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2007年8月 5日 (日)

格差について・圧縮版

 ちょっとショックなのだが、いわゆる“格差社会”について、20代というタイムリーな世代に位置する立場からいろいろ書いたのである、で、その原稿をアップしたつもりなのだが……アップされていなかった。私見の域を出ないものとはいえけっこうな分量を書いたものが消えてしまった。ショック!

 圧縮版で再度アップを試みる。
 20代後半から30代半ばまでが格差世代の中心であるという。これは本当である。交友関係を見回してみても、フツーに就職して正社員を続けているカテゴリーとそれ以外のカテゴリーでは年収で恐るべき差が出ている。収入だけではなく福利厚生や有給休暇の面でも雲泥の差がある。

 格差の上にいる人には格差がみえづらい。象徴的な出来事があった。友人の結婚式の2次会で久しぶりに友人同士で会った時、証券会社に勤めている友人がいた。友人は言った。「絶対、BRICs債はこれからくるから買っとけ」。友人の何人かは運用に回す貯蓄など持っていない。証券会社の友人は悪気があって言ったのでは決してない。ただ、その友人には経済格差が見えていない。
『希望格差社会』で山田昌弘は、暮らしの格差は当然ながら、上流の人と下流の人とでは将来に持てる希望までに格差があらわれると書いた。正社員として先のビジョンがある程度見える層と死ぬまで「積み上げていくこと」に実感が持てない単純作業を点々と続ける層とではまったく景色の違う人生を歩むことになる。
 私が“格差社会”について思ったのは、数字に見える上流と下流の格差よりも、むしろ山田昌弘が言うような精神状態につながるような格差についてだ。
 私たちは貧しい生活をしていますがこの生活が気に入っています、という人ならば何ら問題はない。だが、そんなヤツは少数派だろう。例えば高校や大学の友人と集まったとき、いかんともしがたい経済力や生活の余裕の差をみたとき、人はそれをしょうがないことと受け入れることができるのだろうか。何だか当たり前のことを書いてるような気もするが、格差とはそういうことではないのか。

 人材派遣企業のフルキャストが業務停止命令を受けた。港湾荷役業務への労働者の派遣でパクられているが、同社に給料の不払い、つまりタダ働きを食らった人を私は知っている。いずれ問題になるだろう。
 外資系の企業に勤める友人は夏休みが1ヵ月近くある。
 私は有給もボーナスももらったことがない。高校生なみの給料だが、まあ好きな仕事なので続けていくことができる。ただ外資系からお呼びがかかったら、シッポを振ってついて行くかもしれない。経済力と時間がある人生は遠く輝いて見える。
 
 近い将来、私たちの世代が社会の中核となる。永瀬清子が詠んだ「美しいものを美しいと私らはほめてよいのですって。」という詩は美しいが、ルサンチマンで飽和した層の人々は美しいものを美しいと言える心持ちを失っているかもしれない。

 この国はいつか、大変なことになる。
 短くまとめたので抽象論ばかりになってしまった気がする。このテーマにはいずれちゃんとした形で関わりたい。(宮崎)

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