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2007年9月

2007年9月30日 (日)

■月刊『記録』10月号発売!

『記録』10月号が発売。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test0710.html

■《特集》産学連携の危険な膨張とトヨタの影/取材・文 本誌編集部

 旧文部省が大学運営の方向を転換したのは1990年ごろだといわれている。細かく決まっていた大学設置基準を緩め、各大学が創意工夫して自由に競争する方向へと促し始めたのである。産学連携については技術の向上など「良い面」が語られることが多いが、企業にとって有利な内容の論文が発表されるなどの問題も起きている。いま、産学連携の危険性を問う。 

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2007年9月29日 (土)

『吉原 泡の園』第35回/貧乏と悪徳

 日々の生活が苦しかった。食費を貰えないこともあるが、それに加え義理風呂で給料もあまりもらえない。
 ボーイには、ボーナスという名目で、年に2回ほど臨時給料があった。ただしそれは女の子から毎月少しづつ店がいただき、それをボーイたちに店や女の子から、
「いつもお客を与えてくれてご苦労さん」
 という意味を込めてのねぎらいのものだった。
 吉原は一律でそのような制度をとっていると思われるが、僕はそんなことがあることすらずっと知らなかった。
 店長もそんなことは言わないし、マネジャーも言わない。言われなければあることも分からない。
 たとえば、ボーイが女の子の部屋に掃除に行く、ブラジャーやほとんど裸同然の子が、
「ねえ、今日は暇なの」
 と聞いてくる。本当に暇なときでも、
「いえいえ、忙しいですよ」
 とボーイは答えなければならない。それで、娘も、え、私だけお茶?(1人もお客がついていないこと)となり、娘も自らやる気を出してくれるのだ。
 ところが、娘がやる気をだそうが、R店の悪事の噂はとどまることを知らない。にもかかわらず、店長とマネジャーはその悪事の元凶を認めず、ボーイを怒りとばすだけの日々に明け暮れ、とうとうネット上に悪口、いたずらがガンガン書かれ、ついにはR店のネットが一時ストップする事態が発生したのである。
 ネットは、サイト運営業者に頼んでいた。業者は吉原のどこかに事務所をかまえ、いくつもの客を抱えている。
 客が来ないと、そのサイトの出来が悪いから客が来ないのだ、と運営業者を叩く。ひどいと、
「もう金は払えないよ」
 くらいも言うのだ。
 店の娘のサービス、ボーイの接客、あるいは嘘、大袈裟、まぎらわしいなどの宣伝文句に騙され、リピーターが減ったのを、やはり人のせいにする。これが吉原の悪徳店であるR店のやりかただった。
 そうとうサイト運営業者も参ったことだろう。どうしてかの理由はわからないが、サイトに悪戯書きをされたのだ、マネジャーに大目玉をくらったことだろう。
 金を払わないといえば、マネジャーなどは手作りのスーツを良く仕立てていた。
 銀に縦線のラメなどが入った恰好のいいものだ。が、問題はそのスーツ屋が毎月毎月R店に訪れるのである。はじめは、ええ、そんなに毎月スーツを仕立てているの?と思ったりもしたが、そういうわけではない。
 よくよく聞いてみると、
「また今度きてんか」
 とマネジャー、そう言われ、仕立て屋のじいさまは、返す言葉もなく、しぶしぶ帰っていく、その姿が実に小さく見えた。
 なぜ、悪いのはこちらなのに、じいさまが小さくなって帰るのか、マネジャーには生まれつき人を脅す才能でもあるのか、とにかく、金に関してはR店は最低そのものだったのだ。
 僕らも、金はない、が、やることはやらねばならない。たとえば洗濯だが、ワイシャツなどはいちいち洗濯している時間もないし、綺麗に糊付けしなければならず、どうしてもクリーニング屋に出すしかなかった。
 毎日のもので、意外と金も馬鹿にならない。クリーニング屋は毎日顔を出しに来る。恐らく相当ボッタクリをしていたのだろう、非常に人相の悪いクリーニング屋は、吉原のボーイを相手に、毎日悪徳商売を繰り返していた。時間のないボーイを相手に。ただ、それがまたR店で働いていると、妙に良い商売に見えてくるのが怖かったのだが。(イッセイ遊児)

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2007年9月28日 (金)

総裁選麻雀 福田の「サラリーマン麻雀」炸裂

東1局

麻生太郎       25000
中川秀直(私)    25000
福田康夫       25000
森 喜朗       25000

 安倍晋三が放り出した麻雀卓を前に、幹事長の麻生太郎が怒鳴っている。
「やっぱり東風戦じゃねぇの。これ以上、卓が混乱させてはならんと思いますよ。すみやかに勝負を決めねぇとな。さあ、卓に着いた、着いた~」
 すっかりキングメーカー気取りの森喜朗が「やれやれ、安倍君も持たなかったねー」とつぶやきながら卓のイスに腰を落とした。
「福田君、福田君も一緒に打たないかね。ほら、安倍君が入院しちゃったから打つ人もいなくてね。あー、ダメダメ、町村君はダメ! 同じ派閥から2人も出せないでだろ!」
 案の定、サメ頭の森が仕切りだした。派閥の締め付けが完全に利くわけでも、彼に人望があるわけでもないが、とりあえず派閥を割るのは得策じゃないと考えたのか町村が浮かせた腰を決まり悪そうに下ろした。こんなサメ頭に任せておいたら、天敵・麻生にトップを取られかねない。「お邪魔しますよ」と断り、私(中川秀直)も卓に着いた。
「ふふふ、この麻雀に参加するのは貧乏くじかもしれませんね」
 薄ら笑いを浮かべながら福田も卓に近づいてくる。
「すげぇな。敵だらけだぜ。まあ、とにかくこの非常事態だから東風戦で、早めに決着をつけなきゃいかんでしょ。長引くのは国家の損失だということを忘れちゃいかん!」
 そう言いながら麻生は、どんどんとサイコロを振る。場所替えをすることもなく、2度振りで出親をゲット。「割れたよ、福田君」と福田の山から勝手に配牌を積もってきていた。
 いかん、完全に麻生ペースで進行している。このままの勢いで短期決戦の東風戦に飲み込まれたら、福田が勝てない。
「この麻雀は自民党の存亡がかかっているんですよ。党員にきちんとアピールする時間を取るべきじゃないですか?」
 私が睨み付けて反論すると、麻生は一萬を捨てながら「もう国会が開いているじゃねぇか。開かれりゃ税金も使うわけだし、チンタラ半ちゃんやっている場合じゃないんじゃないの」と切り返してきた。こうした、まともな返答に森は弱い。反論が浮かばなかったのだろう。視線を自分の牌に落とす。
「でも、今回の混乱は首相を守りきれなかった麻生先生にもあるんですよね。拙速なのはいかがでしょう。だいたい先生は首相がお辞めになるのを、いつから知っていたんですか?」
 まず東風戦を回避し、麻生のスピード麻雀を殺すことが先決だ。一筒を風牌と三元牌を避け、一索を捨てた。
「2日前ぐれいじゃねぇかな。あっ、森さんポンですな」
 あーあー、スピードを殺そうと考えている矢先に、森がダブ東捨てやがった。
「ふふふ、森先生はおおらかですからね。あっ、森政政権時代の官房長の癖がまだ抜けていないようです。また『弁明長官』をしてしまいましたか」
 皮肉だけは一級品の福田が森の打ち筋を当てこすった。
 一方、森からの鳴きで麻生の勢いは加速。7巡目にドラ側の6萬を積もり、ダブ東、ドラ1の2000オールをものにした。続く一本場も麻生が取り、トップの地位を固めつつあった麻生に、私が反撃を始める。
「森先生、安倍首相がね。『麻生にだまさた』と漏らしていたんですよ。知ってました?」
 この問いかけに答えたのは森ではなく、麻生だった。
「バカバカしい」
 笑いながら首を傾げ余裕を見せた麻生だったが、次の瞬間、彼の顔色が変わった。
「クーデターだわ。麻生の……」
 片山さつきだった。時代遅れの髪を振り乱して、雀荘で麻生クーデター説を連呼している。
 満足そうにうなずいた森も、「私は福田君を支持しますよ」と言い放った。その言葉に隣で卓を囲んでいた青木、山崎、古賀らも小さく拍手した。
「ロン」
 そこに響いたのが福田の声だった。
「平和のみ。麻生さん、1000点です」
「おいおい、リーチもなしかよ」
 あまりの安手直撃にゲンナリしたように麻生が言う。
「元秘密官房長官ですからダマ。ふふふふ。まあ、平時だったら私が上がることはありませんでした。まさに緊急事態ですね」
 麻生の独走態勢が崩れたのが嬉しいのだろう。珍しくニタニタしながら、福田が語った。

 そこから流れは一変した。卓内の「エレベーター」どころか、違った卓からもどんどん必要な牌が福田の元に運ばれてくる。どうせい1位総取りの麻雀だ。私と森はどんどん福田に差し込んでいった。
 南2局では麻生がキレた。
「サマだらけじゃねぇか。アルツハイマーでも、それぐらいは分かるぜ」
「いや、麻生さん、粛々とやらなければなりませんから。この困難な状況に、誠実に立ち向かっていくべきでしょう。あっ、中川さんロンです。白のみ1000点」
「また一翻じゃねぇか。いくら何でもセコ過ぎないか」
 麻生が曲がった口をさらに曲げて絶叫する。
「ふふふ、サラリーマン麻雀ですから。政治家になりたくなったわけでもないので、サラリーマン時代の癖が抜けません。いけませんなー」
 含み笑いをしながら福田が言い返す。

 こうして安定感だけが取り柄の男がトップへの道を駆け上がっていった。ただ1つ私の誤算だったことは、これだけサマを繰り返したのに、半ちゃん終了後、福田の勝ち点が3万3000点しかなかったことだ。対して麻生は1万9700点。見事な「サラリーマン麻雀」だった。
 しかし天棒を数えているとき、歓声が大きかったのはむしろ麻生の方だった。(大畑)

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2007年9月27日 (木)

先日のロシア 第13回/ロシアでの日本車進出事情

 ロシアでは、近年三菱の自動車が人気らしい。
 三菱の提供する小型セダン『ランサー』が、ロシアの様々なカテゴリーの主要5誌が主催する人気投票で選ぶ「Car of the year in Russia(カー・オブ・ザ・イヤー・ロシア )」で、31車が競合する中、Cセグメント部門において2年連続大賞を受賞している。トヨタや日産がすでにロシアに工場を持つ中での受賞だ。伝統を重んじるヨーロッパでの日本車需要が頭打ちな中、これからのクルマ市場として注目されるロシアでこのような結果が出るとなると、三菱としてはかなりうれしいのでは。
 先日、三菱のロシア支社グループ≪Рольф≫(ロルフ:さきのCEOの名、ロルフ・エクロートからか)が、来期の経営目標を明らかにした。
以下、ロシア経済紙「ВЕДМОСТИ」9月21日付の記事を要約してみよう。

 ≪Рольф≫は2008年期(2008年4月~2009年3月)の三菱車ロシア内販売目標台数を14万台と発表した。今期の目標、8万4千台をかなり大幅に上回る。
 ロシアの三菱車需要はここ数年で急激に膨らんだ。昨年度の販売台数は68845台であった。とくに今年に入ってからは、8ヶ月でもうすでに56557台を売り上げている。

 その需要の大きさから、工場の喫緊な建設が期待されている。2005年に会見した三菱の益子修代表取締役の言葉によると、ロシアにおける販売台数が8万台から10万台に到達したら、工場を設けるとのことだった。人気機種、『ランサー』に照準を合わせて、三菱はぐんぐん台数を伸ばしてきた。とすれば、好機はやってきたのではないだろうか。2007年期はこのままのペースだとゆうに10万台は突破するであろう。

 しかし益子社長は慎重だ。契約では「2008年の1月には工場建設に着手する」と意図する内容が記されているが、最近の日本自動車協会のコメントでは「企業はこのプランをたいへん用心深く扱っている」と、煮え切らない態度をとっている。
(以上「ВЕДМОСТИ」サイト内記事、
ソース:http://www.vedomosti.ru/newsline/index.shtml?2007/09/21/484540

 どうやら三菱はあんまりうきうきしているというわけではないらしい。今年の6月8日にはスズキも工場のロシア進出を決定したというのに。もう、立地もサンクトペテルブルグに決めてあるというのに。ちなみにスズキの2006年度ロシア内販売台数は1万6千台。三菱から比べれば5分の1程度ということになる。まあ、私見では、実用性を重んじるロシアのこと、スズキ車はこれからたいへん有望であるとはいえるが……。三菱でも重工分野では、すでにロシア市場の取り込みを決定しているというのに。それとも三菱、さきのトヨタや日産の工場が稼動してから様子を見て動き出そうということなのであろうか。トヨタ工場は今年の待つには動き出す見込みだが、日産は2009年とも言われている。そこから重い腰を上げるとなると、あまりにも遅い気がしてしまうのだが。

 記事の言葉の端々からも、「ああっ早く作ればいいのにもう」というじれったい感じが伝わってくる。焦らす本当の理由はどこにあるのか。ツンツン彼女をけなげに待ってる男子を見ているようである。残念ながら私は彼女の本当の気持ちを知らない。誰かに教えていただきたい。どうか教えてあげてください。(臼利つくし)

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2007年9月26日 (水)

●メインディッシュはお話

 代々木上原に「カーサ ヴェッキア」という大好きなイタリア料理店がある。ただ、この店の最高のメインは料理じゃない。ソムリエの説明である。といっても僕は下戸でアルコールはまるっきり飲めないのだが……。

 この店のソムリエに聞いて初めて知ったことだが、イタリアワインは格付けやラベルがメチャクチャらしい。昨年流行っていたワインがあればラベルをマネする、勝手に自分で格付けを書き換えるなどなど。要は何でもあり。当然のことながら、昨年と同じワインを買ったはずなのに味わいが全く変わっているということもあるとか。そのため少しマイナーなイタリアワインを店で揃えようと思ったら、毎年飲んで味を確かめなければならない。フランスワインのようにブドウのでき具合をおさえれば、畑によって味が想像できるわけじゃない。めっけ物もあれば、期待はずれもある。

 そんなワガママなワインをお客に紹介するためには、ソムリエ自らとにかく飲まなければならない。そして何より当たりはずれのバラツキを楽しめないと仕事が進まないと思う。
 芸術的な部品を作ることもあれば、欠陥商品を製造することもある。そんな下請け会社と仕事をすることを考えてほしい。
 ねっ、下請け会社に魅力を感じなければ、腹立ってしょうがないでしょ。

 この店にはワインリストがない。だからだいたいの値段を言って、大まかな好みを伝える。するとソムリエの女性が数本のワインを持ってきてくれる。お楽しみはここからである。
 彼女はワイン1本につき5~10分ほど説明をしてくれる。ブドウの種類が何なのか、どんな収穫の仕方をするのか、どんな畑で、どんな気候なのか。そして渋さや甘さが、どんな工夫からわき起こるのか。話を聞いていると、いつも景色が浮かび、土の臭いまでかいだような気分になる。
 イタリアワインが本当に好きなのだろう。何か質問すると、待ってましたとばかりに答えが返ってくる。その様子を見て、昔見たテレビ番組「カルトQ」を思い出した。ラーメン屋のどんぶりから店を当てるなど、一般人には絶対に分からない奥深い知識を一分野に絞って競い合うクイズ番組だった。その番組の現代アートの回だっただろうか、優勝した回答者が「自分の知識が話せたことが一番嬉しかった」というようなことを話していた記憶がある。
 通常あまり専門的な話をされるのは面白いことではない。でも、一定の範囲を超えた、もうオタクだと思えるほどの専門知識を聞くのは本当に面白い。何より話している人が楽しそうなのがいい。

 ワインなど飲めないし、味の違いも分からないが、自分には絶対役立たない専門知識にはドキドキさせられる。どうせ聞いても、すぐ忘れるくせに。不思議だ……。

 

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2007年9月25日 (火)

2次元に萌える。その2

ようやくホストのゲームをクリアした。そして原稿も書いた。そして思った。

「2次元、最高!!」

と言っても、最高だと思えるのは、深夜3時頃にベッドで寝ている旦那の激しい寝相とイビキをかいている姿を見たときだけ・・・。(こんなことかいてごめんね・・・) 

特に、スチルが出たときは、さすがにクラクラ・・・っときて、胸がキュンキュンと・・・。たぶん深夜でテンションあがってるから胸キュンしてしまっているだけなのだろうが。

実際にプレイしてみて、やはりオタク気質があった(抜け切れていない?)のだということを痛感。まだ腐ってはいないはずだが、やはり2次元は意外とといいかもしれない。3次元もいいけど、2次元もいい。

次回こそは、誰に求められているかわからないが、誰かのために「2次元萌え」について熱く語りたいと思う。(奥津)

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2007年9月24日 (月)

遊園地再生事業団の『ニュータウン入口』を観た

 宮沢章夫の演劇『ニュータウン入口』を観た。遊園地再生事業団という劇団が演じている。宮沢章夫の演劇を観るのは念願だったので上演されているシアタートラムの入り口に入るずいぶん前からかなりワクワクしていた。
 私が宮沢章夫をはじめて知ったのは姉のオススメの本として『よくわからないねじ』を渡されたのがきっかけで、爆笑しながらそれを読んだし今でも便所に置いてあっていつでも手にとっている。最新の著書の『ノイズ文化論』ももちろん読んでいる。小説『サーチエンジン・システムクラッシュ』は何年か前によんだが、その年のベスト小説だと思った。
『ニュータウン入口』の題名にも惹かれた。彼の著作を読んでいて今度の演劇が「ノイズ」を取り扱うものになっているのが何となく読み取れて、現在「ノイズ」について私もたまに考えることがあったからです。
 まあ私のことはいいとして、『ニュータウン入口』だ。
 シアタートラムのステージに入ると、ステージ上には巨大な鉄骨で作られた門があって、地面がいくつかのマス目に区切られている。マス目は土が敷かれた部分と、たぶんアスファルト的なものにハッキリ分けられている。ニュータウンの中では土さえもが人工的に配された状態で存在する、という印象。
 なかなかにストーリーというか事態が込み入っていてアタマを整理するのに追われた面もあるが、楽しく観ることができた。ところどころで笑い、息をするのが憚られる緊張の場面あり。2時間20分は短く感じた。リアルタイムでビデオカメラで撮っている役者を大型スクリーンで映し出し、それとパラレルに別の場所で筋が進んでいく場面など見て、表現には限界がないんだな、と感心。
 
 ハトの存在さえネガティブに取られるニュータウンは、歪んだ場所だったのだろうか。ニュータウンにはダンスを踊る同好会のような人たちがいて、しきりに勧誘して歩いている。それはニュータウン的な気質を持つ人々を「ダンス好き」な人々としてデフォルメした存在だと受け止めた。新しくこの地にやって来た若い夫婦が、同じくこの新しい土地の分譲地を購入しようかどうか迷っている。この土地にやって来たばかりの夫婦ははじめこの異常に見えるダンス同好会をいぶかしげに見つめ、土地については「なんだか背筋がゾワゾワする」感覚を訴えるが、だんだんと取り込まれ、最後には夫婦揃ってダンスの人々に加わることになる。その180度逆を向くまでの過程が見所のポイントのひとつとなるはずだが、それもストレートで明快な経緯があるわけではない(ように見えた)。が、ノイズ的なるものであるハトが消され、場違いな記憶を持つ女の存在が夫婦から忘れられることで、夫婦は「平和な」ニュータウンに住むことを決めることをできた(できてしまった)、ということなのだろう。ニュータウンにノイズなるものはふさわしくない。

 もうひとつ重要に思える存在として、矢尻の形をした石があった。ずっと昔の人々が使っていた道具であるその石を持つと、誰もがなぜか懐かしい気分になる。だが、その石は登場人物Fがわざと埋めたねつ造の石でもある。ではなぜ、そのねつ造のために埋められた石を持つと「懐かしい気分」になるのか。それは、時間が積み重ならないはずのニュータウンに、かつて懐かしい時間があったことに対して一方的なあこがれのようなものを抱き、安心したかったからではないのか。
 ノイズを排除して生きようとする者たちと、ノイズである古い記憶を求めてしまうふたつのベクトルが重なるが、登場人物は「そんなことはもうやめよう!」と断じる。そして、これからニュータウンにも石にも取り込まれない「新しい自分」を作り出していこうとする。

 ここまで書いたが、まったくの見当違いである可能性があるので、「へぇ、こういう演劇なんだ」と思って貰っても困る。宮沢章夫と劇団・スタッフの皆様が困る。
 とりあえず、話、演出、音楽、いろんな面で引き込まれた時間であったのはたしかで、宮沢章夫ファンでなくとも見る価値は十分にあるものだと思う。おもしろいぞ!!

 演劇のウェブサイトはこちら。http://u-ench.com/newtown/今月30日まで上演しているようだが、空席があるかどうかは不明。(宮崎)

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2007年9月23日 (日)

ブログ内のアクセストップ10記事に関するコメント

http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2007/09/07_5d9b.html
 今回は、上の記事で紹介したこの4月から9月現在までの半年間でアクセスが多かった記事/ページのランキングにおけるトップ10記事についてのコメントを書いた。

■第10位 なぜか「ビバヒル」。その後、彼らはどうなった?

 言わずと知れた、実に10年も続いたアメリカのテレビドラマである。のっけからなんなんだが、この記事に関しては読者に対して申し訳ない気がしている。
 誰に対して申し訳ないかというと、他でもないビバヒル・ファンに対して申し訳ない。というのも、記事を読んでいただければ感じるだろうが、ビバヒルに対する愛情のようなものに欠けた文章になっている。何を隠そうわたしは別にビバヒルが好きでも何でもないのだ。
 これだけならば別に自責など感じる必要はない。問題はグーグルで「ビバヒル」と入れたとき、同記事が100000件のうちの3番目にきてしまうことにある。どういうワケでこんなに上位に入ってきてしまうのか分からないが、あえて言えば「ページのランク付けロボットでは愛情を感じ取ることができない」ということだろうか(おお、決まった!!)。もっとビバヒルに対して愛情を持った人のページが上位にくればいいのに。そういうワケで少し申し訳ない。(宮崎)

■第9位 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く

『あの事件を追いかけて』シリーズでは最も上位にランクインした。理由はよくわからない。
 24年も前の事件だが、犯人に対する死刑が執行されたのはわずか6年前である。
 この類の取材をしていて気付くのは、印象の強い事件であれば、どれくらい時間が経ってもその地域に暮らす人々の頭には事件のことが残っている、という単純な事実。ただ、人の入れ替わりが激しい市街地になるとそうではなくなる。
『あの事件を追いかけて』を書き始めたときは思っていなかったが、最近では、どのようにして人々の記憶から事件は薄れていくのか、ということを考えるようになった。それは、土地が事件を忘れていくということでもある。(宮崎)

■第7位 指定暴力団の内訳
 
 この記事が上位に来たか、とちょっと驚いた。暴力団の内訳を知りたいと思う人が多いとは思えないが、検索などのでたどり着いているのだから調べている人が少なくないということだろう。
 やくざ映画が隆盛を極めた時期があることを指摘するまでもなく、けっこうやくざものは人気だ。フレンチコネクションやゴッドファーザーなども人気が高いから、世界中にワル好きがいるということだろう。(大畑)

■第6位 池内ひろ美氏の「期間工」差別を嗤う

 出版などで意見を発表できることで、特権意識が芽生えるのかもしれない。池内氏の問題のブログを読んで、そう思った。それは会社の大小ではないかもしれない。自分自身、ホームレスを取材したとき相手をバカにしなかったといえば、とても否定はできないからだ。
 ただ、彼らもこちらの気持ちを瞬時に見抜く。結果として取材を断れたり、ときには試すように拾ってきた食事を差し出されたりする。「まさか食えないとは言わないだろうな」という目つきで、こちらを見る。相手も真剣だったから絶対に断れなかった。でも、ヘタレだからいつも数時間後に腹を下していた。
 差別という話題を考えるとき、結局、僕は一度してホームレスの食事を消化できなかったという事実を思い出す。大きなことは言えない。自分だって差別している。ただ、それが恥ずべきことだとは感じている。(大畑)

■第5位 モリサワからの挑戦状

 6月頃、たしかに株式会社モリサワから書体見本がドンと送られてきた。見本を見ながら、「うーむ」「すごいな」「コレいいね」と楽しく品評会をさせていただいた記憶がある(モリサワさま、その節はお世話になりました)。
 フォントひとつで出版物の印象は恐ろしく変わる。できれば適フォント適所でカッコよく物作りをしたいが、あまり知られていないことだが質を伴ったフォントは高価である。
 編集者養成の学校でも書体についてはサワリ程度学習するようだが、それでもDTP全盛の時代において若い編集者の書体に対する嗅覚は明らかに鈍ってきている気配がする。考えるまでもないが、DTPでは書体を選ぶ際、インデザインなりクオークなりの画面でプルダウンからちゃちゃっと書体を選ぶだけでコトが済む。ひと昔前はわざわざ書体を指定するために書き込みをしていた。DTPではフォントの名前を覚える必要すらあまりない。わたしも若い。よってこの項にについてあまり多くを書くことができない。それでも、タイポグラフ的な開発の現場がどのようなものであるかは興味がある。もしよろしければ取材させてください!(宮崎)

■第4位 写研書体が使いたい!

 5位と話題が少しカブる。写研は写真植字機(写植)や電算写植の生みの親である会社だが、どうやら経営者の絶対的な支配力が揺るぎないなど謎に包まれた会社でもあるらしい。
 現在のDTPではフォントの大きさにP(ポイント)が使われることが多いが、もちろん従来の「級 (Q)」や「歯 (H)」もソフト上で使うこともできる。「級 (Q)」や「歯 (H)」といった組版における単位は何を隠そう写研の組版機が採用した単位であり、それが普及した過程がある。このことからもこの業界における写研の影響力が伺える。
 私のような若輩には分からない領域なのだが、長く出版に携わってきた編集者には、写研の方針でDTP上で現在扱うことのできない同社フォントの「復活」を待ち望む人がいる。そういう話はたまに聞く。そういう人たちはまさに「写研書体が使いたい!」状態なのだろうが、それならばと早速写研に取材を申し込んでしまうのがこの編集部である。その顛末は以下の記事に記されている。(宮崎)
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/04/post_fd8b.html

■第3位 プロフィールページ

 この記事を書くのに、久しぶりにプロフィールページを読んでみた。まあ、状況は変わってませんな……。
 このプロフィールにも記したが、前職の内装デザインは本当に大変だった。どうも絵に対する能力が徹底的にかけているらしく家具の立体完成図とか描くと、なんだか平面ぽい仕上がりになってしまうのだ。
 先輩や同僚は皆くびをかしげた。デバイダー(直角・直線が引ける製図用の机ですね)を使って描いて、どうして平面の絵が仕上がるのか分からなかったらしい。で、僕にはどうやれば立体ぽくなるのか分からなかった。あまりにピント外れだったから怒られることもなかったが……。
 まあ、あまりにも合わない仕事を体験したおかげで、労働環境が気にならなくなり、この会社にいたりするわけですね、はい。(大畑)

■第2位 宇野正美氏の反論

 この記事は『記録』95年8月号に掲載した「日本ユダヤ教団理事長に聞いた」(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/09/post_08df.html)への反論である。元々は特集「オウム問題の裏をよむ」の中の記事であり、オウム真理教が唱えたユダヤ人陰謀説について日本ユダヤ協会にインタビューしたら宇野氏の名前があがった。それじゃあと宇野氏に反論してもらったしだいだ。
 この特集の取材で記憶しているのは、じつはユダヤ教団理事長の話ではない。日本フリーメイスンの広報委員会委員長への取材だった。自宅までお伺いしてお話を聞いたが、「秘密結社」の幹部とは思えない柔和な方で、フリーメイスンが世界を支配しているという話には、ホトホト困った様子だった。
 儀式などは完全に秘密にされていると言われるが、一部の儀式は公開されていると知った。芝にある協会本部も美しいので、儀式を見学に行くのもお勧めである。ただし、まだ公開されていればだが。(大畑)

■第1位 和合秀典氏の逮捕とフリーウェイクラブの正当性および「大丈夫」

 和合さんには月刊『記録』8月号の特集「“参議院・異色候補吠える”」でも取材させていただいた。自身含めフリーウェイクラブの面々がいきなり逮捕され、選挙でも苦戦中だったのにもかかわらず驚くほど元気だった。「国が逮捕してまで運動を潰そうとするなら、大人のケンカをせざるを得ないでしょ」と言い、豪快に笑った姿が印象的だった。
 首都高の料金がいきなり値上げされたことに怒り、20年近くを戦い続けてきた人である。それで有名になりたいとか、金儲けをしたいとかでもない。もちろん暇だから噛みついたというような人でもない。それどころか会社の社長として、走り回っていた。ようは納得できないできなかったから立ち上がっただけなのである。
 主張もこじつけや屁理屈ではない。民間の会社がこれだけ苦労して製品単価を下げているのだから、いきなり高速料金を20%も値上げするな。無料にすると約束したなら無料にしろ。ひどく当たり前のことだ。だから当人としても、ここまで長い闘いになると思っていなかったらしい。
「みんなが500円通行を始めたら、すぐに高速料金なんか変わるよ。だって当たり前のことだろ」
 もう10年以上前になるが、和合さんはそう言ってニコニコと笑ったのだから。
 頭は切れて、押し出しも強いが、にこやかで気持ちの良い人である。細かなことを気にするタイプでもない。むしろ、「まあ、いいじゃないか。気にすんな」と豪快に笑い飛ばす人だ。だからこそ運動に人が集まってきたのだから。
 そんな和合をここまで怒らせ続けているのだから、旧道路公団の面々もある意味スゴイ。日本を支配する官僚制度の嫌らしさと怖さを、和合さんの運動を通して知った気がする。(大畑)

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2007年9月22日 (土)

『吉原 泡の園』第35回/こんなはずではなかった人生

 ヤクザといえばピストル。そう短絡的に思い浮かぶのだが、現にFさんは銃を持っていたのだそうだ。そして、銃の威力をこう話していた。
「なあ関口よ、喧嘩はやっぱり銃がねえと始まらないよ」
 愚連隊時代、暴走族との大きな喧嘩があり、その時総勢何百という人達のにらみ合いがあったそうだ。
「ま、まるで関が原の合戦ですね」
 そう思ったが言葉を飲みこんだ。そして、いよいよ大人数の敵とのぶつかり合いも避けられないという頃、1台の車がその睨み合いの中に突入してきた。
 2人の男が車から降り、懐から銃を取り出すと、上空に向かって1発発砲した。するとどうだろうか、一触即発な人々の群れが、いっせいに散り始めたのだという。それでFさんは銃の人にあたえる威力を知り、その後本物のヤクザになり、銃を持ったのだという。
 まるで、映画のような話だ。
 また、Fさんは、銃の練習や試し撃ちに、架線のかかる河原などで、その列車の音に銃声をかき消し練習していたそうだ。思わず笑ってしまいそうな話だが、いやはや、やはり現実ありきの映画のシーンなんだろうと、僕は納得していた。
 Fさんの実家は宝石屋をしていたそうだ。そして口癖は、
「金を溜めるには悪いことをしないと溜まらないよ」
 だった。中学生になる娘がいるのに、スカートをはいた花魁などが道を通ると、スカートが風にたなびく、そうすると顔を斜めにして、
「おしい」
 などとパンツが見えないことに悔しがるのだった。まったくいいおとっつあんが、と思いながらも、こんな人を許容している家族の大きさに感服していた。
 こんな風にどこか人情味的に書いてはいても、義理風呂には行かないことを許された、客を呼べないFさんにたいするマネジャーやその他姉妹店のボーイ、幹部の態度は、日に日に冷たくなるのだった。
 僕などがいびられるいびられ方も暴力的で半端ではなかったが、どこか明日に繋がる所も見え隠れしているのだ。だが、Fさんに対する冷たさには、そんなものはなく、どこか陰湿ささえも感じられるのだった。
 さて、ボーイには以下のようなタイプがあげられる。
① マネジャーのように花形スター、つまり社長クラスを目指し、金持ちを志す者
② Eちゃんのようなすき者
③ 借金地獄からのがれようと、一途な淡い夢をいだく者
④ Fさんのようにヤクザ者で、こんなことしか生業にできない者
⑤ なんとなく来た者

 ちなみに僕は3と5を足したタイプだった。もちろん、その頃からライターを密かに目指していたので、下心も少しはあった。
 そして、もうひとタイプがある。それが先輩ボーイのTさんの場合である。Tさんは坊主頭でどこかパッとしない。渾名が裸の大将であるから、想像できるだろう。女性にモテルタイプではない。
 ただ、僕に対しては、やさしいのだった。ある日を境にするまでは。マネジャーと同じ部屋で、毎日いじめられていたTさんは、やはり新人の僕が暴力的にいじめられているのを見て喜んでいた。
「ふふっ。僕と同じでイジメられてらぁ」
 そんな感じである。
 だが、自分1人いじめられていないという島国根性が、僕に優しくしてくれたのだった。
 何か文句や愚痴がある際、それを話せる人がいるのといないのとでは、かなりストレス的にも違うと思う。
 Tさんはマネジャーの悪口しか言わないのだった。
 それも本気で言っている。
 車の事故の加害者としての責任で、婚約解消し、長野から出てきた男だった。
 ホームレスのような生活も経験し、公園で寝るのが好きだったし(まあマネジャーと同じ部屋ではそうなるかもしれないが)、屋台のラーメン屋などもやっていたそうだ。
 だが、それがまた儲からないと嘆いていた。
 事故の被害者に対する賠償責任などの金を返すため、吉原に来たのだ。
 それが義理風呂やら付き合いやらで、僕と同じように返す金の工面ができなくなりつつある。同じような悩みを持っていたから、Tさんも僕に好意を抱いていたのだろう。
 仕事で失敗しても、冗談を言い合い、それでなんとか慰めあい、がんばれたのだった。
 TさんはあまりHを堪能するタイプではなく、どちらかというと淡白であった。それもそうだろう、婚約者までいたのだ。トラック事故までは。
「なあ関口、俺たち、こんなはずだったか?」
 たまに飲み屋で微笑みながらそういう彼の姿が可哀想だった。
 店ではマネジャーは誰に対しても厳しかった。ただ、義理に行く頃になると、店長は僕に優しくなり始めていた。ただ、Tさんには冷たかったのだ。
 だんだん店長の僕と自分に対する態度の違いに、Tさんもいらだちを隠せなくなってきていた。
 なんで、俺のが先輩なのに、店長は関口にやさしいんだ。そして、俺には冷たいんだ。
 人間は極限状態ではここまで変われるんだ。僕はかなりショックだった。Tさんはだんだん僕に本性剥き出しになった。だが、一歩間違えば、自分だってそうやって悪い方に変われる。廉恥心をなくすのは、もしかしたら僕だったかもしれない。そうした薄皮1枚の人間関係と、人間というものに対し、ショックを受けたのだった。(イッセイ遊児)

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2007年9月21日 (金)

安倍はヒトラーに似ている!?

 安倍首相辞任に関する新聞や週刊誌などの記事を、いろいろと読んでみた。本当のところ彼が何者だったのか知りたかったからだ。
 一般的な評価は「意気地なしの坊ちゃん」といったところだが、いや、けっこういろんな見方があった。

『週刊朝日』(9月28日号)で田原総一朗氏は「世にもまれな不運な首相だったととらえている」と書いている。年金も大臣のカネの問題も昔からあったものだが、いきなり彼の首相時代で爆発した。そこにマスコミが噛みつき支持率が落ち込んでいった。そのネガティブキャンペーンで生まれた「誤解」を解くために、参院選大敗後も居座ったと書く。
 猪瀬直樹氏はネットの連載で「安倍首相の辞任には、官僚機構が一枚噛んでいる」と書く。特に辞任した遠藤武彦農林水産相の疑惑について官僚は知っていたのに官邸に情報を上げなかった。つまり「遠藤農水相は安倍政権を崩壊させるトロイの木馬だった」のだと。

 なるほど。

 たしかにマスコミが安倍首相降ろしを狙ったことは間違いないだろう。05年にNHKの番組改正問題で激しく安倍首相とやりあい、自民党の取材拒否にまで問題が大きくなった朝日新聞がキャンペーンの先頭を走っていたことも間違いない。こうしたバックグラウンドで、官僚から爆弾が投げ込まれれば一気に炎上してしまう。
 ただ、これらは破綻した政権運営の原因の1つでしかない。それは、安倍首相自身に官僚やマスコミから後押しされなかった理由があると思うからだ。一言で言えば「気弱さ」である。
 チキンだから攻撃にも過剰に反応してしまう。一国の首相がチキンだと思われたくないため、できもしない政策を掲げ勇ましく拳を振り上げてしまう。

 昨年10月、講談社の代表取締役の自宅に安倍首相は「通告書」と書かれた手紙を送っている。ようは『危険な総理の"媚朝外交"』と題した特集が気に入らないから書くのを止めろ。ついでに取材も受けたくないから答えないぞ。そんな内容である。一国の首相が週刊誌報道に目くじらを立てて怒り、恫喝までするか、普通?
 知り合いのライターは首相の疑惑追及を進めているなかで公安に見張られたとも漏らした。しかも公安が露骨に尾行をアピールして脅してくると。政治絡みの取材でも、そんな経験は初めてらしくたいそう不気味がっていた。
 首相はとにかく攻撃に弱い。「はははは~、また書いてるな」と笑うことも、記者を丸め込んで味方に引き込むこともできなかった。その一方で自著の『美しい国へ』では「自分の命は大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ」と書いてしまう。少なくとも「首相」の座は命を「なげうっても守るべき」ものではなかったらしい。

 しかも彼は「はかりごと」が不得意だった。『週刊現代』(9月28日号)に上杉隆氏は次のように書いている。
「安倍晋三は、驚くべき純粋さでもって、権力闘争の舞台に立っていた。内閣総理大臣という職務についてもなお、彼は友人を大事にする好人物であり続けた。おそらく歴代の官邸の主で、彼以上に純粋な首相はいないだろう」

 気が弱く、純粋なのに、攻撃的。こんな人物が一国のトップに向くわけがない。同じような性格の政治家として、頭をかすめたのはヒトラーだ。気弱で礼儀正しく、他民族から攻撃されることにも怯えていたといわれる人物。
 大きな違いはヒトラーには人を魅了する演説の能力があり、安倍首相には容姿や年齢以外に人を魅了する力がなかったことだ。その意味で、政治家の素養がまったくなかったがゆえに、日本が国として負ったダメージは少なかったわけである。

 首相辞任の報が流れたときに、彼の実績をたたえたのは安倍首相の宿敵であるはずの中国だった。「中日関係の改善と発展のため、安倍首相は積極的かつ建設的な役割を果たした」との高評価は、ボロクソに言われ続けている首相にとって唯一の慰めとなっていることだろう。
 ついでに辞任したことで、彼が非常に嫌っていた福田康夫氏に首相のお鉢が回ったことも皮肉ではある。

 首相に向いてなくても陶芸などの才があれば、それなりに楽しく暮らせることを細川さんが身をもって示しているが、さて、どうなることだろう。せっかく自分で立ち上げた企画なのだから、政治家以外に「再チャレンジ」してもらいたい。まさかヒッキーのまま政治家を続ける気じゃないよな……(大畑)

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2007年9月20日 (木)

月刊『記録』編集部ブログ・07度上半期の人気記事ランキングと検証(上)

以下のランキングは、当ブログにおける今年4月から9月現在までの記事別アクセスランキングである。

1位 和合秀典氏の逮捕とフリーウェイクラブの正当性および「大丈夫」
2位 宇野正美氏の反論
3位 プロフィールページ
4位 写研書体が使いたい!
5位 モリサワからの挑戦状
6位 池内ひろ美氏の「期間工」差別を嗤う
7位 指定暴力団の内訳
8位 日本政策投資銀行は潰すに限る
9位 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く
10位 なぜか「ビバヒル」。その後、彼らはどうなった?

11位 池内ひろ美が語る「市橋容疑者への推理」を嗤えるか?
12位 参議院選挙を前に恒例の綿貫民輔先生絶賛
13位 市川一家4人殺人事件の現場を歩く
14位 静岡大学教育学部附属静岡中学校
15位 岩の坂・実在した貧民窟の現在
16位 エアコンから大量の水漏れ
17位 奥田碵トヨタ会長という名の怪物
18位 上杉隆さんへの濡れ衣
19位 唯一無二のケンカ極道・花形敬が刺された場所を歩く
20位 武藤日銀副総裁の総裁就任を許すな

21位 亀田に怒った具志堅用高の真意
22位 オウム総本部・村井秀夫が刺された場所
23位 朝青龍擁護と巡業をめぐる深い確執
24位 麻原彰晃と大川周明の「詐病」
25位 「ハンカチ王子」斎藤佑樹の将来は暗黒とのデータ
26位 属性しか語らぬ安倍晋三の正体
27位 『吉原 泡の園』第26回/解説・ソープのサービス!
28位 岩の坂・実在した貧民窟2
29位 三河島鉄道事故・現場を歩く
30位 歌舞伎町ビル火災事故・「明星56」の現在

     *    *    *

 このブログを立ち上げて2年くらい経つ。このブログを見てくれている方々がどんな目をもって日々閲覧しているかは知りようもない。担当が複数いて全体としてブログの性格が定まっていないような感じもしている。ヤミ鍋的というか。
 いちおう1週間サイクルのローテーションはあるのだが、たまにズレてしまう。が、着実にアクセスは増えているようだ。
 今回は、この4月から9月現在までの半年間でアクセスが多かった記事/ページをランキングにし、その中でもトップ10記事について日曜日の回で検証・コメントしていこうと思う。ランクインしている記事の中には新しいものもあれば古いものもある。例えば7位に入っている「日本政策投資銀行は潰すに限る」などは2005年の記事だが半年で700件くらいのアクセスがあった。
 アクセス解析を見ると、検索エンジンから飛んでくる場合77%がグーグルから来ている。次はヤフーの12%。このことから、今回のランキングでアクセスの多かった上位記事はグーグルの検索キーワードで上位に入っているのか、といわれると事実そうなっている。
 このブログの記事はどういうわけかグーグルの上位に来るものが多い。「岩の坂」など、グーグルで検索するとなんと9000件の記事中トップに出てくる。この環境を活かして広告でも入れるという選択肢もあるのだろうが、そういう話には今のところなっていない。最近では現役理学療法士の連載も始まってますますジャンル混交的なものになっているが、ハッキリ言って今後の確たる指針などはない。ただ、面白いものをアップしていこうと思っている。

 こんな話題、こういう記事を書いてくれ!という要望などコメント欄にでも入れてくれれば、そのうち取り上げることがある「かも」しれません。(編集部)

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2007年9月19日 (水)

井の頭公園・バラバラ殺人事件の現場を歩く

Ino3  1994年4月23午前11時ごろ、三鷹署に「ビニール袋に入った人の足のようなものを見つけた」と届け出があった。
 署員が駆けつけたところ、井の頭公園のゴミ箱からバラバラに切断された遺体が見つかった。最初の発見者は清掃員の女性だった。清掃員はこの日10人程度。ゴミ箱のごみを集め、園内の収集所で分別作業をしていた中、そのビニール袋が発見された。黒いビニール袋に入れられ、さらに白い袋に包まれていた。特殊なねじり方をするなどして固く結ばれていたビニール袋を破くと、中から人間の足が現れた。

 3日後、被害者が公園から100mの距離に住む建築士の男性(当時35歳)であることが分かる。バラバラになった遺体から身元が割り出されるまでにはわずか3日間だったが、犯人、殺害の動機などについては現在に至っても分かっていない。4月21日の午後11時ごろに新宿駅で知人と別れたのが、生前の被害者の最後の足取りとなっている。
 5月には三鷹署が被害者男性の顔写真つきのビラ1万枚を用意し、吉祥寺駅を中心に配布して情報提供を呼びかけた。6月の終わりには園内の池の中に遺体が捨てられている可能性があるとしてスキューバ隊が投入されての本格的な捜査までが行われている。

 遺体の処理方法が異様に洗練されていた点でも注目された事件だった。最終的に見つかっている遺体は合わせて27部位。司法解剖にあたった杏林大学の法医学者は、遺体がきれいに洗われ、すべての血液が抜かれていることに驚いている。血液をきれいに抜くにはある程度の知識が必要とされるという。さらに異様だったのは、見つかっていない頭部と胴体以外、遺体のすべてのパーツが20cmの大きさに切りそろえられていたことだった。20cmとは井の頭公園のゴミ箱に丁度の大きさで入るサイズでもあった。
 事件前日に吉祥寺駅前で被害者と見られる男が2人組の男に殴られているところや、ポリ袋を提げて歩く2人の男について目撃情報が寄せられたが犯人の特定には結びついていない。カルト教団説、快楽殺人説、さらには人違い殺人説の可能性までがまことしやかに語られたが、真相は、犯人を除いては誰ひとりとして知られていない。

 この事件の過去の記事や資料を読み進めていくにしたがって、腑に落ちないものが大きくなっていった。
 遺体をまったく同じ大きさにカットし、指紋、掌紋を削り、血をきれいに抜き取るという入念さと、井の頭公園のような場所に遺体を捨てていく神経の在りようとが反発し合って重ならない。
Ino1  井の頭公園がどのような場所かを述べておく必要がある。
 東京都武蔵野市にあり吉祥寺駅から歩いて10分ほどの距離にあり、正式名称は井の頭恩賜公園という。大正2年に日本で最初の郊外公園として計画的に整備され、中央にある井の頭池を囲む敷地はテニスコートや「三鷹の森ジブリ美術館」を含めると約38万平方メートルに及ぶ。数字だけでは想像しにくいかと思われるが、公園まわり歩くと大人の足でも優に1時間近くはかかる。休日は多くの人が集まり、レジャーシートを敷いて食事をするグループもある。親子連れがやって来て井の頭池のボートに乗る、そんな公園である。
 精緻な作業を人間の遺体にほどこすような犯人が、なぜ人が大挙して押し寄せるような公園にそれを捨てていったのか、理由が分からない。

 井の頭公園に足を運んだ。
 


※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年9月18日 (火)

乙女ゲームで萌えてみる。 その1

512ccrcn3dl 以前から気になっていた乙女系ゲーム(乙ゲー)。しかし、二次元にはあまり興味ないので気になりつつも買うことはなかった。

 しかし、いつものようにアキバのヨドバシにゲームソフト偵察(偵察という名の買い物)へ行き、勇気を振り絞って乙女ゲームコーナーへ行ってみた。

 そこには乙女が好きな幕末系や、昔からある「アンジェリーク」シリーズや、一世を風靡した「ときめきメモリアル」のガールズサイドシリーズなど、数は少ないがいろいろと置いてあった。しかし、幕末にも、天使にも、学生にも興味を持てない私は、パッケージを見るだけ見てため息をついた。

 別にやってもいいけど、CEROがA(全年齢対象)やB(12歳以上)のものだとつまらない……・どうせやるならD(18歳以上)くらいじゃないと! と思いながら棚を見つめていたらありましたよ。私の理想のゲームが…。

 その名も『ラストエスコート 深夜の黒蝶物語』。

 エスコートは置いておくとしても、「深夜の黒い蝶の物語ってなんじゃー!!」と、私の好奇心と興奮を沸き立たせてくれたそのゲーム。パッケージを見て、興奮させてくれたのは久々だったので、即購入。

 内容は、「ホストと仲良くなって、恋愛(色恋ではない)しよう!」という陳腐なもの。ホストクラブなんぞにいったことないので、一体どういうことが繰り広げられるのかわくわくしながらゲームを始めた。

 主人公は、20歳の女の子(デフォルトネームでプレイすると、キャラ全員からその名前で呼んでくれる)で、どうやら高校卒業後、就職も進学もせずにすごしていたらしい。いわゆる家事手伝い……といえば聞こえはいいが、はっきりいってニート。

 で、いろいろあってバイトを始めフリーターに昇格。そしてまたいろいろあってホストクラブへ通うことに…その店は父親がオーナーの店なんですがね。

 なんというか、ニート→フリーター→ホスト狂いってオワッテルよ。なんか最初の最初から破綻してるお(内藤ホライゾンだお)。

 気になる男性キャラは全部で5人(詳しい著述は次回に)。すべてイケメンぞろい。2次元にイケメンもクソもないが、ゲームキャラの中ではかなりいい(バイオハザード4のレオンと、メタルギアのスネークに比べりゃまだまだだけどね)。

 女性キャラも3人いて、サバサバ系に、ツンデレ系と、圧倒的に女子が少ない。そして、恋路の邪魔にならない。だいたい3次元(私たちの世界)だと、ライバルはいるわ、色枕(色恋&枕営業)だわ、だいたいホストが客と本気で恋愛するのか!? という常に付きまとう疑問と疑惑が、2次元では一切なし。

 だいたいフリーターがホストへ行った場合、金がない→働く→指名ホストをNo.1にしたい欲が出る→ボトルを入れる→金が払えなくてツケ→飛んじゃうか、風呂に沈む…というパターンしか思い浮かばない。しかーし、そんなことも2次元なら心配なし。

 月末に宝くじがあり、なぜかほぼ毎月500万か、1000万、2000万があたるのだ。お金の心配はなし! 2次元最高!

 本物に行かなくてもホストクラブ体験ができて、しかもイケメンキャラと恋愛。それにフルボイスだから「愛の言葉」もささやいてくれて、言うことなしの絶頂感、幸福感。

 2次元最高! 3次元に疲れたら、2次元の世界にどっぷり浸かって癒されましょう。3次元の男は裏切るが、彼らは裏切らない。ニチイ学館のコマーシャルではないが、「2次元は裏切らない」。2次元マンセー!

 ……というのが、、2次元にハマる人の心の内でしょうか。

 私には分かりませんが。

 とりあえず仕事から帰ってきて、毎日深夜12時半から朝の6時までぶっ通しでプレイしている「ラストエスコート」の詳細を次回からお送りいたします。(奥津)

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2007年9月17日 (月)

ブログの休日

体調不良につき月曜のアップができない状況です。『あの事件を追いかけて』はまた来週に。(宮崎)

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2007年9月16日 (日)

Jリーグ観戦・4年ぶりのスタジアム観戦

 けっこう熱心なサッカー・ファンです。が、テレビ観戦がほとんどのテレビサッカー・ファンなのです。
 先日の日本代表ヨーロッパ遠征などは時差の関係で午前3時過ぎのキックオフであっても、すべてが寝静まっているはずの時間にゴソゴソ起き出してテレビの前で「やってきましたぁー!」などと言って一人でニヤニヤしてる。クッキーと紅茶まで用意している。万全の体勢で挑みたいのだ(実際にボールを蹴るのは選手たちなんだけど)。

 98年のフランスW杯予選あたりから代表の試合は毎回前もってチェックしていた。フランス大会は散々だったけど、ゴン中山の日本代表初得点はやっぱり嬉しかった。02年、熱狂の日韓W杯! 実際にゲームをスタジアムに見に行くことはできなかったが、東武東上線でカメルーンの応援団と同じ車両に乗り合わせたり、友達と町を歩いてるときに「このあたりでビアーを飲める場所はどこだい?」とイングランドサポーターにたずねられたことは良き思い出である(そういえば、とっさに英語で話しかけられて焦った友達が「Going my way!」と意味不明な返事をしてイングランド人の爆笑を誘った)。
 失意の06年W杯、池袋のカラオケBOXのひと部屋を借りて友達と声を枯らして挑んだオーストラリア戦、試合終了前残り10分で熱狂は沈黙に変わった。

 テレビサッカー・ファンでもあるが書籍サッカー・ファンでもある。書籍サッカーとは要するにサッカーものの書籍のことである。ん? だったらサッカー書籍・ファンか。サッカー関係の雑誌、書籍のおもしろさに気付いたのは割と最近で3年くらい前である。ここ1年くらいに読んだものでは『敗因と』(金子達仁・戸塚啓・木崎伸也)、『サッカーという名の神様』(戸塚啓)、『中田英寿 鼓動』(小松成美)などが特に面白かった。『敗因と』では、ドイツW杯での日本代表が、人間の集まる「場」という切り口で書かれている。W杯における日本代表選手間の齟齬を一般人が知ってどうするのか、という自分への突っ込みはあるが、やっぱり面白い。サッカーを通して最後まで読ませる本というのは単純にいい本だと思う。

 で、なぜサッカーについて書いているかというと、そろそろテレビサッカー・ファンからスタジアム・ファンに踏み出そうと先日、Jリーグの試合を観に行ったのだ。フクダ電子アリーナ、ジェフ千葉のホームである。スタジアムにサッカーを観に行ったのは実に4年ぶり。4年前は代表の試合、日本×ウルグアイを観た。特別スリリングな展開ではなかったけど、レコバのフリーキックに肝を冷やし、フォルランにゴールを奪われたのは未だによく覚えている。
 久方ぶりのサッカー・スタジアムに入るずいぶん手前から、ジェフ・サポーターの歌声が聞こえてきた。「MAKI」や「HANYU」の名が入った黄色いユニフォームを来た親子連れが、ライトで輝く巨大な建造物を目指す。いい、なかなかいいぞ!
 スタジアムに入る。ゴール裏の黄色く跳ね続ける群衆、7割のジェフサポーター、1割で負けじとがんばるヴィッセル神戸サポーター、浮かび上がる緑色のピッチ。この日行われたJ1の試合では最も少ない13300人程度の客入りだったが、それを感じさせない迫力。
 試合は4-2という点数が入る試合なこともあり、ずいぶん盛り上がった。守りから攻撃に一気に駆け上がる瞬間のスタジアムの温度の高まりが、いい。大声で叫べば選手に届きそうな気がする。というか、実際聞こえてるのではないか? ゴールが決まったときスタンド総立ちの爆発、相手ゴールが来まったときの沈黙。ピッチとスタンドは疑いようもなく連続している。一体化。

テレビサッカーとスタジアムサッカーの違い。
・テレビサッカー→サッカーを観る。
・スタジアムサッカー→サッカーの場に参加する。

 孤独な人よ、スタジアムに向かえ、というキャッチコピーはどうだろう。悪くない気がするけどなあ。
 4年ぶりのスタジアム再デビュー。ひいきのチームをムリヤリにでも作ってみるのもいいかも、と友達。なるほど、とりあえずひいきを作ると。
 いま、板橋からいちばん近いスタジアムをホームに持つチームを探している。(宮崎)

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2007年9月15日 (土)

『吉原 泡の園』第34回/元ヤクザのボーイ

 ただ、義理風呂に関しては、文字通り義理を重んじているのであり、これは僕も少しEちゃんやりすぎだぞ、と思いはするが、好き者Eちゃんに、そんな僕らの声は届かない。
 なにせ、マネジャーがいくら言っても駄目なのだ。そのいいわけは、
「今日の子、ゴムはずさしてくれなくて、だから全然いかなかったんで、遅れました」
 マネジャーも怒らない。そんなEちゃんの90分堪能に憧れて、実は僕も1度だけそんなEちゃんの真似をして、90分帰らず、電話が鳴ろうが出ず、時間一杯義理風呂を堪能したことがある。
 いいんだ。Eちゃんもそうだし、しかも怒られもしない。そうか、僕はそう、素直すぎたんだ。これからは自由に、うん。自由にやるぞー。90分後、R店に帰り、
「行ってきました」
 と入ると、赤い顔をした赤鬼、いや、鬼マネジャーがデンと構えている。
「テンメェどういう了見しとるんじゃー! いつもあれだけ言うとるだろうに、ああ」
「はいただいま」
 今まで優雅だった精神状態から、一気に地獄の1丁目である。
 やはり変態だから許される人がいるのだ。僕は変態キャラよりも、どちらかというと奴隷キャラの方だった。
 Eちゃん、あんた伊達に苦労してないなぁ、とつくづく思ったのだった。
 さて、元ヤクザのFさんは、同じボーイでもどちらかというと紳士的なキャラである。
 子供もいる。奥さんもいる。そしてほかのR店のボーイ達が、汚い寮で集団生活して、とても夢の1人部屋などもてないでいる中、Fさんはマンションというリッチさである。
 背中に鯉の滝登りの入れ墨を入れていた。
グループナンバー2である社長直々に、他の大衆店からスカウトされ、高級店であるR店に来た。
 にもかかわらずである。Fさんはそんな子持ち、妻持ち、マンションローンなどの理由で、義理風呂免除という特殊な存在でもあった。
 言ってみれば、国民がせっせとがんばって働いて、税金であっというまに持っていかれる金を、
「あなたは税金払わなくてもいいですよー」
 といわれるようなもんである。異例も異例である。マネジャー自ら、Fさんの義理を免除していた。
 所ところがどっこいである。そうは問屋がおろさないのが吉原泡の園である。
 白い目で若いボーイなどは噂する。
「ずるいねーFさん。しかも仕事もたいしてできねえじゃん、俺らのができるぜ」
 言わずと知れたボーイの仕事のできる、できないは、つまりどれだけ呼びたいときに、客を呼べるかである。
 それこそがボーイの真髄といっても過言ではないし、呼びたいときに客が呼べれば、事実ふんぞり返っていてもいい。それくらい重要なのだ。
 ところが、大衆店にいたFさんは、そもそも客は女が呼ぶものである。という方針の下生きてきた。
 なんで、ボーイが男性客に電話したりするのか、そんな感じだろう。
 そして、Fさんはヤクザ出身である。そんなナンパな芸当もできるはずはない。
 1人も呼べないFさんというレッテルを貼られ、しかも義理にもいかない。
 要は使えない、という風になるのに時間はかからない。
 だが、Fさんだって全国を回ってきたヤクザボーイとしての意地もある。若いボーイにああだこうだ指導してはいるが、皆しらけ顔で聞く程度であった。
 ボーイとしてはエリートコースを歩んできたFさんだったが、マネジャーとの出会いで、そんな自負をも打ち砕かれたのだった。
 Fさんは、僕をかわいがってくれた。僕は、ほかのボーイのように思ったことをすぐ口にはださなかったから、そんな所をFさんは彼なりにかってくれたのだろう。
 前にも書いたが、Fさんは元極道であった。
背中には立派な鯉の滝登りが描かれている。
「関口、悪いけどシップ張ってくれる」
 Fさんにそう言われた僕は、何も知らずに、
「はい、いいですよ」
 と快く受け入れた。
 そしてシップを張ろうとシャツをめくると、立派な絵画が描かれていたのだった。(イッセイ遊児)

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2007年9月14日 (金)

首相引退麻雀 ――中学生日記風――

【登場人物

シンちゃん(安倍晋三)
 ……トータルで-700以上という大負け中学生。学級委員長。

オレ(麻生太郎)
 ……トータル-50。まだまだ逆転を狙っている中学生。シンちゃんの仲間だが、かなり彼に愛想を尽かしている。

小沢(小沢一郎)
 ……シンちゃんに対立するグループのリーダー

長妻(長妻昭)
 ……シンちゃんを追いつめる急先鋒。


 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ――

「ねえ、もう半チャンやろうよー」
 シンちゃんが甘えた声でねだってきた。
「次は勝てそうな気もするんだよね。人身一新でさ。塩ちゃんもやりたいだろ。ねえ~、もう半チャンしようよー!」
 そう言ってシンちゃんは塩崎君の手を引っ張った。
 これだけボロ負けなのに、シシンちゃんはまだ麻雀を続けたいらしい。しかも毎回、毎回、ミエミエの手に振り込みながら、次は勝てると思い込んでいることが信じられない。
 ただオレがトップに近づくためには、もう半チャンぐらい晋ちゃんの麻雀に付き合うのも悪くはない。
「そうだな。もう半チャンするか! 大丈夫。シンちゃんなら次は勝てるよ。ただ卓に入るのを待っている人がいるから塩崎君は抜けてもらおうか」
 オレの言葉に晋ちゃんはプッと頬を膨らました。
「ヤダよ。だってそしたら気軽に話せる人いなくなっちゃうじゃん。麻雀はワイワイやるから楽しいんだし。仲間うちだけでやろうよ~」
 始まった。坊ちゃんのワガママが。
「彼、マスコミの評判も悪いしさ。あんなの抱えてたら、また負けちゃうよ」
 シンちゃんの耳元でそっとささやく。
「そうか……。もう、これ以上負けられないもんね」
「仕方ないだろ。たまにはさー、きちんと強い相手とも卓を囲んで、しっかり麻雀打たなくちゃ」
 オレの強い口調にビビッたのか、シンちゃんは視線を下げ表情を堅くした。
「反省すべき点は反省して……、あっ、お腹痛くなってきてちゃった。メンツは麻生君に任せるよ。……トイレ行ってくる!」
 ストレスがかかると腹を下してしまうらしい。可哀想なシンちゃん。さっきの半チャンもリーチがかかるたびにトイレに駆け込んでいたもの。おじいさんが有名な代打ちだったというのが唯一自慢の三代目だけど、とにかく神経が細い。

 さて、抜け番だった奴の顔を見てみると、同じグループの奴にはろくなのがいない。みんなサマをする輩ばかりだ。「身体検査」で真っ黒なのに、モーニングを勝手に作っている奴いるし。
「おい、囲むんだろ。入れろよ!」
 オレの姿を見つけ大声を出している奴がいる。マズイのに見つかった。対立グループのリーダー、小沢だ。
「ガソリンスタンドの件とか話し合わなくちゃいけないだろ! 安倍呼んできて早くはじめようぜ!」
 大声をあげている小沢の隣には長妻まで。2人は勝手に、僕らが囲んできた卓に腰を下ろした。
「麻生くーん、メンツ決まった?」
 間が悪い場面で必ず顔を出すシンちゃんがトイレから戻ってきた。
「おい、晋三! やるぞ。早く座れよ」
 シンちゃんは、もう泣きそうな顔になっていた。まだ戦いすら始まっていないのに……。

 それでもシンちゃんは卓についてサイコロを振った。親決めで出親を引き当てる。
「やったよ、麻生君。幸先がいいよ。出親だって。前回の麻雀では、みんなの思いや怒りに十分応え切れていなかったから、今度こそ頑張るからさ」
「所信表明演説かよ。それよりガソリンスタンドのバイト、どうすんだよ。オレは絶対に認めないからな。どうしても安倍が続けるっていうなら、この麻雀で勝ってみろよ」
 肥満でたるんだ頬を揺らして、小沢がシンちゃんをいたぶる。本当は止めさせようなんて思ってないくせに。
「だって、米国(こめぐに)先輩から頼まれた仕事だよ。国際社会の責任を放棄して本当にいいの?」
 まだ振り込んでいないだけに、シンちゃんは元気だ。字牌を切りながら小沢に応戦した。
「ガソリンスタンドの件だけじゃない。修学旅行の積み立てのお金と明細が無くなった件、学級委員の安倍はどうするつもりなんですか。きちんと情報をだしてください」
 頭の切れる長妻君が四萬を切って、シンちゃんを責め立てる。
 一巡目から中張牌(チュウヤンパイ)切り。怪しい。チャンタ系か。それとも早上がり。
「だから検査してるっていってるじゃん。精一杯やってるよ」
 言い返すことに必死のシンちゃんは長妻君の打ち筋に気づいている様子はない。オレは小沢君と同じ北切りで様子を見た。しかしシンちゃんは「だってさー」とか興奮しながら発を切った。親の連チャンを考えても、早上がりを誘発しかねない三元牌は危ない。しかし長妻君は発に反応することなく、シンちゃんを口で追いつめていく。
「僕はずっと消えた積立金があると言い続けてきたのに、『不安を煽るから』とか言って相手にもしくれなかったじゃないか」
 銀縁メガネを中指で押し上げながら長妻君が迫る。
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
 シンちゃんがキレ気味怒鳴り、白を切った。
「ロン!」
 長妻君が牌を倒した。
「白、チャンタ、ドラ1で満貫」
 あー、ツルツルの白で満貫放出。(身体)検査が甘かったんだな。ツルパゲの白で当たるなんて。
「シンちゃん。まあ、割れ目じゃなくてよかったじゃん」
 泣きそうになっているシンちゃんに声をかけたが、返事はなかった。
「メソメソすんなよ。満貫ぐらい。始めるぞ」
 小沢はそう言って、どんどん牌を中央の穴に入れていった。
「ねえ、小沢君。一緒にお便所行かない?」
「何だよ。言いたいことがあるなら、ここで言えばいいだろ。何も二人で相談することないし」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、小沢がサイコロのボタンを押した。
「いや、挨拶したいんだよ……、ちょっと」
「イヤだよ。便所での挨拶なんか。言っておくけど、オレはガソリンスタンドの仕事は反対だからな」
 突き放すように言って、小沢がシンちゃんの山から牌を持ってきた。よりによって満貫を振った後に割れ目なったようだ。よくよく運のないシンちゃん。
 満貫で心の糸が切れてしまったのかもしれない。シンちゃんはうつろな目で配牌を続ける。

 局面が動いたのは、5巡目長妻の捨て牌だった。
「リーチ!」
 卓に響き渡る長妻の声。ノッてる奴とケンカする必要はない。オレは安牌を切った。
「ダメだ。切れないよ。絶対に当たるもん」
 半ベソをかきながらシンちゃんが悲痛な声をあげた。
「でもさ、切らなくちゃ。全部が当たりってわけじゃないんだし、まだ5巡目だから安手かもしれないじゃん」
「麻生君、僕、もう止めたいよ。だって小沢君は連れションに行ってくれなかったし、長妻君の追求は厳しいし、米国先輩にはバイト続けるって約束しちゃったし、お腹も痛くなってきたし、なんか隣の卓に座る現代君がこっち睨んでいるし。もう、ヤダよ、僕」
 ついに泣き始めたシンちゃんに唖然としながらも、オレは懸命に励ました。
「今、止めるのはマズイって。言い出しっぺじゃん。半チャンぐらい我慢しなよ」
「ヤダー! 誰も僕の気持ちなんか分からないんだ。もう帰る。お腹痛いから入院するんだ」
 そう言うと、シンちゃんはいきなり立ち上がり、店の出口に向けて走っていった。
「史上最低の雀士として歴史に名を刻むよ、アイツは」
 あまりの行動に呆然としているオレの耳に小沢のつぶやきが聞こえてきた。(大畑)

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2007年9月13日 (木)

先日のロシア 第12回/ロシア学童の視力低下

 ロシアの教育法が改正になったらしい。
 これまで9年間だった義務教育が2年間延長され、11年となった。
 もともとロシアの学校(Школа)は3-5-2制または4-5-2制。最初を3年間とするか4年間とするかは、それぞれの両親の裁量に任せられている。授業についていけなければ4学年に上がるが、ほとんどは4年生をとばして5年生に上がる。今までは、1~3学年、もしくは1~4学年が初等教育、5~9学年が前期中等教育(日本で言えば中学校)、10~11学年が後期中等教育(日本で言えば高校)にあたっていた。10年生に進むのは、後に続く高等教育への進学希望者が主であった。しかし、大部分が10年生へと進む状況にあり、このたび残りの二年間が義務化されることになった。日本で言えば、高校までが義務教育化した形となる。
 しかし、日本で換算すると、高校まで義務化するとしたら6-3-3の12年。ロシアでは17歳で高校まで終えるのか? それとも一歳遅れて義務教育が始まるのか?
 いずれもハズレで、6歳から18歳までの間で11年間の義務教育を終えればいいとのこと。
個々人の学力に合わせたゆとりを持たせているということなのだろう。ただ、これは中期段階で、いずれ義務教育は12年となる見通しだ。

 新学期がはじまり、ロシアの新聞サイト「Правда」にも教育関連の話題が華やいだ。そんな中、健康面にもかわいらしいお写真が。
http://www.pravda.ru/health/sight/prophylaxis/07-09-2007/237613-partazrenie-0

「いかにして義務教育の間に視力を保つか」というタイトルのこの記事。どこでも、教育が充実してくれば、視力低下の問題が起こってくるもんだろうか。
 冒頭部分を訳してみよう。

「最近、5年生の視力が悪化し始めている。ソビエト時代を経験した親たちは、一日中自らの子どもに前代未聞の課題を課している。宿題以上の事をやらせるのに夢中である」

 なぜ5年生かというと、ただ単に区切りが良いからであろう。前述のとおり、3年生もしくは4年生でいったん初等教育を修了し、5年生から新しい教育が始まるのだ。日本で言うと、中学校に上がる感覚だ。

まだ視力のよかった小学生時代を思い出す。ちょうど学童の視力低下が深刻化し始めた1980年代後半のことであった。
 クラスの集合写真をじっと見ていた担任の先生が、
「今、このクラスでメガネをかけているのは一人だけだ。成人式でまた集合写真を撮ったとき、何人がメガネをかけているかな…」
 そうつぶやいた。

 成人式で集まったとき、さすがにメガネ着用者はいなかったが、およそ半数がコンタクトレンズを使用していた。
 みんな、教室で先生のあの言葉を聞いた時、まさか自分の目が悪くなるとは思ってなかった、と洩らしていた。
 私もその一人であったが、今、裸眼では自転車にすら乗れまい。
 若者の資料低下の原因はゲームのしすぎ、TVやパソコンや携帯画面の眺めすぎ、と当然のようにいわれているようだが、私に限って言えば幼少期はパソコンもテレビゲームも触ったことがなかった。テレビ鑑賞も2時間までとされていた。近親者には近視のものがいないので、遺伝でもない。
 唯一、原因と考えられるのはピアノ楽譜の譜面だが、あのオタマジャクシの羅列のせいで   視力が悪くなるならば、歴代の音楽家はこぞって近視であるはずだ。
 さまざまな原因が考えられるものの、第一要因が不明という点で言えば、近視もまた現代病なのだろう。

 教育制度が整い、ますます近代国家として成長を遂げるであろうロシア。
 学童の視力までも、日本のそれと同じ末路をたどるのであろうか。(臼利つくし)

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2007年9月12日 (水)

差別の原点

例の蜂窩織炎が再発して厄介な状況になっている。目下のところ私の頭の90%がこれ。考えたくなくても痛みが「思い出せ!」と叫び続ける。
よって書くならば闘病記のようなものになるけれど気高き読者へは迷惑以外の何物でもあるまいから止めにする。病状など人様に得意げにさらす価値はない。何をどう書いても同情の押しつけとなる。少なくとも私の筆力では。

問題はほぼ歩けない状態となった時に「身体障害者は大変だな」としばしば思いを致してしまう自らの愚かさである。似たような症状にならないと気にも留めない鈍感さが背景にあるのが一点。2つ目は決して「似たような症状」ではないのに同調させる薄っぺらさ。
私の病は高い確率で治る。対して身体障害者は違う。生まれついて障害を持つ方はそれが当然の人生を誇り高く生きており安易な同情は無意味ないしは有害と取材を通して知っていたはずである。先天的に四肢に障害を持っている方からは「指が5本ないと不便だとなぜ決めつけるのですか」と迫られた経験もある。
人生のある段階で不自由になられた方にはすでに失ったという覚悟があるか、覚悟が決められないでいるか、その他か。いずれにせよ「失った」という事実が先にある。だが私はそうではない。
最悪なのは以上のような事情を私なりに知りつつも頻繁に「身体障害者は大変だな」と考えてしまう幼稚な自身の思考にある。それこそビリッと痛みを感じるごとに暗に考えている。これがきっと差別の原点だ。私は差別主義者なのだ。せめてそのことを治った後も忘れないでおきたい。

医師からは歩くなと言われているが無理である。仕事しなければ医療費も払えない。やっとの思いで拾ったタクシーの運転手から「大丈夫ですか」と聞かれたので「ご覧の通り大丈夫ではありません」と答えた。その後渋滞に巻き込まれる。すると彼は目的地のかなり前で黙ってメーターを止めた。私は彼ほどの思いやりを持っているであろうか。(編集長)

蜂窩織炎に関する他の記事↓

蜂窩織炎

蜂窩織炎で入院していました」

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2007年9月11日 (火)

急に棚が落ちてきたので。

Img_58652  ごちゃごちゃしていた編集部内の大掃除(上半期大掃除)をした後、少しまったりしながら仕事を再開した矢先、事件は起こった。
  *    *    *
 「記録」バックナンバーを探していた編集部員の奥津。4段ある引き出しの真ん中2つを少し開け、さらにその上を開けたら、突然「ガタンッ!!!!」という音と共に、こめかみの横を何かがかすっていった。
 一瞬のことで何が起こったかわからずにいると、目の前に斜めになって倒れたロッカーが……。
 さらにマイデスクの上にはテレビと、タイムレコーダーが雪崩のようになって落ちていた。
 ロッカーが落ちるとき、もう少し前屈みになっていたり、頭だけでも出していたらケガをしていたかもしれない。危険だ!
 地震が来たらどのような惨状になるかという疑似体験ができたのはいいが、かなりヒヤヒヤものだった。
 というわけで、更なる編集部内の大掃除と大改造を断行することを編集部一同(3人)で誓い合った。(奥津)

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2007年9月10日 (月)

岩の坂・もらい子殺し事件の現場を歩く

 岩の坂。
 旧中山道は日本橋を起点とし、武蔵、上野、信濃を経てはるか京都に通じた。旧中山道で最も江戸に近い宿場町である板橋宿が廃れた後、岩の坂と呼ばれたスラムが明治の中ごろから昭和の初期ごろまで板橋に存在した。日本橋から10.6キロの距離である。
 突然に宿場町が廃れたのにはもちろん理由があった。明治16年に開通した中山道付近を通る鉄道が板橋宿近くには通らずに王子・赤羽方面に通ったことで、宿町は火の消えたように静かになってしまったという。それに翌年17年の板橋の大火事で宿場としての機能はほとんど失われてしまった。その苦境に面し、旅籠業者が貸し座敷に転業し、トンネルのような長屋ができはじめた。

 もともと江戸時代から、嫁入りの行列がその前を通ると必ず不幸が訪れると恐れられた縁切榎(えんきりえのき)などの存在もあり岩の坂は疎んじられる要素もあったが、悪評が決定的になったのはかの“もらい子殺し事件”が発覚し、地域の生活ぶりが伝えられてからだった。
 もらい子殺し事件とはどのようなものだったのか。
 昭和5年(1930)4月、岩の坂に住む小川きく(当時35)が、もらい子である生後一ヵ月の菊次郎を誤って乳房で窒息死させたとして近くにある永井医院にやって来た。が、その菊次郎の死因に疑いを持った医師が板橋署に届け出た。
 菊次郎はもともと別の女性が出産した子だったが、その女性の夫が失職している身分でもあり、「大事に世話するから子をひきとる」とのある女性からの誘いに応じて子を手放した。当時の新聞によれば引き取り代の18円と「着物をたくさん」も一緒に女性に渡した。
 しかし、その女性は岩の坂でも「もらい子周旋人」として名高い福田はつに10円で子どもを引き取らせている。しかも、金の一部で女ばかりでさわぎながら酒を飲んでいた。まるで下請けの原理で子どもが引き取られ、その子は数日のうちにろくに面倒も見られることなく死んだ。
 この事実が発覚後、板橋署はなんとこの村の全員検挙を断行。調査ののち、岩の坂一帯に住むもらい子(生き延びたもらい子)が300人~400人にのぼることが分かった。
 岩の坂ではもらい子を引き取るかわりに金をもらう、ということがネットワーク化されていた。少なく見積もっても30人のもらい子がなんらかの死因で亡くなっていることが分かったが、それが実際に近い数字であったのかは現在ではわからない。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年9月 9日 (日)

東京大気汚染訴訟・謝罪なき和解への原告団の怒り

原告団事務局長・石川牧子さんに聞く

■月刊『記録』07年9月号掲載記事
■取材・文/本誌編集部

 96年5月の第一次提訴から11年を経て、今月とうとう東京大気汚染公害裁判が原告側と被告側の合意に至った。総勢のべ633人にも上る都内のぜんそく患者らが原告団を結成し、国や東京都、そして同類の大気汚染の裁判では国内で初めて自動車メーカー7社に法的責任を求めた裁判となった。結果として都のぜんそく患者に対する医療費支援制度の創設、公害対策の実施、メーカー7社合計で12億円の解決金が提示され、原告と被告がこれに応じたことになる。今年6月にはぜんそくを患う原告団たちが18日間にわたりトヨタ東京本社前での座り込みを泊まり込みで決行し注目を集めた。和解後の記者会見の場では団長の西順次さんが、医療費支援制度などを得たことについて感慨のこもった力強い声で「何にもかえがたい成果」と語った。
 今回は原告団事務局長の石川牧子さんに11年間に及んだ訴訟について聞いた。

     *     *     *

■裁判の準備期間を含めると14年にもわたる裁判が決着したわけですが、今回の和解について「おめでとう」と言ってよいのでしょうか?

石川さん:たしかに、医療費助成制度や公害対策、メーカーからの一時金の支払いに至ったという点ではよかったし、周りからも評価されました。ただ、私たちの要求の最たるものである自動車メーカーからの謝罪が最後まで聞かれなかったこと、これだけは残念でならないんです。PM2.5(微小粒子)対策などの公害対策などは今後へつながるものとして価値あるものですけれど、原告団の多くは60代から80代といった高齢の人が多いです。その人たちは先のことよりもまずメーカーがこちらを向いて謝ってくれることを望んでいたんです。東京都は02年の1次判決ですでに責任を認め、国は私と団長が今年7月に首相官邸に行くと、安倍首相がその日のうちに出てきて下さって私たち原告団を慮る言葉をおっしゃってくれました。メーカーは違いました。提訴中に121人の原告が亡くなり、ぜんそくの発作で職を失った人もいます。さらに医療費の支払いに追われる。この無念やくやしさは心の問題で、それを全く無視したということです。しかもメーカー側の代理人によると、謝罪の拒否の根拠は後続訴訟が起こったときに過去の謝罪が不利に働く可能性があるから、ということでした。そんなことで謝罪が避けられてしまったんです。とにかく謝罪がなかったことが残念です。もう、私たちは11年間、何をやっていたのだろうというくらいの気持ちです。メーカーはお金を出すことが一番イヤで、謝罪ならすぐしてもらえるだろうと思ってましたが、それは逆でしたね。

■18日にわたるトヨタ前での座り込みで何か向こうからリアクションはありましたか?

石川さん:座り込みまでの経緯についてまず話しておきます。まだ02年の地裁判決の時点ではメーカー側の責任が問われておらず、国も医療費救済制度などを拒否していた段階では、状況的に余裕があったのか、トヨタ側は一時金の支払いについて「応じる準備もありますよ」と話していたんです。ところが、今年5月に入り国が支援制度創設へ動き出したとたん、一時金の支払いが現実的になったからかトヨタ側は原告側の代理人(弁護士)に「その点については今後取り合わない」と一方的に伝えてきたんです。企業のやり方は汚いですよ。対面しているときには「お察しします」みたいなことを言うんですが、突然連絡がつかなくなるみたいなことを平気でやるんです。そんなことがあって本社前の座り込み行動に出たんです。本社ビルの中で原告団から対応に出た社員に「責任ある立場の人に渡してくれ」と手紙を渡しました。後日、秘書課に電話までして渡辺捷昭社長にまで手紙が行ったことを確認しましたが、トヨタからの返事は「話し合いは拒否する」ということだけでした。もう、社長ここに連れてこい!ってな感じですよね、そうなってしまうと。原告団の中では東京高裁が結審日を打診してきた05年12月には、和解なんてとんでもない、という雰囲気だったんです。けれど弁護士さんと話し合って、裁判を長引かせれば患っている人にさらに時間を必要とさせる、和解に応じれば一部の原告だけでなく全員が賠償を取ることができるということで泣いて悔しがりながらも受け入れることを決めたんです(*編集部注:02年の地裁判決では99人中7人のみの損害賠償が認められている)。そんな状況をまったくトヨタは見ようとしなかったんです。

■裁判を通して見えてきた自動車メーカーとはどのようなものでしたか?

石川さん:法廷でのやりとりの中で、ディーゼル車が大気汚染の原因になっていることを覆すのは難しいと判断したからなのか、メーカー側は「私たちはディーゼル車とガソリン車をどちらとも販売している、ディーゼル車を選んだのはユーザーでありどこを走るのもユーザーの問題である」というようなことを言いもしました。なぜ11年もかかったのか、ということをよくきかれるんですけど、このような実に熾烈な法廷闘争で時間がかかってしまったのも事実です。いま環境に配慮する車だとかキレイなことを言っていますけど、じゃあこれまではどうだったんだ、ということを問い正したいですよ。   
      *     *     *

 西順次原告団長は、ぜんそくを抑えるステロイド剤がもう効かない体を引きずってトヨタ前に座り込み「ここで死ねるなら本望」と語ったという。また、原告団の多くはステロイド剤の継続的使用による糖尿病を抱えて座り込んだ。ただ、そんなものはぜんそくの「死んだ方がマシ」という苦しさに比べれば何でもなかったという。話を聞かせていただいた石川さんは22歳のころから29年間ぜんそくを患っている。発作がおさまらず1週間ほとんど飲み食いできないときもあった。詳しく書く余裕がないが、想像を超えるつらさについても話していただいた。
 そして、何より驚いたのは96年の裁判開始以前から関わってきた西村弁護士と原弁護士はじめ弁護団がまったくの無報酬でこれまでやってきたということである。石川さんによると西村弁護士は地元の四日市の大気汚染問題が法廷で争われた時期に高校時代を過ごし、弁護士になることを決意。東京大気汚染訴訟においては「まさにこのために」の気概で奮起してきた。だが、その西村弁護士とも激しい口論をして打ち合わせをしたこともあったという。
 話を聞くうちに確信したのは原告団全体の意志の強さである。だから闘い抜くことができた。それでも結果的にメーカーからの謝罪を聞くことができなかったことに石川さんは落胆と憤りを隠すことができない様子だった。今後も連絡会の場で大気汚染対策で国や都との協議が控えている。裁判は終わったが「東京にほんとうの青空を」の取り組みはまだ続く。(■了)

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2007年9月 8日 (土)

『吉原 泡の園』 第33回/義理風呂を堪能した男

 僕には行く場所がない。辛抱するしかほかに道がなかった。それはほかのボーイも同じだったのである。ただひとり、マネジャーを除いては。
 この人は、まるでキレまくることにより、自分を奮い立たせているかのようでもあった。 
「この世界はなぁ偉くならなぁ意味がないんや、そして、偉いもんが絶対の世界や。金だってそうや。ボーイではたかがしれとるが、社長になれば、月何百、何千だって夢じゃあねえ」
 それがマネジャーの理論だった。
 事実、僕のいた店ではないE店の社長クラスでは月数千万という金を懐に仕舞い込むことが出来た。
 店長クラスでも500万である。
 E店の幹部達は、天狗になり、歩き方もどこか肩で風を切り格好よい。
 乗っている車もベンツのトップクラスのものである。靴から服、時計にいたるまで、すべて高級品である。きっと、マネジャーも金で妻と子を失う人生を歩んできただけに、金に対して執着心も強かったのだろう。くわえて在日韓国?か朝鮮だった彼は、その親がパチンコ屋の経営をしていたそうだ。そしてやはり金で苦労したその姿を見てきたのだろう。
 学校も普通の学校では先生が、
「私には手に負えない」
 とさじを投げ、とうとう通信教育で義務教育の過程を過ごし、そのまま愚連隊的な事をしていてここにたどり着いたのだ。だから、迷うものなどなにもないのである。
 そんな彼を生かしてくれるのが暴力団員だった人で、だからマネジャーの会長に対する思いは半端ではない。
「ええか、吉原のソープのボーイ。それは人生の終着駅や、今までいろいろやって、最後に辿り着くのがここや」
 と言いきったのである。
 僕はここはあくまでも社会勉強でしかなかった。いや、社会勉強というと聞こえはいいが、楽して稼いでさよならしようという考えだった。マネジャーとは対極の思想なのである。

 さて、義理風呂はそのようにとても厳しい決まりの中、慎ましく、ボーイ達にとってはまさに罰ゲームでしかないのである。
 堅気の世界で生きている、男にも女にもあまり相手にされない諸君よ、義理を羨ましがってはいけない。
 時間が少しでも長いと、どつきまわされる勢いで怒られるのだから。僕の場合、言葉でどつきまわされているし、事実、大の大人が頭をパチンと叩かれたりするのだから。

 そんな厳しい中でも、唯一そんなことに屈しない男がいたこともいたのだが。
 先輩のEちゃんである。彼は密かに泣き虫Eちゃんと揶揄されていた。
 店長の甥がR店でバイトをしていたことがあるらしい。店長も甥には甘く、マネジャーも店長の甥だから下手に怒れない。
 いつも二人はつるんでいた。
 ある朝、Eちゃんがトイレに入って大をしていると、その甥が
「おい便所まだかぃ」
 と我慢しきれずドアをドカンドカン叩き、Eちゃんは恐れおののき、泣きながら出てきたそうだ。それから泣き虫Eちゃんという渾名が、密かなEちゃんの呼び名になった。
 マネジャーも、その甥とはよく店が終わった後、送迎者で近くの上野などのネオン街に繰り出したそうだ。もちろん、店長の甥である。随分おごってやったそうだ。いつか自分に帰ってくることを信じて。
 ところが、その甥はやりたい放題騒いで、またやりたい放題大威張りし、最後には飛んだそうである。
 さんざん金を使ってやって、最後裏切られた形になったマネジャーの部屋は、そんなことが理由で、穴ぼこだらけなのである。
 つまり、殴ってあいた穴なのだ。それも恨みや妬みというスパイスも効いている。実に恐ろしい穴だった。
 そんな泣き虫Eちゃんも、義理風呂にいかされるわけだが、Eちゃんは泣き虫という渾名ではあるが、意外と大胆でもある。
 義理は先述のように遅くても50分くらいから60分で帰るものである。所がEちゃんは、きっちり90分、風呂に入ってくるのであった。
 これにはマネジャーも姉妹店のボーイも開いた口がふさがらないのだった。
 女の子には、清純派、学生風、癒し系、サービス派、ビジュアル系などさまざまなその女の子を形容する肩書きがつけられる。
 だが、男だっていってみればいくつかのタイプに分かられる。その中でもEちゃんはいわゆる“好き者派”なのである。要するに、Hが好きで好きでいつもポコチン全開野郎なのである。とにかく育った環境なのか、遺伝子からうけつがれたものなのか、Eちゃんは暇さえあればポコチンをいじっていた。
 それはスーツをビシッと来て、高級店である我が店内で客をじっと待っているときなども、Eちゃんをチラッと見ると、やっぱりポコチンをさわっている。
 もちろん、いやらしくすごいスピードで擦ったりはしない。だが、指先2本くらいを駆使して、触れるか触れないかの微妙なタッチを堪能しているのだ。その顔は変態そのものである。が、どこか憎めない変態顔なのだった。(イッセイ遊児)

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2007年9月 7日 (金)

ネットカフェ難民はホームレス予備軍

 大臣の不祥事が続出している安倍政権についても書かなければならんとは思う。しかし、このブログで書かなくても、朝日・毎日に加え、各週刊誌が総攻撃しているので、今回は違った話題にふれたい。

 それは先月28日に厚生労働省が発表した『住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査報告書』についてである。この調査の推計によれば、定まった住居がなくインターネットカフェで寝泊まりしている、いわゆる「ネットカフェ難民」が全国で5400人だという。また彼らの年齢別構成は20代が26.5%と最も多く、続いて50代が23.1%を占めたとも発表された。

 この数字だけでもショッキングだが、大阪と東京のネットカフェ難民が、どんな場所で寝泊まりしているかを尋ねた調査結果には、さらに驚かされた。まず、「ネットカフェだけ」と答えたのは東京で4%、大阪で14.6%に過ぎない。東京での1位は「ファーストフード店」の46.1%、2位が「路上(公園・河川敷・道路・駅舎等の施設)」の41.1%。大阪は1位が41.5%を占めた「路上(公園・河川敷・道路・駅舎等の施設)」だった。「路上」の次にくる寝場所が東京・大阪ともにサウナで、32.1%と19.5%だから「路上」がかなり突出した数字だとわかるだろう。

 終身雇用制を旨としていた経済成長期の日本企業であっても、景気に合わせてクビを切れる労働者を大量に抱えていた。ある程度のスパンなら季節工として地方から人員を集め、さらに日雇い労働者を山谷や寿町などの寄せ場が供給してきた。この寄せ場周辺に簡易宿泊所(ドヤ)が建ち並び、日雇い労働者に寝床を貸してきたのである。これが従来の「定まった住居のない層」だった。
 ところが2000年に労働者派遣法が改正され、さまざまな業種に労働者が短期派遣されるようになると、携帯で日雇い労働を紹介してもらう人々が寄せ場以外で生活するようになった。といっても稼げる額に頭打ちがあり、住居の頭金などを払えない人々がネットカフェ難民などになっていった。

 釜ヶ崎や山谷など寄せ場の労働争議などを知っている世代の人にとって、ネットカフェ難民と寄せ場の労働者を比べれば、ネットカフェ難民の方がマシな生活をしているように感じるかもしれない。じつはわたし自身そう感じていた。短期バイトに必要な携帯電話を持っているし、それなりに清潔な格好もしているからだ。しかし今回の調査によれば、20~24歳の東京で暮らす「住居喪失者」のうち23.5%が路上を寝床に使っており、25~29才では35.7%が路上で寝泊まりしているという。
 寄せ場では仕事にあぶれた労働者がアオカン(野宿)をすること自体珍しくはない。ただし好んでするわけではない。
 ホームレスの取材で実感したことだが、野宿は楽ではない。冬は寒いし、夏は暑い。そして段ボール一枚敷いて寝るだけだと虫に悩まされる。さらには野宿者を襲う輩もいる。つまりよほどせっぱ詰まった状況でない限りは、寄せ場の労働者も路上で寝たりはしない。つまりネットカフェ難民は、20代ですらギリギリの境遇に置かれているといえる。

 寄せ場では年齢とともに仕事がなくなり、簡易宿泊所を追い出されホームレスになっていた。ただ10年ほど前、山谷にほど近い隅田川沿いのホームレスに取材したときには、少なくとも40代までは日雇いとしてバリバリ働けたと彼らは話していた。一方、東京のネットカフェ難民は30~34歳の44.4%が「路上をよく利用する」と答えている。つまりネットカフェ難民となれば、30歳を越えると4割以上がホームレス予備軍になってしまうことになる。

 上智大学教授の園部雅久氏はホームレスになる要因として、「雇用の脆弱性」と「住居の脆弱性」と「家族の脆弱性」を挙げている。このうち「住居の脆弱性」がネットカフェ難民に当てはまるのは言うまでもない。また「雇用の脆弱性」については、今回の厚労省の調査によってネットカフェ難民の52%が「非正規労働者」で、24%が「失業者」、17%が「無業者」で、「正社員」はわずか6%と推計していることからも合致する。問題は「家族の脆弱性」だろうが、これも「実家など、住むところに最後に頼れる場所がありますか?」との質問に、東京の53.1%、大阪の75.6%が「ない」と答えている。東京の35歳未満でさえ44.4%が「ない」と答えているのである。

 わずかな景気変動でさえ、大量の若い路上生活者を生みだだされる可能性がある。そんな状況が大都市で静かに進行している。
 終戦直後、東京都は治安維持のために、上野などにいた「浮浪者」をかり集めてトラックで山谷に運び、GHQから借りたテントに押し込んだ。労働問題が一定以上に悪化すると治安問題に変わる。再チャレンジ支援策なと、悠長に練っている暇はない。早急に手を打つべきだろう。
 もっともマッチョな都知事は治安問題として動きたいかもしれないが……(大畑)

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2007年9月 6日 (木)

新人理学療法士、走る! 第2回/サラ金からPTへの転身

 のっけから話は逸れるが、私が以前勤めていたのは消費者金融、いわゆるサラ金である。業務内容は窓口受付・貸付審査・金銭管理・電話営業などで、女性は特に、貸付での業績が個人成績として重視され、私も数字を追いかける毎日を送っていた。

 恐喝的対応がメディアで取沙汰されて以降、顧客への対応はより慎重になって、(あんなのは極少数派で見たことも聞いたこともないし、上場してる会社で暴力団が絡んでるってことも全然なかったのだけど)今はほとんどの会社で禁止されているらしいが、私の勤めていた平成13年当時は、自宅だろうと勤務先だろうと朝からせっせと営業電話をかけまくった。口説き文句はマニュアルどおり、「お借り入れを当社で一本化していただければ、返済の面倒も減りますし、金利もかなりお安くできますよ」。

 数社にまたがって借金をしている、比較的収入の良い顧客を口説き、更にお金を貸して他社を返済させる。以後、返済に専念するならば、借金地獄から逃れるために最も適切で建設的な話だ。しかし数ヶ月後、一本化したはずの借金は、ただその嵩を増しただけとなる。
 私がそのことに気が付いたのは就職して約1年後のことだった。稼ぐ範囲内で暮らせない人は、どんなに稼ぎがあろうと借金をせずにいられない。年収と同額の借金がある顧客はザラにいるし、それでも借金をどうにかしようという意思のない人たち。その転落にこれ以上加担できないと思ったとき、どんどん増えるノルマに耐えられなくなって辞めた。
 やっぱり、人のためにならない仕事はしたくない。前職での経験は、私がPT(理学療法士)を選んだ大きな理由のひとつだ。

 うって変わって、PTはまさに、『目に見えて人のためになる仕事』。自然治癒もあるから、自分の介入によってどの程度の変化がもたらされたのかなんて新米の私には分からない。それでも目の前の患者がどんどん良くなるのを手に取るように実感する毎日……。
 勿論その分、責任も物凄く重たい。なにしろ、人、一人の人生の質を上げるも下げるも私次第。冷汗ものである。
 今も、自立歩行を達成できるか否かという瀬戸際にある右片麻痺(いわゆる右半身不随)の患者を担当し、無い頭を悩ませている。人生の重大事だというのに、何もできない私が担当したばっかりに……と思うと、本当に申し訳なく、空いた時間に歩行訓練するなどとにかく時間だけは使うようにしている。

 PTが職場とするのは、病院のほかにリハビリテーション施設、介護保健施設、介護老人福祉施設などがあり、医療・福祉両方の分野にまたがる。開業権はなく、PTは皆サラリーマンである。
 病院でのPTの仕事は機能回復に重点が置かれるが、介護保健施設などでは機能維持や、リスク管理(転倒とか再発に関して)が主となる。また、同じ病院であっても、大きく急性期・回復期・維持期の三つの分野に分けることができ、仕事の内容はそれぞれ微妙に異なってくる。
 学生時代、PTとしての醍醐味が最も味わえそう、と就職先として人気があったのは回復期。患者はどんどん変化していく。病院から、施設や家庭への橋渡しを主な仕事としているから、まさにその後の生活の質を決めるターニングポイントで患者と関わっていくわけである。
 私がPTを目指したもう1つの理由は『寝たきりを防ぎたい』だったのだが、そんな私にとっても回復期の魅力は捨てがたいものがある。

 元金融、だからか分からないが、とかく私の話はお金に結びつきやすい。
次回は学費、給料など理学療法士とお金について書こうと思う。(染谷)

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2007年9月 5日 (水)

ブレヒトの異化効果を狙った小泉と同化する安倍

政治とはつまるところ未来を占う営みである。未来は誰にもわからない。したがって政治家は占いが当たったかどうかという結果責任を問われる。
未来が誰にもわからない以上、政治の選択は基本的にフィクションである。そのトップにある内閣総理大臣はしたがって偉大な劇作家あるいは祈祷師といった役割を期待される。有権者は首相の描いたフィクションに感じ入るかどうかで一票を託すであろう。
しかしフィクションはフィクションとバレバレではフィクションたり得ないとの宿命を持つ。フィクションの極致はファンタジーであるが、ムーミンやスナフキンやミーが「あり得ない」と読者に思われたら生命を失う。フィクションだ……もっと強く言えば「ウソだ」と公言しておきながら読み手が「あり得るかも」と信じ込めそうな設定や配置を生み出してこそファンタジーは成り立つ。この難度の高さゆえ私は成功したファンタジー作家を尊敬する。

政治という名のフィクションを「あり得るかも」と信じさせる最も安易なのはノンフィクションを装うとか民主党が先の参議院選挙で用いた「政治は生活だ」と訴える手法であろう。多くの有権者が望んでいると推測される政策課題の順に重きを置けばいい。
一番楽なのは世論調査への迎合だ。これをポピュリズムとするならば、その名をしばしば冠された「小泉劇場」は実は正反対だったのかもしれないと最近になって考える。

ポピュリズムは大衆に迎合する。これを大衆への同化とみなせば「小泉劇場」はブレヒトが用いた「異化」の術ではなかったか。
ブレヒトの論を私流に解釈すれば「小泉劇場」は政治はフィクションだと声を荒げて訴え、とりわけフィクション性の高い課題にのめり込む姿勢をみせる。自民党員が有権者とわかっていて意味がないはずの街頭での演説で彼は総裁選挙を勝ち抜いた。実利は誰にもないとわかっているのに靖国参拝を続けた。05年総選挙の直前まで国民のほとんどが大した課題と考えていなかった郵政民営化を争点にして解散に打って出た。小選挙区で自民党支持基盤が二分されれば民主党が漁夫の利を得ると大方の政治評論家がみなすなかで民営化反対の自民党現職(総選挙時は前職)を党から叩き出して色物の刺客を送り込んだ。

異化効果は前提として荒唐無稽を要求する。「小泉劇場」は以上のように常識で考えれば損(または無意味)な選択をあえてし続けたから荒唐無稽に値する。それが成功を収めたのは異化の次のような作用によらないか。
すなわち「政治とはしょせんフィクションだ」と声を大にして叫ぶことで有権者は「そうだったんだ」と改めて認識する。政治がフィクションであるという命題は正しいけれど大半の政治家はそこを隠す。だから「小泉劇場」は正しい命題を未知の新鮮さにくるんで大衆の頭へ放り込んだ。その上で「政治とはしょせんフィクションだ。私の主張はそのなかでも最もフィクション性が高いテーマだ」と畳みかける。
誰がどう考えても突飛な、つまり「ありきたり」から最も遠い政策課題を掲げ、のみならずそのために無為とも思える行動を断固として実行する姿をみせることで大衆は革命への参加に似た共感を覚えるとともに闘争本能に火がつく。対抗する相手は「ありきたり」だ。小泉前首相の髪型や口調も「ありきたり」とはほど遠かった。

ただしこの手法では抑圧は蓄積されたまま解放できない。大衆が我に返れば当然優先順位の1位に据えるに違いない「政治は生活だ」からなるべく遠いテーマを故意に選んで荒唐無稽な悲喜劇を演出するのだから。

安倍晋三政権も当初は「小泉劇場」を受け継ごうとした。憲法改正論議や防衛庁の省昇格などだ。と同時に「ありきたり」もこれまた当初から見受けられた。復党問題など典型である。「小泉劇場」では不利とみられていた支持基盤の分裂をあえてして総選挙へ挑んだのに安倍政権は参議院選挙を前に支持基盤の再結集という「ありきたり」な理由で党へ戻した。革命の血の臭いに酔ったつもりの有権者は何だとしらける。
そして靖国参拝も控え、年金問題という「政治は生活だ」そのものが問題視されると憲法改正論議を脇において「ありきたり」の土俵へ乗った。あの辺がターニングポイントだったように思う。小泉前首相ならば「年金よりも憲法だ」と誰も支持しそうにない訴えで雲散霧消させたであろう。揚げ句は参院選挙で「成長を実感に」などと「政治は生活だ」と変わらないスローガンを掲げて異化効果とは正反対のカタルシスへ誘おうとした。
大敗後の続投はちょっと驚いたが『冬物語』でシェークスピアがハーマイオニを復活させたのとはベクトルが逆である。むしろリオンティーズが居直ったの図だ。改造内閣の面々は「ありきたり」そのもの。閣僚の辞任劇はそれなりに面白かったけれど赤城農水相あたりから「絆創膏貼ったから辞めたんでしょ」と事実誤認が定着し遠藤農水相に至っては大半が辞めた理由さえ興味がなかろう。

むしろ小沢民主の方が異化効果を発揮しつつある。何となく国民の多くが仕方ないと思っていたテロ特措法に反対すると駐日米国大使に言い放った。先の大戦敗北後、日本人が秘かに燃やし続けた「反米」が頭を持ち上げる。「アメリカに楯突いていいんだ!」といい気分である。
もちろん小沢一郎氏はアメリカを激怒させてはならないとわかっている。だが特措法衆院可決→参院否決→衆院で再可決ならば結局通る。民主党は与党の横暴だ対米追従だと騒ぐだけでいい。ここまでは大方の見方。対抗するには安倍首相が米政府と気脈を通じておいて民主党のなすまま特措法をなくさせればいい。そして米政府から「ひどいじゃないか」と言ってもらって先の大戦敗北後、日本人が身に染みた「アメリカとだけは戦うな」の心理を醸成して衆議院を解散するのだ。
だがそれにはアメリカに「特措法は廃止となります」と告げて納得を得、シナリオ通り衆院に戻せる期限ギリギリに参院で採決しようとする民主党へ難癖つけて引き延ばし、実際に廃止へ持ち込み「従米か反米か」という荒唐無稽な争点で総選挙に打って出るという太い腹が必要だ。安倍さんにできるのでしょうか。体調にはくれぐれもご注意を(編集長)

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2007年9月 4日 (火)

ファイナルファンタジーに憂う

 私の中でRPGと言われてすぐに思い浮かべるのは、ドラゴンクエストなのだが、もう一つ、「ファイナルファンタジー」もある。
 RPGといっても、ゼルダシリーズや、女神転生シリーズ(ペルソナも含む)、イースシリーズ……などなどあるが、あまりRPGが好きではないので、ベタなシリーズを思い浮かべてしまう。
 さて、ドラクエ7以降のグダグダお粗末ソフトたちのことは置いておくとして、このところファイナルファンタジー(以下、FF)シリーズは、本編よりもそこから派生するソフトをかなり出している。
 最近出たものだと、FF12ゾディアックジョブシステム、FF12レバナントウイング……どちらも12ですが、前者は本編のインターナショナルバージョンで、ゾディアックジョブシステムという機能(詳しくは割愛)と、声が英語になったというだけ。後者は、続編? というかなんというか、これを出すために、FF12を作ったのではないかと邪推したくなるような内容(だって、こっちのほうがおもしろいもん)。12は完全に駄作といっても過言ではない。いつもなら適度に絡み合ってくるイベント(サブゲーム、サブストーリー)も、12ではやらなくてもクリアすることが可能。ただし、本編だけだと数時間で終わってしまう。あっけなくクリアしてしまうのもつまらないかも……と思ったら最後、サブが本編なんじゃないかというくらいの長さ。そしてストーリーに絡まないイベントの数々。異常に強い敵に、1日かかるくだらないイベント……。唯一、「ガンビット」という勝手に敵と戦ってくれるシステムは常々欲しいと思っていたのでこれだけは気に入った。にしても、あまりにお粗末。FF11がオンラインゲームだったので、そういったオンラインで楽しむ要素を継承させたのかどうかは知らないが、オフラインでプレイするゲームに、オンラインでの楽しさを組み込むのはいかがなものかと。FF10が素晴らしい出来だったので、続編を期待していたが、FF10-2なるキャラクター萌え(キャラ萌え)する人しか買わないようなソフトを作って以降、なんだかおかしな方向へ行っているのではないかといささか心配になった。
 そこへ来て、FF7のその後を描いたCGアニメ「FF7アドベントチルドレン」というのがリリースされたが、ハッキリいってFF7のストーリーを覚えていないと面白くない。だいたい、FF7はいつ出たんだ? 忘れたよ。
 グラフィックはやはりキレイだったが、いかんせん内容を覚えてないからのめり込めなかった。せめて、これを出す前に、プレステ2移植版でも出して欲しかったよ。さすがに、今のCG画像に慣れてしまった(これもFFのせい?)ので、フルポリゴンのはプレイする気になれない(ごめんなさい)。
 最新作のFF13もいつ出るかわからない。原因は、PS3が売れないせいなのか、それともクリスマス前に出そうとかそういった魂胆なのか……よくは分からない。
 ただひとつ言えることは、とりあえずできてるんなら出してくれ(主人公の女の子がかっこよかったし!)。 売れるかどうか心配なら、コーエーの「百年戦争」(PS3)や、XBOXの「ブルードラゴン」のように、PS3とセットにして売り出せば、ソフトもハードも両方売れて万々歳なんじゃないの? と考えるが。
 どうせ今、20周年記念中なんだから、シリーズの外伝やソフトの移植ばかりでお茶を濁すのではなく、最新作プレミアムセットにして、大勝負に出るのもよいのではないか。どうだ?
 最後に、なぜいつも攻略本(アルティメット)の出版が遅いのだ? しかも年々、分厚くなってるし。クリアするころに発売するから買っていないよ。というか、律儀に買っている人はいるのだろうか。がんばれ、ファイナルファンタジー(棒読み)。(奥津)

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2007年9月 3日 (月)

ベトナム・ホーチミンを歩く(下)/証券会社の中で見たもの

人気シリーズ「あの事件を追いかけて」「ホテルニュージャパン 火災後の廃墟」は、2010年4月に書籍化されます。
ただの書籍化ではありません。大幅リライトのうえ関西事件記事を加え、ニュージャパンのカラー特大写真も豊富にとりそろえています。
ブログでは明かされない新たな事実満載!!

↓↓空メールを送れば読者プレゼント情報が届きます!↓↓
astra0911@gmail.com

 ベトナムの証券会社に口座を作るためにしばらく彷徨い、ようやく見つけた。
 その証券会社の1階のガレージのようなところに座っていたくたびれた制服を着たおじさんが言う。「○○証券はここだ、この上にある」。たしかにその会社のロゴのプレートが壁に貼り付けてある。9階にあるらしい。業界上位の会社が独立した社屋を持たずにひとつのフロアだけで業務を進めているということになるのか? どうやらそうらしかった。
 2基あるエレベーターのうちひとつは故障していた。9階までゆっくり上昇していくエレベーターの中では焼きそばとオレンジジュースの出前を届けに来た少年と一緒である。焼きそばのいいにおいが狭いエレベーターの中に充満した。
 9階で降り、ドアを開けるとそこが証券会社であることが一目で分かった。入って左の壁に設置された証券ボードに、人だかりの目線が張り付いていた。たくさんのイスが用意されていたが、それがほとんど埋まっている。刻々変わっていくボードの数字を、固唾を呑んで見守る、というよりはワクワクしつつ緊張しながら見つめている、という感じである。これと似たような光景をどこかで見たことあったよなぁ、どこだっけな、と思い出してみると、それが後楽園ホール近くの場外馬券売り場「WINS」に群がるおじさんたちの表情だったことに気づく。
 ここホーチミンの証券ボードの前でも、あるときはおじさん2人が肩を抱いてはっはっはと笑い、その辺の屋台を切り盛りしていそうなおばさんが「もう、どうなってるの!」的な面持ちになっていたりする。ボードの前はけっこうな熱気である。引けの時間帯に近づいていたからか帰り始める者もいたが、ピーク時にはさらに温度が高かったことが推察される。ましてやさらに上位の会社のボードの前ではもっとすごいことになっていたことだろう。ベトナム人の株熱はとりあえずウソではないと言えるのではないか。

「日本人はこっちだよ」と社員らしき人に声をかけられる。その会社には日本人専門と思われる受付窓口があった。ベトナムにおける外国人投資家の割合は、現在圧倒的に日本人が多い。株関連のサイトに行けば、ベトナム株口座開設ツアーなるものが組まれているのを簡単に見つけることができるだろう。

 すでに日本人の先客がいた。この面々がまた面白い。
1組目。私、お父さんについて来てもらってベトナム株の口座作るの、といった感じのハタチくらいの女の子とその父親、どちらもツーリストの服装ながら身なりがよくてちょっと恐縮して説明など聞いている。「ちょっと背伸びしてベトナム株」系。
2組目。株はよく分からんけどな、最近キテるっていうやんか、だからインフラ株長期保有、鉄則っていうやろ、それでイコと思てな、という感じの日に焼けたガタイのいい40代くらいの男2人、「あわよくばフヘヘヘ」系。
3組目。シニアツーリスト、といった感じの白髪の男女2人づつ。夫婦2組か。「わたしはね、ネットでやり取りはたまにしてるんですよ、ちょっと前も○○の株を……」みたいなあけっぴろげな会話をしている。
 お金はそれなりに持っていそうな感じではある。手続きのメンドくささを知り、また明日来ようかな、などと言っている。「どうせなら美味しい資産運用」系。
 そんな先客がいた。

 たしかに手続きはメンドくさかった。
 必要なものはとりあえずパスポートと手数料200ドル程度でいい。ただ、ベトナムのルールとして売買のときには本人の署名が必要で、そのために「BUY」と「SELL」の用紙に40枚くらい延々とパスポート番号とサインを書きためなければならない(日本から注文し、それを担当者が使う、ということだ)。
 その後、日本領事館へ行って「署名証明」を手に入れる手続きをする。これを受け取ることができるまでに1日待つ。
 対応してくれた「日本語OK」のAさんは営業スマイルを浮かべるわけでもなく淡々と開設にあたっての説明を進める。完璧な日本語を話す、というわけではないがコミュニケーションのためには申し分ない程度の日本語だ。そして、どちらかというと「早く終わりたいなもぅ」的なオーラを発しているような気がした。
 それが待っててもどんどん新規顧客が入ってくる現状に対しての余裕なのか、社会主義的なノンスマイル・サービスとしての姿勢だったのかはよく分からない。とにかく口座開設ラッシュであるということも本当みたいで、どこでもそうなのかは分からないが、この会社では外国人取引コードが手に入るまで2ヵ月かかるというのが現状だった。だいじょうぶなのかその会社は、と思う読者もいるかもしれないが、その会社にも国の資本が降りており、日本の大手証券会社とも提携している。滅多なことは起こらないだろうと思っている。手にしたベトナム株の本では、著者が保有していた株を担当者に勝手に売られていた、という爆笑モノのエピソードなどが記されていたが、それも数年前の話である。そういった「カントリーリスク」までは自分の力ではカバーの仕様がないが、それもベトナムなのだ、ということになるのではないか。

 ベトナムについてもっといろいろなことを書こうと思っていたが、膨大な量になってしまいそうなので、このへんにしておく。機会があったら書くかもしれないです。(宮崎)

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2007年9月 2日 (日)

ベトナム・ホーチミンを歩く(中)/ベトナムの投資熱・証券会社を探す

人気シリーズ「あの事件を追いかけて」「ホテルニュージャパン 火災後の廃墟」は、2010年4月に書籍化されます。
ただの書籍化ではありません。大幅リライトのうえ関西事件記事を加え、ニュージャパンのカラー特大写真も豊富にとりそろえています。
ブログでは明かされない新たな事実満載!!

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astra0911@gmail.com

 ベトナムに旅立つ前、できるだけこの国のことを知ろうと少ない時間ではあれ本を何冊か読み漁り、ネットの記事に目を通したりした。
 経済に関する記事の多くにはだいたい以下のようなことが書いてあった。1986年のドイモイ(「刷新」の意)政策の導入以後、社会主義的な計画経済から市場経済化が徐々に果たされている、それによって労働意欲も上がっている。また、GDPの伸びはここ数年約8%を維持。06年にはWTOに加盟、外国市場へのアクセスが開かれることで一層の成長が見込まれる。
 なるほどなるほどと頷く部分はあるが一方で当然ながら実感は持てない。
 実感は持てないが書店にベトナム株本は並んでいる。やはり「急速な成長」は本当なのか。日本の百貨店がホーチミンに進出計画を持ち、大手銀行が現地の銀行と提携し、インテルやIBMがベトナムの地を選んで半導体の工場を建設しているような具体的なことがらを知るたびに、成長は本当なのだろうな、という気がしてくる。

 数ヶ月前、どこの新聞かは忘れたがおもしろい記事を見た。ベトナムの民にも株取引で生計を立てるものが出てきた、学生の中にも株の売買をする者が現れた、そんな記事だ。あの三角のカサを被ったりアオザイを着て歩く民にどうしても「投資」のイメージは重ならない。記事によると、証券会社には取引を求める者が殺到しているという。にわかに信じがたい。
 投資する人民の出現が進化なのか退廃なのかここで議論するつもりはないが、どうやらこの国もそういう方向に向かっているらしい。
 ここで思いついたのが、自分も証券会社に足を運んでみてベトナムに口座を作ってみればいいということだ。現在、日本の証券会社からはベトナムの株式を直接買うことはできない。要するにベトナムの証券会社に口座を持つことが必要になるわけだ。
 人民の投資熱をルポしてみる。そして小額であれ、株を保有すればイヤでもこの国と経済に関するニュースが気になるようになるだろう。マジメな方にはそういうもののために投資はあるべきではない!とのお叱りを受けるかもしれないがそんなものは気にしない。街をひたすら歩くのとは別な視点からベトナムを見てみようというわけです。
 ただ、厳然とした社会主義の国でもある。つまりワイロ社会でもある。そんな国に投資の概念を持ち込んでいいのかという話である。この点だが、正直言って「分からない」。けれど、こちらは資産倍増とかウハウハ運用を狙ったタダシイ投資家になるつもりもない。ワイロの内部告発で企業がポシャッタら、こういう国なんだなということを学べばいいだけの話である。

 まず、事実としてベトナムでは1人につき1つの証券会社しか選ぶことができない。つまり、1人につき1つしか口座が持てない。どこか1つの会社を選ばなければいけないが、そんなに考える必要はなかった。開設の手続きとその後のサポートの際に日本語のできるスタッフがいるかどうか、それなりのステータスがあるかどうかくらいしかなかった(思いつかなかった)。ステータスがあるかどうかなんてことは細かく分からないので、資本金がそれなりにある所を選ぶことにした。
 まずベトナムで最大手の証券会社である「サイゴン証券」はどうか。日本語のサポートもついてる。この証券会社は今年7月に大和証券と資本・業務提携している。が、ここは保証金として10000米ドル預けることが課せられている。この時点で小額計画の趣旨に合わず除外。そんな余裕資金も持ち合わせていないし。そうなると日本語のサポートのついてる会社というのはそう多くなかった。というわけで選ぶのはスムーズにいった。
 口座開設の代行サービスなるものが流行っているが、それは利用しない。異国での開設の手続きがどのようなものかに興味があったからだ。

 ホーチミン滞在中、その証券会社に向かった。が、思ってたよりコトは難航した。
 住所を頼りに、バイクタクシーの兄ちゃんに「ここへ行ってくれ」と頼んでそのあたりをグルグル回るのだが、目的の会社がまったく見つからない。
 バイクタクシーの兄ちゃんは、お客(私)をつかまえた段階でははちきれんばかりにニコニコして、「ベトナムは初めてか?」「名前はなんていうんだ?」「ホーチミンにいる間ガイドとして案内するがどうだ?」などと拙い英語でいろいろ喋りかけてきたが、グルグル回っているうちに「まだ回るのかよ」的な表情に様変わりしていった。大手銀行で証券会社の名前と住所を示すが、受付の姉ちゃんでは誰も分からない。本当に投資がアツいのかベトナムでは……と真剣に考えているころ、何件かの銀行で出てきた50歳くらいの男性が場所を知っていて丁寧に教えてくれた(そのころにはバイクの兄ちゃんを解放し歩いて探していた)。

 その会社は業界順位でいえば日興や大和くらいにあたるはずだが、場所を知って少し驚いた。雑居ビルの9階にあったのだ。■(下)につづく(宮崎)

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2007年9月 1日 (土)

『吉原 泡の園』 第32回/義理風呂・泣く泣く女の子を後にする

 女の子の中にはたまに、自分から自身の身の内を話してくる人もいる。
「私、初体験が中学の時なんです」
「お年玉をあげるのが嫌だから、正月は帰らない」
 とかわいい話ならばまだいいのだが、たまにディープな話もする人がいる。
「AVに出たことがあります。ごめんね、変なもん見せて」
 といい、肩にたなびく芸術的なモンモン(入れ墨)を指す人や、
「私レイプされたの」
 などだ。そんなん言われたらもう僕帰りたくなるわ、と心の中で叫ぶしかなかった。そしてたまにボーイとして義理として来ているから、僕としても色々遠慮していると、
「あ、いやいやでしょう。いやいや先輩に連れられてきたんでしょう」
 などと見当はずれな事を言ってくる人もいた。
 本当はグチョングチョンのアヘンアヘンに出来るんだぞ。と思いながらも。マネジャーに巡り巡って僕の噂が流れるのが怖く。いつも義理の時は大人しかったのだった。
 電話が鳴りもしないのに、
「あ、電話がなってる」
 と1人芝居をして、
「もしもし、ええ、はい分かりました。大至急」
 と演技して、
「ごめん、今会社の上司からで、客とトラブルがあったらしくて、だから帰るね」
 と言って服を着始めるのだ。
 女の子としては、90分のうち、60分もしないのに客を帰らせるとは、つまり後でクレームになる可能性もあるので、少し心配する。
「あのー私なにか失敗でもしましたでしょうか」
 などとけなげに聞いてくるのだ。
「いえいえ、仕事にいくので仕方ないんですよ」
 と僕はいい訳するが、もう心では、
(ああーもう一生でも君といたいよー)
 と思っているのである。が、マネジャーの顔を思うと、そんな無茶は出来ない。女の子は内線電話を取り、フロントに話す。
「お客様が急用のため帰るそうです」
 そしてフロントからOKサインがでれば、僕は廊下に出て、女の子に腕を組まれて待合室に向かうのだった。
 他の店は、基本的にこれから受ける客と、上がりの客をそれぞれ別々の待合室に通していた。
 上がり専用の待合室に入り、本当の客ならばここで冷をもらい、冷たいおしぼりで顔など拭き、アンケートなどをするのだが、いかんせん僕は義理ボーイである。
 待合室に入ると、向こうのボーイが来て、
「すいません。ありがとうございました」
 と申し訳なさそうに言う。それを見て僕はいつも思った。
(フンッ、何か申し訳なさそうに、こちとら全額負担してんだよ、どうせ遊び人だとおもっているんだろ、そんな低姿勢はよせよ、本性をみせろってんだ、クソー金かえせー)である。
ネクタイを直しながら、帰りは走ってR店に戻る。1秒でも送れないようにと、気を使ってのことだった。
「行ってきました」
 と意外と僕もテカテカと光らせた赤い顔をして戻っていく。
「この野郎」
 とマネジャーがギロっと睨む。ここではまだ大人しく言っている。が、
「てめぇR店の恥がぁ、義理ってえのはイヤイヤ行くんや、それをてめぇは嬉しそうに、ああーこらーなんやーてめぇなんぞ秒殺やどー」
 1人で急に怒り出す。
 その顔はまさに赤鬼である。僕は同じ赤でもテカテカと光らせた半ばカピカピの赤だが。
「い、いや、1時間でかえりま」
 した。まで言いきらないうちに、
「じゃかあしい。さっさと送迎者の用意じゃ、1人待合に客がおるから、日暮里まで送りじゃ」
 とぶち切れまくりなのである。
 ほかに大の大人達が何人もいても、このぶち切れマネジャーの暴走は誰も止められない。むしろ、この頃になると、始めはマネジャーも黙る店長が、僕をかばい始めてくれていた。そして、マネジャーのいじめ、いや、暴力と暴言だけは日に日にエスカレートしていくのだった。
 義理風呂は1人大体月に2、3回はいく。2回目以降はまるまる全額負担ではなくなるにせよ、あまり変わらない。それをボーイにさせるのだった。酷である。
 が、マネジャーは4回5回は当たり前のように行き、当然給料はマイナスの赤字だった。
 それでもこの人はこの世界で偉くなれば、いつか取り返せる。だが、僕のように会長にコネがなければ、体を張って態度で信用を得なければ幹部にはなれないし、なる気も毛頭なかった僕のようなボーイにとっては、義理は本当にしょうもないものでしかない。だが、ここにいる以上は郷に入れば郷に従えである。
 やる気がないものは去れ、の会長の掛け軸の言葉通り、金もないのに追い出されれば、僕には行く所がない。(イッセイ遊児)

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