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2007年10月 3日 (水)

蜂窩織炎で入院していました

しばらく休載していたのは例の蜂窩織炎が悪化して入院していたからである。全国に5人程度はいるらしき我が拙文の気高き読者におかれましては大変申し訳ありませんでした。
どうやら「闘病記」を書かなくて済みそうな程度に快方に向かっているらしいので、せっかくだからいかなる病気であったのかをご報告したい。
私は医療の専門家ではないので、以下『世界大百科事典』(平凡社)の記載をもとに紹介する。

・組織の密度が粗な部分(皮下組織、筋肉と筋肉の間、頸部など)に起こる急性の化膿性炎症
→私の場合は最初は左足首から始まって左足全般。一時は治ったかと思ったら今度は右足親指付け根と右足首が感染し、入院以外に方法がないまでに至った

・代表的なものに、虫さされの傷から細菌が侵入して起こる皮下蜂巣炎がある
→ということだが私にはかきむしった記憶はない。でも無意識にやっていた可能性もある。原因不明の場合も多くあるらしい。夏場に虫にさされたり小さな傷ができた場合、豪快に掻いたりしないよう老婆心ながらご忠告申し上げる

・局所には境界不鮮明な発赤とはれ、むくみが起こり、熱感と圧痛が著しい
→真っ赤になってはれる。触ると摂氏40度ほどの熱さを感じ、歩けなくなるほど痛い

・炎症は急速に進行し、疼痛は拍動性で、悪寒や震えを伴った高熱が出現する
→あっという間である。右足は少々の痛みを感じて赤みを確認して3日後に病院に行き、抗生物質を処方されたものの効かず、さらに3日後に入院となった。その日から2日ほど40度近い熱が出てさらに2~3日微熱が続く

・さらに進むと、局所は軟化して膿瘍を形成する
→つまり膿むということ。現時点で医師の触診では膿瘍は確認されず自然に吸収されたと推測される

・治療は、局所の安静・冷却・全身的な抗生物質の投与を行い
→「安静」とは寝ているに尽きる。足は心臓より上へ、つまり足に枕を敷く形で下降する血流を小さくする。症状が強く出ている時には、この姿勢から座る形に移行するだけで血液が一挙に足首へなだれ込むような重苦しいうずきを覚える。
ここで尾籠な話となる。小水は当然尿瓶。大きい方は車椅子用の手すりとカーテンがついた洋式便所に出撃する。便座と車椅子を相対し、手すりにつかまって立ち上がり、手を左右反転させながら身をも回転させて便座に座る。車椅子に戻る際には反対の動作を行う。痛みのひどい時には一大事業だった。
「冷却」は熱を帯びている段階では足枕の上に氷枕を置いて足をひたすら冷やす。私の場合、一番痛んでいた右足親指付け根を本来冷やさなければならないが、氷枕を足の上に乗せざるを得ず、痛みの強かった時にはそれ自体が耐えられなかった。軽快して退院後はアイスノン(冷却枕)などで代用できる。赤みが引いても黒ずんだむくみと痛みがしばらく残るが触って熱を帯びていなければ冷却はむしろ血流を悪くするので控えなければならない。また強く痛んでいる際でも決死の覚悟の冷却は凍傷を招く恐れがある。この辺りの判断は入院で専門医の診断を常に仰ぐ必要があったし、退院後も週に1度は経過を見てもらうのが賢明だ。
「全身的な抗生物質の投与」は入院中はひたすら点滴である。朝6時、昼の2時、夜10時ときっちり8時間おきに行われ、一回に要する時間は30分から40分。それ以前と以後はカプセル剤を服用している。
左足の際にはセフゾンという抗生物質(1カプセル100㎎)が処方されて1日3回飲み、数日で回復した。その後数日で右足が痛み出し、今度はフロモックス(1カプセル100㎎)が処方された。だが服用の甲斐なく3日後に入院となる。医師の話によると処方すべき抗生物質を誤ったという話ではないらしい。この当たりに私は正確な答えを持たない。
退院後は再びセフゾンが処方されて12日間飲み続けた。その後も今日に至るまで右足は赤黒く腫れているも何とか若干足を引きずりながら歩ける。ここで医師は抗生物質を切った。つまり処方を止めた。耐性菌が生じたり罹患した場合にやっかいだからという理由である。したがってぶり返す可能性を否定できないのが目下最大の不安である。まだ完治さえしていないから。

なお休載していたのは退院後も基本的に足を心臓より上に位置しながら寝るという形を崩せず、その格好ではノートパソコンでさえ操れなかったからである。体の硬い私は椅子に座って右足を心臓より高く上げて机に投げ出し、つまりすごく威張っている人みたいなポーズを取ってワープロを打つといった仕業ができない。
肝臓の数値は昨日(1日)の段階で正常値より高い。それでも入院中の採血結果よりは良くなっている。ちなみに左足が痛み出した一ヶ月以上前から酒は一滴も飲んでおらず、その時の血液検査は正常値の範囲にあった。わけがわからない。
皮膚病というのは蜂窩織炎に限らずしばしば原因不明で治療や治癒のスピードも医師が様子を見ながら対症療法的に進めるしかないものが多いようだ。しかも急速に重篤となるケースもあるから侮れない。

そういえば私が入院していた病院の建物は古く、病院だから当然病死者も出ているわけで病死者×長い年月=たくさんの病死者という連想から幽霊が出るとのうわさを聞いた。とくに夜中に喫煙室から屋上につながる最上階で現れると。したがって入院時には点滴が終わった夜10時40分すぎにカメラ付き携帯を持って車椅子に乗って現場へ向かい、何とか拝みたいと待ちかまえていたが遂に見られなかったのが残念至極である。
もう一つ。私の入院と安倍晋三前首相のそれはほぼ同時期だった。したがって安倍さんには妙な親近感を持ったのだった……なんてウソ(「ほぼ同時期だった」は本当)。
ただし急な入院で本を持っていけなかったのはつらかった。親族や編集部員にも見舞いに来なくていいと言い渡しておいたら本当に誰も来なかったため(正確にいうと大畑が行き詰まった仕事の書類を抱えて襲いかかる算段をしていたものの襲来予定日が退院日だった)売店であらゆる新聞と雑誌を買って読みまくっていた。高熱と痛みでうなっていても読んでいた。そのため安倍首相政権投げ出しの「真相」は憶測も含めて豊富に仕入れたが何の役にも立ちそうにない。逆にテレビは見るだけで頭がおかしくなるとわかってニュース以外は見なかった。低俗も過ぎると暇つぶしにもならないんだね(編集長)

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コメント

退院おめでとうございます。本当によかったですね

投稿: のり | 2007年10月 3日 (水) 06時41分

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