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2008年1月 5日 (土)

『吉原 泡の園』第49回/店で鳴く閑古鳥

 僕が入店してから、約半年が過ぎようとしていた。だんだんと客が減っていくのがはっきりと分かった。
 表で客引きをしていても、閑古鳥がないている。都の風俗への締めつけが厳しくなってきているのだった。それが顕著に現れるのは06年なのだが、それでも当時十分に風俗界は衰退していった。
 その原因は都の締めつけである都条例もあるが、昭和の吉原からの客を軽んじる風潮が客足を遠のかせているのだった。
 伝統ある吉原は徳川時代に今の東京証券取引所近辺にあったが、吉原大火災によって、今の千束に移った。幕府のお墨付きの遊び場だったが、明治維新後の新政府が九州勢出身の薩摩藩、長州藩により、江戸の伝統、吉原に馴染めず、ゆえに吉原の遊郭が衰退し、赤線と呼ばれる国認定の売春許可地になった。その一角を赤い線で区切ったことから赤線と呼ぶ。一方、認定されていないにも関わらず売春などの行為がなされていた場所を青線と呼ぶ。
 さらに現在。アメリカ兵などの黒人を専門に相手に売春する土地を黒線、白人を相手にする土地を白戦と呼んだりもする。
 つまり、そのように現在はさまざまな要素が重なり、吉原はかつてないほど商売が厳しくなっていて、そんな中R店バスツアーの客集め役に任命されたものだから、気持ちが休まる時がなかった。
 「おいマル、ツアーの客はどないなった」
 といわれても数人の客がなんとなく行ってあげてもいいよ、みたいな感じなのだった。
 「おい、当日は大型観光バスを1日貸しきるんやで、客もおらんと赤字やし、恰好つかんでのぉ、マル、しつかり頼むでぇ」
と店長は第2待合室のソファに寝っころがりながらのん気に言う。
 中々大変な日々ではあったが、数十人のツアー客を募ることが出来たのは、数ヶ月たった頃だった。
 1人1人に、もし、参加者多数の場合、お断りするかもしれませんのでご容赦くださいませ。と事前に報告しておいた。これも念のためだ。
 そして、参加者を抽選で20名前後に絞る。一応常連さんが優先になる。あとはボーイの意向が反映される。
 ツアー半月前くらいに、ようやくメンバーも決め、その旨の連絡をする。
 「R店です。バスツアーの抽選で選ばれました。当日はご予定は大丈夫ですか」
 などと言って確認する。結婚している人、少しやばそうな人、常連さんなど色々なタイプのエロ男が決定し、あとは当日を待つのみになった。それほど大きな混乱もなく、無事僕は任務を終了したことが何よりもうれしかった。
 当日の花魁は5名くらいが参加する。皆若く、人気所である。サービス派、素人派、攻め派、癒し系と女のコも色々である。
 女もいろいろ、男もいろいろ、サービスもいろいろ。そんな感じか。
 店長はボーイが懸命に働き、それがうまくいくとニコニコ顔である。それは当然なのだが、少しでも思い通りにならないと、暴力団し込みの切れ方で大いに怒鳴り散らす。さすがのマネジャーも店長が切れるのが嫌なのだろう、店長が切れそうになると。
 「店長を切れさすな」
とフォローが入る。すると店長もまんざらではない様子でニコニコとする。まったくもって気分屋なのである。(イッセイ遊児)

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