井の頭公園・バラバラ殺人事件の現場を歩く
1994年4月23午前11時ごろ、三鷹署に「ビニール袋に入った人の足のようなものを見つけた」と届け出があった。
署員が駆けつけたところ、井の頭公園のゴミ箱からバラバラに切断された遺体が見つかった。最初の発見者は清掃員の女性だった。清掃員はこの日10人程度。ゴミ箱のごみを集め、園内の収集所で分別作業をしていた中、そのビニール袋が発見された。黒いビニール袋に入れられ、さらに白い袋に包まれていた。特殊なねじり方をするなどして固く結ばれていたビニール袋を破くと、中から人間の足が現れた。
3日後、被害者が公園から100mの距離に住む建築士の男性(当時35歳)であることが分かる。バラバラになった遺体から身元が割り出されるまでにはわずか3日間だったが、犯人、殺害の動機などについては現在に至っても分かっていない。4月21日の午後11時ごろに新宿駅で知人と別れたのが、生前の被害者の最後の足取りとなっている。
5月には三鷹署が被害者男性の顔写真つきのビラ1万枚を用意し、吉祥寺駅を中心に配布して情報提供を呼びかけた。6月の終わりには園内の池の中に遺体が捨てられている可能性があるとしてスキューバ隊が投入されての本格的な捜査までが行われている。
遺体の処理方法が異様に洗練されていた点でも注目された事件だった。最終的に見つかっている遺体は合わせて27部位。司法解剖にあたった杏林大学の法医学者は、遺体がきれいに洗われ、すべての血液が抜かれていることに驚いている。血液をきれいに抜くにはある程度の知識が必要とされるという。さらに異様だったのは、見つかっていない頭部と胴体以外、遺体のすべてのパーツが20cmの大きさに切りそろえられていたことだった。20cmとは井の頭公園のゴミ箱に丁度の大きさで入るサイズでもあった。
事件前日に吉祥寺駅前で被害者と見られる男が2人組の男に殴られているところや、ポリ袋を提げて歩く2人の男について目撃情報が寄せられたが犯人の特定には結びついていない。カルト教団説、快楽殺人説、さらには人違い殺人説の可能性までがまことしやかに語られたが、真相は、犯人を除いては誰ひとりとして知られていない。
この事件の過去の記事や資料を読み進めていくにしたがって、腑に落ちないものが大きくなっていった。
遺体をまったく同じ大きさにカットし、指紋、掌紋を削り、血をきれいに抜き取るという入念さと、井の頭公園のような場所に遺体を捨てていく神経の在りようとが反発し合って重ならない。 井の頭公園がどのような場所かを述べておく必要がある。
東京都武蔵野市にあり吉祥寺駅から歩いて10分ほどの距離にあり、正式名称は井の頭恩賜公園という。大正2年に日本で最初の郊外公園として計画的に整備され、中央にある井の頭池を囲む敷地はテニスコートや「三鷹の森ジブリ美術館」を含めると約38万平方メートルに及ぶ。数字だけでは想像しにくいかと思われるが、公園まわり歩くと大人の足でも優に1時間近くはかかる。休日は多くの人が集まり、レジャーシートを敷いて食事をするグループもある。親子連れがやって来て井の頭池のボートに乗る、そんな公園である。
精緻な作業を人間の遺体にほどこすような犯人が、なぜ人が大挙して押し寄せるような公園にそれを捨てていったのか、理由が分からない。
井の頭公園に足を運んだ。
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