朝青龍擁護と巡業をめぐる深い確執
皆が袋だたきにしているの図を見ると擁護したくなる性格である(安倍晋三を除く)。今回は横綱朝青龍。
彼が夏巡業を「仮病」ですっぽかした問題で相撲協会は2場所の出場停止や自宅と所属の高砂部屋および病院以外に外出してはいけないとの処分を下した。これまで相撲協会が定める罰則を受けたことがない朝青龍は突然の鉄槌にわけがわからない状態という。
確かに異様だ。とくに外出禁止は、そんなことを命じる権限が協会にあるとは思えない。いきさつ上まさか部屋で元気いっぱい稽古をするわけにもいかないから自宅か病院しかいてはいけないとなる。立派な憲法違反だ。
わけがわからない朝青龍にわけを教えよう。「巡業」という虎の尾を踏んだからだ、と。
大相撲の地方巡業はかねがね問題となってきた。古くは1932年、現役関脇の天竜三郎らが「地方巡業制度の改革」などを唱えて受け入れられず協会から大量脱退した「春秋園事件」があった。最近では境川理事長(元横綱佐田の山)が95年に訴えた改革がある。
境川改革はそれまで巡業の契約金を支払う代わりにいっさいを仕切ってきた勧進元のよる売り興業が金銭的に不明朗で、かつ力士の稽古環境にも悪影響があるとして廃し、協会独自の興業へ変えた。
見逃せない点として勧進元に暴力団関係者が紛れ込む可能性を排除できない実態もあった。事実、87年には前年まで開かれていた福岡県久留米市での「慈善大相撲」の勧進元が数千万円規模とも見積もられる収益の多くを指定暴力団(現在)「道仁会」に上納していた疑いが福岡県警の調べで明らかとなっている。
この一連の境川改革へ猛然と反対したのが高田川親方(元大関前の山)らである。高田川らの反対は他の境川改革にも及び、またその主張は決して暴力団の介入を許すといった内容ではない。実際に良心的な勧進元も多数ある。ここでいいたいのは改革の是非ではなく巡業にからんで境川派と反境川派が対立したという事実のみだ。
そこを押さえて次に進む。高田川は高砂一門に所属していたが98年の協会理事選立候補を理由に破門されてしまう(選挙結果は当選)。その理事による互選で決まる理事長選挙は境川後継とみなされた時津風親方(元大関初代豊山)と現理事長の北の湖親方の投票となる。結果は5対5。
その後に北の湖が辞退して時津風理事長誕生となるが問題はその時の投票結果だ。時津風票は自身と境川および高砂ら。北の湖票は自身と高田川および大島(元大関旭国)らと推測される。
北の湖理事長は2002年に実現した。その前後から巡業を再び勧進元が行う形へ戻す動きが出て実現した。境川改革での協会独自興業がうまくいかなかったという事実があるので勧進元形式の復活の是非は問える状態にはない。ただし戻した後も業績は芳しくない。
さて現在の巡業を担う巡業部のメンバーは誰か。部長が大島で巡業部副部長(契約推進担当)が高田川である。要するに反時津風(=反境川)陣営で境川改革に反対したとみられる親方だ。そして朝青龍が所属する高砂部屋の親方(元大関五代朝潮)はかつて高田川を除名して理事長戦で時津風側についている。こう考えると高田川が朝青龍の巡業参加を「半永久的に出なくていい」と激しい言葉で拒否したのも意味深である。
朝青龍はモンゴルから出稼ぎに来ている。「出稼ぎ」という言葉を決して軽蔑して使ってはいない。むしろ尊敬している。体一つで頂点に上り詰めて勝ち続けているから。もちろん八百長などのうわさは気にならなくもない。しかし弱ければそもそも八百長ができないのも事実である。
そうした身一つの稼ぎをしている者に今の巡業はどう映るであろう。「地方場所」は名ばかりの花相撲。山げいこなど今は昔の物語。何の研鑽にもなりそうにない。夏巡業は中高生が夏休みだから弟子スカウトのいい機会であると重視されてきた。しかし親方株は日本国籍がないと取れない。モンゴルの女性と結婚して出稼ぎに徹する朝青龍には魅力がない。
そもそも大阪、名古屋、九州の本場所も元をただせば「地方場所」からの昇格である。それらを含め年6場所で優勝を期待される1人横綱を長く務め結果は出してきた。何の足しにもならない巡業ぐらい休んでも罰は当たるまいと考えておかしくはない。
しかし前述のような経緯で巡業は現在の巡業部および彼らに担がれた経験を持つ北の湖理事長にとって意地でも経営的に好転させたい問題である。そこを思い切りないがしろにした行為だから厳罰となったと考えるのは邪推だろうか。
将来を大きく期待されていた関脇力道山が突然廃業した理由を本人は「私が裏切られたことと、協会の冷たい仕打ち」と語っている(力道山著『空手チョップ世界を行く』)。その真意はいまだ謎だが、廃業の理由いかんにかかわらず彼もまた国籍問題を抱えていたとの説もある(注:異説にも十分な説得力がある)。
いずれにせよ前場所に優勝し、今後も大いに活躍が期待される横綱が引退となれば異例の事態である。角界史をひもといても1920年代の名横綱・栃木山ぐらいしかいないのではないか。
確かに朝青龍に落ち度はある。だがそれを叩くならば同時に巡業にかかわる古くて新しい問題もまた俎上に乗せるべきだ。また外国人とはいえ国内で居住する大人を「軟禁」に近い状態に置くという明らかな憲法違反をも問われるべきである。(編集長)
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コメント
まったく同感です。横綱は地方巡業に出る必要などないと思う。年6場所の真剣勝負で勝てばよい。そして朝青龍はその責務を十分にこなしてきた。巡業のような本来の勝負と無関係な興行をパスするのは、力士の自由であるべきだ。日本相撲協会の不明朗な体質は、今回の時津風騒動で明確になったと思う。いまだ、責任の所在を明らかにできないぶざまさ。日本相撲協会は解散すべきだ。朝青龍に「国技」などの説教をたれる資格など、今の相撲協会にないのは明らか。
投稿: TokyoWanderer | 2007年9月28日 (金) 00時41分