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2007年10月 8日 (月)

現役警官・女子大生殺人事件の現場を歩く

Kyoudou1 「事件のあと、建物は取り壊されたと思いますよ。だってそんな、気味悪いでしょう。アパートの他の部屋にはまだ人もいたと思うから、すぐに壊されたということではなかった気がするけど。アパートを取り壊した後は荒れ地みたいになってましたよ。猫がたくさん集まって集会場になって」
 主婦は丁寧な言葉遣いで話す。どことなく総理大臣補佐官の中山恭子氏を思わせる口調である。主婦はその事件があった場所を眺めるようにして建つ家に住んでいる。
 事件は1978年の1月10日に起きた。
 午後4時過ぎ、東京都世田谷区経堂駅近くのアパート東荘の家主から、住人が死んでいると通報が入る。警視庁捜査一課と北沢署が調べたところアパート1階で女が下半身裸の状態でベッド脇に俯せになって倒れているのが発見された。首にはナイロンストッキングが巻き付けられていた。被害者は清泉大学に通う22歳の女子大生だった。
 第一発見者は経堂駅前派出所勤務の20歳の巡査。パトロール中に女性の悲鳴を聞いて駆けつけ、大家に110番通報するように頼んだという。北沢署は殺人事件として捜査本部を設置するが、本格的な捜査が行われる前、その日のうちに犯人が判る。
 第一発見者である巡査。大家に通報を頼んだ後に通常の業務に戻っていたこと、ズボンや靴下に大量の血がつき唇にも傷があったこと、決定的だったのはガラスが割れる音を聞いた時間が周辺の住民と食い違っていたことだった。署が巡査を追及したところ、女子大生にはかねてから目をつけていたこと、騒がれたので殺したことを認めて泣き崩れた。女の死因は首絞めによる窒息死だった。

 先ほどの主婦の談。
「犯人が警察の人ってわかる前に、もう『あやしい』ってことになってましたよ。ここら辺じゃ。だって、奥まったところにあるアパートから通りまで、声なんて聞こえやしないでしょ。ほら、ここにアパートがあったの」
 現在、そこはアスファルトが敷かれた駐車場になっている。ほとんど空きはなく、運転手の乗っていない乗用車が整然と並んでいる。なぜかシルバートーンが多い。通りから見て駐車上の最も奥まった場所にアパートはあったという。手前側には他の建物もあったというから、たしかに声が届くには難しいかも知れない。

 巡査は同階の他の部屋の住居者が不在であることを確認し、巡回連絡を装って女子大生の部屋のドアをノックした。巡回連絡とは外勤の警察官が管内の家庭などを訪問して住居名簿の作成や不審者の有無の確認などにあたる業務をいう。
 殺害された女子大生が引っ越して来たときから気になっていたと巡査は述べた。引っ越してきたのは彼女が殺される1年半ほど前だった。鹿児島の高校を卒業後すぐに警察官になった20歳の巡査の歳を考えれば、どちらも経堂の町に長くは住んでいなかったことになる。

Kyoudou2  駅から歩いて3分もかからない場所に、女子大生に部屋を紹介した不動産屋がある。
 紹介した男性はまだ現役で仕事を続けている。30年前の女子大生の事件について聞かせてほしいと申し出ると、ああ、あの事件ねと読んでいた新聞を折り畳んだ。
「1月にあれが起きた。私は釣りが釣りが好きで、その日は釣りに出かけてた。帰ったら奥さんが『わたしは警官があやしいと思う』なんて言ってくる。なんのことか分らなかったね」
 見た感じは初老という言葉がしっくりくる男性だが、しっかりした体格の持ち主である。思い出す時間を長くとらずに当時のことについてテンポよく話す。
「いや、あのアパート、東荘は東(あずま)荘って言うんだけどね、あのアパートはすぐには取り壊してないよ。あれがあった後、リフォームして貸し続けたんだ。状況がああなだけに、北沢署の職員さんと相談して費用を負担してもらって」
 取り壊すどころか住居人たちは誰も部屋を引き払ったりしなかったという。それどころか殺人が起きた部屋で住みたいと申し出る者も現れた。
「3人くらい来たかなあ。そういう事故のあった物件を知らせるようなネットワークみたいなのがあったんだと思うけどね。事件があった部屋だから安くなるだろうなんて言ってきたけどね、冗談じゃないって言ってやったんだ。その頃は4畳半の物件は空きがあればすぐ借り手がつくような状態でね。リフォームもしてあることだし、事件前の値段より高い家賃で出した。それでもすぐに借り手がついたよ。事件があったのが1階。その部屋と真上の2階の部屋で友達同士で入ってたっけな」
 事件のことで印象に残っていることは何か、とたずねると意外な答えが返ってきた。
「当時はやっぱりすごい世間で騒がれた事件だったんだ。あの警官が駅前の派出所に勤務してたってことももう、たくさんの人が知ってる。で、駅を通るロマンスカー(小田急電鉄の特急列車。新宿などから箱根に至る)がちょうど派出所の前あたりでいつも減速していたけど、あの殺人事件があった後はしばらく、減速するたびに、あれがあの派出所だって中の乗客が指さしてたな」
 事件後、東荘は10年ほど貸し出され続けた。建物のオーナーである女性が亡くなり、学生が選ぶ部屋も4畳半からより大きな部屋へとニーズが移ったこともあって東荘は取り壊された。
 勤務中の警察官が殺人を犯すのは警視庁始まって以来の出来事だった。当時の土田国保警視総監に減給が科せられるなど警視庁幹部複数が処分された。

 東荘があった場所、シルバーの乗用車が並ぶ駐車場にしばらく立っていた。頻繁に人が出入りする駐車場でもないらしい。近くにはどこにでもあるようなアパートが建っている。アパートのどの窓からか、アンジェラ・アキの曲が流れている。(宮崎)

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