そして「葬式といえば、仏式」と当たり前のように信じて止まない、通常は葬儀そのものに関心のない日本人の心理があるからこそ成り立つ業界だと述べた。僧侶派遣が流行すると、葬儀社に対する寺院や僧侶の下請化が進んでしまうと危惧する向きもあるのだが、僧侶派遣の叛流とも呼べるグループがある。愛知県で発足した「仏教家族葬の会」がそれだ。今月号「寺門興隆」(興山社)に詳しい記事がある。以下、抜粋すると

人々が注目したのは、次の二点だった。まず、この会のお葬式は、お寺の本堂を使って二十人ほどの小規模葬儀(家族葬)を行うことだ。(中略)二点目が、お布施の額を明示した葬儀料の公開。"お布施込みで最低五十万円からの葬儀を引き受けます"と、お寺自らが告知したことなのだ。
(「寺門興隆」08年2月号,p.29,興山社)

とある。僧侶派遣のように葬儀社が宗教者をホールや自宅へ派遣するのではなく、あくまでも寺院のグループが主体となって取り仕切り、お寺(葬儀式場)ごと貸し出しますよ、というセールスなのである。ここには僧侶派遣に見られるような葬祭業者の主導的介在はない。とすれば、「棺さえ準備してくれれば、あとはおれたちがやるから」の世界、なのか?

 死者を弔うことよりも寧ろ遺族の頭を悩ませるのは、お客様をスムーズにおもてなしすることである。そのことでアタマがいっぱいで弔う気持ちが失せてしまう遺族が星の数ほどいる。宗教者はそんなところまでフォローできない。というか、彼らの仕事の範疇ではない。血眼になりながら香典返しの数を数えたり、汗だくになりながら精進寿司の追加に奔走したりする僧侶を私は見たことがないし、見たくない。しかしこの会ではそれをするというのだ。窓口はすべて「仏教家族葬の会」。仏教に特化した寺院主体の葬儀社と考えればよい。実情は細々とした手配に関しては葬儀社にアウトソースすると考えても、寺院主導なのは間違いなく、僧侶派遣とは逆の立場になるわけだ。
 すると「お坊さんがお葬式をする」という、一見フツーに見えて今までありえなかった状況が成立する。
 今まで、お坊さんが主体となってお葬式をするということはなかっただろうと思われる。なぜなら宗教者は儀式の主役であり、主役は出番がくるまではただ奥で控えているだけであり、儀式以外の煩雑な事柄は全部葬儀社やら隣組のおじさんやらが取り仕切ってまとめてきたからだ。
 「お坊さんがお葬式をする」という事態は、主演女優が映画監督もこなしているようなもんである。まあ、助監督(葬儀社)のほうが実際に仕事をしているのだとしても。

 なんにせよこの流れが全国に伝わってきたら、葬儀の仏教化は僧侶派遣が流行するよりもずっと確実に、そして深く進む。「葬式は葬儀屋に頼むもの」という認識が、「葬式はお坊さんに頼むもの」という認識に変わるのは矢のごとくに早いだろう。
(小松朗子)

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2008年2月 9日 (土)

『吉原 泡の園』第54回/そして自己破産へ

 Tさんが飛んだ後、仕事の多くを僕1人でやらなければならない日が続いた。Tちゃんにしても、他の先輩方にしても一向に手伝ってくれる様子はないからだった。
 グループ幹部が集まり、グランドオープンに向けて打ち合せをしている日が続いた。僕は、この頃が1番つらかったかもしれない。

 忙しい毎日に追われ、自分の事まで手が回らないようになると、借金をしていた数社から、いよいよ督促を受け始めた。
 ときに女性からも電話があるが、女性だからといって甘いわけではなかった。
 今までの人生観を180度変えられた。女性は甘いから、ある程度のことは許してくれる。それが僕の甘ったれた持論だった。ところが吉原では女性が花形スターであり、ボーイは影の存在なのだ。許してなどくれない。それにくわえて借金取りの女のキツイ言葉遣い……。
 もう、女性というものに対してかなりの失望感を味わい、現実の、生身の女のいやらしさを知った。今まで男同士で騒いでいた猥談など、一体なんだったのだろう、と思うくらい価値観が変わったのだった。

 借金の相談に四谷三丁目まで行くと知った店長は
「俺も随分そこの弁護士会の連中には警察に連れていかれたもんだよ」
 などと笑えない冗談を言ったりしていた。
 厳しい金銭からやりくりした30分で5000円。とにかく弁護士に相談するだけで、相談料がかかるのだ。スターやアイドルとお話しをするような感覚だった。
 壁で仕切られた部屋の入り口に名札があり、僕はF弁護士の名札を探した。ノックして中に入ると、背の小さな、温厚なおじさんが座っていた。
「どうも」
 F弁護士はそう言って僕を椅子に促がした。
「で、カード何枚お持ちで、いくらの借金があり、現在の収入はおいくらくらい」
 冷静沈着、すごい腰の据わりようだ。僕のように、理解できなくなるととりあえず騒いぐタイプとは違うみたいだ。
「え、えっとですね…」
 僕はありのまますべてをお話しした。すると、即決と言おうか、考える前に。
「うん、自己破産しかないね」
と言われた。
「あのぉ、債務整理とかの法的措置の余地はありませんか」
 僕は恐る恐る聞いてみた。
「ないです」
 これまた即決だった。
 肩を落としたと同時に、これで借金地獄から開放、いや、返済地獄というのが正確だろう、返済地獄からの開放だ。と安堵する部分もあった。
 弁護士が入れば、ほぼ裁判所の免責はおりるが、万が一おりなかったら、と少しは不安もあった。

 2002年度の自己破産者数は実に21万5000件以上である。これには驚いた。
 これだけ多くの人が借金で苦しんでいたのかと。
 もちろん不順な動機での借金もあるだろうが、1回だけは国の制度でいわいるチャラになる。

 そしてまた、その制度に目をつけた悪質業者がいることを忘れてはならない。
 破産をした当の僕でさえ、広告などを見ているとあたかも破産するのは危険だから、この制度を利用して。などという謳い文句を目にする。それは更なる泥沼化を引き起こす要因である。
 例えば破産すると障害者扱いになり、戸籍に登録される。などまったくのデタラメであり、そうした不安を煽ることで、一本化の融資を持ちかける悪徳業者がいる。
 オレオレ詐欺が横行しているが、久しぶり詐欺、私私詐欺など、あの手この手で悪徳業者はあなたを狙っている。そしてその中には恐らく僕のような人間もいるだろうし、Tさんのような人間もいるだろう。しかし、バックには暴力団という傘があることを忘れてはならない。

 ただ、一概に暴力団だからダメ人間という簡単な問題でもない。そこでしかいきられない人種もいて、それらに助けられる吉原の人種もいたりするのだ。
 問題は詐欺などの凌ぎをする人種ではあるが、僕がマネジャーに逆らえなかったように、暴力団同士でも中々言えないこともあるようだ。ならば、自分の身を守ることができるのは、そうしたさまざまな知識を得て、広げ、関わるか、関わらないかを判断する力を養うことが必要ということだろう。
 自分の価値観だけの世界で奢らずに、多くの世界を知り、知識を広げ、考えることが想像力として思いやることに繋がるのではないかと、悪徳業者の広告を見ていて感じたのだった。(イッセイ遊児)

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2008年2月 8日 (金)

毒入りギョーザ事件で本格化するフードデバイド

 毒入りギョーザ事件により中国産の生鮮野菜の価格が下がり始めたと報じられた。『日経新聞』によれば、「流通量の約6割を占める中国産サヤエンドウの2月1日から5日の平均卸値は1キロ145円。前年同期より55%、1月下旬に比べても29%安い」というから、かなりの値下げ幅だ。この需要分が国内産へと流れるのだから当然、国内産の野菜は値上がりする。

 この記事を読んで、日本におけるフード・デバイドは新たな領域に入ったと実感した。

 わたしが「フード・デバイド」という言葉を知ったのは、船橋洋一氏のコラム「米国のスーパーサイズ症候群。フード・デバイドが新たな格差問題に」だった。『週刊朝日』(2006年6月23日号)に掲載された記事を、半年ほど遅れてネット上で読んだのである。
「フード・デバイド」とは「食物格差」とでも訳すべきもので、地域格差や貧富の差によって、食べ物はもちろん食生活が大きく違うことを示す。
 当初、フード・デバイドで注目されたのは、米国での肥満の問題との絡みだった。前述の船橋洋一氏のコラムには、米国のロバート・ウッド・ジョンソン財団がまとめた「危機に瀕する国:米国の肥満症」という報告書から、次のような結論を抜き出している。

●シカゴでは、白人が住むノーウッド・パークでは子どもの23%が肥満症だが、黒人とヒスパニックの居住地区では58%から68%が肥満症。
●ニューオーリンズでは、低所得層と黒人層の居住区ではファストフード店がはるかに高い密集度を示している。
●低所得層の女性は高所得層の女性に比べて50%以上、肥満症になる確率が高い。

 ファーストフード店が肥満の大きな原因となっているなか、低所得層の住む地域にファーストフード店が密集し、当然のように低所得層が高所得層より肥満の人が多くなっているというわけだ。肥満が生活習慣病を引き起こす要因になることを考えれば、低所得者と高所得者の疾病率や死亡率にも差が出てくることだろう。
 
 今後、このような格差が日本でも起こってくるに違いない。ただし格差は肥満として表面化するのではない。何十年後かにいきなり疾病率という形で表れる。残留農薬が心配な野菜やBSEの感染が疑われる牛肉など、安価の代償として食物の危険を引き受ける可能性が高いのは低所得者層だ。特に都市部の低所得者が危ない。自分たちで作った野菜などが食べられる田舎なら、まだ安全性だ。
 もちろん高い食材が必ずしも安全とは限らない。しかしお金を出せば、とりあえず安全な食物を選べる可能性は出てくる。

 以前、有機無農薬の農家に取材したことがあったが、市価より高値になるのは仕方がないと感じた。というのも、どんなに手間をかけても、農薬をまくほどには生産を安定させられないからだ。虫が多い年もある。植物の病気が流行りやすい天候もある。それを経験と知恵で乗り切っていくのが農家の腕の見せ所とはいえ、やはり自然の前には屈せざるを得ない。そうしたロスを全体としてならし、少しずつ野菜の値段に転嫁していかなくては、農家も生活できなくなる。結果として少しずつ野菜の値段が上がる。逆に言えば、消費者の生活が本当にギリギリだと、無農薬の野菜は買えなくなってしまう。

 一方、危険だと市場から判断された食材の値段はどんどん下がっていく。そして市場で腐ってしまうのかといえば、もちろんそんなことはない。どこかの誰かがホクホク顔で買っていくわけだ。以前、米国でも捨てるくず肉をメキシコ経由で外食チェーンが買った報じられたことがあったが、同様のことが国内の市場でも起こるに違いない。

 結局、一番安全なのは食材を厳選した自炊。次は食材の値段をある程度落とした自炊。最悪なのは激安の外食ということだろう。わたしの日常生活は間違いなく最悪の部類。しかし自炊をできる環境にもなければ、カネもない。これぞ「格差」。数十年後にフード・デバイドの恐ろしさを知ることになるかもしれない。(大畑)

関連記事:「毒ギョーザ」にみるリスク管理

http://kenuchka.paslog.jp/article/819998.html

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2008年2月 7日 (木)

ドリームボックス 第3回 海外で病気になると…(後編)

今回は、一人で病院に行きましたが、担当はプライドの高そうな若い男性のお医者さん。だいたい、この年代でこの性別だとその人の顔つきからどんな状況になるか想像できます。
同年代の男性医師の場合、もちろん医者だからプライドも高く、しかもやはり男性は女性よりも上でなければいけないというようなプレッシャーみたいのもあるのだと思います。言葉の問題で、女性である私に対して尊大な態度を取れないことでプライドが傷つき、女性患者より英語ができないので、そのせいで卑屈になり、攻撃的な態度をとる結果となるのでしょう。態度もぎこちないし、英語も本当にたどたどしいし。
私は、抗生物質はいらないと思っていましたけど、その理由を説明してもわかってもらえないだろうとやめました。うがいぐすりも私は「オエッ」となる方だからもらっても実行できないものの、言っても無駄と思ったので、とりあえず言われたとおりの処方箋をいただいて薬局で目減らしすることにしました。

ちなみに、私の考えでは、風邪の感染後に抗生物質を飲んでもすでに発症していれば治すのは無理で意味がないと思うのですが誰か詳しく知っていたら教えてください。

のどを診るときには口が大きく開けられませんでした。もう何日も寝たきりだったので顎関節症が悪くなって、食事をするにも苦労するほどでした。だからできなかったのですが、そのお医者さんは、「ちゃんと口を大きく開いてくれなきゃ診察できないじゃないか」とイライラ。私は、あごをマッサージしつつ何とかしようとしたけどそれでも無理。「顎関節症なので」と言いたくても英語でとっさにその言葉が出てこない。
なんでそんなことで患者の私がイライラさせられなくてはいけないのか、イライラしているのは、こっちの方だよと気分が悪くなりました。それと同時に普段はめったに感じない母国語ではない言葉での生活の不自由さを感じてしまいました。

これが、女性医師または、年配の男性医師になると対応もかわって、医師のほうにいくぶん余裕があって、相手からまず英語が完全でないということをカミングアウトしてくださるので、私の方も「私の英語も完璧ではないので、うまく説明できていなければごめんなさい」と答えます。

知っている医師のところにうかがうときは、私は、よく先にメールでどんな症状があるのか自分はどうしたいと思うのか、送ることにしています。どんなに複雑な話でも、メールであれば辞書を使いながらゆっくり書けるし、医師の側もわからない言葉があれば調べながら読むことができる。つまり私がお伝えしたいこと
が完全に伝わるはずです。
しかし、今回のような風邪などの急病は、その日のうちに病院に行きたいのであせります。私のお友達の家族には医師が多いので、これまではその方々に診ていただいていたのですが、最近は、なんだか弱っているときに知り合いの家族に診ていただくのがちょっと恥ずかしくなってきてしまって……。何しろお友達のご家族は、日ごろからホームパーティーなどでよく顔を合わせる方々ですから。
あと、最大の理由は、こちらのクリニックはほとんど予約診療なので突然電話していかにも知り合いだから今日緊急に私の診察の予定を入れてと言うような感じになってしまうのが悪い気がしてきたのです。実際に「Brendaが病気じゃすぐに診てあげなくちゃ」とクリニックの患者さんをお待たせする形で予約を入れてくださるとか、時間がなければ自宅で診ていただくことになってしまいます。しかも、お友達だとお支払いはいいですよといつも言ってくださるのでそれもとても恐縮してしまいますしね。
あまり自分の不調で人を振り回すのもどうかなと思って、最近は自分で手配できる余裕があればですが、一般の外国人診療可能のクリニックに予約なしで駆け込むことにしています。いきなり行って「予約していないんだけれど診ていただけますか?」も急ですが、こちらの方が言いやすい気がして。

ヨーロッパでもパリとかブリュッセルのような日本人の多い都市に行けば、日本人の医師かまたは日本語を話す現地人医師がいるので問題もないとは、思いますけれどね。

ポーランドは、私のように健康で英語が堪能な20代には、どうにか普通に生活可能ですが、英語の能力が中級ぐらいで年齢も中年以降になるとかなりチャレンジングな場所になりそうです。お子さんを連れてきていらっしゃる方も幾人かいらっしゃいますが、すごいチャレンジなんだろうなと思います。とくに医療の問題でリスクにさらされているなと感じます。私にもし子供がいたらここに住む勇気はありません。こういったことは、本当に深刻な問題です。

私は、ポーランドで車を運転しません。通常はいつも同じタクシーの運転手さんを直接呼び出す形にして、自分のお抱えさんとしてお願いしています。信用できない人に運転を任せたくないからです。また、長距離の車の移動は、なるべくしません。なぜなら、本気で事故が恐いから。もし遭遇して救急車で運ばれたらどうなってしまうでしょう。すごく運が悪ければ、衛生管理のなっていない病院で手術されて、B型肝炎にでもなるかもしれないし、そんなことが起きるか起きないか、誰もわからないのです。実際にポーランドで手術を受けて感染症でひどい目にあった人の話を何人か聞いていますので、本当に恐ろしいです。

私は、一年の中でずいぶんパリにいることも多いのですが、パリではまったく反対の印象を受けます。これが本当に天と地ほどの差で、パリと比べれば、ポーランドでの日本人の生活は、窮状といえるでしょう。私は、パリにつくといつもオルリー空港からエールフランスのバスで市内に向かうのですが、このときに必ずふつふつと湧き上がる想いが、「車運転したい!」です。
私は、もともと運転が好きで特に飛ばすのが大好きなのですが、ポーランドで何回かハンドルを握ったときは、道が悪くてとても飛ばすどころの話ではなかったのです。
パリに関しては、道路事情もさることながら、とにかく日本人向けのサービスは、もう飽和状態で、これではビジネスチャンスもないのではないかと思うほどあふれています。引越し屋さん、美容室、弁護士、不動産屋、インターネットカフェ、葬儀業、塾に蕎麦屋に眼鏡屋に。とにかくなんでも日本語で用がたせます。
そして周りを見渡せば日本人だらけ。パリなら英語さえできなくてもお金さえあれば生きていくことは可能でしょう。ビザの手続きも病院も日本人向けのサービスがかなり充実していますからね。

さてさて、長くなりましたがまだ調子も悪いので今日は、この辺で。
書きながら何がドリームボックスだよ(怒)!!!と自分で言いたくなるような、苦しいコンディションの私ですが早く治して元気になりたいです。抗生物質など飲まずにおいしいお野菜でと温かい御飯を食べて寝ています。みなさまは、お風邪など召されませんようご自愛くださいネ。でも、もし風邪をひいてしまったら、薬が病を癒してくれることなど絶対にありませんので、社畜になるのもいい加減にして、ここぞとばかりにいつも取れない有給をとりましょう。(福冨ブレンダ)

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2008年2月 6日 (水)

ドリームボックス 第3回 海外で病気になると…(前編)

みなさんこんにちは。福冨ブレンダです。

今回は、先日のコンサートの様子をご報告しようかなと考えていたのですが、私は、今この原稿をベットの中で書いています。なんとひどい風邪をひいてしまいました。もう5日も病の床に伏しているのです。

本当に衰弱していて英語とフランス語の読み書きもできない上に、ピアノが弾けないのが痛いです。こんなときに唯一読み書きできるのは日本語のみと病気になって気がつきました。

とにかく、ひたすら暇で、やることがないのは、いつも忙しすぎるのが理由で落ち込んでいる私には、滅多に経験できないことです。

Always look on the bright side of life.
今ロンドにいる元カレがこの曲を聴かせて励ましてくれました。
この曲は、なぜか彼の大好きな曲で、昔私が病気だったとき、悲しくて泣いているとき、よく車の中で歌ってくれました。今日は、モンティ・パイソン(Monty Python)というコメディアンの面白いビデオつきで。モンティ・パイソンは、これまであまり好きではなかったのですがこのビデオは、すごく笑えます。調べてみたらこの曲は、モンティ・パイソンのライフオブブライアンという作品のために書かれた曲なのですね。Eric Idleと言う人が書いたみたいです。知りませんでした。すごい才能がありますね。モンティ・パイソン自体は嫌いだったけどライフオブブライアンは何だか見てみたくなりました。
本当に笑えるので英語のわかる人はご覧になってみてください↓
http://youtube.com/watch?v=P_D7WtOHZd0&feature=related

そう、考え方を変えればこんなに休めるなんて最高! たまたまここ5日キャンセルできる程度の仕事しか入っていなかったのは不幸中の幸いです。こんなときは、ちょっとした翻訳の依頼をされるだけでイラついてきます。
もし、こんなコンディションの時にフライトしなければいけない予定や、ストレスのかかる仕事が入っていると本当に大変です。

私は、飛行機での移動がけっこう多い生活をしているのでこれまでもいろいろな場所で調子が悪くなり、そんなことにも慣れてきた感もあります。保険さえあればどうにでもなるものです。しかも、私の場合さっきまで超元気でお酒も飲んでたのに、突然死んだみたいに病気になるので周りの人もびっくり、私もびっくりです。
それでも、パリやクラクフでならばまだOKですけれど、プラハで病気になったときには、英語を話せるお医者さんがいるかどうか心配でかなり動揺しました。
このように出先で調子が悪くなることは結構あるので、旅行用のランジェリーケースの中には、ポカリスエットの粉がいつも入っています。これをかなり薄めて飲むだけでも、点滴すると同じような効果があるのでお勧めです。あくまでまだ何かを口から飲める状態であればですが。

だいたい、風邪とか疲労からくる病で病院に行ってもどうにもならないことがほとんど。しかし、今回は、3日間寝込んだ末にせめてもの気休めに病院へ向かおうと決意しました。

ちなみに、私は、語学については英語に堪能で、続いてポーランド語とフランス語が少しできます。病院での会話は、いつも英語です。
英語に関しては、物心つかないうちから母からのスパルタ教育を受けたので、それに耐え抜いた代償としてとりあえず、複雑な話も、難しい交渉も、恋愛の駆け引きもできる力を備えています。
英語は、私にとってとても心地の良い言葉です。もちろん話すときは、頭の中は英語で考えています。生活する中で、圧倒的に英語で話す時間が長いので、むしろ日本語を話すときも英語で考えることが多く、日本語での会話が英語の通訳みたいな話し方になってしまうことに困っています。

しかし、こんな私が、未だどうしても英会話で不自由を感じ適応できない場所があります。それが病院。何度行ってもだめです。自分の思いを伝えるのはおろか、指示にもうまく対応できないこともあります。「口で息をして」と言われているのにずっと鼻で息をしていたり……。理解していても緊張してできないとか、
言いたいことがうまく口に出ないとか。

それもそのはず、日本で日本語で話すときすら病院は本当に苦手なのですから。
緊張と恐怖感に押しつぶされそうになって「注射するかもしれない」と思うだけで頭がいっぱいになってパニック状態に陥ってしまうのです。いつもは、誰よりも気が強くついでに芯も強いBrendaなのに……。

そんなわけで、こちらの病院では、本当に大変です。
これまでもいろいろなことがありました。アレルギーになってしまったときなど血液検査をするのがすごく怖くて検査室で絶叫してしまい、ちょっと恥ずかしい思いをしました。
怖かった訳は2つで、一つは針を刺すこと自体。もう一つは私がポーランドの医療を全く信用していないので、その針がきれいか、まさかB型肝炎でも感染してしまわないか心配になってパニックに陥ったのです。

でも、そんな状況で自分の不安な気持ちをうまく説明できないし、さすがに「あなたたちのことが信用できない」とはさすがにいえなくて、つたないポーランド語で「一番細い針を使ってください」と頼むのが精一杯です。

私は、いつも外国人用のクリニックに行っているのでそういう場所での医療の質がそこまで低いとは思いませんが、こちらでは、血液検査やアレルギー検査などをする場合は、検査専門のラボラトリーか公的病院に行かなければなりません。
そこでは英語もほとんど通じません。言葉が通じない場所で、なにか針がついている注射器を見せられるとパニックはさらにひどくなっていつも日本語で絶叫していますが、あちらにしてみれば「こいつ何叫んでいるんだ?」という感じで、みんな落ち着いて笑っているか、さっさとさせろ!と怒っているかどちらかです。

ポーランド語でなだめられても相手が何を言っているか完全にはわからないのでキョトンとしちゃうし、反対になにか怒られると言葉の端々からだいたい何を言われたか理解できるので、こっちも怒りが込み上げてきて、反撃したくなるけど何も言えないので、悔しくて、家に帰ってからもあの看護師め!と思って怒りがわき上がってきます。
私も大変ですが付き添っている人も同じ。看護師さんから「こいつを落ち着かせろ」とか名前のスペルがわからないから検査のラベルにかわりに書けと命じられたりして、てんてこ舞いです。(福冨ブレンダ)

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2008年2月 5日 (火)

とうとう本格的にDSがモテの道具になったんだぜ!

 いつの間にゲームがモテの道具になっている。道具といっても、ゲーム機自体ではなく、ソフトのほうである。
 先日、ファミ通(1000号記念号)を穴が開くほど見ていたときのこと。4月までのソフト発売日リストを見ていたら気になるソフトが……。
 その名も、『デキる男のモテライフ』!!(ババーン!)
 ちなみにこのソフト、昼バージョンと夜バージョンがあって、昼ではオフィスメイン、夜はデートメインという構成になっているようだ。監修はSPA!
 どことなく「女のモテ願望なんて、ケッ!」という感じの雑誌な気がしたが違う? まぁ、いいや。
 公式ホームページにデモがあったのでプレイしたところ、モテ指数100%だった。簡単な質問(初めてのデート。どんな店を選べばいいでしょうか?など)に、4択で答えるシステムで、普通に男性誌の「モテ」記事を読めばどこにでも答えが乗っているような選択肢。そして解答。
 いよいよ情報のソフト化。バブルの時代(よく知らないけど)は、それこそモテに関する情報が紙媒体で恥ずかしげもなく載っていたが、21世紀にもなると雑誌ではなくゲームを使ってクイズを解いてモテ男になるという時代に……。
 それにしてもDSは応用力がある。ダブルスクリーン、タッチパネル、小型が成功の鍵なのだろう。従来の小型ゲーム機はボタン操作のみで完全にゲーム専用機だったが、どこにでも持って行けて、タッチペンで操作可能といった誰にでも使える操作性、カラーバリエーションも豊富。縦でも横でも使える。
 初代機は大きくごつかったし、ソフト数もそこまで多くなかったが、Lite(小型軽量化)になってゲームだけではなく、実用ソフトが続々発売されてからは、DS自体がゲーム専用機というよりは複合遊具機になっている。 モテ力を上げるソフトは男性ばかりではなく、女性用のが多い。『大人の女性力』やら『女ヂカラ……』(忘れました)とか、ヨガとか佐伯チズのとか……。
 モテる女、モテる男、大人の女、常識的な大人になるツールが、雑誌からゲーム機に変わった。というか、そういうものって本来は違うもので上げるものではなかったか? 時代は変わった。
 これからはDSはゲーム機ではなく、『エンタメチャモテハード』(エンターテインメント・メチャモテ・ハード))と呼ぶことにしよう。

 今後、いつも行ってるアキバのヨドバシ(ここ限定)で、『デキる男のモテライフ』を買ってるヤツがいたら……。なんとなくかわいそうな……いや、「がんばれよ!」と密かに応援してあげようと思う。(奥津)

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2008年2月 4日 (月)

■月刊『記録』2月号発売!

『記録』08年2月号が発売されました。

 今月の特集は販売価格すら自由に決めることができず、事業を続ければ赤字がふくらみ続ける酪農家の現状をお送りします。
 鎌田慧さんの連載では、母子3人を死亡させた福岡県の交通事故について、危険運転致死傷罪の適用を叫ぶマスコミの不見識に怒ります。
 白川徹さんの「忘れられたアフガン国内避難民」では、経済的な理由からタリバンに行くことを決意した若者が登場。
 鍋元トミヨさんの「チェチェン死と瓦礫を乗り越えて」では、チェチェン人魂について論じる。
 辛口の書評でおなじみの塩山芳明氏は『シネマ・ハント ハリウッドがつまらなくなった101の理由』を取り上げる。「左上の巨大な映画ナンバーも不愉快。こんなでかくてありがたいのは、姉ちゃんのオッパイとケツだけ」(本文より)。今回も非常に過激です!

 

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2008年2月 3日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線 第5回/公益社に見る葬祭業の複合性(後編)

 先回、「葬祭の副次的ビジネスにおいて一番有望なのはイベント業界への進出だろう」と書いた。花屋、花輪屋、石材業、食品(仕出)、運送(貸バス)と周辺分野は様々あるが、一番成功しやすいのはきっとイベント装飾、もしくはイベントコンサルタントだろう。
 あまり意識したことがある人はいないだろうけれど、葬儀はイベントである。宗教的要素が絡んだり決まりごとが多かったりと様々な縛りで隠されてはいるが、結婚式やコンサートや演劇やコミケとなんら変わりない、イベントの一種にすぎない。とくに「冠婚葬祭事業」と一からげに言われるように結婚式とは業務内容が接近していて、婚礼部・典礼部間の異動は、多くの互助会組織では日常茶飯事のことだろう。
 ちなみに婚礼(典礼)施行発生から本番までの流れは次のようになる。

婚礼(葬儀)日程決定→見積→招待(知らせ)→装飾・料理・引物決定→式場設営→司会打合せ→本番

 以上を婚礼担当者は半年掛りで段取りする。葬儀担当者は2日で全てを終わらせる。時間があるからこそ婚礼の仕事はより煩雑になってくるが、基本事項は同じ。
 2日で数百人規模のイベントの手配をすっかり終了させてしまうネットワークを持っている業界なんて、葬儀業界以外に考えられるだろうか? しかも失敗は基本的に許されていない。よって細かいところまで手抜かりはなし。まさに任せて安心だ。

 段取りが良くても、肝心の本番の中身はどうなのかという意見もあるだろう。葬儀とは違う、華やかな演出を迫られる場合が多々あると考えられるからだ。しかし、学生時代に舞台をやっていた私は、葬儀会場の設営に初めて携わったときに直感した。
 「僧侶のコンサート会場を準備しているのだ」と。
 僧侶にとっては楽器である仏具を用意し(木魚はリズムを担当しており、リンは音頭と各種合図に使われる)、マイクを据えて音量を調節する。スポットをあわせる。客や僧侶柩の動線を確保する。案内看板を出す。「あそこの住職は声がでかいからこのくらいの音で」「背が高い人だからもっとマイクを高く」、または「ああ、明日は声のいいあの住職のお経が久々に聴ける」などという会話が繰り広げられるのを見るにつけ、「ああ、ここはコンサート会場なのだな」と思っていた。

 さらに進行に関して言えば、例えばジャリズムのかなり前のコントに「葬式DJ」がある。葬儀の司会者がDJだったらという想定のもとで行われるコントで、喪主を「今日の僕のパートナーは…」と紹介したり、「それでは本日のスペシャルライブとまいりましょう、お坊さんで曲はもちろん、OKYO!」「さあ、いよいよみなさんお待ちかね、焼香ターイム!」と激しいが、そんなに間違ってない。というか、大体あってる。そのテンションを極力ローに徹すれば、DJはそのまま葬儀司会者になってしまう。実際、司会席には照明盤が併設されていて、大きい会場では10数本ものバーを巧みに動かしながら照明調節を行わなければな
らない。導師入堂時は花道だけを照らし、着席したら祭壇前を照らし、焼香の時間には客席の明りを全開にする、喪主挨拶時にはスポット…というように。さらに音響設備も司会席まわりにあるのが一般的だ。喪主挨拶のクライマックスに流す思い出の曲、弔電披露の際のBGM、客入れ客出しの音楽と、沢山ある音響効果を絶妙のタイミングで入れることを要求される。時にはマイクで進行しながら、お辞儀をしながら。まさにDJだ。
 以上のような段取りと会場設営を、葬祭ディレクターは死に物狂いで2日で終わらせ、しかも3日目には自ら司会者として進行にあたる場合が多く、それを月に平均8回は繰りかえす。
 このような熟練のイベント担当者が、他業界に果たしているだろうか。
 金を出してでもそのノウハウが欲しい、あるいはその人そのものが欲しいと言う広報担当者は、どの業界にもいそうだ。
 さらに葬儀ディレクターは一般的に寿命が短い。多忙すぎて辞めてしまうのである。しかしイベント担当者としての腕は大変もったいない。だったら葬儀以外のイベント部門を設けてそこに異動してもらえば、企業として人材を失うこともない上に個人の転職不安も解消されるのではないだろうか。
 というわけで葬祭業の更なるイベント業界進出を期待します。そして私を雇ってください。(小松朗子)

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2008年2月 2日 (土)

『吉原 泡の園』 第53回/泡の底の底へ

 Tさんがいなくなった。

 店長に言った。少し気まずそうな顔をしていた。
「Tさん、飛んだけど、金持ってませんよあの人」
 僕がそういうと、店長はマイカーに乗り、まだそう遠くには行っていないであろうTさんを探しに行った。マネジャーもR店の送迎車で吉原近辺を探しに出かけた。しばらくして店長とマネジャーが帰ってきた。もう、姿を見つけることはできなかったらしい。
 金もなく、どこかに消えてしまったのだ。長野から、2度目の上京であったが、またもやいじめという人の冷たさで、仕事を諦め、どこかに消えた。
 意地の悪くなったTさんの記憶はあまりなく、どうしてもやさしいTさんの事ばかりを覚えていた。
 僕の自転車はどうでもいい。その自転車がTさんの幸せを掴むための足になってくれればいい。Tさんは数日前、僕にこう言った。
「マル、この業界でビッグになったら、俺を雇ってくれよな」
 Tさん、その願いはかないそうもないよ、僕は別に偉くなることを望んでいないからだよ。もうあうことのないTさんにそう言った。
「おいマル、喉渇いたか?ほら」
 弱弱しく、さみしそうなTさんの声が聞こえた気がした。

 バスツアーも無事終わり、またR店はいつもの暇な店に戻った。改装工事が進み、ボロボロだった店内も、徐々にだが綺麗になっていく。ボロボロのエアコンが新品になり、待合室の何十年も前の革製のソファーが捨てられ、新しい待合室には小さい1、2人掛けのソファーと、テーブルが一台づつ。まるで学校の教室のような並びにはなってしまったが、それでも大理石模様を施した床に、ブルーのソファー、テーブルの上には灰皿、タバコ、飴が並び、都会的センスにも磨きがかかり、高級店という名に相応しい店になりつつあった。
 店長も自分の店を目に掛け、改装までしてくれている会長にやる気も出てきて、まさにこれから一致団結して行こうという頃、それは発覚した。
 女のコは毎月店側にボーイにありがとうという感謝を込めてボーナスという形で店にお金を渡す。それが夏と冬には貯まり、ボーイ達にいつもありがとう、という感じで渡されるセレモニーが伝統としてあった。だが、僕がボーイになった始めのボーナス時期の夏、それはなかった。まあ、店も売上が出ないのであれば仕方がないし、そんなボーナスなどというものが存在することすら知らないでいた。なにしろ、約束の食費すらままならない状態だったのだ。
 この頃、頻繁に姉妹店の幹部がR店に出入りしていた。店長は夕方になると、他の姉妹店の社長と新宿の風俗店やら、キャバクラに出掛け、いわいるひき抜き行為をしていたのだった。もちろん、それは重大な違反行為として、この世界ではバックのヤクザが出てきて、落とし前うんぬんの事に発展しかねない。さて、幹部クラスがよくR店に来ていたのは、スカウトが目的ではなく、色々な問題が明るみになり、それで幹部クラスがR店に頻繁に来るようになった。
 ボーイに支払われる1日2000円の食費に関しても、とうとう姉妹店の社長であり、Rグループ№2のO社長の耳にも話しが入り、動き出した。
 マネジャーの所に来て、2人で話していた。もっとも大きな問題だったのは、義理風呂の問題だった。O社長の店では、義理風呂に行くボーイの金は、社長が払ってやる事がほとんどで、たまに少しだけ、本当に気持ちの1万くらい身銭を支払うという程度だったという。そこのボーイは、同じボーイでも給料は30万は固いという。月に20万は貯金できたよ、と後にそこのボーイだった人は語っていた。寮はタダ、食事代は毎日貰える。義理風呂は社長持ち、これならウハウハだろう。僕も、始めからそんな店に行ければ、人生分け目の弁護士地獄にならずに済んだのだ。
 事情を知ったO社長は、R店の店長に厳しく当たって来るようになった。店長が当てにならなくなった今、マネジャーが除々に力をつけ始め、終いには店長を掌握してもいいですか、などと幹部に時価談判するようになった。次代の幹部を視野に入れ始めたのだ。
 その頃、とうとう僕はある問題が限界に達しようとしていた。休みの日、僕は四谷に向かった。
 四谷三丁目駅を出て、目的の場所まで向かった。
 東京都弁護士組合の相談センターで、30分5000円程で弁護士と話しが出来るという所だった。予約して行き、F弁護士が僕の担当になった。(イッセイ遊児)

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2008年2月 1日 (金)

『自殺したい人に寄り添って』

413cvpnndnl_aa240_  自殺と聞くと、東京オリンピック銅メダリスト・円谷幸吉選手の遺書を思い出す。それは「父上様、三日とろろ美味しゅうございました」で始まる。それから何度も「美味しゅうございました」と書き連ね、 「父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません。なにとぞお許し下さい。気が休まる事もなく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません」で結ぶ。川端康成が「千万言も尽くせぬ哀切」と絶賛したことでも知られる。

 次期オリンピックでの活躍が期待されるなか椎間板ヘルニアを患い、まじめだっただけに自殺に追い込まれた27歳の青年が、死の間際に選んだ挨拶が「美味しゅうございました」だったことは確かに哀しい。自分を追い込んだ世間への呪詛でもなく、オリンピックのために婚約を破談させた自衛隊体育学校への恨みでもなく、親族一同への食事のお礼なのだ。せめて恨む気持ちがあれば、自殺などしなかったであろうと考えると、この「美味しゅうございました」は重い。

 自殺しようとする人をどうやって止めるのか。これはかなり難しい問題であろう。とはいえ98年以降、9年連続で自殺者が3万人を超えるような現状を放置してよいはずはない。人口が違うとはいえ、イラク戦争でさえイラク市民の推定死亡数は8万から8万8000人である。少なくとも実弾が飛び交うわけもない日本で、これだけの国民が寿命を終えることなく亡くなっているのは異常だ。

 三一書房から出版された『自殺したい人に寄り添って』(斉藤弘子 著)は、その書名の通り自殺志願者に寄り添い、自殺を食い止めようと活動している人々に取材した本である。自殺の名所・東尋坊でパトロールをつづけるボランティア、借金・経済苦で自殺しないよう経済再生の支援活動続ける人物、ネットで自殺予防に動く男性などなど。どの人も他人の生死と真剣に向き合っている。

 この本に登場する多くの人が語っていたのは、自殺を口にしてはいても自殺志願者も本心では死にたくない、ということだった。だからこそ死の間際で、こちらの世界に引き留める何かが重要になる。本書には、「『死にたい』の背後にある『つらい』という部分で共感し合うことができれば、他者の理解や承認を得られることから、メッセージの発信者にとって大きな救いとなる」と書かれていた。つまりギリギリで生きる力を取り戻すのは、人とのつながりだということだろう。

 しかし絶望の淵まで歩みを進めてしまった人に、つながりを思い出させるのは容易ではない。その文字通り生死を分ける寡黙で濃厚なコミュニケーションが、自殺を食い止めようとしている方々の人間的な深みを増大させているのかもしれない。私は取材対象者の魅力に引きずられるように、一気にページをめくった。
 派手ではないが、しっかりと心に残る本である。(大畑)

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