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2007年11月

2007年11月30日 (金)

産地偽装問題でデパートから名店が消える!?

 最近、食品の偽造が連日新聞をにぎわせている。昨日も崎陽軒のシウマイが不適切表示だったとして自主回収となった。原材料表示の順序が違っていたという。タマネギより重量が少ない干しホタテ貝柱を先に書いたんだとか。どうでもいいようにも感じるが、JAS法の品質表示義務に違反したとして農水省が本社や工場を立ち入り検査した。

 確かにルールはルール。しかし崎陽軒のシウマイなど笑ってしまうほどの「表示義務違反」が、05年10月までは合法的に行われていた。食肉だ。牛を生きたまま連れてきて3ヵ月飼育すれば、食肉解体した場所が産地になったという。ちなみに先日大騒ぎとなった「比内鶏」も、2年前までなら1ヵ月飼育しただけで合法だった。

 かつて日本の食品の安全性を国民は疑っていなかった。もう30年以上前だろうか、色のキレイな外国のお菓子を母親にねだろうものなら「外国のものは怖いでしょ。何は入ってるかわからないから」などと言われたものだ。そうした観念が抜けず、わたし自身、15年近く前まで日本の食品が世界で最も正直で安全だと思いこんでいた。それが違うと分かったのは、日本で騒がれ始めたオーガニックの商品を調べたときだ。当時の日本基準に抜け道が多く米国の基準ほどはあてにできないと知ったのである。

 もともと日本の食は偽装にまみれていたわけだ。というより、そもそも偽装という観念すらなかったのかもしれない。それが全部表沙汰になり、食品の業者も消費者も慌てふためいているというのが実情だ。

 こうした大混乱は悪徳業者だけを困らせているわけではない。じつは正直にやってきた食品業者にも悪影響が及んでいる。というのも産地の特定にやっきとなっている世論に反応し、デパートなどでは原材料を細かくチェックし始めているからだ。国産といっても、どことどこの地区の原材料が入っているのか、それを流通側がチェックしようとする。しかし食品産業側にとって、そうした原材料の産地は大きな企業秘密だったりする。あまり厳しく「情報公開」を迫るなら出店を辞めようという企業が出てもおかしくない。
 これまで地元ではお客さんの信頼を裏切ることなどなく誠実に商売してきた。それなのに企業秘密までさらしてデパートまで売る必要はない。
 プライドを持って商品を開発してきた企業こそ、こんな感想を持つ。そうなるとこれまでデパートなどで買えた名店などが、いきなり撤退。地元でしか買えない状況になりかねない。

 その一方で外国産の野菜からできのよいものだけ取って、日本産の商品と混ぜて出荷するような大規模な偽装は、どれほど取り締まってもすべてを見つけられるわけではない。こうなると「偽装」を取り締まるだけではらちがあかない。

 まず産地偽装で一番腹が立つのは、産地などのブランド名で高い商品を買わされるケースだ。例えば大枚はたいた神戸牛が安い海外産だとなれば腹の虫も収まらない。となれば、自分がダマされそうなブランド品をかわないことだ。一番危ないのは、ちょっとだけ高いブランド品だろう。というのも、ものすごく高いブランド品なら、さすがに食べれば分かると思うからだ。
 例えば同じ養殖なら本マグロとミナミマグロを食べ分ける舌など私にはない。だから「本マグロ」の文字に釣られる必要はないのだ。どうせ分からないのだから。ただ近海ものの天然の本マグロなら食べれば分かる。まあ、すっごく高いから一生に何回食べられるか分からないけど……。

 こうした分かるか、分からないか微妙なブランド品に釣られなければ、かなりの産地偽装被害は防げる。消費者が買わなければ、産地偽装の詐欺自体も、かなりなくなっていくはずだ。(大畑)

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2007年11月29日 (木)

■月刊『記録』12月号発売!

『記録』12月号が発売。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test0712.html

■《特集》労務管理を輸出する自動車産業 /取材・文 本誌編集部

 自動車産業に関するニュースを収集し、毎日のようにメーリングリストで送り続けている人がいる。多いときには1日に10本、平均でも4本程度のニュースを配信する人物は大手自動車メーカーの一労働者だった。資料を送り続けるOidonさんに話を聞いた。 

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2007年11月28日 (水)

賞味期限偽装問題の本質は95年の「製造年月日」外しでは?

食品衛生法や日本農林規格(JAS)法によって表示が義務づけられていた「製造年月日」が「賞味期限」などに置き換えられたのは1995年のこと。1948年からずっと消費者の特に痛みやすい食品で指標になっていた「製造年月日」を葬ったこの行為こそ今日続出するさまざまな食品偽装問題につながっていると思えてならない。

大多数から支持されていた「製造年月日」を止める方向になったのを実に不可解と感じ、さまざまな資料を集めて幾分の取材もした。その当時にもっとも気になったのは農林水産省の並々ならぬ熱意とメーカーの思惑であった。

その年に明らかとなった「政府の規制緩和5か年計画」にはJASと諸外国の規格基準との同等な取り扱いをあげている。その説明は欧米は加工食が中心で「おいしく食べられる期間=賞味期限」が主流であるに対して日本人は新鮮さを求めるから「製造年月日」が向いている。国内産と海外産では当然ながら後者の方が製造年月日が早まり日本市場での競争力で劣る。これは非関税障壁の一種ではないかとのガイアツもあって「規制緩和」の対象となったのだ……と一応もっともらしい絵解きを役人にしてもらった記憶がある。
本当だろうかと釈然としなかった。たしかにガイアツはあったであろう。でも欧米から輸入される加工食や保存食はなじみのない人は新鮮でも敬遠するし好きな人は気にせず買う。それに95年以前から「賞味期間」「品質保持期限」という言葉は存在していた。何よりも食のガイアツに最も抵抗する性質を持つ農水省が法改正直前に「製造年月日の表示を避け」よとの食品流通局長通達まで出して賞味期限などへの一本化を急いた。
したがってことはガイアツに名を借りた、または便乗した国内産業保護ではないかと強く疑った。供給サイドに立って消費者をしばしば軽視するのもまた当時の農水省のオハコだったから。

果たして喜びを隠しかねたる製造業者や一部小売りの声が聞こえてきた。まず賞味期限がガイドライン的なものはあるものの基本的にはメーカーの一存で決められるのが助かるというもの。「製造年月日だと一日でも早い方が新鮮との誤解を招き、おいしく食べられる品が余るのはもったいない」という声を拾った。賞味期限表示になれば「誤解」とやらが解けるというわけだ。
鮮度を気にする日本人には賞味期限表示の方が親切だという説まで聞いた。モノによっては製造年月日が昨日でもヤバイし、缶詰のように1年前でも大丈夫な品もある。したがって賞味期限をプロである我々(メーカー)が示した方が歓迎されるというのだ。
さらに進んで賞味期限表示だと小売り段階でもロスカットできるとの意見も。すなわち賞味期限が明日とわかれば消費者は「まあ急いで買わなくちゃ」となるし小売りも値下げなどの指標になり得る。カウントダウンのような雰囲気で品がさばけていくというわけだ。
大消費地から遠い地方の加工業者にも歓迎の意見があった。その理由は欧米と同じである。北海道の牛乳のような消費者が鮮度を気にしやすい食品加工業者が唱えていた。

ホ……ホントだろうか。そんな夢みたいな話があるかと思いつつ、メーカー側の思惑がそこにあるのだけはわかった。かくして不動の指標だった「製造年月日」は徐々に姿を消してメーカーもニコニコ、消費者も一安心のはずの「欧米か!」路線が始まったわけである。

あれから12年たって結果がわかった。消費者は製造年月日表示時代と変わらずスーパーやコンビニで今度は賞味期限を確認し、新しいものを買うようになっただけ。「まあ急いで買わなくちゃ」「まだ1日あるからおいしいに決まっているでしょ!」などという良心的?な消費行動へ大きく変じたという状況は見当たらない。むしろ賞味期限切れ=アウトという雰囲気が濃くなってきた。
製造年月日のころは、ずいぶんと古そうだけれど品が品だけに日持ちするから安ければ買おうかとゆで麺あたりは扱われていたのに賞味期限となるとそうした消費者の品定め能力をむしろ奪ってしまった。しかも前述のようにそれを消費者から奪いたかったのは元々はメーカー側だったろう。皮肉な話である。ちなみに消費期限はアウトそのものだから製造年月日より強制力がある。
要するに供給側の論理で消費者が踊るわけでもないし、少なくともそうした時代ではなくなっていたのだ。福音転じて製造年月日時代よりもロスが出そうになってあわてたメーカーは賞味期限を偽装したり都合よく延長したりした。後者は別に違法ではないものの消費者の信頼を著しく損ねる。「違法ではない」という武器を手にしたつもりが甘えにつながった。ロスカットしているつもりで実はリストカットだったわけだ。遠隔地の加工食品業者で売り上げ1兆円規模の大企業が市場から退場を迫られた事件は記憶に新しい。

いっそ製造年月日に戻したらどうだろうか。消費者はふところ具合と品物と値段と年月日を頭の中で並べて買うか買わぬか決める。その意思決定に上手に滑り込んだ企業が勝つ。思えば今よりずっと知的な消費行動だった。
買い手をバカにした製造業は結局成り立たない。それは我が出版業でも同じであろう。週刊誌は発売日直前までの情報しか載せていないのに発売号を翌週とする。感覚としては約2週間ほど鮮度を延ばす一種の偽装だ。同じような例は他にもある。しかし食品だけはまずい。我が『記録』11月号を1月号と間違えてしまってもバカにされて終わりだ。でも口にするものには許されない。
会社によっては10年以上前から偽装まがいをしていたと報道される。事実とすれば95年の表示変更の思惑は当初よりつまずいていた何よりの証拠といえよう(編集長)

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2007年11月27日 (火)

芸能界における「天然」は伝家の宝刀か。

 テレビのクイズ系バラエティー番組を見ていると、「私は頭が悪いです」と自ら公共の電波を使って宣言している芸能人が少なからずいる。
 だいたいそういった人たちのキャッチフレーズは、「天然~」とつく。ちなみに男性の場合はつかないことが多い。圧倒的に女性用フレーズだ。
 通称・天然系は、空気が読めていない人か、明らかに頭が悪いのどちらかに分けられる(あえて断定する)。
 空気が読めない人だが、これも育ちが良くてほわっとしているせいで空気が読めない人と、「俺が、俺が」といった自己顕示欲丸出しで空気が読めていない人に分けられる。
 前者は絶対数が少ないし、そもそもそういう人は逆に頭が良かったりするかもしれないので(友人でないから確認不可能)、計算をしていると決めつけさせてもらう。
 後者は頭が悪いというよりは、ハーレムにいる女たちのように、前へ出て顔と名前を覚えてもらい上の人間の寵愛を受けねば生きていけない……主に若手芸人に多い。空気が読めずウザいと視聴者に思われたとしても、とにかく「お前、空気読め!」と突っ込まれればおいしい。 問題はそのあとで、「空気が読めない奴」から「アイツ、天然なんスよー」とランクアップした場合、計算ではなく実は頭が悪いんじゃないかという疑惑が浮かんでくる。
 「天然エピソード」を聞くと、どう考えても頭が悪いというか脳の病気なのではないか……と、笑いつつも少しその人の人格が心配になるときがある(よけいなお世話?)。
 ただ空気が読めないだけの場合は、サバイバルのための知恵。空気読めない人から天然なヤツになった場合、頭が悪い人である確率が高まる。
 次に、「天然」を売りにしている芸能人の場合。これはもう誰がなんと言おうと、頭が悪いヤツが9割。
 小学生でもわかる問題を解けない(珍回答とされる)、難しい問題が出題されても「わからない」といわず、意味不明の答えを言う。
 さすがに「頭が悪い(知能レベルが小学生並みとか……)」というキャッチフレーズを使うのが問題なのか、イメージの問題なのかはわからないが、「天然」と言えばノープロブレム、場が盛り上がってテレビ的、視聴率的にOK! という理由で「天然」を使っているのだろうか。芸能人はなんともいい仕事である。頭が悪くても「天然」で通って仕事がなくなるわけでもない。賞味期限が短いかもしれないが、一般社会ではまず社会からドロップアウト……それ以前に、社会に出られない可能性のが高い。頭が悪くてもルックスが良ければ、芸能界へ入ればお金が稼げる。なんていい商売。うらやましい。
伝家の宝刀だの天然がどうのとぐだぐだ書いてきたが、簡潔にまとめると、「芸能人は(ある意味)ズルイ!」。
 しかし、こうバカなタレントが連日現れると、視聴者のテレビ離れがますます進みそうだ。
 バカは移る。私はこれ以上頭が悪くなりたくないので、CS放送を見ることにする。なんちゃって。(奥津)

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2007年11月26日 (月)

組み版に技術が不要の時代

月刊『記録』の編集作業をやっと終えた。「In Design」をひたすらマウスでカチカチと操作。

Quark社が制作するその名も「Quark」がDTPソフトの優位を占めていたが、Adobeが巻き返しを図る形で近年は「In Design」が普及率を高めているそうだ。たしかにAdobe社の他製品でありもはや画像作成のスタンダードである「Photoshop」や「Illustrator」との連携がはかれる効果は大きなアドバンテージになっているだろう。

組み版ソフトといえど、「In Design」はかなりビジュアル的な操作が可能なので、実は編集における職人的な知識などは一冊の本を初めから終わりまで作るような本格的な場合でない限り、もう必要ないのではないか、と個人的には思う。それを裏付けるような話を最近耳にした。企業の総務に配属された知り合いが、社内報を作る作業にあたり、「In Design」の操作を教わったという。当然、その知り合いは編集に携わったことなどない。それでも、人に教わり、自分で実際に操作しているうちに簡単な作業ならすぐにこなせるようになった。

瞬間的にピントを合わせることができるカメラマンの技術がオートフォーカスの出現で価値を持たないものになったように、編集(組み版においての面で)でも特に深い知識は不要なものになりつつある気がする。いくつかの専門用語を覚えて「In Design」のやや厚めで丁寧なマニュアルを読めば、なんとなく体裁は整えることができる。別にそれがいいことだとも悪いことだとも思わない。ただ時流がそういう流れで、心のどこかで、理由は分からないが「それでいいのか!?」というギモンが鎌首をもたげてくることは、たまーにある。(宮崎)

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2007年11月25日 (日)

「死化粧師」を観る 第7回/死に沈まないために

 前回、エンバーマーとしての自信をなくしてしまった心十郎(和田和人)。
 女性エンバーマーの仁科早紀(野波麻帆)に「オレ、エンバーマー辞める」とまで言ってしまった彼だが、当然その顔は、寂しい。
 そんな心十郎は、勤務先の病院に入院している少年と知り合う。
 彼の名前は涼(馬宮輝)。肝機能障害をわずらい、長期入院をしている。
 つらい病気にもかかわらず、涼は明るく朗らか。将来、カメラマンになりたいという夢を持っており、病院の人々を次々写真に撮っている。
 そんな生きる希望に満ち溢れている涼を見ていると、心十郎の心も次第に明るくなっていく。
 そうそう、たまには死の世界から抜け出す瞬間を作らないとね。

 死の現場に立ち会う仕事をしていて一番怖いのは、死の空気にうずもれていってしまうことだ。暗くて湿った死の世界にいることが日々の前提となってしまうと、自然に思考もネガティブな方向に行く。しかも、自分ではネガティブになっていることに気がつかない。周り一帯がネガティブなので、それが普通だと思ってしまうのだ。だから必死で明るさを保とうとする。
 私が以前勤めていた葬儀屋は、冠婚葬祭の一事業を担っていたため、グループ会社として婚礼会社があった。土日など、人の足りない時はドリンクサービスとして手伝いに行くのだが、婚礼の事務所にお邪魔するといつも感じることがあった。

「なんだ、ここはお通夜か?」

 思わずそう思ってしまうほど、事務所の雰囲気は暗かった。結婚という華々しい事柄を行っているにもかかわらず、その舞台裏はこんなに重々しいのか。上司も部下も仏頂面で挨拶し、必要事項だけ報告して去っていく。それぞれが自分のディスクで黙々と仕事をして、気がつくといなくなっている。行ってきますの声もボソボソと、何を言っているのかわからない。もちろん行ってらっしゃいもない。もちろんこれは一つの現場に限った事を言っているのであり、婚礼業界がおしなべて暗いと言っているのではない。

 しかし、そのあと自分の事務所に戻って気がついた。
 いや、こっちが異常なのかも。

 他のところと比較しなければ分からないくらい、葬儀の舞台裏は明るさに満ちていた。残念ながらここには書けないほどの不謹慎な笑いと、一分一秒を争うタイトな行程を担う一種の高揚感が、事務所全体の雰囲気を異常なほど明るくしていたのだ。
 あの頃、笑い転げない日はなかった。寝不足も手伝ってか、テンションはいつも高かった。誰かが「行ってきます」と事務所を出れば「よろしくおねがいします」、誰かが「只今戻りました」と戻ってくれば、「おかえりなさい」と全員が大声で言った。それを強制されていたわけではなく、自然にみんながそうしていたのだ。
 いま、葬儀と全く関係のない仕事をしていて思うのは、「わざわざ明るくしていなくても、明るいということがあるのだ」ということだ。一言も喋らずに黙々と仕事をしていても、誰も笑っていなくても、空気が沈むということがない。そんな現場のある事を、私は葬儀を離れるまで全く知らなかった。
 きっと、葬儀の現場では、黙っていてはどんどん沈んでいってしまう事を皆が無意識のうちに知っていたのだろう、と思う。だから死の現場にはスペシャルで不謹慎な笑いが、気分を高揚させざるを得ないタイトなスケジュールが、むしろそのためにこそ用意されているのではないか、妄想に過ぎないだろうが、そこまで考えることがある。

 そんな風に考えると、今の心十郎は、「死の現場に関わっているにしては暗すぎる」といえる。
 確かにこんな状態じゃ、エンバーマーを続けるには厳しいだろう。
 涼の存在は心十郎を救う鍵となりえるのか。(小松朗子)

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2007年11月24日 (土)

『吉原 泡の園』 第43回/保健所は警察よりコワい!

 それにしてもソープランドというのはちょっと性風俗の中でも異質なのである。
 普通の性風俗の管轄が警察なのに対し、ソープランドはスチィームバスを使うサウナ。で、担当管轄が保健所なのだ。
 警察が営業停止命令を下すほかの性風俗と違い、ソープにとって警察はさほど怖い存在ではない。(暴力団との繋がり、激しい客引きに対して、警察が介入できるところが怖いと思うくらい)が、保健所様と聞けば、天下の山○組組員も震え上がるほどの存在なのだ。
「なにぃ、○日に保健所が視察だぁ?」
 とソープ幹部はいきり立つ。
 その日が近づくと、幹部はレンタカーから3tとか2トン半とかの箱車を借りてくる。そこにベッドシーツから何から何までを積めこみ、視察というなのガサ入れが終わるまで、どこかの駐車場に止めておき、ほとぼりの冷めるのを待つのである。
 その日、たまたま僕が仕事の休日であった。他にTさん、Fさん、Eちゃんなどは仕事である。それに、もともと人手も多いほうではなく、むしろ少ない。猫の手も借りたいほどなのだ。
 で、明日保健所が来るとなると、当然休日でのんびりテレビを観賞中の僕のところに電話が来る。
「ああ、マルか、悪いの、今なにしとった」
 こんな電話はどうせ店に来い、という電話なのだ。
 アー。休日がぁーと思いながら、
「今、寮にいます」
「そっかぁ、飯奢るで、店きいへんか」
 となり、それを断るのは不可能なのである。
 しぶしぶ店に行く。Tさんなどが少しは手伝ってくれていた。テーブル、枕、シャンプー類、ヘアリキッド、スケベイス、化粧台、それぞれに分類されて、2階の廊下に並べてある。マットプレイ用のマットは、空気を抜けばかなり小さく軽くなるから、後でも良い。
 こんなときはもう営業どころではなく、最小限の部屋数、つまり3,4部屋といった所か、で営業している。
 残りの部屋は、サウナスチィームを残して、全部トラックに隠す。石鹸類すらダメなのだ。とにかく法律上はダメ。
 その日だけは、天下の保健所職員様が視察するときだけは、一応法律通りになっていなければいけないのだった。その年に何度かあるイベントのおかげで、R店の少数ボーイ、中でも僕は人一倍作業し、汗だくになりながらその作業をするのだった。
 また、当時、R店は店内改装工事と重なり、踏んではいけない個所もあり、それだけで二重の苦労になったりもしたのだった。
 2階廊下最奥は、使用済みのタオル、バスタオルの山になっている。それも綺麗に片付け、かつその奥にある非常階段も、障害物なく通れるように片付けたりもした。
 気づけば午前2時、いつものように客は帰り、山谷方面から続々とホームレスが吉原のゴミを目指して歩いてくる頃、とりあえず荷物はトラックに入れ終えるのだった。
「ご苦労だったな」
 とマネジャーはいつもとかわらぬ様子で、これまた汗ひとつかいていないのである。
「飲みに行くか」
 と割り勘の飲みに付き合わされるのであった。
 それにしても、幼い頃の僕は、保健所といえば犬などを引き取ったり、予防注射をする、何だかアットホームな雰囲気を抱いていた。が、ここ吉原では泣く子も黙る山○組ですら、子供同然に扱うその姿を見て、1番恐ろしいのは保健所だ。という偏ったイメージを植え付けられたのだった。(イッセイ遊児)

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2007年11月23日 (金)

ミシュランには恥じらいが足りない!

 ここ数日、『ミシュランガイド東京版』の話題がメディアを駆けめぐっている。

 天才フランス料理人のベルナール・ロワゾーを自殺に追いやったとも言われるミシュランが、東京のレストランを格付けするとなれば興味をそそられる。星取りが発表された19日に、さっそく結果をネットで検索。自分のお気に入りの店が入っているかどうか調べ、独り大騒ぎをしていたわけだが、なぜかだんだん腹が立ってきた。何でこんなに腹が立つのかと考えていたら、秋葉原ブログを読んでいるときにひらめいた。

 ミシュランには恥じらいがなさ過ぎるのだ、と。

 今回、格付けされた店をチェックしてみて、正直どういう基準で選んだのかサッパリ分からなかった。たまたま発表の翌日、以前から予約していた店が1つ星を獲得。時節柄(?)、シェフとミシュラン東京版の話をしたが、彼も「基準がよく分からないんですよ」と笑っていた。

 フランス料理でいえばクラッシックな料理の店がけっこう選から漏れていた。一方でキャパが大きく、箱が立派な店は星を取りやすかったようだ。さして美味しくもないが、とにかくロケーションだけは立派な店がけっこう入っている。一方、味を考えると入らないのが不思議な店も。さらにコストパフォーマンスまで考慮したら、ミシュランが上位に挙げた店の多くはお勧めできない。最高峰の星3つは2人で6万円以上といったレベルの店がゾロゾロ。一体どうなんだと言いたくもなる。その一方で、あきらかに味だけで選んだと思われる店が、星1つに言い訳程度にちょこっと入っていたりするし……。

 結局、カネに糸目をつけない食オタクたちが、自分の好みで評価した本ということなのだろう。それなら分かるし、その手の本を批判する気はない。小社だって随分と偏った本を出しているわけだから(笑)
 でも、なぜかミシュランは「オレ様が全部評価したからよー!」と権威的に威張るのだ。プロの調査員があらゆる項目を調査し、総合的に判断したから間違いないのだ、と。ミシュランガイドの総責任者、ジャン・リュック・ナレ氏はテレビのインタビューで「異論もあるでしょうが、星がない店は努力が足りないのです」などと語っていた。

 ホントか!?

 そもそも、その「努力」とは一般に理解できない食オタクのこだわりに応えることではないのか。別の話にたとえるなら、「綾波レイのフィギュアの可動ポイントが3つほど足りないから星はあげられない」と言ってると同じじゃないのか、ってことだ。
 何度も繰り返すが、私はそんな微細な差異にこだわって、さまざまなモノを評価するのを悪いとは思っていない。私自身、レストランにはオタク的なこだわりがあり勝手に格付けしている。
 ただ威張るなとは言いたい。人には理解できないこだわりを表に出して、少し恐縮だけど、よければ利用してくださいね。そんな打ち出しがほしい。ある種の恥じらいを感じたいのだ。それこそ秋葉原ブログのように。

 レストランはシチュエーションごとに分けて選ばれるべきものだろう。それを一緒くたにして高みから評価した『ミシュランガイド東京版』より、女を落とせるのかという一点に絞ってレストランを評価した『東京いい店やれる店』の方が、はるかに良書だと思う。

 ただ朗報が1つ。
 先述した店も発表から問い合わせの電話が殺到。クリスマス周辺が一気に埋まったと聞いた。予約の入り方からすると、『ミシュラン』は『東京いい店やれる店』と同じ用途で使われるのかも! 「結局、ミシュランの星が多ければ女がまた開くんだって」などと本書が評価されるようになれば、ちょっと嬉しいかも。(大畑)

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2007年11月22日 (木)

理学療法士の仕事は簡単?

 PTの役割が、病院か施設かということで、また同じ病院の中でもどの時期の患者を扱う病棟かによって、違ってくるということについては以前にも書いたと思う。

 もう一度説明させてもらうと、病院の急性期病棟、回復期病棟では、機能回復を目的にリハビリを実施し(急性期病棟:発症直後の患者、病態が急変する可能性がある患者などを対象とし、点滴や心電図モニターなどの医療的管理が多く必要。回復期病棟:主にリハビリを目的に入院している状態の患者を対象とする。退院後の生活に必要な能力を身に付け、自宅の環境設定を行うなど退院までの準備を行う)、病院の維持期病棟、介護保健施設(以下、老健)や介護老人福祉施設等では、転倒や再発に対するリスク管理や、体力の維持などを主な目的としたリハビリを実施する。

 PTの仕事は、もちろんそうでないこともたくさんあるけど、正直言って傍目には誰にだってできる簡単なことがほとんどである。
 手で力を加えて『筋力強化運動』、とか、一緒に歩いて『歩行訓練』、とか。維持期の患者さんだと、ストレッチしてベッドから起して、ほとんど座ってもらってるだけ、というのもありえる。

 もちろん、筋力強化運動しながら筋力を測っているし、歩行訓練をしながら、どこの筋力が弱くて、どこが痛くて、どこに問題があってこの歩き方になってるのか、とかの分析はしている。ストレッチも、やり方を間違えれば脆い骨を骨折させかねない。ずっと寝ていた人をベッドから起すことで、血圧が急低下したりすることもある。

 PTの存在意義は、その人のその状態に対し何をやるかが重要であること、痛みとか病態の変化に医学的知識をもって対応できるということにあると思う。でも時々、「これでお金もらっていいのか!?」と思うことも、ある。

 病院も、公益性のある事業とはいえ、儲けを出す必要がある。
 雇ったスタッフ数に対して患者数が足りなければ、今いる患者から多く収益を出さなければならない。筋力強化には、2日に1度の運動でいい、というデータがあるにも関わらず、毎日リハビリをやらざるを得ないということもある。完全に、根拠に基づいた必要量だけを提供できるという状態にある病院はたぶんないと思う。

 また、私は老健に研修に行ったことがあるのだが、そこでのリハビリは、1人に対し20分、週に3度くらい。
 20分しかない、しかもたいていは認知症(痴呆)なんかがあって、運動に対する必要性を認識してもらえず、リハビリは拒否的。なだめてすかして、足がむくんでるからマッサージして、立ちあがる練習を10回くらいやって終了、なんてことが多い。これも、誰にでもできること。加えて、2日に1度、10回立つことで体力維持の効果はあるのか……。

 ただし、20分でも1対1で身体状況を確認することができ、褥創はできていないか、むくみや白癬は悪化していないか、他に何らかの身体的問題は生じていないか、などを確認する意味では意義のあることである。褥創ができていれば、医療的処置を依頼し、車椅子やベッドになんらかの工夫をこらすことで悪化を防ぐことができる。

 誰かがやらなきゃいけないけど、誰でもいいんじゃない?ってこともPTの仕事には多く含まれている、と最近感じる。(染谷)

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2007年11月21日 (水)

泰山鳴動しない読売・朝日・日経の提携

9月末をもってMSNと毎日新聞の提携が終わって産経新聞が取って代わった。翌10月1日には読売・朝日・日経が提携を発表し翌日の紙面を飾った。全国紙5紙がネットにかかわる「大きな」変化を遂げたかと思いきや、実状はどうやらそうでもないらしい。

まずMSN毎日インタラクティブの終了について。悲観論もあったようだけど私は毎日にとって良かったと思う。MSNは皆が忘れている通り?元々はパソコン通信分野でもゲイツ王国を築こうとして失敗し、そのうちパソ通自体が時代遅れになって何となくポータル然として居座っている存在だ。ウィンドウズのホームページとして初期設定してあるから、これまた何となく立ち上げたら眺めるMSN。圧倒的シェアを利用したマイクロソフト社のお仕着せに毎日が合わせることもないじゃないか、らしくないぞと常々感じていたから。
というのもMSN毎日インタラクティブ以前の毎日のサイトは多分他紙と比較して一番充実していたので、それをむざむざ捨ててゲイツの軍門に下るのはどうかと疑問をもったまま釈然としていなかったので。別れて正解だ。代わる産経というのも良縁である。気の毒なほど評価されていないが産経のネット展開は涙ぐましいものがある。MSと組むのも一興であろう。ぜひ「本紙より速く特ダネを報じる」実例が見たい。特ダネを求める他社もそれがあればちょっとだけ、きっとちょっとだけだけど、助かる……かもしれない。

さて本題の3紙提携。全国紙は読売・朝日・毎日(発行部数順)を合わせて「朝毎読」と昔から言い表す。読売・朝日・日経(同)はいつの間にかANYなどとまとめている。朝毎読をAMYとはいわないよね。なお各社「Aは……」「Yが……」と符丁としては使っている。
そのANY提携。うわさは前々からあって当初はとんでもない大連携かと一部で騒がれていた。でも10月2日付朝刊各紙の記事を読む限り「泰山鳴動してネズミ一匹」どころか鳴動すらしていないようだ。一番率直に紹介しているとおぼしき読売新聞紙面(同日)から分析してみる。
うわさレベルで一番気になったのはAとYの握手ではなくNが加わるという点だった。今や広告代理店が興味を示す唯一の全国紙といわれる日経。専売網が弱い日経。そこに激烈な拡販競争をしていた読売と朝日が加われば全国レベルでの宅配網再編かとかたずを飲む向きもあったのにアッサリ否定された。
読売によると「共同で配達や集金の実施が検討されているのは販売部数が少ない地域や、読者の交代が激しい地域に限られる。朝日の秋山社長は『(人口の多い地域での)販売はこれまで通り激しく競争する』」。これは販売店向けへのメッセージだろう。共同宅配の名で販売店の再編を全国的に行えば専売店の大反乱が起きる。何となく当初はそこまで行けるかも、いや無理に決まっているけど行けたらどうか、でも、でも無理でしたという結果を見せられているようだ。この時点で日経の参加は単なるお飾りになったと断言していい。

実は3紙ともこの宅配網に関する扱いは二番手以下でトップに3紙共同のサイト作りを掲げている。しかし新聞業界を少しだけ知る者も、ネットをちょっとわかっている人も、この「ニュース」が羊頭であるとわかるはずだ。読売によると「共同ニュースサイトを開設し、3社の紙面のトップ記事や社説などの主要記事の『読み比べ』ができるサービス」が提供されるらしい。
意味ないでしょう。だって同じ紙面に「ネット上のニュースは例えばヤフーやグーグルなどのポータルサイトで流れているものが多いが、取材発信しているのは新聞社であるケースが圧倒的」という秋山社長のコメントが載っているから。このコメント自体は正しい。10代から20代くらいの人にニュースソースを聞くと「ネットから」と多くが答える。それは正しく情報源をとらえていない。情報の最初や最後にあるクレジットを確認しなければならない。そのうち信頼に足るものの多くが「新聞社であるケース」である。
要するにすでにネットユーザーは「ヤフーやグーグル」を使ってそれを「読み比べ」ているのだから「共同ニュースサイト」などいらないはずだ。オレが書いたとわからせてやるみたいな気持ちはわかる。わかるけれども実効性はない。
だから「今回の合意は、こうした厳しい環境下にある新聞社が単に身を寄せ合い、激しい嵐をやり過ごすための方便では決してない」(読売同日解説)というのはにわかに信じがたい。むしろ激しい嵐をやり過ごすための方便としか思えない。あるいは意味がないとわかっていながら羊頭として掲げる無理を承知の発言なのか。
同解説は「3社は『協調』に安住するのではな」いとも書く。安住できそうとの前提があってこそ「安住するのではなく」との決意表明も意味があるのに「共同ニュースサイト」構想からその前提の香りがまったく漂ってこない。ありえない前提に基づく論理は空論である。

「ネットメディアにおける新聞社の影響力を高めていきたい」(杉田日経社長)
「ライバルとして競い合っていくための土台作り」(秋山朝日社長)
「インターネットを活用し、ペーパーの新聞を断固維持していく」(内山読売社長)
「(3社のトップが)強調したのは、インターネット時代の中で、真のニュース発信者としての役割を果たすとともに、新聞の宅配網を堅持することだった」

日経社長のコメントを除くとインターネットを懐柔しながら従来の路線を断固守り抜くという決意表明に読める。ネットは新聞の味方か敵かというのは結論が出ていない難問である。取りあえず何となく何かをやってみるらしい。

最後に素朴な疑問。3紙の社説を読み比べたい人っているのかしら。抜かれが心配で他紙を血眼になって読んでいる現場の記者ですら社説を読み比べているとは思えないのだが。喜ぶのは『週刊文春』の「新聞不信」と『文藝春秋』の「新聞エンマ帖」の筆者だけだったりして。(編集長)

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2007年11月20日 (火)

究極の贅沢? 週刊ハーレーダビッドソン。

Dsc05716 テレビCMを見ていて、ハートに「ズギューン!!」と来たものがあった。
 それはかの有名な集めると何かがコンプリートできるデアゴスティーニから新しく発売された『週刊 ハーレーダビッドソン』だ。
 ちなみに私はバイクに興味はないし、ハーレーも好きではない。なんというかハーレーというと、バイクの横に小型の席があるバイクを思い浮かべてしまう。
 そんな私がなぜ、「ハーレーダビッドソンに胸キュンしたかというと、どうやら完成するとライトがついて、さらにエンジン音まで出せるらしいからだ。
 正直なところその少し前に発売された『週刊 ディズニーランド』も気になっていて、こちらはコンプリートするとフロリダのディズニーランドができあがるそうな。さすがに家が狭いので買うのはよした。
 このハーレーだが、できあがるのはファットボーイという車種で1/4スケール。店頭でできあがったものが飾ってあったが思ったよりも大きかった。
 スペックは、重量6.8キロ、全長59.7センチ、幅25.5センチ、高さ27センチ。写真のタイヤを見てもらえればわかるが、店頭で中身を見たときはさすがに買うのがためらわれたが、頭の中で「ダダンダンダダン……」と、ターミネーターの曲が流れ、我が家に飾ってあるターミネーターの金属の頭が思い浮かび買ってしまった。 
 初回は毎度のことながら特別定価890円。2回目以降は、1790円。高い。最終的に何冊買わなくてはならないかは、夫婦円満のためにも控えさせてもらうが、相当な出費がかかることが予想される。
 さて、このデアゴスティーニだが、どのような会社なのかを少し説明すると、地理学者のジョバンニ・デアゴスティーニ氏が、ローマに地理学研究所を創設し、学校用の近代地図を発行したことから始まる。1901年のこと。日本へは1988年に参入。弟が1993年に発売された『恐竜ザウルス!』の創刊号を買っていたのを思い出すが、デアゴスティーニの根幹には、「パートワーク」というものがあり、ある分野の知識やハウツーなどを毎週少しずつ提供し、コンプリートするとその分野の百科事典ができあがる仕組みになっている。なので、バインダーがセットになっていたりする。
 さて、今回買ったハーレーだが、これはパートワークに組み込まれるのだろうか。
 作る系では、『戦艦大和をつくる』(靖国ライターとしては作るべきか!?)、『ROBOZAK』(ロボを作る)、前出の『恐竜ザウルス!』など、知的好奇心を満たし、さらにちょっとした知識を得ることができる。
 しかし、このバイクはどうなんだ?
 どちらかというと、知的好奇心をくすぐるというより、大人のための無駄遣いとしか思えない。
 子どもが買うには高いし、コンプリート予定の総額はなかなかいい値段だ。ガンプラ(ガンダムのプラモデル)のマスターグレードをいくつか買って飾った方がいくらかマシな気もするが、大人の男の部屋にガンプラが置かれているより、ハーレーが置かれていた方がいい男ポイントがあがりそうだ。見栄えもいいし。
 とりあえず2号まで買ったが、次はどうしようか悩んでいる。うちのターミネーターの頭のために作るか、それともゲームを買うか……。 
 大人の無駄遣いに大いに悩む私は主婦失格だろうか。私の手よりも大きい前輪を見つめながら考えることにして、もしコンプリートしたあかつきには、その勇姿をディスプレイベースにに載せてアップしようと思う。(奥津)

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2007年11月19日 (月)

予防接種は自由価格?

本格的にカゼをひいた。
熱、セキ、頭痛、悪寒、関節痛とフルコースのカゼらしいカゼ。インフルエンザの予防接種を受けた日に発熱した。医者によれば予防接種と発熱は特に関係ないとのこと。
私の場合はインフルエンザではないのだが、3つの型があるインフルエンザが予防接種の型と合わなかったら予防接種は意味のないものになってしまうのか。どうやらそういうことではないらしい。Aソ連型(H1N1)、A香港型(H3N2)、B型の3種混合ワクチンは現在スタンダードになっている。とはいえ新種の型が発生してしまうと3種混合でもカバーすることができないのだが。いずれにしても最善の対策は予防接種を受けることとお医者さんが言われる。
予防接種は健康保険が適応されないため原則として全額自己負担になる。そして、どういう理由だかは分からないが病院によって値段のバラつきがけっこう大きい。原価がいくらだとはさすがにハッキリ教えてくれなかったが、1回で1500円の病院もあれば5000円を超える病院もある。ネット情報では実に7000円ということろまであった。価格設定が自由なのならば、予防接種シーズンは病院にとっての書き入れ時なのではないか。
インフルエンザが流行るのは12月以降。予防接種の効果は打てば即、というわけではなく2週間を要するそうだ。効果持続は約5ヵ月。つまり今が打ち時である。何千円の差額を厭わない人であれば、すぐさまお近くの病院へ。厭うなら調べてからにしたほうがいい。ちなみに私が受けた病院では2500円だった。(宮崎)

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2007年11月18日 (日)

「死化粧師」を観る 第7回/心傷に潰されていく

 前回、刺されてしまったエンバーマー・間宮心十郎(和田和人)。
 刺した男は、銀行強盗が銃で自殺した現場に居合わせた行員の、父親だった。
 愛する娘は、エンバーミングを施された銀行強盗の顔を偶然週刊誌で見てしまい、パニックに陥ったのだ。娘はさらに精神病棟にて療養という事態になった。
「娘をこんな風にしてしまった強盗の遺体を、めちゃめちゃにしてやりたい」
 父親は強盗の遺体が安置されている霊安室に入ってきて犯行に及び、遺体に包丁を突き刺そうとするのを思わず止めた心十郎が、もみ合いの末に刺されてしまったというわけだ。

 間違って刺されたとはいえ、自分のエンバーミングが娘さんをパニックに陥れてしまったと考えた心十郎は、父親に謝りに行く。
 父親は自分が間違えて心十郎を刺してしまった事は棚に上げ(上げていい程度のものだろうか…)なじりになじった。
「元気だった娘を返せ! 一生恨んでやるからな!」
 言われてどん底まで落ち込んでしまう心十郎。
「気にするな、お前は仕事をこなしただけだ」
 …そんな葬儀屋・恋路の言葉も今の彼には全くの無力だろう。だって、心十郎にとってエンバーミングは仕事以上のものなのだから。
 心十郎がエンバーマーになったのは、悲惨な状態だった自分の父親の遺体を見て、ショックを受けたからなのだ。
 誰かにそんな思いをさせたくない。そう思って仕事をした結果、思いがけない誰かにショックを与えてしまうとは。
 愕然とした心十郎は、エンバーミングが出来なくなってしまった。

 心傷から職業を選ぶと、その心傷に潰されやすい。
 葬儀屋に勤めていた頃、そう思うことが確かにあった。
 私はどうも遺族の立場に立った細やかな気配りというものに欠けていた。泣いている遺族をそっと励まして退場を促したり、冬場、遺体にもう一枚布団をかけてやったり(ドライアイスの保冷が効きやすくなるという利点もあるのだが)と、一旦「仕事」をおりて思いやりを示すということが、苦手だったのだ。
 上司もそれをよく理解していたので、人手が足りなくならない以上は、デリケートな家(例えば故人が若かったり、突然死だったり)を私に担当させることは避けていた。
 しかしある日、自殺者の家を担当することになった。
 本当は、気配りの行き届いた施行で定評のある同僚が担当だったのだが、「悲しみが深すぎて見ていられない」と、泣いて帰ってきたのだ。
「親戚のおじさんが突然自ら命を絶ち、その現場を仕切っていた葬儀屋が、非常に温かみにあふれた施行をしてくれたから」葬儀屋になったのだ、と話してくれた同僚だった。
 ところがいざ同じような現場に立ってみると、過去がフラッシュバックしてきて耐えられなくなってしまったのだろう。
 プラス、遺族の悲しみ方が尋常ではないことも辛かったのだろう。
「そんなときのために、色んなタイプの担当者がいるんだからね」と上司がその子を慰めていたのを覚えている。人を相手にする葬儀屋という商売は、やはり施行担当者によって得手不得手があるもので、

・人情に満ちた施行担当者
・大きい葬儀が得意な施行担当者
・小さい葬儀が得意な施行担当者
・田舎が得意な施行担当者
・孤独死、焼死など特殊な事情のある葬儀が得意な施行担当者
・とにかく段取りの良い施行担当者

 様々なタイプがあり、自分も他人も適性をよく心得て仕事していた。
 さらに、利益を追求する会社に所属しているという事実は、個人的な感情に負けそうになった時に効果的である。
「もう、こんな不愉快なクライアントを相手に仕事するのは耐えられない」
 という感情に襲われたとき、だれでも自分に「どうどう、落ち着け」とブレーキをかけると思う。
 自分が心地よくなるためにこの仕事をやっているんじゃない、会社の利益のためだ、お給料のためだ、と。
「悲しみが強すぎてこのお宅を担当できない」というのは、酷なようだが、上の例と同じ事を言っているのである。
 そんな時、大抵は、会社の仕事が円滑に進むため、ひいてはお給料のため、と辛抱することができる。
 しかし、根本的に自分の心傷を癒すために仕事をしているのならば、ダメージを受けたときに簡単に潰れてしまうのは当然だろう。自分のため以外には、仕事をしていないわけなのだから。

 エンバーマー・間宮心十郎はひとりである。チームを組むべき仲間もいなければ、所属する会社もない。
 そんな彼から、当然とも言える一言が出た。
「オレ、エンバーマーやめる」
 エンバーミングが出来なくなってしまった心十郎のかわりにと、葬儀屋・恋路が手配したもう一人のエンバーマーである女性に吐かれたこの言葉。
 この女性が、どんな形であれ、心十郎の仕事の支えになっていってくれれば。そんなふうに願い、次回を待つ。(小松朗子)

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2007年11月17日 (土)

『吉原 泡の園』 第42回/電話で客を呼べ!

 突然Rグループの打ち出したバスツアーという企画の客集め担当を命じられた僕は、上がった客にバスツアーの話をすることから始めた。上がってきた客には、まずアンケートをしてもらう。
 アンケートは初めて来店された、あるいは、その娘にはじめて接客を受ける客にたいして用紙アンケートをしてもらうのである。
 冷たい麦茶を飲みながら、アンケートを書いてもらう。それが終わると、日々変わる金の値段や築地の魚のように変わるRグループの娘のアルバムを、その日のアルバムとして客にみてもらい、次に繋がるようにするのであった。
「ほー。こんなコもいるんだ」
 客はアルバムを見るときはそれこそ真剣で、結婚相手を探すかのような眼差しでもある。綺麗なドレスを着ての撮影では、実物よりも数倍は綺麗に見える。
 毎日見ているボーイの僕ですら、
「こんなかわいいなら」
 と思ってしまうほどだ。ただ、現実はまた違うのだが。
 アンケートの内容は他愛の無いものだった。
 即サービス、すなわち即尺はあったか、即ベッドはあったか、などというものであった。
 もちろん、そこで無かった、に○があれば、マネジャーに呼ばれ再教育と減給である。であるから、娘達は一生懸命にもなるのであるが、客の第一印象とイメージが違った。などという中々合点というわけにはいかないのも現実なのであった。普段の名刺を渡し、また自分に電話を入れてもらえるように営業をする。同時に新しく作った派手な名刺も渡し、バスツアーの話をする。
 結婚している人なども結構話しだけは聞いてくれたり、またはしばらく考えてから返事をするといったことをいってくれるのだった。
 銀座、横浜、海外など、流行の発信地を職場にする客も多かった。
 昼間など電話をして、
「新しい娘が入りましたよ」
 などと電話もする。その時のポイントは
「まずは新人情報を○○さんに1番にお知らせしようと思いまして」
 というのがポイントである。客も、1番に教えたかった、といわれれば悪い気はしないのである。
「R店と申しますが」
 とほぼ毎日電話する。それも100人くらいの自分の客にである。
「え、R?」
 始めは仕事モードの客も、すぐにR店を思い出し、本来のドスケベ親父の本性をあらわす。
「ああ、ごめん、はいはい」
「今、大丈夫ですか、電話?」
 などと聞くと。
 「ゴメーン。今会議中」などと断られることがほとんどだ。が、ここで諦めたり、ショボクレル暇はないぞ。そんなことをしているとマネジャーの怒鳴りが飛んでくる。店長の怒りの言葉が飛んでくるのだ。
 とにかく電話電話なのだ。そして、毎回電話するのは金もかかる。そんなときは店長直伝のやりかた。
 ズバリワン切りである。
つまり、ワン切りで番号だけ相手の履歴に残る。それを見た相手がかけてくる。もちろん電話代は向こう持ちになる。これを直伝した店長はなんとずるがしこいのだろうとつくづく感じだ。また、これに似たことで、気に食わないボーイがいると、給料日数日前にいじめにいじめて、給料を払わせることなくボーイを飛ばせるのだと豪語していた。その浮いた給料はもちろん自分の懐にはいるのだ。もちろん、これは犯罪である。
 が、もともとが指定暴力団山○組の関係店なのだ。それをいうのは野暮というやつだった。
 1日100軒に電話をする。そのうち1人来てくだされば良しという感じである。
 まあ、下っ端ボーイはそんなものである。
 とはいってもマネジャーですら呼びたい客を簡単に呼べるものではなかったが。つまり、意外と難しいのである。
 そんな激しい電話合戦の中、Eさんなどはほとんど自分の客もなく、またあっても呼べない、電話もしないで、かけるふりを演じるのだった。
 義理もいかない、客も呼べない、要は使えないEさんの肩身は、日に日に狭くなっていったのだった。
 娘自身も営業電話するのだが、これがいかんせんダメであり、やはり頼りになるのはボーイといった感じだった。キャバクラはキャストが命と言うが、ソープだってそうだ。ただ、それを支え、客をうまく騙すのもボーイの仕事で、ようは騙せるかどうかなのだ。僕は半分詐欺師になり、半分清掃員であり、ウエイターの仕事をするような感じであった。
 そこにバスツアー、面接官助手、店の代表代理としての公的機関での付き合い、夜逃げやもどきなどと、次から次へと人手不足ゆえにどっと僕の肩に荷が押し寄せてくるのだった。(イッセイ遊児)

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2007年11月16日 (金)

レストラン・ロオジエの新たな一歩

 日本でもフランス料理店でも最高峰とも賞されるロオジエの料理長が、ジャック・ボリーからブルーノ・メナールに変わったのは2005年のことだった。それから2年、ロオジエの料理はさらに大きく変わろうとしているようだ。

 クラシック料理の王道を行くジャック・ボリーの料理は、M.O.F(フランス最高職人賞)を受賞したにふさわしい完璧なできばえだった。例えば牛のほほ肉の赤ワイン煮など、ある意味古めかしい料理であっても、これまで食べたことのないほどおいしい料理として提供される。伝統的な料理に何が足された、何かの変化を加えたというわけではない。むしろ、その伝統的な料理のバランスを究極まで整えたものだった。

 この料理人の後を継ぐシェフはつらい。伝統的な料理のできばえでボリーを上回るのは容易ではない。しかも同じような料理を作ったとしても、「新しいシェフなのに皿に変化がない」と批評家やお客が批判を始めるだろう。
 といっても斬新すぎる料理は好き嫌いが激しい。中ぐらいコースとワインを選んでも2人で10万近くかかってしまう料理店である。メニューによって当たり外れがあるなど、よほどの金持ちでなければ笑っていられないはずだ。

 もちろん東京のフランス料理店には、“冒険好き”のシェフがいる店もある。駒場東大前にあるフレンチなど、とにかく斬新な料理を作ろうと日々闘っている。例えばハモを焼きたいとなれば、身がバラバラになってしまう背切りを封印し、朝届いたハモを毛抜きで1本1本骨を取ってしまう。
 そうした情熱は一流の料理人のものだし、もちろん腕も一級品だ。ただし7~8皿に1つぐらいは、「アレ?」と思う料理が出てくる。料理人の冒険心に、客である自分の舌がついて行けなかった証拠だ。それでも1人1万ちょっとなら十分に納得できる。むしろ、そこまで斬新な皿に挑戦したことに拍手を送りたくなる。

 しかしロオジエとなれば値段も客層も“冒険”など望んでいない。だからこそ2005年にボリーからの推薦で選ばれたのは、伝統的な料理を基本として変化を加えていく「ネオ・クラシック」という料理スタイルを特徴とする料理人だった。実際、メナールはロオジエ就任当初にささやかれた不安を一層する働きをみせた。ソースが軽くなっても味を落とさず、組み合わせは意外でもクラシックな料理の基本までは崩さない。ボリーの料理が大好きで、少しでも気にくわなければ許さないと思っていた客の口を、料理の出来で封印したといってもいい。

 しかし先日、久しぶりに食べたロオジエの料理は、過去のメナールの料理より、もう一歩「斬新さ」に踏み出していた。
 例えば前菜で出てきたフォアグラのパテは、昨年の夏はシンプルだが極限にまで雑味をなくした代物だった。しかし今回は赤ワインと混ぜてまろやかにする一方で、フォアグラの雑味は以前より残してあった。またフォアグラに合わせる果実としてカリンを選択したことにも驚かされた。
 変化は料理だけではない。メインのナイフについても、スケルトンのプラスチックが付いたモダンなものに変わっていた。

 国民性というべきか、もともとフランス料理は「革命」が大好きだ。これまでにも世界各地の料理をたくみに取り込み、どんどん姿を変えてきている。1970年代に流行した「ヌーベルキュイジーヌ」では日本料理も取り入れられているし、最近では太平洋のどこかの諸島の料理を取り入れるのがブームになったとも聞いた。
 その意味ではメナールの踏み出した一歩はフランス料理人として当然の一歩なのかもしれない。しかし私はついていけなかった。そのチャレンジ精神に期待して通うほどの金もない。もしかしたら舌が守りに入っているのかもしれない。これも歳か……。(大畑)

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2007年11月15日 (木)

浦和レッズ・アジア制覇に思う

浦和レッズがイランのクラブ・セパハンを破りアジアカップ王者の座を手にした。代表監督オシムが「浦和のアジア制覇は必ずや日本サッカーの力になる」ということをテレビ・インタビューで語っていたが、さて今後の日本代表はいかに。
テレ朝ではやたらと「2部落ちという苦難を乗り越えて」を強調していたが、たしかにJリーグ開幕当初の浦和は弱かったと記憶している。たしか2年連続でリーグ最下位だったか。まだJリーグが1stステージ、2stステージに分けられていたころの95年、一般論としていいのかは分からないが個人的に印象に残っている福田、ブッフバルトらの活躍で急速にチームが躍進しはじめたが、やはり今考えてみるとそれはドイツから呼び寄せた指揮官・オジェックの力に負うところも大きかったのではないか。
最終シーズンを優勝で飾ったブッフバルト監督を次ぎドイツ・リレーで再び就任したオジェックが導いたアジア杯、優勝直前のロスタイムで気力に満ちたワシントンを交代させて岡野を投入したシーンに12年の歴史を見た気がする。ていうか監督のロマン?
超独断だが、カップへの最後の一戦でのMVPは闘莉王。前半に右足一閃でゴールネットを揺らして長い髪をなびかせながらヨロコビを表現させた永井も捨てがたいがやはり闘莉王。後退を続ける彼のひたいと反比例して伸びていく髪の毛、このへんは絶妙なバランスなのに素人目から見ても攻守のバランスを考えてないような前線への飛び出しがテレビ観戦する者に楽しい(ハードワーカー鈴木啓太の心境やいかに)。
1戦目で得たアドバンテージから1点取った時点でムリをせずにゲームを運ぶこともできたはずだが、セパハンに幾度となくバイタルエリアにボールを運ばれながらもボールを持てば前へ前へと送り続けたのは圧倒的な声援の後押しあってのことか。一瞬、韓国代表チームかと見紛う赤赤赤の大観衆だが、「We are REDS!!」の大合唱はやはり浦和レッズ!!
特に浦和レッズのファンというわけではないのですが、日に日に温度を下げているこの時期の寒い部屋で観た試合、観終わった後に体と心が赤く熱くなっていたのはサポーターたちの声援があったからでしょう。度が過ぎてイタリアの暴徒のようにはならないでね、という心境と、どうせならレッズ原理主義まで到達しちゃえよ、という心境が交錯。とりあえず、ようやくトヨタカップが楽しみになったなあ。(宮崎)

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2007年11月14日 (水)

キャロル・キングとメアリーJとファギー

ココログメンテナンスにより更新が遅れました。
“3 Great American Voices”と名づけられたコンサートに行って来ました武道館。

①キャロルはジミー・ペイジに似ていた
②ファギーはバルカン星人だとわかった
③メアリーJはウーピー・ゴールドバーグだった

出演もこの順番だった。
この三人の共通点がどこかは前々から話題となっていた。以下が私なりの想像。

①キャロルとメアリーJはニューヨーカーである
②キャロル作のナチュラル・ウーマン(A Natural Woman)をメアリーがカバーしている。この曲をヒットさせたアレサ・フランクリンとメアリーのキャラもかぶる
③ファギーのヒット曲であるグラマラス(Glamorous)をフィーチャーするリュダクリス(Ludacris)は自身の曲ランナウェイ・ラブ(Runaway Love)でメアリーにフィーチャーを受けている。ちなみにランナウェイ・ラブの歌詞は実に深刻である
④いうまでもなくメアリーとファギー(BEP含む)はヒップホップのジャンルにある

となるとメアリーJをブリッジとした一昔前の社公民路線みたいな競演か。なかなかキャロルとファギーの接点が見つからない。
とはいえキャロルは何人かいる「原点」の1人である。女性が1人でヴォーカルを取るという形のルーツがジャニス・ジョプリンであるように、ビジュアル系の根っこにディビット・ボウイがいるように、キャロルは「女性シンガーソングライター」の発祥だ。したがって以後の女性ミュージシャンがジャンルを問わずキャロルを尊敬するのはわかる。
“3 Great American Voices”の最中にキャロルは自身の年齢を65歳と替え歌であえて告げた。考えてみれば伝説のアルバム「つづれ織り」(Tapestry)の発表は1971年。今から36年も前である。36年といえば日本が朝鮮を植民地支配したのと同じだけの年数だ。ずいぶん昔のこと。62年生まれの私もTapestryはリアルタイムで聞いた記憶がない。多分やや遅れての追体験である。したがって会場には40代後半から50代の客も多くいてファギーのパフォーマンスにはビックリしていた。

キャロルの選曲もTapestry中心。しかしイッツ・トゥー・レイト (It's Too Late)は歌わなかった。これはリアルタイムファンにはつらかろう。先行した他の会場でも同じだったという。理由は不明。日本でのコンサートでビッグネームがこうした「外し」をする件は他にも多くある。誰か理由を教えて下さい。

ファギーは現在30代。案外と苦労人である。いきなり嫌いなはずの腹部を露出して登場。ここまでシェイプアップしていると誇示したかったのか。マイク片手にバク転したりとフィジカルの強さを強調していた。
しかし、それにしても大ヒット曲(それもスタンダード系)があると歌手は違って見える。ビッグ・ガールズ・ドント・クライ(Big Girls Don't Cry)はビルボードチャートこそトップ数が少なかったものの07年最大の収穫といっていい。アメリカの女の子はみんな歌っていた。日本でも大学1年生の女性が私に「ファギーだけだったら行った」などと話す。
確か「歌手に大ヒットは必要だ」と説いたのは矢沢永吉で説かれたのがオフコース。そこで「さよなら」が誕生したとか。いったん大ヒットを手にすると過去の曲まで自身の持ち物のようになる。BEPあってのファギーか、ファギーあってのBEPかとの論争は、当然のごとくBEPのメドレーを熱唱する今のファギーの姿で決着がついた気もしたコンサートだった。

メアリーJはもはや女王様である。He Think I Don't KnowやBe Without You(何て素敵なタイトル)は単にヒットしただけではなくグラミーからも愛された。この辺が大御所への布石となろう。ただ実物を間近(アリーナの前3列目だった)に見ると聞き慣れたヒット曲の数々よりも体型が気になってしまう。やっぱり例のダイエットの印象が強烈だからか。この人は相当長いのにいまだチャートのトップを平然とねらえる地位にある。
ニューヨークの香りといえば去年来日したビリー・ジョエルが有名だけれど、いかんせん懐メロ歌手だ。ラモーンズはみんな死んでしまったらしいし。その点でメアリーJの歌声は今のニューヨークを代表するといっていい。
サブプライムショックで下げまくるウォール街と、その資金が回避しているせいもあって暴騰するマーカンタイルと、共和党の大統領候補に擬せられる前市長と、そんなこんなを抱え込むNYを母のように包むメアリーJは“3 Great American Voices”でも右手に伝説(キャロル)、左手にティーン(ファギー)を抱いてアンコールを仕切っていた。(編集長)

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2007年11月13日 (火)

日刊「記録」もあります。

 月刊「記録」編集部と並行して、日刊「記録」というブログをやっている。
 月刊のほうはご存知の通り担当ライターが毎日原稿を書いて更新しているが、日刊のほうは過去の「記録」に載った原稿をアップしている。
 少々、更新がおろそかになってしまったが、連載や過去の特集をアップしている。
 記録は2000年3月号までA5版で発行していたが、2000年6月号から現在のA4版での発行となった。
 現在の版型になってからページ数も減り、連載数や特集数、その他の原稿を載せることが難しくなった。無名の原稿を書く場を求める書き手のためにページを割きたいもののなかなか許されない。
 年々、購読者数が減り赤字続きで印刷用紙のランクアップも断念した。ここ数年、記録復活のため編集部員一丸となって努力している。
 その一環として、日刊「記録」ブログを立ち上げたのだが、月刊「記録」とリンクを張っていないため知らない読者が多いかと思われる。
 過去の記録の記事が読みたい方は、是非、日刊「記録」にアクセスを。(奥津)
http://nikkankiroku.cocolog-nifty.com/blog/

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2007年11月12日 (月)

ノンタイトル

最近、生活のペースをつかみかねている。よってルポなどをアップできていない。来週はおそらくアップできそうですが。(宮崎)

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2007年11月11日 (日)

「死化粧師」を観る 第6回/「心十郎」名前の秘密が明かされて

前回心変わりした女医・小雪(国生さゆり)から、さっそく主人公のエンバーマー(遺体衛生保全者)・心十郎(和田正人)にエンバーミングの依頼がある。シンプルな携帯メールでの連絡だ。
「本日0時、教会改め霊安室」
 依頼は強盗事件の犯人のエンバーミング。身元不明のため、損傷のひどい遺体の腐敗進行を防いで欲しいという。こうなるとエンバーミングというよりも、腐敗防止処置だ。なかなかシブい仕事になってきた。
 犯人の身体を覆うシーツをめくると、銃で頭を撃っての自殺のため、顔の半分がなくなってしまっている。
それを見て、心十郎の過去がフィードバックされる。父親の、最期の姿に似ていたのだ。
 心十郎の父親が、米軍のエンバーマーだったことが初めて明かされる。病気がちの母親を見捨てるようにして、いつも仕事に駆けずり回っていた父親。まだ青い少年だった心十郎が、
「父さん、生きてる人間もっと大事にしろよ。そんなに死体が大事かよ?!」
となじると、
「心中郎、死体じゃない。人間だ」
と言い残し、出かけてしまった父親。
そんな父親の最期は悲惨だった。戦地で巻き添えになり、まさに、顔の半分が爆弾で飛ばされた姿で帰ってきたのだ。
「現場に、エンバーマーはいなかったんですか」
 と、変わり果てた父親の姿に唖然としながら言う心十郎に、
「彼が唯一のエンバーマーでした」
 と、神父がつぶやく。
 心十郎の父親は、家族を犠牲にしてまで遺体を整えてきた。その結果が、これなのか。自分は、ぼろぼろのまま、死んでしまうのか。悲壮の最期を経験したからこそ、心十郎は父親と同じように、エンバーマーになったのだ。
 さて、ドラマは過去から現在へと話が戻る。
「あんな人間、死んでよかったんだよ」などとうそぶき、「葬式なんか出さない。火葬にも出ない。警察で勝手にやってくれ」と言っていた犯人の息子も、心十郎に自らの過去の話をしながら諭されて、最後のお別れにやってきた。
 線香台とろうそくだけがともる殺風景な一室で、犯人は柩に横たわっていた。息子が柩をのぞくと、そこには生前となんら変わらない父親の姿があった。心十郎は腐敗防止だけではなく、顔の修繕もやってくれたのだ。変わらない、口の周りにびっしりと生えた髭を見て、息子がつぶやく。
「この髭…、子どもの頃は、コレで頬ずりされると、たまらなく痛くて。でも、嬉しかったんだよな…」
 顔が半分なくなったままの姿で最後の別れをしていたら、思い出せなかった過去だったろう。
 それだけではない。「遺体をきれいに保つ」という形式的なこだわりを捨てて、心十郎が髭までも残し、そしてわざわざ再現しなければ、出てこない言葉だったろう。

 以前、さておじいちゃんをきれいにしてあげようかね、と、鼻毛を切り、頬に綿を入れて少しふくよかにし、髭を剃って化粧を施したことがあった。仕事としてよくすることなので淡々とやっていたのだが、
「きれいにしてもらって、ありがとうございました。なんだか、きれいすぎておじいちゃんじゃないみたいになっちゃって」と家族に言われたとき、はっとした。
 そのご遺族は、けっして嫌味でそう言ったわけではない。むしろ感謝の気持ちがこもっていたのだが、私は仕事に一生懸命になってしまって、遺族に沿う事を忘れてしまっていたなあ、と思ったのだ。

 私は「きれいにしよう、お仕事だから」と思って遺体を整えた。
 心十郎は「生前の姿に戻してやりたい、ご遺族のために」とエンバーミングを施した。

 葬儀屋とエンバーマーという立場の違いこそあれ、普通に「整えよう」と思ったら剃ってしまうであろう髭を残すというのは、プロ意識のほかに、人間としての温かみが感じられる行為だ。

心 十郎の父親の死について明かされるくだりで、父親の遺品からは心十郎の赤ん坊の頃の写真が見つかる。爆風で欠けてしまった写真の裏には、「心十郎」という風変わりな名前の由来が記されていた。
 いつも心に十の言葉を持て、という父親の強い希いのもとに、一般的に望ましいとされる言葉が十個、書かれてあった。愛、尊敬、希望、優しさ、誠実、勇気、理知などの輝かしい言葉が並ぶなか、一つだけ異質なものがある。
「弱さ」。
 エンバーマーであった父親は、いつも心に弱さを持て、と息子に願ったのだ。
 エンバーミングを日々の糧としながら、仕事の済んだあとはいつも「寒い…」と震えてしまう心十郎。それは父親の悲惨な姿を見た過去から来る弱さだろうが、きっとその弱さが、犯人の髭を残し、再現したのだ。
 父親の希いは、しっかりと叶えられている。
 日常生活では女の子ばかり追いかけている心十郎の姿を見ると、他の九つの言葉については知らないが。

 なんて事を考えていたら、ドラマの最後にはいきなり心十郎が刺されてしまった。
腹を抱えて倒れる心十郎。しっかりしろ! そこはたぶん肝臓だ! 即死はしないぞ!(小松朗子)

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2007年11月10日 (土)

『吉原 泡の底』 第41回/ヤクザが通る

 お客は車かオートバイ、もしくは駅から電話して、送迎者で迎えにいくかが多いのだが、たまに自転車などで来る人もいる。恐らくは近いのだろうが、高級店に自転車、しかもママちゃりなどで来る人もいる。
 たまたまその日、静岡から女の娘が体験入店をしている日だった。
 僕が客引きをしていた。
「どうよ、いい娘入った?」
 自転車でフラフラ200軒近くのソープランドを見て回り、いい娘がいたら入ろうと言うのである。あまり店としてはうれしい客ではない。
「今日静岡から来た娘がいます」
 といい、写真を背中のズボンに挟んでいたので、それをサッと抜き取り、その自転車の客に見せた。
「ほー、かわいいじゃん」
 それを見たマネジャーがフロントから出てくる。
「静岡からの娘でね、デパート勤務だったんですよ」
デパート勤務。
 その言葉を聞き、男の目が変わった。男は制服に弱い。
 デパートガール
 看護師
 スチュワーデス物
 教師物
 
 などだが、人気があるゆえに、それがそのまま店名になったりもする。たとえば、
「スチュワーデス物語」
 何かドラマのタイトルか、と思うほどだ。女教師○○。などもある。名前を聞いただけでおもわず吹き出してしまうものも少なくない。
 さて、その自転車男は、結局目の色を変えて入ってくれたのだった。それでも、
「まけろまけろ」
 とうるさいのである。
 体験入店初日にして初の客がそんな神経の図太いやらしすぎる客だったので、女の子はあんなことやこんなことを無理に迫られたのだろう。
 その客は90分後、満足そうに店をあとにしたのだった。が、女の子はそのままマネジャーに言い、そのまま店を辞めたのである。
 デパート勤務では絶対に貰えない額の給料を提示され、いざ飛びこんだソープの世界は、どうやらお嬢さん育ちの娘には到底勤まるものではなかったらしい。
 そりゃそうだ。即尺、即ベッドなのだから、客はくっさい客。うんちべっとりの客、まだピルも飲んでいないし、調整段階の新人に無理やり生でやろうとする客など、それこそ千差万別なのだ。
 嫌いだから、という理由は通用しない世界なのである。さて、自分が女なら、それが出来るか、自問自答してみる。が、NO!という答えしかない。
 花魁たちには頭が下がった。そしてまた、会長の口癖が
「おまえらにしても俺にしても、女にくわしてもろうてるんや、ええな、忘れるな」
 であり、
「わしらの商売は何を売っとるのか、分かるか、ここはマ○コ屋やでぇぇぇ」
であった。
 ただ、それはあんたら幹部だけや、僕ら下っ端はなぁ、なぁ。と僕は金にならない仕事に対し、鵜呑みにすることはなかった。新人が入っても、すぐに辞めさす訳には行かなかった。また、客がつかなければ、どこかの姉妹店に義理風呂の要請がかかる。義理を頼めば、こちらからも義理返しをしなければいけない。
 とにかく義理風呂はボーイにとって百害あって一利なしなのだ。だから僕もこれ以上給料を減らされてたまるか、となってきてもいた。
 店の前を走る通りは、一応吉原でも随一のメーンストリートである。車は結構通る。そして、こんな吉原を通る車は、大抵すけべ心を抱いた客なのだ。だから、通る車には声をかけ、時には写真があるのをちらつかせ、とにかく話しを聞いてもらうように、自分の前で止まってもらう。それが重要だった。
 しかも、どこのボーイが大声を張り上げ、写真を振っても止まらなかった車が、自分の前だけで止まって、しかも話を聞き、なおかつ店に入ってくれたら、意外とボーイとしてはメーンストリート中からの熱い視線を受け、かつ羨ましそうに眺められるのである。いわば花形スター的存在になれる瞬間なのである。
 一台、いや二台の高級車。遠くからこちらに来る。
「うひひ、どこにも止まらんな、いただき」
 と思い。僕はズボン裏に隠し挟んでいた娘の写真を数枚抜き取り、それを高々と掲げ、大きく手を振りながら、「どうですかお客さん」
 と大声で連呼したのだった。覆面パトカーの見分け方も、その頃の僕は十分できる。
「うん、覆面ではない」
 そう確信するとますます大きなジェスチャーをしていた。車がキキーーッと急停車する。どうやらほかの店のボーイは声を誰もかけていなかったらしく、僕だけがかけていた。
「おや、みんな馬鹿だね、それともやる気を失せたのかな」
 と思っていると、止まった二台の車の全部のドアが一斉に開いた。次の瞬間、僕は自分の馬鹿と思いながらただ金縛りにあうしかない。
 そう、地元ヤクザの車だったのだ。全部のドアが開き、すばらしく色艶の良いスーツをおめしになられる方々が、一斉に僕を睨み、
「おうこらー気安く声かけてんじゃねーぞこらー」
 と一斉に罵倒の言葉を浴びせ始めた。
「なんてすばらしい方々なのかしら」
 と思いながら僕は関東一綺麗なお辞儀をしながら、何度も「すいませんでした」
を連呼したのだった。
 ほかのメーンストリートのボーイ達は、みんな分かっていて声をかけないでいたのだった。ドアが一斉に閉まり、その方々はさっそうと僕の前を通りすぎ、どこかに消えていかれたのだった。マネジャーが来た。
「まあおめえじゃ無理だろうがよ、ああ言うときは逆に言いかえさねえとダメなんだよ」
 完全に放心状態の僕だった。
「こちらも声をかけるのが仕事なんでね」
 といえばいい。マネジャーは僕を殺す気かと思った。そして最後にこうもいった。
「声かけられたいんだよ、本当は、嫌なら違う道通れば良いんだ、わざわざ声かけられるの知ってて、ここ通るの。奴らは」
 喧嘩相手がほしいのか、いちゃもんつけて金でもほしいのか。とにかくヤクザ数人VS僕ちゃん1人という対戦にならなくて済んだ1日だった。(イッセイ遊児)

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2007年11月 9日 (金)

『ねこ鍋』にヨダレだと怖いだろうな~

 秋が深まってくると思い出す話がある。鹿の“美味しい”殺し方だ。数年前にジビエのエゾシカを食べながら聞いた話である。

 なんでも美味しい肉を取るためには、どれだけ急所を外さないかが重要らしい。急所を外して撃つと、当然のことながら鹿は暴れる。そのときに血が肉に回って肉の味が落ちてしまうというのだ。そのためにハンター気配を消せるだけの距離を保ち、きっちり狙ってしとめるんだそうだ。

 じつは殺し方が肉の味に影響するのは鹿だけではない。マグロも殺し方で味が違ってくると、大間の寿司職人に教えてもらった。彼曰く、釣るのは誰もでもできるが、釣った後の処理をきちんとできる人は大間でも数人しかいないそうで、少々値段が高くても殺し方のきちんとした人からだけ買っているとのことだった。実際、そこまでこだわった大間のマグロは、これまで食べたマグロと全く違う味だった。トロの油から植物的な香りが漂う。その香りの爽やかさは鮎に通じるとも感じた。

 こうした話を思い出すと、人はなんと深い業を背負っているのだろうとも思う。だが、美味いものは仕方がない。私は生来の食いしん坊で、ベジタリアンでもないから殺し方で肉の味が違うなら、しっかり殺してくれと思ってしまうし……。
 実際、海釣りに出かけてサバを釣ったときなどは、鮮度を保つために自らナイフを使って首からサバ折りにしてガンガン血を抜いた。こうした行為を嫌だと感じたことさえない。

 で、フッと思ったのだが、自分は美味しさのために、どこまで殺せるだろうか? 技術を別すれば、鳥・牛・豚あたりはいけそうな気がする。例えば白金豚やイベリコ豚が目の前にいれば、おそらく飛びかかるだろう。
 では、ネコはどうだろう?
 現在の感覚では、ネコに飛びかかって殺すなんて耐えられない。でも、これは食事の対象として見たことがなかいからだろう。もしジビエの猫が大好物だとしたとした、最近よく売れている写真集『ねこ鍋』(講談社)など、もうよだれをダラダラ流して見ていることだろう。「うわー、このまま火にかけて~」とか叫んで、大ひんしゅくをかってしまうかもしれない。

 実際、ジビエの鴨が好きなってから、冬場に鴨を見ると「カワイイ」というより「美味しそう」と感じるようになってしまったのだから。数年前には池で遊んでいる鴨を見て「いやー、ジビエの季節だね。美味そう」と思わず言ってしまい、彼女からかなり冷たい視線を浴びたことさえある。

 この伝でいえば、もし私が美味しい人肉を食べるようなことになれば、雑踏に出るたび、あるいは満員電車に乗るたびに、「美味そうー」とよだれを垂れ流すことになりかねない。メタボのオヤジなんぞを見かけた日にゃ、トロの部分(ジントロか!?)をガン見だろう。う~ん、かなり怖い。

 で、どうしたというと困るのだが、まあ、人肉やネコ肉を食べる機会がなくてよかったと思っているだけだ。ではまた。(大畑)

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2007年11月 8日 (木)

ケータイ小説が出版界に与えるインパクト

 ここ数年、出版界はケータイ小説に翻弄されてきた。
 書籍取次のトーハンによれば、2007年上半期(06年12月~07年5月)の文芸の単行本売り上げ上位10作品のうち6作品が、ネットで発表されたケータイ小説だったという。これは、かなりインパクトのある結果だ。というのもケータイ小説は文体やストーリー展開、販売の傾向などが、いままでの書籍とまったく違うからである。

 これらの本の特徴として、まず挙げるとすれば横書きであることだ。もともとネットで人気の小説を、そのまま書籍化した結果である。また一文が短く、大量の改行が行われる。ネット小説の本を初めて見た人は詩集だと間違うかもしれないほどだ。
 さらに難しい漢字や単語を使わず、凝った文章表現も情景描写もない。物語の上で、どんなに大切な場所であっても「図書館」は「図書館」としか説明されない。そのため小説が作り出すイメージは読者の想像と記憶に依ってしまう。
 こうした小説スタイルは、これまでの出版界の「小説」のルールとまったく異なる。だから出版する編集者は文章に手を入れられなくなった。ネットで大評判の小説を読者にそのまま届けるには、出版界のルールを持ち出して文章を「良くする」ことなどできないからだ。だいたい「プロ」の編集者には、ケータイ小説の読者が、これらの作品のどこを評価しているのか分からなかったと思う。

 だから出版界は長らくケータイ小説を無視してきた。2002年12月、Yoshiがネットで発表して評判となった『ディープラブ』がどれほど売れても「稚拙だ」と相手にしなかったのだから。
 ところが「魔法のiランド」というWebサイトで発表された小説が次々と出版され、大ヒットを飛ばすようになって状況が一変した。無名の新人の本が数十万部あるいは100万部を越えて売れるなど、大不況の出版界には信じられない事態である。アクセス数の高い作品を一気に本にしようと出版ラッシュが始まったのもうなづける。

 ケータイ小説ブームによって、アマチュア感覚の重要性を編集者は思い知らされた。プロが認めないと出版しないという大原則が崩れた瞬間でもあった。

 全国の書店に本を置きたいなら、とにかく出版社から発行しなければならない。取次コードを持つ出版社でなければ、全国の書店に配布し集金をすることなどできないからだ。だからこそ出版の可否を判断するのはプロの編集者だった(最近は取次コードを持たない出版社も活躍しているが、出版するかどうかの決定権をプロが持っているという点では同じだ)。つまり、ケータイ小説が出版される前は、プロの目を通した書籍だけが市場に出回っていたのである。

 「プロの仕事」が消費者をつかめない。こうした現象は出版界以外では、いたるところで起こっていた。例えばファッションなら渋谷109のブランドは、カリスマ店員が服や新店のデザインにまでかかわっていたともいわれる。新店の立ち上げにかかわった知人が、素人であるカリスマ店員の無理な指示が仕事を遅らせると頭を抱えていたのを思い出した。
 また、109のカリスマ店員からデザイナーとなり新ブランド立ち上げに成功した森本容子氏は、オンワード樫山のファッションアドバイザーとして呼ばれ「オンワード樫山はプロ集団ではあるが、消費者から離れ過ぎているところもある」と評したという。

 今後、出版界も変わり続ける消費動向を、もっとダイレクトに追うようになるだろう。ケータイ小説は鎖国状態にあった出版界に突きつけられた「黒船」だったように感じている。(大畑)

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2007年11月 7日 (水)

なぜ我々は小沢一郎にだまされ続けるのか

民主党代表就任時に言った「まず私自身が変わらなければならない」って、そういう意味だったのか! ほとんどの人がこれまでの独断専行で「壊し屋」の性格を直すという風にとらえていたはず。まさか「党首自身が真っ先に党の方針を変える」という含みだったとは。
これで何度目だろう。小沢一郎氏にだまされたのは。それでも民主党は彼に翻意をうながしているし何だかんだといって反自民・非自民の人はその方がいいと何となく感じている。まただまされるとわかっていて、それでも信じたい小沢一郎の魅力とは。

まず何といっても容姿である。「見た目が9割」の時代だ。こわもてで寡黙でどんなに暑くてもスーツにネクタイ。実は2世議員なのにたたき上げの雰囲気。かつて多数いて今や見当たらない政治家だ。「一貫していてぶれない」イメージも大きい。実際にはそうでもないのに。それがあった上で政党CMでパフォーマンスしたり破顔一笑する落差。

次に「選挙に強い」神話。でも彼が関わった選挙結果を見ると実はそうでもない。むしろギャンブラーである。ギャンブルとは「めったに勝てない」と同義語である。よって小沢選挙および政局は基本的に敗北である。ざっと書き出すと以下の通り。

○1990年 自民党幹事長として総選挙を指揮し、前年の宇野宗佑政権下での参院選で大敗を喫した自民党を勝利に導く
×1991年 都連の反対を振り切って磯村尚徳氏を東京都知事選へ担ぎ出し、対抗馬の「多選・高齢・豪華都庁」批判の現職・鈴木俊一氏を一転して「かわいそうな老人」に仕立ててしまって敗北。幹事長辞任
×1992年 最大のより所だった金丸信経世会会長が東京佐川急便事件の批判を受けて会長辞任から議員辞職に至り、ナンバー2の小沢会長代行の不手際からクーデター説まで流れ派閥内に不穏な空気が流れる
× 同年 経世会会長の跡目相続をめぐって小渕恵三グループと対立し敗北。羽田孜派として派閥を飛び出す
◎1993年 羽田派などの造反により宮澤喜一内閣の不信任案可決。総選挙となり自民党は過半数割れ。小沢氏を中心に細川護煕非自民連立政権樹立。自民党を野に追う
×1994年 順風満帆だった細川政権が選挙制度改革の次の目玉として小沢氏の仕込みとされる国民福祉税構想を突如発表。首相の人気は低落し辞意をまもなく表明する
× 同年 細川後継に自民党有力政治家の渡辺美智雄氏へ秋波を送るも渡辺氏が最後の最後に踏み切れず頓挫
× 同年 細川後継の羽田内閣の連立与党の民社党・大内啓伍氏発案とされる新会派「改新」案に乗り同じ連立与党の日本社会党の憤激を買う。社会党は連立から離脱し羽田政権は少数与党となり後の自社連立のきっかけを作る
× 同年 羽田後継に海部俊樹氏を担いで首相指名選挙に臨むも村山富市社会党委員長を推す自民党に敗北。政権から転落
○1995年 前年に結成した新進党が参議院選挙で勝利
×1996年 新進党が衆議院総選挙で敗北
×1997年 政敵だった梶山静六官房長官と結んで自民党との「保・保連合」構想をぶち上げ党内騒然。実現もせず
× 同年 新進党内の旧党派による一種の派閥を解消せよと迫り果たせずとみるや解党へ突っ走る。自ら創設した自由党への参加者は二ケタに止まり少数野党へ転落
△1998年 消滅かともうわさされた参議院選挙で自由党は予想外に善戦
×2000年 前年から正式発足していた自民党との連立で「うち(自由党)も解散するから自民党も解散して一緒に新党を作れ」とのムチャクチャを小渕恵三首相に要求して当然のゼロ回答。与党離脱。自由党分裂
△2000年~03年 自由党として1度の参院選と1度の総選挙を何とか生き残る
-2003年 民主党に事実上の吸収合併。06年に代表就任
◎2007年 参院選で大躍進

何と3勝11敗。衆議院議員総選挙を鮮やかに勝ったのは一度しかない。逆に参議院は比較的得意だ。次の総選挙で政権交代!と威勢よくぶち上げてみたものの、この戦績では不安にもなろう……ということも改めて調べてみないと気づかなかった。
代わりに繰り出すのがギャンブルだ。磯村氏の都知事選担ぎ出し、経世会跡目争い、宮澤内閣での造反、国民福祉税、渡辺美智雄氏への誘い、「改新」騒動、海部氏での首班指名、保・保連合、新進党爆破、自自連立の顛末などなど。
誰かが思いついたのに乗ったのか自ら墓穴を掘ったかと諸説紛々だが通していえるのは一か八かの出たとこ勝負。細川政権樹立を除いて大半が失敗している。21世紀に入ってからは大勝負自体が打てない体力になっていた。先の参院選大勝利は久々にめぐってきた「勝つ番」にすぎず、むしろ今回のような「奇手奇策のギャンブルを打って失敗」の方が彼らしいのだ。
面白いのは「政敵の誘いに乗って(または「誘って」)味方を大混乱に陥れる」パターンが多いこと。梶山氏、小渕氏、野中広務氏などである。今回の福田康夫首相とて仲がよかったわけでもあるまい。ふつうは「政敵の誘いを蹴って味方を結束させる」のにその逆をやる。だから失敗する。
でも、だから面白いともいえる。当事者はたまったものではなかろうが国民は何だかんだといって沸き立つ。これも実は単純で国民はギャンブラーの大勝負が見たいのだ。

こわもてで寡黙なのにギャンブルが大好き。ごくたまに大当たりする。女房子どもは愛想を尽かすけど見守る側にはこの上なく楽しい存在。「あいつはギャンブル狂いの変人さ」と言い募りながら、その失敗自体も楽しめるし、たまさかの大勝利には驚ける。だから小沢氏にだまされる。というか元々がギャンブラーなのだから小沢氏は本当は誰もだましてはいない。きっとそれゆえに許されるのだろう。意外と小泉純一郎元首相に似ている。

4世鶴屋南北の仕掛けに江戸っ子は「今度こそだまされないぞ」と腕まくりしながら小屋で他愛なく驚かされた。伝説によると故に彼の死さえ江戸っ子は南北の新たな仕込みと疑ったという。辞めてはダメだよ小沢さん。まだまだあなたにだまされてみたい人は多数いる。私?うーん。私もかも(編集長)

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2007年11月 6日 (火)

ゲームで萌える。

God_of_war  久々にすんごいゲームをやった。
 その名は、『God Of War』。
 友人に薦められたもので、どうやら私の好きなメッタ刺し系殺戮ボンバーものらしい。こう書くと誤解されそうで困るので言い訳しておくと、あくまでもゲームの中でそういうことをするのは好きだが、それらに影響を受けて実際に行動に移したいと思ったことはない。
 青少年が人を殺めると必ずと言っていいほど、ゲームやアニメの影響という報道が出る。そして、加害者も影響を受けたというような自供をしたりする。
 一ゲームファンとして言わせてもらうと、迷惑だ。日常で体験できないことをゲームの中で追体験することで楽しむのがゲームや映画、アニメなどの楽しみ方であって、それらで影響され発奮し、現実社会で行動してしまうような人には遊んでもらいたくない。要は、ゲームはゲーム、現実は現実と割り切れる人に楽しんでもらいたい。あまりこういうことを書くとご批判コメントを頂いてしまう可能性があるので、本題にはいることにする。 さて、この『ゴッドオブウォー』だが、簡単に説明すると主人公がアテネで闘神アレスをやっつけるというストーリー。
 このソフトのなにがいいかというと、まずストーリー。アテネ、冥界、パンドラの神殿で完結するのだが、ストーリーは意外と短いのにしっかりと練り込まれている。 そしてグラフィック。PS2のソフトなのに美しい。戦闘シーン、動いているシーン、ムービーの差があまりない。ストーリーの短さのおかげできれいなグラフィックで全編を作ることができたのかどうかはわからないが、とにかくこれまでにはないくらいだ。
 特筆すべきは主人公がかっこいい。フルボイスなのだが、主人公クレイトスの声が玄田 哲章(アーノルドシュワルツェ・ネッガーの声の人)で、ムキムキマッチョ加減と圧倒的な強さが、『コナン・ザ・グレート』を思い出させて萌えた。燃えた。萌え尽きた。
 そして両手に巻かれたブレイズオブカオスという名のでっかい剣(鎖が伸びて遠距離攻撃が可)をブンブン振り回し敵をめった打ち。
 気持ちよさにも程があると言いたいがこれだではない。敵の頭をつかんでくびり殺すかと思えば、両手を持ち引きちぎる。
 このゲームの最大のおもしろポイントは適度に難しい謎解きと、さまざまなトラップの数々。謎解きは善良だが、鍵がしゃれこうべだったりするので、墓を暴いて死者の頭を引きちぎって、普通に入れればいいのに投げつけるように入れる。どう猛すぎるよ、クレイトス。
 トラップは極悪。書けない。気になる人は、1900円くらいで売っているので、買ってください。
 そして最大の見せ場が、アイテムを取るために交わす熱い接吻。ベサメムーチョ! ブチューッと、30秒くらい交わすとアイテムをくれる。さすが洋ゲー(洋物ゲーム)。日本のゲームじゃこんな取り方はない。
 こんなゲームなのに、CEROがDなんて驚き。
 海外タイトルでアクションというと、血しぶきとエロの融合がフツー(ってほどではないが……)。日本人が好むようなちょっと血が飛んで、お粗末程度にエッチ(意味もなく巨乳キャラがいるとか)な描写があって、中途半端。ホラーものは断然、日本のソフトがおもしろいが、スカッとする(殺しまくりでスカッとするのも倫理観が問われそうだが……)アクションゲームはやはり日本のものでは物足りなくなってくる。謎解きも結構難しくやり応え充分。
 今回は悪いところは挙げなかったが、もちろん悪い部分(直したほうがよさそうな部分)もある。しかし、全体を通して、クォリティーの高いゲームであったことは間違いない。
 興味があったらぜひ遊んでください。(奥津)

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2007年11月 5日 (月)

杉山の中心で史上最大の花粉と踊る

■月刊『記録』05年5月号掲載記事

 聞くところによると観測史上最大であるらしい。
 飛ぶのが、たとえば獅子座流星群のような流れ星ならばこちらとしても全然かまわない。どんどん増えてもらっていい。しかし東京都福祉保険局が05年1月に発表したのは今春のスギ花粉の飛ぶ量が昨年に比べて20~30倍であるということだった。
 スギの花は2~3月にかけて開花して花粉を飛ばす。例年は3月をピークに飛散量は収まるが、今年はゴールデンウィークあたりまで飛び続ける見込みだという。
 現在、国民の約15%が花粉症と推定されているが、スギ花粉の抗体を持つ国民は全体の約7割と言われており、今は発症していない人にも他人事とは言えないのだ。
 一般的な症状はいうまでもなく鼻水、くしゃみ、目のかゆみだが、症状が重くなると喘息や頭痛、倦怠感を伴う場合もある。国民病と言われ、人々のうらみを買いながらあたりまえのように日常生活に入り込んではいるが、花粉が生まれる場所であるスギ林について私たちはなにも知らないのではないか。
 考えようによってはまたとない機会でもある。こうなったら花粉舞うスギ山に分け入って、この目でその様子を確かめることにしよう。幸い私は花粉症ではない。史上最大規模の花粉のなか、とことん踊ってやろうじゃないか。
 関東森林管理局によれば、東京に降りそそぐ花粉のほとんどは、東京西部の奥多摩にある広大なスギ林からこの季節に吹く偏西風に乗って運ばれてくるという。

■地元では1年分の花粉が1日で

 新宿から電車で約1時間半、青梅線の終点が奥多摩駅だ。それよりずいぶん手前の石神前あたりからスギが密生する山が目についてくる、なにしろ多摩地区のスギ林は東京都全体の面積の約1割を占めるのだ。奥多摩駅に近づくほど、スギ山の中を電車が走っているという具合になってくる。到着した奥多摩駅は完全にスギ山に囲まれた場所にあった。
 奥多摩には山歩きや渓流釣りの客が利用する民宿が駅の周りに10件ほどあるが、客が1人もいない宿もあった。平日とはいえ春休みの時期であるのにだ。駅から歩いて5分のことろにある「玉翠荘」で働く森川良子さんは「今年はやっぱり花粉のせいでお客さんが減ってるんでしょうね」と話す。目が充血して涙ぐんでいるのでたずねると、やはり花粉症だった。「奥多摩で30年近く働いてますけどね、はじめてなんですよ、今年が」と困った顔で笑う。「わたしはずっと無縁だと思ってたのにねえ」。30年間、花粉症とは縁のなかった人が突然、くしゃみを連発するようになる。これはやっぱりただごとじゃない、スギによる暴威である。
 奥多摩ビジターセンターの解説員、山本雄一郎さんに今春の花粉の様子を聞いた。「それはもう、すごいもんですよ。雨が降った次の日や風があるときなんかは、山を見ると花粉で煙ってモヤみたいに見える日もありますよ」。山を見上げると、山肌をまったく見ることができないほどひしめき合って群生するスギの緑に交じって、淡いオレンジ色が目に入る。花粉症の元凶であるスギの雄花だ。
 山本さんも例にもれず花粉症である。これだけスギに囲まれた地域でありながら、奥多摩に住む人たちは特に花粉症対策はしていない。私が訪れた何日か前には、前年の総飛散量ぶんの花粉が1日で飛んだこともあったという。
 山本さんに教えてもらい、スギの中を行く遊林道を歩くことにした。死地に赴くとはこういうことだろうか。もちろんスギ林の中を歩く人など見あたらない。この日はやや風があり、背の高いスギの木の葉が触れ合ってさざめいている。重なるように茂る葉の隙間を縫って落ちる木洩れ日もいいが、風があって天気がいい日というのは花粉が飛びやすい日でもある。しばらくオレンジの雄花を見ていると、風が強く吹き、揺れる花から白い花粉が飛び散る瞬間を目にした。しかし、歩いていくうちにそれが珍しくないことに気付く。花粉の渦の中を歩いているようなものだ。目に見えない細かい粒子が口から鼻からどんどん吸い込まれているのだろうが(マスクなし、ノーガード)今のところ自覚症状はない。
 しばらく歩くと手に届くくらいに低い位置に雄花があるのを見つけたので、それを採取しようとしていると、50歳くらいの男性に出会った。どうやら地元の人らしい。やはりマスクをしている。スギの花について聞くと、花がオレンジ色になって開ききる前の、まだ白とオレンジ色の中間あたりのころがもっとも花粉が飛ぶのだと言う。サクラやウメの花の明るく華やかな印象と違って、スギの花のオレンジはくすんでいて美しくはない。ふてぶてしい。まだ白っぽい雄花を選んで指で叩くと、キリフキを吹いたときのように白い花粉が散った。おもしろいように吹き出す花粉は、ものすごく軽いのだろう、花から飛び出たとたんに空気の流れに運び去られて舞い上がる。行く先は東京だろうか。
 改めてスギ林をじっくり見ると、目立つオレンジ色の雄花に隠れるようにして、白い雄花がぶら下がって出番を待っている。いくつか雄花をもらっていいかと男性に聞くと、ああいいよ、できれば山ごと持ってってくれ、となかばヤケクソ風に言う。

■花粉症急増は利便を追った結果

 スギ花粉による花粉症が問題になり始めたのは1980年ごろからのことで、それまでアレルギー性鼻炎はハウスダストとブタクサの花粉によるものと言われていていた。スギ花粉は話題にものぼらなかった。花粉症の専門家である三好彰は著書「花粉症を治す」(PHP新書)のなかでここ10~20年でスギ花粉症が急増した原因を3つ挙げている。

①アレルゲンであるスギ花粉そのものの増加 
②タンパク質や脂肪の摂取量が増え、抗体をつくる能力が高くなったこと 
③道路がより整備されたため、スギ花粉がより遠くまで飛ぶことが出来るようになった(花粉は土の上に落ちると再び舞い上がることは難しい)

 ①についてだが、なぜ花粉は増えたのかということに注目することにしよう。話は戦後にさかのぼる。
 市街地が焼け野原になった後、復興のために大量の木材の需要があった。戦中に戦争機材の原材料としてスギやヒノキが伐採されていたうえにさらに木が切り倒された結果、ちょっとした雨でも洪水が起こるようになった。その対策としての治水の目的でもあったが、1950年代には大規模な植林政策が行われた。
 奥多摩に住む多くの人たちも苗木を背負って山に入っていった。足場の悪い土地に苗木をひとつひとつ植えていくのは大変な作業だったが当時はそれがお金になっていった。切り出したスギを筏にして多摩川の下流に流す仕事があったり手入れをしたり、人々の生活とスギ山は密接に関わっていたので植林した山の手入れは入念におこなわれていた。
 しかし80年代にはいると価格の低い外国産木材が輸入されるようになり、国産の木材の需要は低下、価格も下がっていった。今ではスギの価格は1本900円程度までに落ち込んでいる。スギを切り出して売るとしても、運搬費や人件費を考えるととても採算が合わないのが現状だ。間伐、下刈り、枝打ちなどの山仕事をする人たちも高齢となったため今や手入れをする者はいなくなり、スギ林は荒廃していった。
 スギは樹齢20~30年で花粉をつけはじめる。50年代の植林政策で植えられたスギが放置された結果、80年あたりからスギ花粉症が問題となりはじめ、今ではスギ林の9割が花粉を生産する樹齢になった。
 スギの植樹の背景だけでなく、②と③にしても「自然とそうなった」のではない。先に私は「スギによる暴威」と書いたが、なんのことはない、花粉症の急増は人の営みや利便を追った結果なのである。花粉症が社会問題と呼ばれるゆえんだ。
 数日後、持ち帰ったスギの花はビニール袋の底に花粉を落とした。指でとって舐めてみると、不思議に甘い味がした。花粉症でなかったはずの私は鼻の奥がムズ痒く、目を閉じると涙がにじむようになった。ウソのような本当の話である。(宮崎)

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2007年11月 4日 (日)

「死化粧師」を観る 第5回/お柩に入れてはいけないもの

 今日もテレビのある部屋の寒さに打ち震えながら、「死化粧師」を観る。早くヒーターなど買わなければいけない季節になってきている事をしみじみと感じながら観ていると、しょっぱなから、エンバーマー間宮心十郎が勤める病院の院長が倒れた! ひそかに想いを寄せていた、女医の小雪(国生さゆり)がかけよる。

 病気が再発したらしい。死を覚悟した院長は「僕が死んだら…」と、エンバーミングを希望する。一方で小雪は、院長に婚姻届を渡すことでプロポーズ。それは、最期まで希望をもって精一杯に生きて欲しいとのメッセージも込められているのだろう。結局、院長はプロポーズを受け、婚姻届にサインをした。
 自分の死期を悟ったら、死の支度をはじめるのが正しいのか、精一杯生きようとあがくのが正しいのか。
どちらがどうとも言えない。言える人などいまい。
「僕が死んだら、エンバーミングを君(心十郎)の手でして欲しい」
 という院長の気持ちと、
「死んだら、ゴミ同然だ。そう思えばこそ、生かすことに一生懸命になれる」
 という小雪の激しい思いと、どちらを支持したらよいものか。そして安倍なつみの妹は、どうして訛りキャラなのか。このドラマを観ていると、悩むことがたくさんあって大変である。

 そんなことを考えていたら、院長があっけなく死んでしまった。エンバーミングの依頼書を書かないままに死んでしまったので、心十郎がエンバーミングを行うと、死体損壊の罪に問われてしまう。
 が、小雪が動いた。
 自分のポリシーはどうあれ、院長自身の遺志を大事にしたいと言い出したのだ。
 婚姻届を出したのだから、院長と小雪は夫婦である。遺族であれば依頼書にサインが出来る。

 しかし、意外な結末が。
 婚姻届が、小雪宛にしたためられた手紙とともに院長のベッドから見つかる。
 院長はサインはしたが、届を市役所に出していなかったのだ。2人は、結婚などしていなかったのだ。手紙には「未来のない僕よりも、もっとすばらしい人とともに人生を歩んで欲しい」といった内容が書かれてあった。泣き崩れる小雪。2人の微妙なすれ違いが切ない最後だったけれど、院長先生のご葬儀には、ウェディングドレスを着た小雪が婚姻届を柩に忍ばせた。
 婚姻届。
 ならば良い。
 紙ならば良い。
 たまに、ヘンなものを入れようとする人がいる。

 ここで、柩に入れがちだが入れてはいけないものについて豆知識を少々。
まずは果物。
 リンゴが好きだったからと言ってリンゴを丸ごと一個入れてしまうのは、完全にアウト。ミカンもやめたほうがいい。グレープフルーツなんてもってのほか。水分が多くて、火葬の時間が長くなってしまう。ヘタすると炉の中で破裂なんてことも。そもそも柩に入れて欲しいと思うほど日々の果物が好きな人があろうか。お供えに頂いたもののついでに入れようとしているのでは、と思ってしまうのは乱暴に過ぎるだろうか。
 こんな時、葬儀屋は言うであろう。
「食べやすいように、一口サイズに切って、一つだけ入れて差し上げましょう」と。
 火葬時間短縮のためにも、その通りにしようではないか。

 そして枕。
 故人がまとっていたものを一緒に入れようとする方は多い。それが本当にお好きだったものなら良いのだが、枕を入れるのは単に、残しておいても困るだけだからなのでは。布団もまた然り。綿もの、カサの出るものもまた火葬時間を長引かせる。始末してしまいたいという気持ちだけが勝つのであれば、入れるのはご遠慮いただきたい。
 そんな時、葬儀屋は言うであろう。
「もしどうしてもお手元に残されたくないのであれば、私どものほうで処分いたします」と。
 そう言うまで粘ろうではないか。

 さらに本。
 文庫本程度なら良いのだが、分厚いものだと燃え残る。
 カバーだけにするなど工夫をしよう。
 なお、色味の強い花を入れると、骨に色がつく。
 色モノはほどほどに。

 最後に、柩に入れるお勧めのものを一つ。
 写真。
 写真に写っている本人が、焼かれてしまうのをイヤがらなければ、長い旅に持って行ってもらう思い出の品としては最強だろう。

 今回も終わりが近づいてきた。エンディングでは、小雪が「院長の遺志を継ぎたい。私に、お前の手伝いをさせろ」
 と心十郎に迫っている。
「死んだらゴミと同じなんだよ。だから、エンバーミングなんてやめろ」と言っていた同じ口から出た言葉である。
 いくらなんでも、どういう風の吹き回しなんだ。
 お前はキリストの弟子か?(小松朗子)

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2007年11月 3日 (土)

『吉原 泡の底』 第40回/マネジャーの凶行、ただただ激しく

 いじめが激しさを増すのと、売上が伸び悩み、同時に常連が離れていき、また売上の高い娘もやめていくなどの悪循環が生まれていた。
 マネジャーのヒステリーは日に日に増す。会長という陰のボスに怯え、店長に文句を言われ、それを僕らボーイにいじめという形で表現するのだ。
 が、しかし、さすがにいじめいじめ、暴力では限界がある。スタッフは恐怖で支配しても、客はそう馬鹿ではないのだ。
 店長もこの時期になると、脅しや恐喝だけではそろそろ限界と分かってきていた。
 マネジャーがヒステリックに怒鳴り散らしていると、逆に僕らをかばうそぶりまで見せてきたのだ。
「まあまあマネージャー。ケンタッキーでも買ってこようか」
などとご機嫌をとり、なんとかその場を凌いでくれる。
 このころから特に僕は店長が助けてくれ、かつ特別な呼び名で僕を呼ぶようになった。
「マル」
 である。後ろから見ると太っていて、まるで人間の形ではなく、丸丸としているからずばりマルである。
 名前で呼ぶよりも呼びやすいからか、マルと呼ばれるようになると次第にマネジャーも僕には殴ったりはしなくなっていく。ただ、相変わらず怒鳴ることだけはなくならないのだが。
 また、渾名で呼ばれると言うのは、R店のみならず、吉原ではある意味少しは認められたことを意味する。よって、本名の名前で呼ばれているというのは、まだまだ「勘違いするな、まだ認めんぞ」ということでもあったりもする。
「~ちゃん」
 であればまだかわいい。
「○○」
 と本名で呼ばれているうちは、まだ問題ありと見られているのだ。よって、僕はマルと呼ばれることにより、少しは信用を得た、ということでもある。
 たとえば、警察に連行されれば、幹部を売らない、や、ボーイとして一定のラインに達したなどである。ボーイにとって一番重要なのは、いかに自分が電話一本で客を呼べるかである。
 それが多ければ多いほど出世できる。
 僕などは携帯電話に100人を超える客の番号が入っていた。名刺を勝手につくられ、それを上がってきた客に配ったり、あるいはアンケートというものを書いてもらい、最後に会員カードをつくってもらうのだが、その際連絡先を書いてもらうのである。
 アンケートというのは、店長がこんなことを聞いてみろ、みたいな事を聞いたり、三択などをしてもらうのだった。
 そのアンケートの1番始めの項目は、

・即尺はありましたか
   はい
   いいえ

 であり、いずれかに○をつけるのだ。もし、ここで「いいえ」に○をつけられれば、その後マネジャーに呼び出されて、再教育と称されて研修を受けさせられる。それは本番こそしないものの、時にわからぬもので、マネジャーと娘の裸の研修を意味するのだった。この研修は本来どういった流れで、どのようなサービスをするものかを促すものだ。
 だから、マネジャーが遊び半分、自分の快楽のみを重視したふざけた研修をすれば娘だってまじめでしっかりしたサービスをすることはない。
 そして、それが巡り巡りまたアンケートで苦情になり、マネジャーが心のない叱責で適当に済ましてしまうので、まったく悪循環が永遠と続き、ゆえに常連客は離れ、新規の客も驚きを隠せない様子で、何となく話しやすいのか、よくボーイである僕にこっそりと耳打ちしてきた。
「ねえ、ここR店だよね、6万5千円の高級店だよね」
 そう言って首を傾げるのだった。僕も、
「そうです」
 と冷たく素っ気無く言い放す。ここで無傷でいるためには、かわいそうだが客に犠牲になってもらうしか方法がなかったのだった。
「ありがとうございました」
 といって客を見送ると
「2度とこねーよ」
と捨て台詞を言い、怒り爆発で帰る者もいた。それを見たマネジャーが逆切れし、フロントを飛び出し、その客を追いかける。
 やばい、傷害事件になりかねない、と思い、一応体重がマネジャーの倍はあった僕は、飛び出したマネジャーを止めに入ってなだめたこともある。

 オートバイで来た客がいた。750CC以上のエンジンで、大型というやつだ。出たがりのマネジャーがおお、カッコイイバイクやなという。僕が押して裏の駐車場に置いてこようとすると、
「まちいなぁ」
 と言う。そのオートバイにまたがる。免許はあると言い張っていた。それに昔は暴走族まがいのことをやっていたとも豪語していた。
 オートバイのエンジン音が大きく、通り1杯に轟音が響いている。
 ほかの店のボーイも何事かと見ている。その時、思いきり転倒したのだった。
 オートバイは重く、中々おきあがれない。店長が出てきた。僕に言う。
「おい手伝ってやれ」
 道の真中で倒れているバイクとマネジャー。それを見る他店のボーイ。恐らくこのマネジャーはどの店からも良く思われていないし、このマネジャーにいじめられ、R店を辞め、同じ通りの違うグループの店に移るものも多い。
 マネジャーを助ければ、僕も白い目でみられるのだが、仕方がない。オートバイを起こし、「大丈夫ですか、怪我は?」というと「平気やボケ」とくる。
が、しかしです。
「マ、マネジャー。ないですよ。ステップが」
 そう、オートバイの片方のステップ(足を乗せておく所)が見事に折れていて、ない。
 「ヤッバー」といいそうになり、口をふさいだ。
 弁償ともなれば高額である。店が持ってくれるわけがない。マネジャーはそれを見て、こう言い放った。
 「ああ、これか、始めからなかったで」
 「ええーーーっ」
 空はもう暗くなり始めていた。(イッセイ遊児)

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2007年11月 2日 (金)

やっぱり亀田興毅は最強か!?

 もしかすると亀田興毅は世界最強のボクサーではないのか。最近、その思いが消えない。
 きっかけは亀田大毅の試合だった。彼は亀のように防御を固め、頭もふらず突進した。亀田一家が推し進めるファイトスタイルである。打つ場所、使える武器を極端に限定したボクシングで、中間距離での「制空権」を完全に明け渡したボクサーが世界チャンプになれるわけがない、通常なら。この当たり前の事実を大毅は証明したといえる。

 でも、興毅は!?

 防御に大きな欠点を抱えていたボクサーといえばガードの下がる辰吉丈一郎を思い出すが、何より彼にはスピードがあった。しかも上体を振り続けてもいた。だから相手のジャブをくぐり抜け、的確にパンチを当てることができたのだ。ただし圧倒的なスピードが衰えをみせた途端、相手のパンチをモロに浴びるようになったが……。
 中間距離を完全に放棄したボクサーとして有名なのは斎藤清作、のちのたこ八郎である。彼は幼少期のケガで左目の視力がほとんどなかったため、ノーガードで打たせて距離を感じ取る必要があったという。そのボクシングスタイルで人気を博したが、戦績としては日本チャンプどまり。ただし酔ってケンカになっても、彼の体に触れた者はいなかったという逸話は残している。実際の試合映像を見たことはないが、ボクシング専門誌などを読む限り、スピードのある選手だったのだろう

 ボクシングでは距離が重要だといわれる。自分の得意な距離に入り込むためにフェイントなどを織り交ぜ、逆に相手の距離にならないようにジャブなどで牽制を繰り返す。この攻防をいっさい取り払ったところに亀田兄弟のボクシングスタイルがある。通常なら絶対に選択しない手法だ。選ぶとすれば、相手がアウトボクサーで絶対的な実力差があるときぐらいだろう。ドカンと飛び込んで、とにかく序盤に一発見舞ってKO。玉砕覚悟である。

 いくら最強のマッチメイクで最弱のボクサーを連れてきていたとはいえ、興毅はランダエタとの再戦まで、この亀田スタイルを貫いて勝っている。スタイルを大幅に変えたといわれたランダエタとのジュニアフライ級防衛戦でさえ、打ち合っているときにはステップも上体の揺らしもなかった。
 そのうえ次の試合となるWBCフライ級12位のモラレス戦では、ファイトスタイルを元の亀田型に戻したのだ。結果的には、頭突きからのフックという流れるような「コンビネーション」でダウンを奪い、KOこそ奪えなかったものの亀田興毅の圧勝となった。

 正直、かなりスゴイと思う。穴だらけの戦法でリングに上がり続けるほど怖いことはないだろう。しかも亀田興毅はアゴを打たれると弱いというボクサーとして致命的な欠陥まである。
 父親による誤ったボクシング指導、隙のありすぎるボクシングスタイル、グラスジョー(弱いアゴ)、空手の癖なのか溜めの入るモーション。これだけ穴がありながらチャンプになれたのは、反則やマッチメイクのおかげだけではない。協栄ジムのトレーナーが本気で指導すれば、亀田興毅は一気に強くなるはずだ。
 世界チャンピオンになってから基礎を学んで成長するボクサーなんて、そうそういるもんじゃない。だってウェービングとダッキングを教えるだけで、もう大進化なんだよ!
 
 成長のノリシロをここまで残したボクサーはいない。そう考えると、はり亀田興毅は最強じゃないか?(大畑)

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2007年11月 1日 (木)

いつもお世話になっている全国書店様へのラブレター

 本を買うとき二つ折りの紙が挟まっているのを見たことがある方も多いだろう。レジで書店員様がサッと抜き取り、読者の皆様方にの手に渡ることこそないが、あれこそ出版社の経営資本。そう「スリップ」である。
 このスリップの片側は「売上げカード」、もう一方が「補充用注文書」となっている。この「補充用注文書」は書店様からのラブレターというべきもので、注文となって取次から小社に送られてくる。
 私は編集部に入ってからずっと、このスリップ(注文伝票)のデータ打ち込みをやってきた。当たり前のことだが書店は全国津々浦々あり、たくさんの地名と書店名を知り、そして覚えた。 
 ここ数年、出版不況、書店数の激減、活字離れなど暗い話題が出版界を覆っているが、スリップの処理をしているとそんな話が嘘のように思えてしまうほどたくさんの店舗が全国にある。
 さて、先日出版した『あの頃』(小林高子 著)が、小社始まって以来最高の売れ行きで、編集部内がプチバブルに踊っている。もちろん著作の良さ、編集者、営業の努力もあるが、出版をしても書店から注文がなければどんな良書でも売れることはない。
 今こうして喜んでいられるのも注文をしていただいた書店様がたくさんあったからこそ、という編集長の言葉のもとに、日頃の感謝の意を込めこのブログを使ってお礼をさせてもらうというのが今日のテーマである。
 本来ならば、ブログではなく全国行脚して直接お礼に行くのが礼儀なのだが、なにゆえ弱小出版社なゆえ人手が足りず不可能ということで、その旨は了承いただきたい。
 最初に厚くお礼申し上げたいのが、TSUTAYA様と、未来屋書店様。TSUTAYA様からはたくさんの注文をいただきました。そして、営業に行った折りも手厚く対応をしていただきました。その節はありがとうございました。
 未来屋書店様は、たくさんの注文に加え、必備にもしていただきました。両書店様からは、現在も全国の店舗からの注文、さらに新規出店の際もたくさんの注文をいただきました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
 続いて、紀伊國屋書店様。『あの頃』に限らず小社の出版物を多数取り扱っていただいております。弱小出版社の場合、新刊が出ても大手書店で平積みになることが少ない中、予約注文の時からたくさんの注文と平積みをしていただいています。頼りになる書店として信頼しております。拙著も並べてくださいましたことも、重ねてお礼申し上げます。
 そのほかにも、全国に展開しているジュンク堂書店様、くまざわ書店様、文教堂書店様、明屋書店様からも、たくさんの注文をいただきました。ありがとうございました。
 他にもたくさんの書店様からたくさんの新規注文、補充注文をいただきました。一店、一店名前を挙げてお礼をしたいのですが、やはり全国に何百、何千とありそれができないのが悔やまれます。たくさんの注文ありがとうございました。そしてこれからもたくさんの書籍を出版していきますので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。小社一同、改めてお礼申し上げます。
 今後ともよろしくお願いいたします。(奥津)

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