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2007年7月 2日 (月)

唯一無二のケンカ極道・花形敬が刺された場所を歩く

Hana 「渋谷で一番強い男」。1930年(昭和5)生まれ、戦後の混乱期を暴力でのし上がった花形敬はヤクザ者から畏敬の念をこめてこう呼ばれた。小学校の頃から他の追随を許さない腕っぷしで知られたが、いっぽうでケンカがらみで怒鳴り込んできた相手の親を感心させるほど弁が立ち、頭も切れた。
 花形敬の実像を描いた本田靖春著『疵』によると、本書執筆段階(1983年)に渋谷を根城とした石井組の組長・石井福造が学生時代に花形とケンカで対峙したときの印象を語っている。
「あいつ、縁なしの眼鏡をしていたでしょう。それをかけていると品がいいんですけど、喧嘩するときにすぐはずすんです。すると、凄い顔になる。顔見ただけでびっくりしちゃった。もの凄いんだものね」
 花形の顔には学生時代で既に大きな“疵”がいくつも刻まれていた。その道の組長にまで上り詰めた男からそうまで言われるほどの顔とはいったいどんなものだっただろうか。それはともかく、ズバ抜けてケンカが強かった。相手がナイフや銃を出してきても、花形は大胆にも常に素手で闘った。それでいて負けない。拳を交えることは現実とならなかったが、用心棒時代の力道山にもサシで睨み合って互いに一歩も引かなかったことなど逸話も数多く残している。また、格闘漫画『グラップラー刃牙』に花形をモデルにしたキャラクター「花山薫」が登場することからも、やはり型破りな強さを持つ人物像は伝説的となっている。
 花形敬は後に前述の石井の紹介で“戦後の最強愚連隊”として恐れられた安藤組(正式名は東興業)を設立した安藤昇と引き合わされる。大幹部にまで上り詰めるが、1963年(昭和38)午後11時15分、自宅近くで2人組の男に刺されて死亡。33歳だった。刺したのは東声会の組員。花形はこの時点で前科7犯、逮捕されること実に24回に上った。
 刺されたのは東洋郵船社長・横井英樹を襲撃し、殺人未遂で2年6ヵ月の刑期を終えたすぐ後だった。

 刺された当時の毎日新聞を開くと、ソフト帽を被り笑みを浮かべる花形が認められた。眼鏡をかけているが、顔を被っている“疵”はハッキリとは分からない。四角い顔は猛々しいというよりもむしろ紳士的な雰囲気な印象。

 花形敬が刺された場所に向かった。現場からの最寄り駅は二子新地。現在の住所では二子1丁目にあたる。
 刺されたのは料亭「仙寅」の前だった。当時料亭があった場所を歩くが見つからない。2人連れの女性(60~80歳くらい)に「仙寅」についてたずねた。

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『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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コメント

たいへん面白く読ませてもらいました。
「犯人の1人に胸を銃で撃ち抜かれている」
ことを初めて知りました。
安藤組や鹿十団など、戦後の愚連隊についての
レポートを、なかんずく楽しみにしております。

投稿: 巻太朗 | 2007年7月 4日 (水) 12時51分

正義感溢れすぎる行動が悲劇に繋がってしまったのでしょうか。
「仙寅」は当地ではよく知られた料亭のようです。
今後も乞うご期待。

投稿: 宮崎 | 2007年7月 4日 (水) 18時53分

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