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2008年2月23日 (土)

『吉原 泡の園』第56回/でかい体に檄がとぶ

「荷物を置いたら店に戻るよ」
 Hちゃんに言った。あまり遅いとマネジャーから携帯に電話がかかって来る。
Hちゃんはウンといい、僕たちはまた店に急いで戻った。
「H、A店でやってたんなら、大体仕事はわかるよな」
 マネジャーがHちゃんに尋ねた。
「はい。まあ大体は」
 言っているそばからトゥルルルルと内線がなる。ドリンクの注文だ。
「○●。××ばだるぁ」
 マネジャーが叫ぶ。もちろん、何を言っているのかわからない。僕はそこそこやってきたので、大体は分かるのだが。
「H、ボケ―っとしてねーで、さっさとオーダー作れ」
 早速初日からHちゃんに激が飛ぶ。当然Hちゃんには何を言われたのか分からないが、マネジャーには聞けない。僕にも聞かず、大体の想像でオーダーを作っていた。

 通常は2人分作り、作り終わると「オーダー入ります」と言ってドリンクを運ぶ。しかし、Hちゃんは「お、お、オーダーます」とおどおどしながら声を出し、盆の上にグラスとストロー、コースターを乗せた。だが、その手がプルプル震え、2階へと向かう足元がおぼつかない。非常に危険な感じだ。
「H、気をつけて行けよ」
「は、はい」
 階段を上り始めたかどうかくらいの時、階段付近から。
 パリ―ン。ジャバー。
「ああ、ひゃあ」
 ものの見事に1発目のガッシャ―ンをやらかした。
「おいH、大丈夫か」
 とマネジャーが声をかけた。
「あ、はい。大丈夫です」
 と応えるHちゃん。
「バキャローオメ―ジャネ―。ドリンクとグラスは大丈夫かってんだよ」
 これには聞いていたボーイも引いた。そのうえ常に全力のマネジャーは、店の3階にまでとどろくほどの大声を張り上げる。もちろんお客様にも丸聞こえだろう。

 さすがに体格のでかいHちゃんも、この店の真の姿を知り、度肝を抜かれた様子だった。ただ、僕にとってはTさんが抜け、仕事を1人だけ多く受け持ってきただけに、力のあるHちゃんはありがたかったのだった。

 Hちゃんと同部屋になり、朝起きると、「おはよう~」とのん気に挨拶するHちゃんが、羨ましくもあり、どこか憎らしくもなってきた。どうやらHちゃんが仕事のできない人なのだとも分かってきたのだ。客に一生懸命電話しても誰も来ない。辞めたTさんと同じようなものだ。
 客を呼べないボーイはひどい扱いを受ける。Hちゃんも同じだった。

「H、日暮里だ。速攻で行け、そして戻って来い」
 店長が非情な事を言う。 
 Hちゃんは分厚いメガネレンズの奥から、体に似合わない小さな瞳をウルウルさせて、お迎えに向かう。でかい体で送迎車の運転席に入ると、車に乗っているというよりも、ちょこんと運転席に大きな置物が置かれているようだった。

 しばらくしてHちゃんが店に戻ってきた。
 本来なら店に戻る数百メートル先から、間もなく店に到着する旨の連絡を店に入れなければならない。ドアマンがお客の乗る車のドアを開けるタイミングを計るためだ。連絡がないと、ドアマンが煙草を吸っているなんて事もありうるからだ。
「どうしたHちゃん、あれ、客は」
 と問いただすと。
「いませんでした」
 と答える。そこに店長が割って入った。
「いねえだと、ふざけるんじゃねえ」
 Hちゃんにやつあたりだ。
「本当にいなかったのか」
「はい。とりあえずそれらしき人に声をかけたのですが、みんな走って逃げてしまうんです」
 Hちゃんが答えると。
「おまえが迎えにいったからじゃねえか」
 店長はちゃんの心をザクザクと刺すのだった。(イッセイ遊児)

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