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2007年10月 5日 (金)

ミャンマーでのジャーナリスト殺害と自己責任論

 9月27日、ミャンマーでジャーナリストの長井健司さんが亡くなられた。反政府デモを取材しているときに、軍人から至近距離で撃たれたとの報道も流れている。そのとき撮影にしていたビデオだけが軍から返還されていないことも、軍人が彼を狙い撃ちしたという疑惑を深めている。
 こんなことは決して許されない。カメラを構えている人物を銃撃するなどもってのほかだ。相手を殺そうとする意思すらないのだから。

 今回は日本政府の対応も早かった。事件の翌日には外務省が審議官を派遣して抗議することを決めたし、高村外相も「強い措置を視野に入れながら、ミャンマー政府が今度どう対応するのか見守っていきたい」(9月28日『朝日新聞』)と語った。当然の対応だろう。

 ただイラクでの取材者との対応の違いに驚かされもした。新聞検索をかけてみると。長井さんの事件について「自己責任」を追求した記事は1件もない。04年4月にフリージャーナリストの安田純平さんが誘拐されたときは、「自己責任論」のオンパレードだったのにである。
 新聞報道などを読む限り、長井さんはたしかに紛争地の取材に慣れていたようだ。ただ身の危険を感じていなかったかといえば、そんなことはないと思う。現地の状況を追っていけば、ある程度の危険を覚悟して現場に向かったことが分かる。

 9月22日にはアウン・サン・スー・チーさんの自宅前までデモ行進が行われ、経済的困窮の解消だけがデモの要求ではなくなっていた。軍事政権が神経を尖らせているであろうことは、容易に想像できる。同月24日にはデモは10万人規模となり、その翌日には繁華街に兵士が配置され夜間外出禁止令まで出された。そして26日、軍は実力行使にでて死傷者が出たと報道され、長井さんが亡くなったのはその翌日である。

 イラクでの誘拐事件において「自己責任論」の根拠として使われたのが、外務省が出す「危険情報」であった。「十分注意」「渡航の是非検討を」「渡航の延期を」「退避勧告」の4段階のうち、イラクは「退避勧告」、長井さんが殺された時点でのミャンマーのレベルは「渡航の是非検討を」であった。イラクで日本人の誘拐は頻発していた当時、「『退避勧告』が出ているのに現地入りするなんて」という声がちまたにあふれていた。
 しかし、この「危険情報」がさして当てにならないことは、今回の事件が証明したともいえる。なにせ長井さんが殺されてから、外務省は慌てて危険レベルを1つ引き上げたのだから。
 そもそも紛争地の取材が安全なわけがない。個人でルートを見つけて入り込むときはもちろん、イラク戦争で行われた米軍主導のインベッド取材(従軍取材……「in bed 取材」と揶揄されていた)でさえ、かなりの危険性がある。しかも死と生は常に隣合わせである。その境を分けるのは、外務省の「危険情報」などではない。現地コーディネーターの質と取材者の経験だろう。

 例えばどうしても写真に収めたい場所があるとする。その危険度がどれぐらいなのかは、コーディネーターじゃないと分からない。押せるのか、引くしかないのか。軍や政府の指示に従ってばかりいては取材にならないとくれば、その危険の線引きは自分でしなければならない。
 私自身、何度か軍人から銃を突きつけられたことがある。そのとき撃たれなかったのは、突きつけられたときの行動をコーディネーターが教えてくれたからであり、何より銃を突きつけたとしてもいきなりは撃たないであろう場所で取材していたからだ。それでも100%安全だったわけではない。そもそも立ち入り禁止の場所だったのだから。

 あの「自己責任論」を従えたNGOや取材者へのバッシングを改めて考えると、空恐ろしい感じがする。イラクの問題で自己責任を主張した人々は、「長井さんへの事件も自己責任だ」と主張できるだろうか。逆に退避勧告が出てたイラクと状況が違うというのなら、退避勧告が出ていたら自己責任だが、今回は危険レベルが違うから責任を問えない、などと言えるだろうか。
 結局、あの自己責任論の根本にあったのは、外務省が設定する危険度ではなく、日本政府にとって邪魔かどうかということだ。「非戦闘地域」に展開した自衛隊が活動を続けるのに、わざわざ現地に行って捕まる日本人は邪魔だった。

 この「自己責任」という言葉は、最近ワーキングプアなどの問題でもよく使われている。「努力しなかった結果でしょう。自己責任だから仕方ない」というように。これも図式は変わらない。産業界にとってオイシイ低賃金労働者が反乱を起こすのは、権力側にとって都合が悪いのだ。
 その意味でミャンマーの軍事政権なら長井さんの死を「自己責任」と切り捨てるかもしれない。

 最期までカメラを離さなかった長井さんの冥福をお祈りしたい。(大畑)

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