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2007年11月28日 (水)

賞味期限偽装問題の本質は95年の「製造年月日」外しでは?

食品衛生法や日本農林規格(JAS)法によって表示が義務づけられていた「製造年月日」が「賞味期限」などに置き換えられたのは1995年のこと。1948年からずっと消費者の特に痛みやすい食品で指標になっていた「製造年月日」を葬ったこの行為こそ今日続出するさまざまな食品偽装問題につながっていると思えてならない。

大多数から支持されていた「製造年月日」を止める方向になったのを実に不可解と感じ、さまざまな資料を集めて幾分の取材もした。その当時にもっとも気になったのは農林水産省の並々ならぬ熱意とメーカーの思惑であった。

その年に明らかとなった「政府の規制緩和5か年計画」にはJASと諸外国の規格基準との同等な取り扱いをあげている。その説明は欧米は加工食が中心で「おいしく食べられる期間=賞味期限」が主流であるに対して日本人は新鮮さを求めるから「製造年月日」が向いている。国内産と海外産では当然ながら後者の方が製造年月日が早まり日本市場での競争力で劣る。これは非関税障壁の一種ではないかとのガイアツもあって「規制緩和」の対象となったのだ……と一応もっともらしい絵解きを役人にしてもらった記憶がある。
本当だろうかと釈然としなかった。たしかにガイアツはあったであろう。でも欧米から輸入される加工食や保存食はなじみのない人は新鮮でも敬遠するし好きな人は気にせず買う。それに95年以前から「賞味期間」「品質保持期限」という言葉は存在していた。何よりも食のガイアツに最も抵抗する性質を持つ農水省が法改正直前に「製造年月日の表示を避け」よとの食品流通局長通達まで出して賞味期限などへの一本化を急いた。
したがってことはガイアツに名を借りた、または便乗した国内産業保護ではないかと強く疑った。供給サイドに立って消費者をしばしば軽視するのもまた当時の農水省のオハコだったから。

果たして喜びを隠しかねたる製造業者や一部小売りの声が聞こえてきた。まず賞味期限がガイドライン的なものはあるものの基本的にはメーカーの一存で決められるのが助かるというもの。「製造年月日だと一日でも早い方が新鮮との誤解を招き、おいしく食べられる品が余るのはもったいない」という声を拾った。賞味期限表示になれば「誤解」とやらが解けるというわけだ。
鮮度を気にする日本人には賞味期限表示の方が親切だという説まで聞いた。モノによっては製造年月日が昨日でもヤバイし、缶詰のように1年前でも大丈夫な品もある。したがって賞味期限をプロである我々(メーカー)が示した方が歓迎されるというのだ。
さらに進んで賞味期限表示だと小売り段階でもロスカットできるとの意見も。すなわち賞味期限が明日とわかれば消費者は「まあ急いで買わなくちゃ」となるし小売りも値下げなどの指標になり得る。カウントダウンのような雰囲気で品がさばけていくというわけだ。
大消費地から遠い地方の加工業者にも歓迎の意見があった。その理由は欧米と同じである。北海道の牛乳のような消費者が鮮度を気にしやすい食品加工業者が唱えていた。

ホ……ホントだろうか。そんな夢みたいな話があるかと思いつつ、メーカー側の思惑がそこにあるのだけはわかった。かくして不動の指標だった「製造年月日」は徐々に姿を消してメーカーもニコニコ、消費者も一安心のはずの「欧米か!」路線が始まったわけである。

あれから12年たって結果がわかった。消費者は製造年月日表示時代と変わらずスーパーやコンビニで今度は賞味期限を確認し、新しいものを買うようになっただけ。「まあ急いで買わなくちゃ」「まだ1日あるからおいしいに決まっているでしょ!」などという良心的?な消費行動へ大きく変じたという状況は見当たらない。むしろ賞味期限切れ=アウトという雰囲気が濃くなってきた。
製造年月日のころは、ずいぶんと古そうだけれど品が品だけに日持ちするから安ければ買おうかとゆで麺あたりは扱われていたのに賞味期限となるとそうした消費者の品定め能力をむしろ奪ってしまった。しかも前述のようにそれを消費者から奪いたかったのは元々はメーカー側だったろう。皮肉な話である。ちなみに消費期限はアウトそのものだから製造年月日より強制力がある。
要するに供給側の論理で消費者が踊るわけでもないし、少なくともそうした時代ではなくなっていたのだ。福音転じて製造年月日時代よりもロスが出そうになってあわてたメーカーは賞味期限を偽装したり都合よく延長したりした。後者は別に違法ではないものの消費者の信頼を著しく損ねる。「違法ではない」という武器を手にしたつもりが甘えにつながった。ロスカットしているつもりで実はリストカットだったわけだ。遠隔地の加工食品業者で売り上げ1兆円規模の大企業が市場から退場を迫られた事件は記憶に新しい。

いっそ製造年月日に戻したらどうだろうか。消費者はふところ具合と品物と値段と年月日を頭の中で並べて買うか買わぬか決める。その意思決定に上手に滑り込んだ企業が勝つ。思えば今よりずっと知的な消費行動だった。
買い手をバカにした製造業は結局成り立たない。それは我が出版業でも同じであろう。週刊誌は発売日直前までの情報しか載せていないのに発売号を翌週とする。感覚としては約2週間ほど鮮度を延ばす一種の偽装だ。同じような例は他にもある。しかし食品だけはまずい。我が『記録』11月号を1月号と間違えてしまってもバカにされて終わりだ。でも口にするものには許されない。
会社によっては10年以上前から偽装まがいをしていたと報道される。事実とすれば95年の表示変更の思惑は当初よりつまずいていた何よりの証拠といえよう(編集長)

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