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2007年11月 9日 (金)

『ねこ鍋』にヨダレだと怖いだろうな~

 秋が深まってくると思い出す話がある。鹿の“美味しい”殺し方だ。数年前にジビエのエゾシカを食べながら聞いた話である。

 なんでも美味しい肉を取るためには、どれだけ急所を外さないかが重要らしい。急所を外して撃つと、当然のことながら鹿は暴れる。そのときに血が肉に回って肉の味が落ちてしまうというのだ。そのためにハンター気配を消せるだけの距離を保ち、きっちり狙ってしとめるんだそうだ。

 じつは殺し方が肉の味に影響するのは鹿だけではない。マグロも殺し方で味が違ってくると、大間の寿司職人に教えてもらった。彼曰く、釣るのは誰もでもできるが、釣った後の処理をきちんとできる人は大間でも数人しかいないそうで、少々値段が高くても殺し方のきちんとした人からだけ買っているとのことだった。実際、そこまでこだわった大間のマグロは、これまで食べたマグロと全く違う味だった。トロの油から植物的な香りが漂う。その香りの爽やかさは鮎に通じるとも感じた。

 こうした話を思い出すと、人はなんと深い業を背負っているのだろうとも思う。だが、美味いものは仕方がない。私は生来の食いしん坊で、ベジタリアンでもないから殺し方で肉の味が違うなら、しっかり殺してくれと思ってしまうし……。
 実際、海釣りに出かけてサバを釣ったときなどは、鮮度を保つために自らナイフを使って首からサバ折りにしてガンガン血を抜いた。こうした行為を嫌だと感じたことさえない。

 で、フッと思ったのだが、自分は美味しさのために、どこまで殺せるだろうか? 技術を別すれば、鳥・牛・豚あたりはいけそうな気がする。例えば白金豚やイベリコ豚が目の前にいれば、おそらく飛びかかるだろう。
 では、ネコはどうだろう?
 現在の感覚では、ネコに飛びかかって殺すなんて耐えられない。でも、これは食事の対象として見たことがなかいからだろう。もしジビエの猫が大好物だとしたとした、最近よく売れている写真集『ねこ鍋』(講談社)など、もうよだれをダラダラ流して見ていることだろう。「うわー、このまま火にかけて~」とか叫んで、大ひんしゅくをかってしまうかもしれない。

 実際、ジビエの鴨が好きなってから、冬場に鴨を見ると「カワイイ」というより「美味しそう」と感じるようになってしまったのだから。数年前には池で遊んでいる鴨を見て「いやー、ジビエの季節だね。美味そう」と思わず言ってしまい、彼女からかなり冷たい視線を浴びたことさえある。

 この伝でいえば、もし私が美味しい人肉を食べるようなことになれば、雑踏に出るたび、あるいは満員電車に乗るたびに、「美味そうー」とよだれを垂れ流すことになりかねない。メタボのオヤジなんぞを見かけた日にゃ、トロの部分(ジントロか!?)をガン見だろう。う~ん、かなり怖い。

 で、どうしたというと困るのだが、まあ、人肉やネコ肉を食べる機会がなくてよかったと思っているだけだ。ではまた。(大畑)

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