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2007年10月 1日 (月)

板橋・管理人両親殺害事件の現場を歩く

Ita1  2005年6月20日午後4時40分ごろ、東京都板橋区成増にあるマンションで爆発が起こった。
 マンションは中堅ゼネコンの社員寮として使われており、爆発が起こった半地下にある部屋にはマンションの住み込みの管理人である夫婦が倒れているのが発見された。2人は病院に運ばれはしたものの間もなく死亡した。
 2人には外傷があった。夫には首などに数箇所の刺し傷、頭部には鈍器で殴られた跡があった。捜査上で、それが8kgの鉄アレイによるものであることが判る。妻には胸などに数十箇所もの刺し傷があった。
 爆発装置としてタイマーつきの電熱器が見つかり、元栓が開けられたまま台所のガスホースは切断されていた。床には灯油も撒かれていた。2人を殺した人物は、タイマーでセットされた時間がきた瞬間に部屋に充満したガスが引火し、殺人の根拠となる傷を消せると考えた。

 夫婦を殺害したのは都立高校に通う当時15歳の彼らのひとり息子だった。3人は03年から成増の社員寮で暮らしていた。少年の父親は96年から給食業務受託会社の派遣社員として働き始め、この社員寮が3軒目だった。
 事件発覚後、行方が分からなくなっていた少年は2日後の22日、群馬県草津の温泉旅館で保護される。
 Tシャツとジーンズにスニーカーの姿で旅館にやって来た少年は台帳に偽名、自宅近くの住所を書き込んでいた。両親を殺し電熱器のタイマーをセット、板橋の家を出てからまっすぐ草津に向かったわけではなく、池袋の映画館で『バットマン・ビギンズ』を観ているが、そのときの心境はどのようなものだったのか。

 警視庁捜査一課に保護・逮捕されたあと少年は両親を殺したことをすんなり認め、取調べによれば父親にバカにされたため殺してやろうと思ったこと、母親が「死にたい」と言っているのを見て殺そうとしたことなどを述べている。

 東武東上線の成増駅はいつ訪れても活気がある。私が通った大学はこの近くにあるので何度も来たことがある。駅の建物の中にスーパーや惣菜屋が並びその客が出入りするので、人の足が途絶えない駅、という印象がある。
 駅から南のほうに15分も歩けば、事件のあった社員寮にたどり着く。寮のすぐ近くに小学校があり、下校の生徒たちが連らなって学校から家に向かう。寮や学校のまわりは取り立てて特徴はないが全体として落ち着いた住宅街で、中流またはそれ以上といった感じの家々が並ぶ。
 当然といえば当然なのだが、静かな住宅街にと溶け込むようにして今もその社員寮はある。会社の名前が記されたプレートが玄関の入り口上にある。
 少年によって爆破された管理人室は道路から向かって左側にある。が、現在は黒い鉄製の柵が取り付けられ、その場所には入っていくことができない。

Ita2  社員寮に隣り合うような位置に旅行代理店があり、店員の男性がタバコを吸っていた。
「もう2年?か。それくらい経つか。ガス爆発の音は聞いたよ。ちょっとした休憩でね、店の外に立ってタバコを吸ってたんだよ、ここで、今みたいに」
 わたしとその40歳くらいの男性が立っている位置から社員寮はだいたい20mくらい。敷地を区切る塀があるので事件の舞台となった部屋は見えないが、寮の上階で干されている洗濯物が見える。
「ものすごい音だったよ。爆発の音なんて初めて聞いたけどね。煙がすごいんだけどどこが燃えてるのかははじめ分からなかった。僕と、ここ(店)のもうひとりが事件の第一発見者といえばそうなんだよ。すぐにテレビやなにやらが飛んできてね、店のトイレをどんどん使ってったね。ヘリなんかが10機くらい飛んでたよ」
 男性は少年に会ったことがある。
「あの夫婦の息子さんは会ったことがあるよ。まあおとなしくて普通の子だったけど」
 まったくの他人ではない身として、今後少年についてなにか考えることがあるか聞いた。男性はタバコをふかしながら、はじめてじっと考え込んだ。
「罪は償うべきだし、償ってほしい、とは思う。更生っていうのか、そういう風に自分を見直したり、そういうことをしっかりしてほしいと思うね」

Itabashi2  同じように現場と隣接する戸建て住宅のある主婦は、事件の数ヶ月前にこの場所に引っ越してきた。爆発が起こったとき、この主婦も家にいた。
「音、というか振動がすごかったです。ただもう、驚きでした。引っ越してきたばかりで周りのことも知る前だったんですけど、あのご夫婦も、男の子も、どちらも、なんていうか、可哀想なことになったっていうか。面識はなかったんですが、お線香はあげさせてもらいました。引越しをしようとは思いませんでしたよ。だって、(家を)買ったばかりだったから」
 女性は、よく考えて言葉を選ぶようにしながら話してくれた。事件のことを頭の中で整理して話しているようにも見えた。
「町内会では、男の子の刑を少なくすることを求めるものか、内容はハッキリ覚えてはいないんですけど、そういう署名の運動なんかも起こってたと思います。こんなことになるなら、もっと地域で支えることがあったんじゃないか、というのがこのあたりの中でも言われたりしてました」
 今でも事件を思い出すことはあるという。どういうときにという具体的なものはないが、脈絡なく思い出すことがあるという。

 06年12月の一審判決では東京地裁が懲役14年を言い渡している。2000年の少年法改正で刑事罰適応年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられており、この裁判でも少年に刑事罰が課されるのか、それとも保護処分に付されるかが注目された。今年9月(先月)、東京高裁で控訴審公判が行なわれ、その場で弁護側は保護処分を求めている。12月に高裁の判断が下される。(宮崎)

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