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2007年9月12日 (水)

差別の原点

例の蜂窩織炎が再発して厄介な状況になっている。目下のところ私の頭の90%がこれ。考えたくなくても痛みが「思い出せ!」と叫び続ける。
よって書くならば闘病記のようなものになるけれど気高き読者へは迷惑以外の何物でもあるまいから止めにする。病状など人様に得意げにさらす価値はない。何をどう書いても同情の押しつけとなる。少なくとも私の筆力では。

問題はほぼ歩けない状態となった時に「身体障害者は大変だな」としばしば思いを致してしまう自らの愚かさである。似たような症状にならないと気にも留めない鈍感さが背景にあるのが一点。2つ目は決して「似たような症状」ではないのに同調させる薄っぺらさ。
私の病は高い確率で治る。対して身体障害者は違う。生まれついて障害を持つ方はそれが当然の人生を誇り高く生きており安易な同情は無意味ないしは有害と取材を通して知っていたはずである。先天的に四肢に障害を持っている方からは「指が5本ないと不便だとなぜ決めつけるのですか」と迫られた経験もある。
人生のある段階で不自由になられた方にはすでに失ったという覚悟があるか、覚悟が決められないでいるか、その他か。いずれにせよ「失った」という事実が先にある。だが私はそうではない。
最悪なのは以上のような事情を私なりに知りつつも頻繁に「身体障害者は大変だな」と考えてしまう幼稚な自身の思考にある。それこそビリッと痛みを感じるごとに暗に考えている。これがきっと差別の原点だ。私は差別主義者なのだ。せめてそのことを治った後も忘れないでおきたい。

医師からは歩くなと言われているが無理である。仕事しなければ医療費も払えない。やっとの思いで拾ったタクシーの運転手から「大丈夫ですか」と聞かれたので「ご覧の通り大丈夫ではありません」と答えた。その後渋滞に巻き込まれる。すると彼は目的地のかなり前で黙ってメーターを止めた。私は彼ほどの思いやりを持っているであろうか。(編集長)

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蜂窩織炎で入院していました」

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