ミシュランには恥じらいが足りない!
ここ数日、『ミシュランガイド東京版』の話題がメディアを駆けめぐっている。
天才フランス料理人のベルナール・ロワゾーを自殺に追いやったとも言われるミシュランが、東京のレストランを格付けするとなれば興味をそそられる。星取りが発表された19日に、さっそく結果をネットで検索。自分のお気に入りの店が入っているかどうか調べ、独り大騒ぎをしていたわけだが、なぜかだんだん腹が立ってきた。何でこんなに腹が立つのかと考えていたら、秋葉原ブログを読んでいるときにひらめいた。
ミシュランには恥じらいがなさ過ぎるのだ、と。
今回、格付けされた店をチェックしてみて、正直どういう基準で選んだのかサッパリ分からなかった。たまたま発表の翌日、以前から予約していた店が1つ星を獲得。時節柄(?)、シェフとミシュラン東京版の話をしたが、彼も「基準がよく分からないんですよ」と笑っていた。
フランス料理でいえばクラッシックな料理の店がけっこう選から漏れていた。一方でキャパが大きく、箱が立派な店は星を取りやすかったようだ。さして美味しくもないが、とにかくロケーションだけは立派な店がけっこう入っている。一方、味を考えると入らないのが不思議な店も。さらにコストパフォーマンスまで考慮したら、ミシュランが上位に挙げた店の多くはお勧めできない。最高峰の星3つは2人で6万円以上といったレベルの店がゾロゾロ。一体どうなんだと言いたくもなる。その一方で、あきらかに味だけで選んだと思われる店が、星1つに言い訳程度にちょこっと入っていたりするし……。
結局、カネに糸目をつけない食オタクたちが、自分の好みで評価した本ということなのだろう。それなら分かるし、その手の本を批判する気はない。小社だって随分と偏った本を出しているわけだから(笑)
でも、なぜかミシュランは「オレ様が全部評価したからよー!」と権威的に威張るのだ。プロの調査員があらゆる項目を調査し、総合的に判断したから間違いないのだ、と。ミシュランガイドの総責任者、ジャン・リュック・ナレ氏はテレビのインタビューで「異論もあるでしょうが、星がない店は努力が足りないのです」などと語っていた。
ホントか!?
そもそも、その「努力」とは一般に理解できない食オタクのこだわりに応えることではないのか。別の話にたとえるなら、「綾波レイのフィギュアの可動ポイントが3つほど足りないから星はあげられない」と言ってると同じじゃないのか、ってことだ。
何度も繰り返すが、私はそんな微細な差異にこだわって、さまざまなモノを評価するのを悪いとは思っていない。私自身、レストランにはオタク的なこだわりがあり勝手に格付けしている。
ただ威張るなとは言いたい。人には理解できないこだわりを表に出して、少し恐縮だけど、よければ利用してくださいね。そんな打ち出しがほしい。ある種の恥じらいを感じたいのだ。それこそ秋葉原ブログのように。
レストランはシチュエーションごとに分けて選ばれるべきものだろう。それを一緒くたにして高みから評価した『ミシュランガイド東京版』より、女を落とせるのかという一点に絞ってレストランを評価した『東京いい店やれる店』の方が、はるかに良書だと思う。
ただ朗報が1つ。
先述した店も発表から問い合わせの電話が殺到。クリスマス周辺が一気に埋まったと聞いた。予約の入り方からすると、『ミシュラン』は『東京いい店やれる店』と同じ用途で使われるのかも! 「結局、ミシュランの星が多ければ女がまた開くんだって」などと本書が評価されるようになれば、ちょっと嬉しいかも。(大畑)
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